ホテルニュージャパン火災

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ホテルニュージャパン火災
Hotel-New-Japan (1993).jpg
火災後の跡地(1993年撮影)
1996年に解体されるまで放置されていた
現場 東京都千代田区永田町2丁目13番8号
北緯35度40分32.9秒
東経139度44分19.3秒
座標: 北緯35度40分32.9秒 東経139度44分19.3秒
発生日 1982年(昭和57年)2月8日
3時24分
類焼面積 4186㎡
原因 就寝客に依るたばこの不始末
死者 33人
負傷者 34人

ホテルニュージャパン火災(ホテルニュージャパンかさい)は、1982年昭和57年)2月8日に、東京都千代田区永田町ホテルニュージャパンで起こった火災事故。33人の死者を出した。

概要[編集]

火災は、1982年(昭和57年)2月8日の午前3時24分に発生。そして主に火元の9階と10階を中心に同日12時半過ぎまで9時間に渡って燃え続けた。は7階にまで達しており、延焼面積は約4,200平方メートルに達した。ホテルの宿泊客を中心に死者33名(台湾人12名(うち一人は妊婦)、日本人11名、韓国人8名、アメリカ人(日系アメリカ人)1名、イギリス人1名[1])・負傷者34名を出す大惨事となった。東京消防庁の調べでは、出火の原因は9階938号室に宿泊していたイギリス人の男性宿泊客[注 1]の酒に酔った寝タバコが原因であった。極初期の小火で一度目が覚め、毛布で覆って完全に消火したつもりで再び寝入ってしまうが火は消えておらず覆った毛布に着火し部屋中に燃え広がったと見られる。また、消防に通報が入ったのは15分後の3時39分でこの間はホテルの従業員からの通報は誰もしていなかった。廊下での焼死など火災による死者が多かったが、有害ガスを含んだから逃れるためにから飛び降りて命を落とした人も13人いた。なお、9階と10階の生存者の中には火災で非常口から避難ができず、シーツロープ替わりにして窓から下の階へ避難した者や消防隊に救出された者もいた。

この火災では日本時間午前3時24分出火[2]、12時36分の鎮火まで、およそ9時間に渡って都心を真っ赤に染めるように燃え続けた。 この日の宿泊客は442人。うち9階と10階に宿泊していたのは103人で、この多くは台湾韓国からの札幌雪祭りツアー(61人)の宿泊者だった。

延焼範囲が広がった原因[編集]

