西山事件

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最高裁判所判例
事件名 国家公務員法違反被告事件
事件番号 昭和51(あ)1581
昭和53年5月31日
判例集 第32巻3号457頁
裁判要旨
報道機関が、公務員に対し、秘密を漏示するようにそそのかしたからといって、直ちに当該行為の違法性が推定されるものではなく、それが真に報道の目的からでたものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き、正当な業務行為である。当初から、秘密文書を入手するための手段として利用する意図で女性の公務員と肉体関係を持ち、同女が右関係のため被告人の依頼を拒み難い心理状態に陥ったことに乗じて秘密文書を持ち出させたなど、取材対象者の人格を著しく蹂躪した本件取材行為は正当な取材活動の範囲を逸脱するものである。
第一小法廷
裁判長 岸盛一
陪席裁判官 岸上康夫団藤重光藤崎萬里本山亨
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
反対意見 なし
参照法条
国家公務員法100条1項、国家公務員法109条12号、国家公務員法111条、裁判所法3条1項、憲法21条1項、刑法35条
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西山事件(にしやまじけん)は、1971年沖縄返還協定にからみ、取材上知り得た機密情報を国会議員に漏洩した毎日新聞社政治部の西山太吉記者らが国家公務員法違反で有罪となった事件。別名、沖縄密約事件[1](おきなわみつやくじけん)、外務省機密漏洩事件(がいむしょうきみつろうえいじけん)。

概要[編集]

第3次佐藤内閣当時、米リチャード・ニクソン政権との沖縄返還協定に際し、公式発表では米国が支払うことになっていた地権者に対する土地原状回復費400万ドルを、実際には日本政府が肩代わりして米国に支払うという密約をしているとの情報をつかみ、毎日新聞社政治部の西山が日本社会党議員に漏洩した。

政府は密約を否定。東京地方検察庁特別捜査部は、西山が情報目当てに既婚の外務省事務官に近づき酒を飲ませ泥酔させた上で性交渉を結んだとして、情報源の事務官を国家公務員法(機密漏洩の罪)、西山を国家公務員法(教唆の罪)で逮捕した。これにより、報道の自由を盾に取材活動の正当性を主張していた毎日新聞は、かえって世論から一斉に倫理的非難を浴びることになった。

裁判においても、起訴理由は「国家機密の漏洩行為」であるため、審理は当然にその手段である機密資料の入手方法に終始し、密約の真相究明は検察側からは行われなかった。西山が逮捕され、社会的に注目される中、密約自体の追及は完全に色褪せてしまった。また、取材で得た情報を自社の報道媒体で明白に報道する前に一国会議員に流して国会における政府追及材料とさせたり、ニュースソースの秘匿が不完全だったために情報提供者の逮捕を招いたことも、ジャーナリズムの上で問題となった。

経緯[編集]

第3次佐藤内閣の1971年、日米間で結ばれた沖縄返還協定に際し、「アメリカが地権者に支払う土地現状復旧費用400万ドル(時価で約12億円)を日本政府がアメリカに秘密裏に支払う[2]」密約が存在するとの情報を、検察側の主張に拠れば西山は女性事務官に酒を飲ませて泥酔させた上で半ば強制的に肉体関係を結び、その関係を基に外務省極秘電文のコピーを盗み出させ、これを得た。これは蔵相福田赳夫米財務長官デヴィッド・M・ケネディとの会談内容であった[3]。表向きの返還交渉は外相愛知揆一米国務長官ウィリアム・ピアース・ロジャーズ英語版が行ったが、細かい金のやりとりは福田とケネディが交渉に当たった。人目を避けるため、福田とケネディはバージニア州のフェアフィールドパークにある密談のための施設で交渉した。その結果、日本は米国の施設引き渡し費用、および終戦直後の対日経済援助への謝意として、3000万ドルを支払った。西山が知るところとなった400万ドルはその一部であった。

