千日デパート火災

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
千日デパート火災
Sennichi Department Store Building aerial photograph.jpg
千日デパート跡(1975年3月4日撮影)
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
現場 大阪府大阪市南区難波新地三番町1番地
発生日 1972年(昭和47年)5月13日
22時27分
類焼面積 8763㎡
原因 煙草の不始末
死者 118人
負傷者 81人
最高裁判所判例
事件名 業務上過失致死傷事件
事件番号 昭和62(あ)1480
1991年(平成3年)11月29日
判例集 刑集第44巻8号871頁
裁判要旨
  • 閉店後に工事が行われていたデパートビルの三階から火災が発生し、それによる大量の煙が七階で営業中のキャバレーの店内に流入したことにより、多数の死傷者が生じた火災において、デパートの管理課長には防火管理者として、三階の防火区画シャッター等を可能な範囲で閉鎖し、保安係員等を工事に立ちあわせ、出火が発生した際には、すぐさまキャバレー側に火災発生を連絡させる等の体制を採るべき注意義務を怠った過失がある。
  • キャバレーの支配人には、防火管理者として階下において火災が発生した際に適切に客等を避難誘導できるように普段から避難誘導訓練を実施しておくべき注意義務を怠った過失がある。
  • キャバレーを経営する会社の代表取締役には、管理権原者として、防火管理者が防火管理業務を適切に実施しているかどうかを具体的に監督すべき注意義務を怠った過失がある。
  • それぞれ業務上過失致死傷罪が成立する。
第一小法廷
裁判長 大堀誠一
陪席裁判官 角田禮次郎大内恒夫四ッ谷巌橋元四郎平
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
反対意見 なし
参照法条
刑法211条
テンプレートを表示
千日デパート跡に建設されたビックカメラ・なんば店(旧・プランタンなんば

千日デパート火災(せんにちデパートかさい)は、1972年(昭和47年)5月13日大阪市南区(現在の中央区千日前の千日デパートで起きた火災である。死者118名・負傷者81名[1][2]日本のビル火災史上最悪の大惨事となった[3]

千日デパートビル火災」という呼称も使われる[4]。また、地名から「千日前デパート火災」とも。

千日デパート[編集]

千日デパートは、1958年(昭和33年)12月1日に千日前通沿いに開業した商業ビルで専門店街や劇場などが入居していた。経営者は千土地興行(1963年に日本ドリーム観光と改称)。『まいにちせんにち、千日デパート』のコマーシャルソングで知られ、また屋上に1960年(昭和35年)から設置された観覧車は大阪の名物となっていた。

元々は1932年(昭和7年)9月28日竣工した大阪歌舞伎座(旧・大阪楽天地[5]の建物だったものを、新歌舞伎座(2009年6月30日閉館。翌2010年に上本町に移転)の竣工に伴い改装、地下1階から地上5階までを商業施設、6階を演芸場千日劇場と食堂、7階を大食堂、屋上には遊戯施設としていた。営業時間は朝10時から夜10時までだった。ビル正面には“丸にS”(Sen-nichiから)のマークが掲げられていた[6]

概要[編集]

1972年(昭和47年)5月の火災発生当時は1 - 2階が専門店街形式で直営の『千日デパート』、3 - 4階はスーパーニチイ千日前店』、5階が均一ストア、6階がゲームコーナー(千日劇場跡)、7階がキャバレー(当時は「アルバイトサロン(アルサロ)」と呼ばれていた)『プレイタウン』(子会社の千土地観光経営)で、地下1階はお化け屋敷と喫茶店を組み合わせた『サタン』(千土地観光経営)となっており、同じ商業施設でも階毎に経営者が異なる雑居ビル(寄合百貨店)状態だった[7]。さらに、6階の劇場跡部分がボウリング場へと改装中、また3階ニチイの洋品売場も改装工事中という状況であった。 当時のキャバレーではバンドマンの演奏や歌を聴きながら飲酒やホステスの接待を受ける形式だった。火災発生当日はたまたま土曜日で、休みの前日に当たり店内には客が多かった(当時はまだ週休二日制は一般的ではなかったが、いわゆる“半ドン”で土曜の午後を余暇とする習慣があった)。ちなみに接待役のホステスは子持ちの母親が多く、奇しくも火災が発生したのは母の日の前日でもあった。[8]