  1. ホテルニュージャパン側が、度重なる消防当局の指導にもかかわらず、経費削減を理由にスプリンクラー設備などの消防設備を一切設置せず、かつ消防当局や専門業者による防火査察・設備定期点検も拒否し続けていたこと(同ホテルが開業した1960年当時の消防法では防火設備に乏しい建物でも営業に問題は無かったが、国内で発生した火災では史上最悪となる118人もの犠牲者を出した1972年の「大阪千日デパート火災」を教訓に、「大規模ビルではスプリンクラー&防火扉設置と不燃材による内装施工必須」を盛り込んだ改正消防法が1974年に施行。それから5年後の1979年に当時経営難で存続の危機に瀕していたホテルニュージャパンを買収し、同ホテルの社長兼オーナーへ就任した横井英樹は、「改正消防法に基づくスプリンクラー&防火扉の設置や不燃材による内装施工を消防当局より命ぜられた」旨の報告を部下の従業員より受けても経費削減を理由にそれら安全・災害対策予算執行を認めず、「消火器を買い増す」旨を指示しただけだった。さらに設備点検・更新にかかる正規料金を支払わないという形で定期点検業者を撤退させた結果、館内消防設備の故障が長期間放置された[注 2])。
  2. 火災報知機や煙感知器も故障したまま修理されず放置されていたこと(館内非常ベルは手動式で、警備員又は従業員が操作しない限り鳴らない仕組みだった)
  3. ホテル館内放送設備も故障したまま修理されず、また使用方法の誤り(非常放送用テープを回そうとしたがベルトが切れて回らず、マイクもヒューズが切れていて放送できなかった。さらに館内放送用配線端子とケーブルも一部接触不良状態だった)[3]
  4. 通常は24時間常時稼働しているはずの全館加湿設備が「電気代節約」を理由に止められ「暖房のみ稼働する」状態になっていたこと(このため火災発生当時のホテル内は、静電気が発生するほどの異常乾燥状態だった)
  5. (もともとは高級アパートとする予定だったが、高度経済成長で急増する宿泊施設需要に対応する目的で急きょ「ホテル」へ用途変更した事から)廊下がY字型を組み合わせた「初めての宿泊客は方向感覚が麻痺しやすい」特殊配置となっており、さらに非常口への誘導表示はあったものの火災発生を知った時には既に煙が充満し、かつ停電で館内が真っ暗だったため非常口の場所を確認出来なかったこと[注 3]
  6. 宿直ホテル従業員の少なさ[注 4]、ホテル従業員の教育不足による初動対応の不備(最初に現場へ到着した社員はマスターキーを持っていなかった[注 5]。屋内消火栓の使用を試みたが、開閉バルブを解放していなかったため使えなかった。また人手不足による過酷な労働環境と膨大な仕事量から防火訓練・避難訓練を定期的に実施しておらず、従業員や警備員は屋内消火栓の位置や正しい使い方・手動式館内非常ベルの正しい鳴らし方を知らなかったため、初期消火・119番通報・宿泊客避難誘導が遅れた。従業員控室は各階の空き部屋を用いていたため一斉緊急呼び出しが出来ず、それぞれの控室へ一カ所ずつ手動で内線電話をかけて呼び出したため従業員の非常招集に時間がかかった。等)。
  7. 客室内の防火環境不備(可燃材による内装、防炎加工無しの化繊を用いた絨毯・カーテン・シーツ・毛布類が燃えた時に可燃性有毒ガスを発生させ「フラッシュオーバー現象」による爆発燃焼の危険性を高めた、間仕切りの一部や客室ドアが木製だったため次々と焼け落ちた、電気・ガス・上下水道・空調配管工事のため壁・床・天井に開けられた穴がきちんと埋め戻しされておらず、かつ仕切りに用いられていたコンクリートブロックも継ぎ目がモルタルで完全に埋められておらず隙間だらけだった。このような数々の欠陥施工が炎の通り道を数多く生み延焼を早めた、など)
  8. 防火扉が多数閉鎖しなかった(煙を感知すると自動的に閉まる仕組みの防火扉はあったものの、その大半は廊下に敷かれていた絨毯に阻まれて閉まらなかった)。

といった、安全性を軽視した杜撰な経営と、複合的要素が原因による火災との調査結果が発表された。また、スプリンクラー設備の配管が何処にも設置されておらず、天井に散水孔の部材を接着していただけの偽装であったこと[注 6]、客室壁内部の空洞施工が原因でフラッシュオーバーと呼ばれる現象が発生したことも被害が拡大した原因であった。

消防の対応[編集]

東京消防庁では、第一報となる3時39分のタクシー運転手からの119番通報を受け、消防車など21台、救急車1台を出場させたが[注 7]、「上階が激しく延焼し、要救助者が多数発生している」という現場からの報告を受けて矢継ぎ早に部隊を増強、午前4時2分には最高ランクの出場態勢である「火災第4出場」、さらに基本運用規程外の応援部隊を出場させる「増強特命出場」と、多数の負傷者に対応するための「救急特別第2出場」をあわせて発令。消防ポンプ車48台、はしご車12台、救助車8台、救急車22台、消防ヘリコプター2機を始めとするポンプ隊101隊、救急隊22隊、特別救助隊8隊など人員627名を投入。消防総監が現場に出向き「本部指揮隊車」(東京消防庁にだけある、指揮車の中で最も大きく重装備の車種。これを動かす際には「警防本部」が立ち上げられる)を使って直接指揮するという、品川勝島倉庫爆発火災以来の、全庁を挙げての消火活動と救助活動を行い、特別救助隊やはしご隊を中心に逃げ遅れた宿泊客63名を救出した[注 8]