1972年、日本社会党の横路孝弘楢崎弥之助は西山が提供した外務省極秘電文のコピーを手に国会で追及した。この事実は大きな反響を呼び、世論は日本政府を強く批判した。政府は外務省極秘電文コピーが本物であることを認めた上で密約を否定し、一方で情報源がどこかを内密に突き止めた[4]。首相佐藤は西山と女性事務官の不倫関係を掴むと、「ガーンと一発やってやるか」(3月29日)と一転して強気に出た。西山と女性事務官は外務省の機密文書を漏らしたとして、4月4日に国家公務員法(守秘義務)違反の疑いで逮捕、起訴された。

当初は他紙も、西山を逮捕した日本政府を言論弾圧として非難し、西山を擁護していたが、佐藤は「そういうこと(言論の自由)でくるならオレは戦うよ」「料理屋で女性と会っているというが、都合悪くないかね」(4月6日)と不倫関係を匂わせてはねつけ、さらに4月8日には、参議院予算委員会で「国家の秘密はあるのであり、機密保護法制定はぜひ必要だ。この事件の関連でいうのではないが、かねての持論である」と主張した。『週刊新潮』によって不倫関係がスクープされ、当時の東京地検特捜部の検事佐藤道夫が書いた起訴状に2人の男女関係を暴露する「ひそかに情を通じ、これを利用して」という言葉が記載されて、状況が一変したといわれる。起訴状が提出された日、毎日新聞は夕刊に「本社見解とおわび」を掲載、その中で「両者の関係をもって、知る権利の基本であるニュース取材に制限を加えたり新聞の自由を束縛するような意図があるとすればこれは問題のすりかえと考えざるを得ません。われわれは西山記者の私行についておわびするとともに、同時に、問題の本質を見失うことなく主張すべきは主張する態度にかわりのないことを重ねて申述べます」としたが、実際は以後この問題の追及を一切やめた[5]

その後は『週刊新潮』が「“機密漏洩事件…美しい日本の美しくない日本人”」という新聞批判の大キャンペーンを張った他、女性誌、テレビのワイドショーなどが、西山と女性事務官が双方とも既婚者でありながら、西山は肉体関係を武器に情報を得ていたとして連日批判を展開し、世論は一転して西山と女性事務官を非難する論調一色になった。裁判においても、審理は男女関係の問題、機密資料の入手方法の問題に終始した。

裁判[編集]

公判では女性事務官は求刑された罪状を全面的に認めた上で、改悛の情を訴え、西山の有罪を目指す姿勢を取った。社会党や市川房枝が女性事務官に無実を争う援助を申し出たが、女性事務官がそれを断ったことを根拠に検察側は論告求刑でそれが女性側猪の改悛の表れと主張した。

これに対し、西山側は密約の重大性と報道の自由を主張し、男女関係に踏み込むことは基本的に避けた。逆に、検察は直接の罪状である書類持ち出しについては触れず、女性事務官が西山にそそのかされたことを主張するのに専念した。

検察側証人は、密約については「記憶にありません」、また「守秘義務」を理由に一切答えなかった。西山が女性事務官に対して「君や外務省には絶対に迷惑をかけない」と言いながらそれを反故にしたことや、女性事務官に取材としての利用価値がなくなると態度を急変させ関係を消滅させたことを女性事務官が証言したことで[6]、西山の人間性が問題視された。西山側は積極的に男女関係は争わなかったが、1973年10月12日の最終弁論で女性事務官とは対等の男女の関係であり、西山が一方的に利用したものではないと西山の高木一弁護人は反論した。しかし、女性事務官やその夫からは「夫がいかにも私のヒモであるかのような表現を繰り返した。夫は激怒した。そして、男のメンツにかけても離婚の決意をせざるを得なくなった」[7]と週刊誌で批判された。実際は「ヒモ」やそれに類する発言はなかったのだが、西山側は法廷外での発言を避けたので、女性事務官夫妻の主張のみが大々的に報じられることになった[8]

一方、映画監督の大島渚は二人が逮捕された後の1972年4月14日付毎日夕刊で「言論の自由というような抽象的な問題に立戻ってはいけない。佐藤首相の人間的反応にふりまわされてはいけない。問題は、あくまで佐藤内閣が私たちに何をしたかだ。知る権利などというのは自明のことだ。極秘資料のスッパ抜きに次ぐスッパ抜きを! 今こそ日本中を、スッパ抜きした極秘資料でもってあふれかえさせること。(以下略)」と述べている。