下階店舗が閉店した直後の22時27分頃に3階婦人服売り場より出火。フロア内の防火シャッターやエスカレーターの防火区画が閉鎖されていないまま、上下階へ火が回った。結局、延焼は2 - 4階に止まったが、建材・販売品の燃焼による有毒ガスがエレベーターシャフトや階段、換気ダクトといった竪穴を通じて階上に充満し、当時、作業をしていた工事作業員らの初期消火失敗や、各々のテナントの責任者による消防体制の不徹底等が重なって多数の死傷者を出す惨事となった。 下階からの出火後しばらくして、エレベーターの7階側ドアとエレベーター側ドアの間の隙間から白煙が吹き出し、従業員がエレベーターの故障と思い込んで点検を行っているうちに、隙間から出てくる煙は黒く変化していた。この事から故障ではなく火災による煙だと気づき、『プレイタウン』の客やホステスたちに大声で避難を促した。そのため、店内にいた人々がパニックに陥った。実はこのエレベーターは、1階から7階のキャバレー『プレイタウン』専用の直通エレベーターで、1・7階のエレベーターホールの出入口を除くシャフト内に開口部は存在しないはずだが、2・3階部分に手抜き工事による隙間が残っていて、火災階から侵入した煙が煙突効果により、エレベーターシャフトを通じて『プレイタウン』へ流れ込む一因となった。[8]

出火原因は電気工事関係者のタバコの不始末と思われるが、当日、タバコを吸っていた関係者の動きが正確に判明していないため確定していない。出火場所は3階フロアーの南東角の部分であったという。逃げ道であるはずの階段室は7階『プレイタウン』に通じる階段が複数あったにもかかわらず、(物理上行き来できない階段を除く)ほとんどが火元の3階の防煙シャッターが開いたままで煙が立ちこめ、避難階段として使えず、防火扉で遮蔽された特別避難階段であるB階段(特異火災事例の図面を参照)が、唯一避難に使える階段となっていた。しかし煙が充満したエレベーターホールの近くにあり、同じくB階段、エレベーターホール付近にあった非常口の鍵がしまわれていたクロークから、非常口から避難するために鍵を取り出そうとしたところ、煙が充満し引き返した。ただし煙の量は少し呼吸を我慢して煙を潜って通れる程度であったが、煙が充満していたこともありこのB階段で避難できたのはわずかな人数にすぎなかった。[8]また前述のエレベーターによる煙突効果で営業中であった7階のキャバレー『プレイタウン』にまたたく間に煙が充満。さらにエレベーターが火災による停電で停止[9]。逃げ場がなくなり、救助袋を使って脱出を試みるものの、正しい使用方法が理解されず、やむなく救助袋にしがみついて下に降りようと試みたがあえなく墜落し、あるいは客の中には窓ガラスを割り、15m下の地上目掛けて飛び降りた者もいた。結果、落下による24名の内22名が全身挫傷や頭蓋骨骨折などで死亡し被害を拡大させる一因となった。飛び降りなかった客の多くも一酸化炭素中毒で窒息死し96名が7階フロアで折り重なるように倒れていたという。一部は、窓枠にしがみつき半身を乗り出した状態で絶命していた。また非常誘導路上に間仕切りが施され、事実上誘導路が消失していたこと等、雑居ビルの欠陥を露呈させる事件となった。

同ビルは大阪で有数の高地価な千日前交差点の角地にあり、家主の日本ドリーム観光はこの時価に見合う賃料収入を確保すべく、多くのテナントを入れていた。この結果、全館の管理責任体制がかなり不明確となっていた。また日本ドリーム観光はテナントから管理料を徴収し、原則夜間駐在を認めなかった。これは同社が夜間管理を一括して行うことを意味したが、結局その管理体制に手抜かりがあり、火災発生から消防署への通報までは約6分(外部リンク欄の「特異火災事例・千日デパート」参照)と比較的速やかに行われたものの、『プレイタウン』には火災発生の情報が伝わっていなかった。さらにこのビル自体、大阪歌舞伎座を改装した古い建物であったため1950年施行の建築基準法に不適合の状態であり、防火シャッターが自動作動するものではなく、火元の3Fで保安係が作動させなかったことやスプリンクラー設備が未設置であったことも被害が拡大する要因となった。