また、この火災が起きた翌朝に日本航空350便墜落事故が発生し、相次ぐ惨事に東京消防庁やマスコミ各社は対応に追われた。

火災後の顛末[編集]

横井は火災発生現場で報道陣に対し拡声器で「本日は早朝よりお集まりいただきありがとうございます」、「9・10階のみで火災を止められたのは不幸中の幸いでした」などと現場の状況を全く考慮しない・緊張感に欠ける不謹慎極まりない発言をしたことに加え、「悪いのは火元となった(938号室の)宿泊客」と責任を転嫁(社長の自分は悪くないと)するコメントを発した。また、火災当時、人命救助よりもホテル内の高級家具運び出しを指示したとされる[注 9]。こうした横井の不謹慎(失礼)な言動は国民からの手厳しい非難を呼んだ[注 10]。後に、現場に突入した当時東京消防庁永田町特別救助隊隊長であった高野甲子雄(たかの・きねお)に“口止め料”として贈賄を図り、これに激怒した高野に追い返されたことも明らかになっている。なお、高野はこの時に外国人客(この外国人客は救助後、病院に運ばれるも、まもなく死亡)の救助作業中、フラッシュオーバー現象に遭って炎に包まれ、喉元に大やけど(気道熱傷。しかし救出直後に水を飲んだ事により大事には至らなかった。)を負った[注 11][注 12]

なお、横井の元部下は「横井社長は火災発生当時、ただ黙って(途方に暮れ)呆然としてばかりいて(従業人に対し)何一つ指示を出していなかった」と証言している他、当時の裁判記録には「儲けと経費削減のみを重視し安全を軽んじた横井の経営方針は『客を欺くのに等しい行為』と言われても仕方がない」とまで書かれている(フジテレビ系列『奇跡体験アンビリバボー』2015年10月8日放送分より)。

さらに(「必要最低限の人員による過酷な労働環境」と「給与遅配による士気=仕事に対する意欲低下」が原因で)従業員への防災教育がもともと行われていなかったため、火災発生当時は宿泊客の避難誘導をした従業員が誰一人おらず、客はそれぞれ独自の判断で避難していた(一人の客が9階にいた他の宿泊客避難誘導を自主的に最後まで行い、その客は出張に同行していた部下を避難させたあと一酸化炭素中毒で力尽きた。その一方で従業員の大半は社長の横井と共に呆然と立ち尽くすのみだった)。

横井は火災発生翌日(2月9日)以降の記者会見で「(今回の大規模火災により亡くなられた・及び怪我をされた)お客様には大変申し訳なく思っています。ご遺族の皆様には何とお詫びすれば良いのか言葉が見つかりません」と謝罪はしたものの、消防当局より再三にわたり指摘されていた「防火管理体制不備」の責任と(儲け第一&安全対策予算を削ってまでの経費削減主義を貫いた)自身の経営責任を報道陣より問われても「申し訳ございませんでした、お詫びのしようもありません」と述べるにとどまり(自身の責任については)曖昧発言に終始。横井のこうした「責任逃れ」とも取れる言動は遺族などから手厳しく非難された[注 13]。(NHKアーカイブス「ホテルニュージャパン火災」動画より)