一審・二審[編集]

一審判決で西山は無罪となり、女性事務官は懲役6ヶ月、執行猶予1年の刑を受けた。女性事務官は無罪を争わなかった以上、有罪判決は避けられないものだったが、このことが女性事務官へのさらなる同情と、西山への反発を生んだ。西山は一審判決後に失職し、その他大手メディアも「密約の有無」という問題から撤退し[9]、沖縄密約についての政府の責任追及は完全に蚊帳の外に置かれた。女性事務官夫妻は離婚に追い込まれ、2人は週刊誌で西山への批判を繰り返した。

裁判においては、検察側は国家機関による秘密の決定と保持は行政府の権利及び義務であると前提付けた上で、報道の自由には制約があると主張し、国家公務員法の守秘義務は非公務員にも適用されると主張した。また、報道の自由がいかなる取材方法であっても無制限に認められるかが争われたが、前掲の理由により検察側が控訴した控訴審では西山に懲役4月執行猶予1年、女性事務官に懲役6月執行猶予1年の有罪判決が下された[10]

最高裁[編集]

最高裁は、「当初から秘密文書を入手するための手段として利用する意図で女性の公務員と肉体関係を持ち、同女が右関係のため被告人の依頼を拒み難い心理状態に陥つたことに乗じて秘密文書を持ち出させたなど取材対象者の人格を著しく蹂躪した本件取材行為は、正当な取材活動の範囲を逸脱するものである」「報道機関といえども、取材に関し他人の権利・自由を不当に侵害することのできる特権を有するものでない」と判示し、西山の取材活動について違法性と報道の自由が無制限ではないことを認めた[10]。なお、一審判決後、西山は毎日新聞を退社し、郷里で家業を継いだ。

影響[編集]

この事件の後、西山の所属した毎日新聞社は、本事件での西山のセックススキャンダル報道を理由とした不買運動により発行部数が減少し[要出典]、全国紙の販売競争から脱落した。また、オイルショックによる広告収入減等もあって経営が悪化し、1977年には債務超過に陥って新旧分離を余儀なくされた。当時週刊新潮編集部員だった亀井淳によると、新潮のキャンペーンは極めて好評で、一般読者から無数の激励があったばかりか、毎日新聞社の内情を知らせる情報が次々にもたらされたという。亀井は、「この経験で、週刊新潮は言論によるテロリズムの効果と、その商業的な骨法を会得したのだと思う」と振り返っている[11]

以後、大手メディアの政治部が国家機密に関わる事項についてスクープするということがなくなった(リクルート事件をスクープしたのは政治部ではなく社会部であった)。

米国の公文書公開以降の動き[編集]

沖縄返還協定の密約のもう片方の当事者であるアメリカ合衆国では、密約の存在を示す文書は既に機密解除され、アメリカ国立公文書記録管理局にて公文書として閲覧可能であるが、日本政府(自民党政権)は2010年まで文書の存在を否定し続けて来た[12]

2005年4月25日に西山は「密約の存在を知りながら違法に起訴された」として国家賠償請求訴訟を提起したが、2007年3月27日の東京地方裁判所で加藤謙一裁判長は、「損害賠償請求の20年の除斥期間を過ぎ、請求の権利がない」とし訴えを棄却、密約の存在には全く触れなかった。

原告側は「20年経過で請求権なし」という判決に対し「2000年の米公文書公開で初めて密約が立証され、提訴可能になった。25年経って公文書が公開されたのに、それ以前の20年の除斥期間で請求権消滅は不当」として控訴した。密約の存在を認めた当時の外務省アメリカ局長・吉野文六を証人申請したが、東京高等裁判所は「必要なし」と却下した。

2008年2月20日、東京高裁での控訴審(大坪丘裁判長)も「20年の除斥期間で請求権は消滅」と、一審の東京地裁判決を支持し、控訴を棄却した。ここでも密約の有無についての言及はなかった。判決後の会見で西山は、「司法が完全に行政の中に組み込まれてしまっている。日本が法治国家の基礎的要件を喪失している」と語った。

