強制連行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

強制連行(きょうせいれんこう)とは、国家総動員法に基づく日中戦争から太平洋戦争にかけての中国人や朝鮮人の労務動員のこと。公権力などによる連行の意味で使用されている場合もある。

目次

概説[編集]

日本においては、戦時中に朝鮮人・中国人を労働者や慰安婦として強制連行したとする主張があり、他方で朝鮮半島での動員の実態については通常の戦時徴用であったとする主張もあり、そもそも「強制連行」と呼ばれるべき事象であったかどうかを巡り議論がある[1][2]。また、強制連行という言葉の定義も論者によって一定せず、議論が混乱する原因になっている[2]

日中戦争以降に国家総動員法国民徴用令に基づき実施した労務動員では朝鮮人中国人などが日本内地、樺太、南方の各地に強制的に送られ[3]、一部の女性は「慰安婦」として強制連行されたとも [4]奴隷狩り」であったともされる[5]が、これについては研究者間で議論がある(本項で述べる)。日本軍による強制連行は強制労働とあわせて論じられることも多い[5]

概念・定義[編集]

国語辞典には、「強制連行」という言葉は殆ど採録されていない(表参照)。例外として『広辞苑』に「強制連行」の言葉が登場したのは2008年になってからであり、91年にこの言葉に先行して「朝鮮人強制連行」の言葉が採録された際には、批判もあった[6]:49。この言葉を「政治的な糾弾の機能を担う造語(藤岡信勝)」[7]:2と見る者もいる。

「強制連行」という言葉は、最初は、中国人俘虜や労務者に対して使われた言葉(中国人強制連行)だったと見られているが[7]:40[8]金英達鄭大均によると、日本語の文脈で「強制連行」と記述する場合、ほとんどの場合は国家総動員法を制定した戦時体制下の日本政府(大日本帝国)が朝鮮半島で行った労務動員を指して使われる言葉だという(朝鮮人強制連行)[9]:32[10]:61

国語辞典には殆ど採録されていないものの、事典類の中には「強制連行」の項目が存在するものもある。「強制連行」ではなく「朝鮮人強制連行」や「中国人強制連行」として項目を立てている事典もある。しかし、これについても執筆者の偏りや政治性を指摘する声がある(後述)。

独立した項目が存在する事典類では、この言葉を、日中戦争から太平洋戦争にかけ国家総動員法国民徴用令を基に朝鮮人や中国人を労働力として動員した日本の国策と説明している。

定義の不明確さ[編集]

「強制連行」という言葉の意味が使用者によって異なり、確立した定義が存在しないという指摘は、この言葉を使用することに肯定的な立場の人々からも、否定的な立場の人々からも上がっている。

  • 在日朝鮮人運動史研究家の金英達の著書『朝鮮人強制連行の研究』(明石書店2003年)によれば、「強制連行」という言葉は、「定義が確立しておらず、ひとによってまちまちな受け止め方がなされている」「もともと、強制連行とは、『強制的に連行された』という記述的な用語である。そして、強制や連行は、実質概念であり、程度概念である。その実質や程度について共通理解が確立されないまま、強制連行という言葉だけがひとり歩きして、あたかも特定の時代の特定の歴史現象をさししめす歴史用語であるかのように受けとめられていることに混乱の原因がある」と指摘している[2]
  • 藤岡信勝は、「強制連行」という言葉を、政治的な糾弾の機能を担う言葉であるがゆえに、感情を喚起する情動喚起機能が優越しているかわりに対象指示機能がお粗末で、糾弾する側が何にでもこの言葉を貼り付けることが可能な為に、定義も無限に多様化すると分析している。藤岡は、この言葉をサミュエル・I・ハヤカワの言う「唸り言葉」の一種だとし、「彼女は世界中で最も可愛い女だ!」といった言い回しのように、話し手の感情状態を表現しているだけで、対象についての情報を何をもたらさないと述べている[11]:111
  • 木村幹は、「(朝鮮人)強制連行」という言葉を巡る混乱について、用語の多様性よりも各々の論者が言葉の意味を必ずしも明確にしなかったり、時に自らが定義した意味を逸脱して用いていることにあるようだと述べている[5]:16。また、日本での強制連行の研究について「これらの研究の大部分が、そもそもの出発点における研究の目的を、日本による戦争犯罪の追求においており、その結果、必然的に多分な価値判断を含むものになっている」として、その結果、統計のずさんな分析もなされ、また「朝鮮半島における動員を、例えば、内地やあるいは他の植民地における動員と比較し、道徳的、倫理的視点を離れて、この問題を客観的かつ学問的にどのように位置づけるにかについて活発な議論が行われてこなかった」と指摘している[5]
  • 外村大は、「明治維新」など論者によって定義が異なる学術用語は他にも存在するとして、「強制連行」の語に対する批判に反論した。その上で、北朝鮮では「強制連行」という言葉があまり使われていないにも関わらず、北朝鮮が拉致問題を牽制する目的で日本統治時代の「強制連行」を主張しているなどと非難する日本の「国家主義的な歴史観を強めようとする人々」の側が、むしろ「強制連行」の概念を混乱させていると主張している[12]

「強制連行」の言葉の大衆化[編集]

鄭大均は、北朝鮮の媒体には「強制」あるいは「強制的」などという熟語で帝国主義者の行為を罵るという傾向があり、1950年代の日本のコリア論者が、これに影響を受けたとしている。「朝鮮人強制連行」という言葉は、60年代の初期まで左派サークルの一部にのみ知られるジャーゴン(隠語)であったのが、1965年に朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』が刊行され、後にこの本がバイブル化し、80年代に指紋押捺問題ソウルオリンピックの開催で韓国が注目されて日本のマスメディアが日本の戦争犯罪や差別問題を語るようになると「強制連行」の言葉も大衆化した、と鄭は述べている[13]