旧ホテルニュージャパンは火災発生から2日後の1982年2月10日に東京都より「(消防法違反と業務上過失致死傷による)営業禁止処分」を受け、その後廃業した(火災事故直後には「出火お詫び」の文章が書かれた横井直筆の貼り紙をホテル正面玄関前に掲示)。また犠牲となった宿泊客33人の仮通夜が営まれた港区芝公園四丁目の増上寺敷地内には、「ホテルニュージャパン火災事故の犠牲者を慰霊しその教訓を後世に伝えるための観音像」が火災事故から5年後の1987年2月8日に横井によって建立された。

この火災を教訓に東京都・東京消防庁・国は「再三にわたる防火体制不備の改善指導に応じない事業所はその名前(実名)を公表&刑事告発」するようになった。

裁判[編集]

これらホテルニュージャパン火災における数々の違法運営により、オーナー兼社長の横井英樹業務上過失致死傷罪禁錮3年の実刑判決が確定(1993年11月25日最高裁)した[4]。 当時の裁判記録には「スプリンクラーを設けず館内緊急放送回路の故障も放置し、かつ従業員に対し防火体制作りや客の避難誘導について指導教育も一切しないという横井社長の『儲け第一主義&安全対策予算を削ってまでの過剰な経費削減』は人(宿泊客)の命を預かる義務を全く踏み外しており、これでは一流ホテル失格。客の命を軽んじたホテルニュージャパンのあまりに杜撰な防災体制はビジネスマンとして、そして人間として絶対許せません」という(猛火と煙の中から命からがら脱出した)宿泊客の証言が記述されている。

その他[編集]

脚注[編集]

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出典[編集]

  1. ^ 昭和ラプソディ(昭和57年・上)”. 誰か昭和を想わざる. 2008年4月11日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年10月10日閲覧。
  2. ^ 特異火災事例: 株式会社 ホテルニュージャパン (PDF)”. 消防防災博物館. 財団法人消防科学総合センター. 2007年7月25日閲覧。
  3. ^ 自衛消防訓練マニュアル 近代消防社
  4. ^ 最高裁平成5年11月25日決定-刑法判例百選I58事件。
  5. ^ 「ビートたけし 街で一番の男 ビートニクラジオ」(TOKYO FM1998年(平成10年)11月1日放送でのビートたけし本人の発言より
  6. ^ 奇跡体験!アンビリバボー:実録!国内大災害SP★ホテルニュージャパンの悪夢 - フジテレビ

注釈[編集]