原告側は上告したが、2008年9月2日に最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)は上告を棄却し、一審・二審の判決が確定した[13]

2008年9月、西山を支持するジャーナリスト有志が外交文書の情報公開を外務省と財務省に求めたが、10月2日「不存在」とされた。これにより、西山側は提訴[14][15]。2010年4月、文書開示と損害賠償を命じる一審判決が下った。

さらに、アメリカの公文書公開によって、400万ドルのうち300万ドルは地権者に渡らず、米軍経費などに流用されたことや、この密約以外に、日本が米国に合計1億8700万ドルを提供する密約、日本政府が米国に西山のスクープに対する口止めを要求した記録文書などが明らかになっている[16]

2009年9月16日、民主党主導の鳩山由紀夫内閣が成立した。外務大臣となった岡田克也は外務省に、かねて計画していた情報公開の一環として、密約関連文書を全て調査の上で公開するよう命じた。これにより設置された調査委員会が2010年3月、全てについて密約及び密約に類するものが存在していた事を認めた。また岡田は同年5月、作成後30年を経過した公文書については全て開示すべき事を定めた。

2012年12月16日投開票の第46回総選挙で自民党・公明党が大勝し、再び自公連立政権に戻った。2013年、自公による第2次安倍内閣特定秘密保護法案を提出した。森雅子国務大臣消費者及び食品安全、少子化対策、男女共同参画担当相)は10月22日の記者会見で、同法案で処罰の対象となる「著しく不当な取材」について質問され、「西山事件の判例に匹敵するような行為だと考えております。」と答えた[17][18]。同法は、12月6日成立した。

時系列[編集]

佐藤=ニクソン共同声明~最高裁判決まで[編集]

  • 1969年11月21日 - 佐藤=ニクソン共同声明で「核抜き、本土並み」の沖縄返還を約束
  • 1971年5月18日頃 - 西山が「従前それほど親交のあつたわけでもなく、また愛情を寄せていたものでもない前記Aをはじめて誘つて酒食を共にしたうえ、かなり強引に同女と肉体関係をも」つ(最高裁判決原文より。「A」の部分は実際は実名)[19]
  • 1971年5月22日以後 - 「再び肉体関係をもつた直後に、前記のように秘密文書の持出しを依頼して懇願し、同女の一応の承諾を得、さらに、電話でその決断を促し、その後も同女との関係を継続して、同女が被告人との右関係のため、その依頼を拒み難い心理状態になつたのに乗じ、以後十数回にわたり秘密文書の持出しをさせていた」(最高裁判決原文より)[19]
  • 1971年6月11日 - 西山が疑惑をにおわせる署名入り記事(ただし、核心は紙面化せず)
  • 1971年6月 - 福田赳夫外務大臣が「裏取引は全然ありません」と国会で答弁。
  • 1971年6月17日 - 日米間で沖縄返還協定調印。 
  • 1971年6月28日 - 西山が渡米。「沖縄返還協定が締結され、もはや取材の必要がなくなり、同月二八日被告人が渡米して八月上旬帰国した後は、同女に対する態度を急変して他人行儀となり、同女との関係も立消えとな」る(最高裁判決原文より)[19]
  • 1971年11月17日 - 衆議院沖縄返還協定特別委員会で強行採決。
  • 1972年3月27日 - 衆議院予算委員会で社会党議員の横路孝弘楢崎弥之助が政府説明と正反対の内容の外務省極秘電文を公開。密約の存在を追求。
  • 1972年3月30日 - 外務省の内部調査で、女性事務官が「私は騙された」と泣き崩れて西山に機密電信を手渡したことを自白。
  • 1972年4月4日 - 国家公務員法111条(秘密漏洩をそそのかす罪)違反で西山が女性事務官とともに逮捕される。
  • 1972年4月5日 - 毎日新聞は朝刊紙上で取材活動の正当性を主張。他紙も同調。
  • 1972年4月15日 - 東京地方検察庁検察官佐藤道夫が起訴状に「ひそかに情を通じ…」と記載。同日夕、毎日新聞夕刊が「本社見解とおわび」を掲載。
  • 1972年5月15日 - 26年ぶりに沖縄復帰。
  • 1972年6月 - 佐藤栄作首相が退陣会見で内閣記者団と衝突。「テレビ、前に出て下さい。新聞記者とは話したくない」発言が出る。7月総辞職。
  • 1974年1月30日 - 一審判決。女性元事務官に懲役6月執行猶予1年、西山には無罪判決。毎日新聞退職。
  • 1974年12月 - 佐藤栄作ノーベル平和賞受賞
  • 1976年7月20日 - 二審判決。西山に懲役4月執行猶予1年の有罪判決。西山側が上告。
  • 1978年5月30日 - 最高裁判所が上告棄却。西山の有罪が確定。