この火災に関して、千日デパート関係者2名(管理部次長・管理部管理課長)および『プレイタウン』を経営する千土地観光関係者2名(代表取締役・プレイタウン支配人)の計4名が、業務上過失致死傷罪で起訴された。このうち千日デパート管理部次長については第一審係属中に死亡したため公訴棄却となったが、残り3被告について第一審(大阪地裁昭和59年5月16日判決)は、3被告全員に無罪を言い渡した。しかし、控訴審(大阪高裁昭和62年9月28日判決)では一転して全員が有罪とされ、上告審においても結論は変わらず(最高裁平成2年11月29日決定)、千日デパート管理部管理課長に禁錮2年6月・執行猶予3年、千土地観光の2被告は禁錮1年6月・執行猶予2年の有罪判決が確定した。

千日デパートは火災後閉鎖され、地震に耐えられる強度がないとの理由でまもなく取り壊し・テナント強制退去の対象とされた。しかしこれに対し千日デパート再興を願う専門店街側が中坊公平を団長とする訴訟団を結成した上で日本ドリーム観光を相手に訴訟を起こし、新歌舞伎座の前でむしろ旗を掲げて抗議する騒ぎとなった[10]

また、この事件と翌年起きた大洋デパート火災の出火建物が建築基準法に対し「既存不適格」であったことで、建築基準法および消防法の大幅な改正が行われる契機となった。

2015年7月9日には、フジテレビの『奇跡体験!アンビリバボー』で、この事件が再現ドラマや生存者へのインタビューを交えながら詳細に紹介された[8]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 火災予防行政のあり方に関する総合的な検討 (PDF)”. 消防庁. 2015年5月9日閲覧。
  2. ^ 大阪市市民の方へ 5月の教訓 【1972年(昭和47年)】”. 大阪市. 2015年5月9日閲覧。
  3. ^ ビルに限定しないと1943年に、北海道にあった布袋座でおこった火災で208人が死亡している。
  4. ^ “北九州 422回 「絶対あきらめない」谷澤忠彦弁護士”. 西日本新聞 (西日本新聞社). (2008年7月10日). http://www.nishinippon.co.jp/nishikai/01seikei/post_29.shtml 2014年12月18日閲覧。 
  5. ^ 「大阪市中央区わがまちガイドナビvol.9&vol.10」を発行しました!大衆のまちミナミと粋のまち道頓堀〜大衆を育み大衆に愛された千日前、難波と粋のまち道頓堀のミナミの文化とは(裏面) (PDF)”. 未来わがまちビジョン(区民協働による魅力発掘). 大阪市 (2013年3月26日). 2014年12月18日閲覧。
  6. ^ 特集 新たな火災予防対策の推進 〜新宿区歌舞伎町ビル火災の教訓を踏まえて〜”. 消防庁. 2014年12月18日閲覧。
  7. ^ 【大阪の20世紀】(34)死者118人「人間が降ってくる」 千日デパートビル火災(2/6ページ) - MSN産経west”. 産経新聞. 2015年11月27日閲覧。
  8. ^ a b c d フジテレビ系列の『奇跡体験!アンビリーバボー 国内史上最悪と言われたビル火災』 2015年7月9日OA
  9. ^ 特異火災事例にあるエレベーターで脱出した1名は7Fのエレベーターホールに漂う煙(前述)で火災を認知し、被害が拡大する前に既に引き返していた(災害対応研究会ニュースレター第11号 2003年1月より)。
  10. ^ 中坊公平、松和会、2006、『現場に神宿る 千日デパートビル火災/被災テナントの闘い』、現代人文社

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯34度40分0.1秒 東経135度30分9.4秒