  1. ^ なお、当の原因であるイギリス人の宿泊客は、部屋の前を通る通路の右手奥の行き止まりのところで焼死体となって発見されている。
  2. ^ 当時の裁判記録には「社長の横井英樹は消防当局より『当時のホテルニュージャパンは建物の老朽化が著しかったため、改正消防法に適合させるにはスプリンクラーや防火扉などの新設のみならず、館内電気設備&給排水設備の全面改修も必要』である旨を知らされていた。しかし横井は関係当局&ホテル部下からのそれら進言・勧告・上申を聞く耳を一切持たず無視し、専ら『儲けと経費削減のみで安全対策への投資はしない』方針を貫いていた」と書かれている。その一方で横井は(安全対策関連経費削減とは裏腹に)、宿泊客増加に繋がりそうな事案(ロビーなど客の目にとまる部分を豪華な内装へ変更するなど)には惜しみない投資をしていた。
  3. ^ 9階938号室から出た火は従業員が館内備え付けの消火器を用いて初期消火しようとしたものの消えず、最初に使った消火器は内部の消火剤が(完全消火する前に)底をついた。そこで従業員は別の消火器を取りに行ったが、その間に炎は大きくなり煙も充満し始めたため「これ以上の消火活動は危険」と判断。非常ベル発報&館内緊急放送・屋内消火栓を用いた初期消火・宿泊客避難誘導・廊下全体の煙広がり具合確認などを全くせず、宿泊客を部屋に残したまま真っ先に1階フロントへ戻ってしまった(この時点で別の消火器又は屋内消火栓による初期消火・火災が起きた旨の館内緊急放送・宿泊客避難誘導が迅速に出来ていればこのような大惨事は防げ、死傷者もゼロに出来たはずだった)。938号室から出た火は初期消火の失敗によりますます勢いを増し、やがて同室内が次第に高温となった事で「フラッシュオーバー現象」による爆発燃焼を起こして廊下へ飛び散ったため、廊下と各部屋は瞬く間に炎と煙の海に包まれていった(従業員は火元の938号室ドアを開けたままフロントへ戻ったため、火は瞬く間に9階廊下全体へ燃え広がった)。だがホテル従業員や警備員は、このような切迫した緊急事態になっても119番通報をまだせず、かつ火災が起きた旨の館内緊急放送もしなかった(当時の裁判記録には「従業員&警備員は『非常ベル発報・館内緊急放送・119番通報』という一連の行動をとる際に手が震え、ボタンを押す&ダイヤルを回す動作がうまく出来なかった」と書かれている)。このため当時就寝中だった宿泊客が火事に気づいた時は手遅れで、特に9階以上の部屋に宿泊していた客は高温の猛火と煙に行く手を阻まれ、非常口へのルートを塞がれて逃げ場を失っていた(「スプリンクラー無しの館内」・「防炎加工無しの可燃材を用いた内装」・「隙間だらけで酸素が供給されやすい欠陥施工」・「故障で動作しなかった煙感知器」・「絨毯に阻まれて閉まらなかった防火扉」により、フラッシュオーバー現象は他の部屋・階へ次々と飛び火。高温の炎に耐えかねた窓ガラスは各所で割れて飛び散り、その破片を浴びた事による負傷者が多数出た)。
  4. ^ 1960年の開業当時「ホテルニュージャパン」には320人の従業員が在籍していた。しかし「儲け第一」を掲げ(安全対策費用も含めた)経費削減を徹底させた横井の傲慢かつ横暴なワンマン(独裁)経営に耐えかねて離職者が続出し(横井は自分の意にそぐわない従業員を容赦なく解雇)、火災発生当時の在籍従業員は134人にまで減少していた(従業員の新規採用・欠員補充は全く行わず、人件費削減のみに終始)。このため生き残った従業員は本来自分が受け持つ分野以外の業務も少人数でこなさなければならず、一人あたりの仕事量が急増。こうした激務(少人数での過酷な長時間労働と膨大な仕事量)に給与の遅配も重なって従業員の士気は著しく低下し、防災訓練や防火設備の把握もまともに出来る状況ではなくなっていた(大事に至らなかった場合は「無意味な大騒ぎを起こした」と横井から叱責されるのを恐れ常に社長の顔色を伺う雰囲気だった事から、従業員は火災発生という緊急事態を大声で叫ばず、通常巡回時同様に小声で各部屋を軽くノックするのみという形で火災発生を知らせていた)。さらに横井は「日銭を増やす事を目的としたホテル駐車場の有料化(その受付業務担当従業員は置かず、安全管理が本業の警備員に駐車場受付もやらせた)」と「経費削減のため警備員の夜間定期巡回廃止や人員大幅削減」にまで踏み切っていた。(フジテレビ系列「奇跡体験アンビリバボー」2015年10月8日放送分より)