米国の公文書公開以降[編集]

  • 2000年5月 - 我部政明琉球大学教授と朝日新聞が、米公文書館で、25年間の秘密指定が解かれた公文書類の中に、密約を裏付ける文書を発見。西山がスクープした400万ドル以外に日本が1億8700万ドルを米国に提供する密約が記されていた[16]
  • 2002年 - 「日本政府が400万ドルという数字と日米間の密約が公にならないように神経をとがらせていて、メディアの追及に対して米国側に同一歩調をとるように要求してきている」と記載された1976年6月のアメリカ国家安全保障会議文書が公開。6月、川口順子外務大臣が「事実関係として密約はない」(記者会見)「かつて〔2000年〕河野外相が吉野(文六)元アメリカ局長に密約の有無を確認したところ、吉野氏は、密約は無いと回答したと聞いている」(国会答弁)、福田康夫官房長官が「密約は一切ない」(記者会見)
  • 2005年4月 - 西山が「国家による情報隠蔽・操作が容易にできることを裁判を通じて国民の前に明らかにする」として国家賠償請求を東京地裁に提訴。
  • 2006年2月8日 - 北海道新聞の取材に対して、吉野が日本側当事者として密約の存在を初めて認めた。一方安倍晋三官房長官は「まったくそうした密約はなかった」と同月、記者会見で主張。
  • 2007年3月27日 - 一審東京地裁で加藤謙一裁判長は「損害賠償請求の20年の除斥期間を過ぎ、請求の権利がない」として西山の訴えを棄却、密約の存在には全く触れなかった。原告は控訴。
  • 2007年5月 - 沖縄タイムスが、米公文書から日本政府が米国に支払った400万ドルのうち300万ドル以上が権利者に支払われず、米陸軍経費に流用されていた事実を発見。
  • 2007年12月 - 高村正彦外務大臣が「歴代外務大臣が答弁しているように密約はございません」と国会で答弁。
  • 2008年2月20日 - 二審東京高裁の大坪丘裁判長は「20年の除斥期間で請求権は消滅」として原告敗訴とした。密約の有無についての言及はなし。
  • 2008年9月2日 - 最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)は原告の上告を棄却し、一審・二審の判決が確定。7日、作家や研究者、ジャーナリストら63人が連名で情報公開法に基づき、沖縄返還をめぐり日米両政府間で交わされた密約文書3通(米公文書では開示されている)の開示を外務省と財務省に請求。外務・財務両省は10月2日、対象文書の「不存在」を理由に不開示を決定。
  • 2009年3月14日 - 岡田克也・民主党副代表、「やりたいのは情報公開。政権交代が成ったら隠しているものを全部出す、政府がどれだけうそを言ってきたかわかる」と発言。
  • 2009年3月18日 - 西山他25人、不開示処分取り消しと文書開示、慰謝料を請求する「沖縄密約情報公開訴訟」(以下「密約訴訟」)を提起。8月、吉野を12月に証人として呼び、尋問することが決定[20]
  • 2009年7月11日 - 2001年4月の情報公開法施行に先立ち、2000年に中央省庁各所で書類処分が行なわれたが、量は外務省が頭抜けて多く、しかも、廃棄された書類のなかには密約関係のものも含まれていた疑いがあることを『朝日新聞』がスクープ[21][22][23]
  • 2009年8月30日 - 第45回衆議院議員総選挙。自民党が下野、民主党政権となる。
  • 2009年9月17日 - 鳩山由紀夫内閣で外務大臣に就任した岡田、非核三原則の裏で結ばれた日米核持ち込み密約問題 と朝鮮半島有事における作戦行動に関する密約に加えて沖縄返還協定の密約も調査公表するよう外務省・藪中三十二事務次官に指示。期限は11月末まで[24][25]。20日、『サンデー・プロジェクト』内で、外部の有識者による調査(関係者からの聞き取り、アメリカでの調査)を10月下旬から開始、また、外交文書の公開についても外務省内のみで決めていたのを見直しきちんと定めたい旨言明。
  • 2009年11月28日 - 岡田、「日米密約調査に関する有識者委員会」設置を決定。座長は北岡伸一・東大教授。
  • 2009年12月1日 - 密約訴訟に原告側証人として出廷した吉野が、これまでの発言を撤回。「過去の歴史を歪曲するのは、国民のためにならない」と証言し、密約が存在する事実[26]、密約文書に「BY」(=Bunroku Yoshino)、交渉相手だったアメリカのリチャード・スナイダー公使が「RS」(=Richard Snyder)と署名した事を認める[27][28]
  • 2009年12月22日 - 佐藤榮作元内閣総理大臣私邸から、佐藤=ニクソン共同声明における、核密約と繊維問題に係る覚書文書(秘密合意議事録)が発見され、佐藤家が保管していることが判明した[29]若泉敬によれば、ウエストウイング・オーバルルーム隣接の小部屋(「書斎」と思われる)で、佐藤とニクソンの二人きりで署名したものが佐藤によって持ち去られたに違いないという。
  • 2010年2月16日 - 密約訴訟、結審。判決は4月9日に言い渡し予定[30]。岡田外相、密約調査結果の公表について「3月中には」と衆議院予算委員会で答弁。平岡秀夫の質問に対し[31]
  • 2010年2月27日 - 西山、訴訟支援集会で「最大の密約は6500万ドルの米軍施設改良工事費だ」「一ドル分も返還協定書に記載されていない。外務省の予算項目を変えて潜り込ませて、国会の審議ではフリーパスだった」と発言。我部も「日米の共犯で米軍基地が残った。密約がその共犯関係を押し隠している」[32]
  • 2010年3月9日 - 「密約」問題に関する有識者委員会、原状回復費の肩代わりほか4つの密約について岡田外相に報告書提出。原状回復費の肩代わりの合意及び出費について、文書化はされていないものの、日本側からの3億2000万ドルのうち、400万ドルについて原状回復費に手当てするなどについて日本側の認識があったとして「広義の密約」にあたるとした。
  • 2010年4月9日 - 密約訴訟判決。東京地裁(杉原則彦裁判長)は「国民の知る権利を蔑ろにする外務省の対応は不誠実と言わざるを得ない」[33]として外務省の非開示処分を取り消し、文書開示(本当に存在しないなら“いつ” “誰の指示で” “どの様に”処分されたのかも)と原告一人当たり10万円の損害賠償を国に命令[34]。西山は文京区民センターでの講演『知る権利は守られたか』でこの判決を「歴史に残る判決」と評価し、「われわれが裁判を起こして今回の判決を導き出していなければ、外務省の外部有識者委員会による報告書が密約問題に関する唯一の解明文書となり、国民の知る権利は封殺されていただろう」と述べた[35]。なお、行政訴訟では一審で勝訴したものの事件には関係ないため自身の有罪判決は変わらないが、再審請求は「全く考えていません」。
  • 2010年4月22日 - 外務省、密約訴訟の開示命令判決に対し控訴。「保有していない文書についての開示決定を行うことはできない」[36]
  • 2010年5月 - 外務省、2009年9月の大臣発言に基づき公文書公開に関する規則を決定。作成後30年経過したものは開示する旨定める。
  • 2010年12月7日 - 外務省、沖縄返還や60年安保関連の外交文書を22日に公開することを決定[37]。公開された文書により、“アメリカ政府が負担すべき米軍基地の施設改良費6500万ドルの肩代わり密約”が存在していたことが判明[38]
  • 2011年1月30日 - 沖縄密約情報開示訴訟原告団、「市民による沖縄密約調査チーム」を結成。日本側に残っている文書とアメリカ国立公文書記録管理局保管の文書を突き合わせて、欠落・廃棄部分は何か究明を目指す。
  • 2011年2月18日 - 西山と事務官が逮捕された直後の1972年4月5日、駐米大使・牛場信彦が外務大臣・福田赳夫に宛てた公電で、アメリカ側の反応を報告していた事が判明。国務次官ウラル・アレクシス・ジョンソンに電話を入れ“事件でアメリカ側が気分を害したとすればまことに遺憾、再発防止に努める”と謝罪、ジョンソンからは謝罪を了とし「極めて手際良く処理された」と評価されたという[39]
  • 2011年5月17日 - 密約情報開示訴訟控訴審結審。
  • 2011年9月29日 - 密約情報開示訴訟控訴審判決。「政府が文書はあったが廃棄済みで存在しないと言っているからそれを信じるしかない」との趣旨で原告逆転敗訴。原告側は上告。また外務省に対し公開質問状を提出、回答を要求[40]
  • 2012年12月16日 - 第46回衆議院議員総選挙が実施され、自民党が第一党奪還。
  • 2012年12月26日 - 第2次安倍内閣が発足。
  • 2013年12月13日 - 政府が特定機密指定した事項について最長60年の開示保護を行い、内容を探知し公表した者を処罰する「特定秘密の保護に関する法律」が制定される。