  5. ^ (1982年)2月8日午前3時17分頃、フロントマンをしている当直従業員が別の担当者(当直フロント担当)と交替して仮眠を取るため仮眠部屋用の鍵を持って、当直従業員用仮眠室のある9階へ行った時、泥酔してホテルへ戻ってきたイギリス人男性客が宿泊している938号室より煙が出ているのを見つけた。だが、938号室の異変を最初に見つけた従業員は「お客様、どうされました!?」などと直ちにノックして声を掛けたり「火事だー!!」と大声で緊急事態を知らせる行動もとらずフロントへ戻り、(仮眠室へ行こうとした従業員から火災発生の一報を受けた)別の当直従業員がマスターキーを持ち「お客様、どうされました!?」とノックした上で火元の938号室ドアを開けた。警備員も「内線電話による火災発生緊急連絡」をフロントより受け(もう一人の後輩警備員に「すぐ非常ベルを鳴らす」よう命じたのち)現場へ向かったが、一人での対応に不安を感じたため他の警備員と一緒に対応しようと考え、宿泊客へ直ちに避難を呼びかけるなどの行動をとらず、宿泊客を部屋に残したまま警備室へ戻った(もう一人の警備員も手動式非常ベルの鳴らし方を知らず、火災発生の館内緊急放送もしなかった)。フロント担当従業員が938号室内部を見た時はベッド横から寝たばこの火が燃え移る形で出火しており、その対応に手間取っている(備え付け消火器を取りに行くなどしている)うちにベッド横の炎は勢いを増していった。フロントで受けた異常事態一報が既に「938号室で火災」とわかったので、火元の同室ドアをマスターキーで開ける直前段階で同行していた他の従業員が消火器又は屋内消火栓に繋がるホースも持参していれば迅速な初期消火が出来たはずだった。だが消火器を持ってきたのは938号室ドアを開けた時ベッド横から出ていた炎を見てからだったため、「館内備え付け消火器を取りに行く」という無駄な時間が生じ初期消火が遅れた。故に、当直従業員が最初に938号室の異変に気づいてから最初の119番通報が行われるまで20分もの空白が生じ、かつ(フロントで火災の一報を受け、その火元である938号室ドアを開けたら直ちにすべき)初期消火もきちんと出来ていなかった。最初に119番通報したのはホテル関係者ではなく、たまたま「ホテルニュージャパン」の前を通りかかってそこが火事になっているのを目撃した夜勤中のタクシー運転手だった。こうした初動の不手際が重なった事で938号室の炎はますます勢いを増し、やがてホテル内で起きた火事を知らずに就寝中だった100人以上もの宿泊客が猛火のホテル内に取り残される形となってしまった(館内緊急放送・非常ベル・煙感知器は故障のため全く動作しておらず、他の宿泊客は938号室に近い別の部屋に宿泊していた女性客が上げた悲鳴で初めて火事に気づき避難を開始)。
  6. ^ 1960年に開業した当初は消防法に基づく館内防災設備点検と不良箇所の修理&部品交換が定期的に行われていた。しかし横井に買収された後は安全対策予算が削られたため館内防災設備の定期点検・不良部品交換が行われなくなり、横井は予算不足を理由に「消防法に基づく防火査察・消防設備定期点検及び(消防当局より命ぜられた)館内防災設備更新」をいつまでも拒否し続けた。このため1981年8月に東京消防庁麹町消防署長より「消防法に基づく防災設備改善命令」を口頭で受け、その席上「館内防災設備の不備状態が今後も続けば(消防法に基づき)営業停止とする」旨の最後通牒を突きつけられた事から、横井はようやく危機感を察知し「スプリンクラーを設置するなど消防設備改善を行う」と重い腰を上げた。しかし「スプリンクラー設置」は一部フロアのみの上辺(単なる飾り・見せかけ)だけで終わり、実際は機能不全(水が全く出ない)状態だった。スプリンクラー設置をはじめとする館内防火環境改善工事は火災発生2日前(2月6日)に着工される旨が決まり、その矢先に今回の大火災事故が起きた。(フジテレビ系列『奇跡体験アンビリバボー』2015年10月8日放送分より)
  7. ^ ホテルニュージャパンの火事を目撃したタクシー運転手からの119番通報を受けて出動した高野甲子雄率いる救助隊員第一陣(東京消防庁麹町消防署永田町出張所・第11特別救助隊)が午前3時45分に現場へ着いた時は、既に9階と10階が猛火と煙に包まれ・そこへ取り残された多数の宿泊客が窓から身を乗り出して救助を求めるという、今までに経験した事のない大火事となっていた。高野らは初め通用階段を用いて各階の状況を確認しようとしたが、避難する客が殺到して身動きが取れなかったため、停電で真っ暗になった非常階段経由で各階の状況を強力ライトを用いて確認。火元となった938号室のある9階は「非常階段と廊下を仕切る鉄製扉が長時間高温に晒され続けた事による熱膨張で開かなかったため」状況確認が出来ず、10階の扉を開けて充満した煙の中から3名の客を救出。その後は屋上へ向かい、生命の危険と隣り合わせの中で部屋に取り残された客をロープを用いて救助した。その一方で犠牲となった33人のうち13人は「高温の猛火と大量の煙に耐えかねて窓から飛び降りた」事によるものだった。
  8. ^ この火災における東京消防庁麹町消防署永田町出張所特別救助隊員の救出劇は、NHKの『プロジェクトX』で「炎上―男たちは飛び込んだ 〜ホテルニュージャパン・伝説の消防士たち〜」として2001年(平成13年)5月22日に放送された。
  9. ^ その一方で同ホテルに保管されていた藤山愛一郎による中国近現代史料コレクション「藤山現代中國文庫」が焼失している。なお火災発生当時警備室で対応にあたっていた警備員は「ホテル内にある家具類の搬出場所を指示した」横井からの電話応対に追われていたため、いち早く現場に駆けつけ救助活動を始めようとしていた「東京消防庁第11特別救助隊」隊長(当時)の高野甲子雄より「非常階段の場所を教えて下さい」と言われても「今、社長と電話中だ」と言ってすぐに返事せず、業を煮やした高野に胸倉を掴まれながら「客が命の危険にさらされています!すぐ(非常階段の場所を)教えて下さい!」と言われた時に初めて危機感を察知し、非常階段の場所を高野らに教えた。
  10. ^ 同ホテルを事務所としていた戸川猪佐武もホテル火災で損害を受け、他のテナントと共に社長の横井に対する損害賠償訴訟を起こした。
  11. ^ フラッシュオーバー現象発生時における炎の温度は約900度に達するため、消防隊員は防火服を着ていても耐えられない(火傷などの大けがを負いやすく、時には生命の危険を伴う)。また、建物内に取り残された一般人が「フラッシュオーバー現象」に遭って高温の炎を多量に浴びれば焼死に至る危険性が高まる。
  12. ^ 当初は高野の部下である浅見昇(あさみ・のぼる)が救助へ向かったが、隊の中で最も俊敏な体力を有していた浅見は煙が充満した10階フロアで(館内捜索・救助をするための)激しい動きをしていたため空気ボンベ内酸素量の減りが最も早く、男性客の救助作業中「空気ボンベ内酸素が残り少なくなった」旨の警報が鳴ったため同僚の隊員に「すぐ戻る」よう言われた。このため浅見はやむを得ず要救助者の宿泊客を残して外へ戻り、空気ボンベ交換後に再度自ら救助活動したい旨を志願したが、その後の救助は隊長の高野が自ら引き継いでいる。なお高野が自らフラッシュオーバーに遭いながらも救出した男性宿泊客は、数日後に搬送先の病院で息を引き取った。高野自身もフラッシュオーバーによる火傷を喉に負いつつ救助活動続行を志願したが、同行していた救急隊員に止められ病院へ搬送されている(部下の隊員は高野の離脱後も最後まで救助活動を続行。任務終了後は高野がいる病室へ防火服を着たまま赴き、救助活動任務を無事完遂した旨を報告した)。
  13. ^ のちに横井は「衆議院地方行政委員会」へ参考人招致され、その席上では「従業員に対しては日頃からお客様の安全を守れるよう教育してきた」と述べていた。しかし実態は横井の答弁と正反対で、少ない人員の割に膨大な仕事量という環境から従業員への防災訓練は殆ど行われていなかった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]