映画・テレビ・ルポなど[編集]

創作作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 沖縄返還密約事件を追って――封印を解く歴史ドキュメンタリー
  2. ^ アメリカが負担する義務があったが、アメリカの議会は反対していた。
  3. ^ 福田赳夫 『回顧九十年』 岩波書店(原著1995年3月)、pp. 182-185。ISBN 9784000028165
  4. ^ 西山が機密文書をコピーする際に取材源を秘匿しなかったため、漏洩元が女性事務官であることはすぐに露呈した。
  5. ^ なお、当時の西山の直属の上司(政治部デスク)は現政治評論家の三宅久之である。
  6. ^ しかし、西山の弁護人の反対尋問で、「(個人的な間柄が切れたのは)九月十四、五日ごろだということですが、それに間違いないでしょうか」と聞かれると、「もっと早い時期ではなかったかと記憶しているんですけれども、わたくしの記憶違いかも知れません」と答えている。
  7. ^ 『週刊新潮』1974年2月7日号、女性事務官「私の告白」。他、『週刊ポスト』2月15日号、『女性セブン』2月20日号、『女性自身』3月22日号でも女性事務官の夫が同様の主張をした。
  8. ^ 例外として、西山側の証人となった渡邉恒雄による「「西山事件」の証人として…渡辺恒雄/××さん「聖女」説にみる論理的矛盾」(『週刊読売』1974年2月16日号)がある。記事原文は実名
  9. ^ 沖縄返還35年目の真実 〜政府が今もひた隠す"密約"の正体〜”. ザ・スクープスペシャル. テレビ朝日 (2006年12月10日). 2010年1月24日閲覧。
  10. ^ a b 最高裁判所第一小法廷判決 1978年5月31日 、昭和51(あ)1581、『国家公務員法違反被告事件』。
  11. ^ 亀井 週刊新潮「50年」と沖縄密約報道
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  33. ^ 沖縄返還「密約」文書、東京地裁が開示命じる読売新聞2010年4月9日
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  38. ^ 密約暴いた西山元記者「やっと出たか…」 外交文書公開 朝日新聞2010年12月22日
  39. ^ 西山事件「手際よく処理」 米が日本の対応評価 東京新聞2011年2月18日
  40. ^ 貴省に対する公開質問書の提出及び回答要請に関する件―密約情報公開訴訟原告共同代表より玄葉光一郎外務大臣宛 News for the People in Japan
  41. ^ Mitsuyaku: Gaimushô kimitsu rôei jiken (Internet Movie Database)

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]