サハリン残留韓国人支援運動に携わった新井佐和子は、『朝鮮人強制連行の記録』が世に出た時点では一部にしか知られていなかった「強制連行」の言葉が、吉田清治が現れた70年代後半から朴の本が体制批判の道具として使われ始め、一気に広まったようだと述べている[14]:51(吉田は、82年にサハリン残留韓国人訴訟の法廷で強制連行を証言[15]:178)。

『朝鮮人強制連行の記録』[編集]

「強制連行」の言葉を普及させたのは、朝鮮大学の教員、朴慶植が1965年に出版した『朝鮮人強制連行の記録』だとされる[5]:15[16]:298[17]:124。この本については、無関係な残虐写真が掲載されている他[18]、不可解な数字の引用が指摘されている[19]。こうした著者の執筆姿勢を、鄭大均は「『強制連行』を自己実現するためなら、なんでもやってしまう態度」[20]と批判したが、外村大は、歴史事象について他者に伝えようとする場合、史料から浮かび上がってきた史実をもっとも的確に表す語(強制連行)を選び出すのは当然だと擁護した[12]

崔碩栄は、朴慶植が終戦時23歳という年齢でありながら、日本人のように戦地へ送られていないこと自体、強制連行説との矛盾だと指摘した[21]:187。朴自身、『在日朝鮮人-私の青春』の中で、1929年に一家で関釜連絡船に乗り平和裏に国東半島に移住して来たことを明かしている[22]:13-16

なお、「強制連行」は、朴の造語ではない。朴は雑誌『世界』の1960年5月号に掲載された「戦時中における中国人強制連行の記録」という報告書がヒントになったことを振り返っている[22]:193[12]

国語辞典の採録状況[編集]

国語辞典(書籍版)における「強制連行」の項目の有無(オンライン辞書では、複数の辞典や事典が横断的に検索される場合がある)。小辞典や学習辞典は除外した。

(国語辞典)
国語辞典(版) 強制連行 出版社/年/備考
大辞泉(2) なし 小学館/12年
言海(新) なし 冨山房/94年/大槻文彦
大辞林(3) なし 三省堂/06年/小辞典『新明解国語辞典』も同じ
言泉(初) なし 小学館/87年/尚学図書言語研究所
学研国語大辞典(2) なし 学習研究社/91年/
大辞典(復刻) なし 平凡社/94年/初版1936年
言林(初) なし 全国書房/49年/新村出
日本国語大辞典(2) なし 小学館/01年
国語辞典(2) なし 集英社/00年
日本語大辞典(初) なし 講談社/89年
広辞苑(7) 強制的に連れて行くこと--朝鮮人強制連行。 岩波書店/18年
/6版(08年)から登場。編者新村出は既に他界。
別個に「朝鮮人強制連行」の項目。

広辞苑[編集]

岩波書店の広辞苑には、4版(1991年)から「朝鮮人強制連行」として登場する[23]。6版(2008年)からは「強制連行」の言葉が、「強制的に連れて行くこと」という解説と共に追加された。例として「朝鮮人強制連行」が挙げられている。

5版(1998年)と6版(2008年)との間の変化をみると、強制連行に関しては「従軍慰安婦」が「慰安婦」に変わるという変化がある。

【朝鮮人強制連行】
  • (4版1991年1月)日中戦争・太平洋戦争期に百万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄などに強制的に連行し労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の従軍慰安婦とされた。
  • (5版1998年11月)日中戦争・太平洋戦争期に百万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の従軍慰安婦とされた。
  • (6版2008年1月)日中戦争・太平洋戦争期に100万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の慰安婦とされた。
  • (7版2018年1月)日中戦争・太平洋戦争期に多数の朝鮮人を日本内地・樺太(サハリン)・沖縄・東南アジアなどに連行し、工場・鉱山の労務者や戦地の軍夫・慰安婦などとして強制就労・服務させたこと。労務者だけで約七〇万人に達した。

広辞苑に対する批判[編集]

谷沢永一は、『広辞苑』を批判した渡部昇一との共著の中で、5版の「・・・多くは強制連行された朝鮮人女性」と解説されていた「従軍慰安婦」の項目について、削除あるいは訂正すべきだとした[24]:210。谷沢は『広辞苑』について、博文館から『辞苑』の版権を取得した岩波書店が『広辞苑』として改訂を重ねる中で、3版から劇的に内容が変わり左翼理論の活発な演習場と化したと主張している[24]:16

新井佐和子は、初版にあった「朝鮮事変」「朝鮮征伐」などが消え、4版では「朝鮮人虐殺」「朝鮮人強制連行」などと入れ替わっていると指摘(朝鮮関連の用語、5増5減)。説明文の言い回しまで微妙に異なるのは、執筆者が高崎宗司和田春樹に変ったからだろうかと疑問を呈している[25]:48,49

事典類の採録状況と解説[編集]

百科事典・歴史事典・歴史辞典の書籍版における記述状況。 語釈は原文を要約した。詳しい内容は後段参照。小辞典(事典)や学習辞典は除外した。

(百科事典・歴史事典・歴史辞典)
百科事典(版) 強制連行 朝鮮人強制連行 中国人強制連行 出版社/年/執筆者等
日本大百科全書(2) なし 国民徴用令に拠る。39年の内務・厚生次官通牒から。
45年までの強制的労働力動員。
なし 小学館/95年
/執筆:朴慶植
大日本百科事典(新装) なし なし なし 小学館/80年
世界大百科事典(新装) 国策として中国・朝鮮人を内地等に投入。
国民徴用令に基づく動員計画。
「強制連行」参照 「強制連行」参照 平凡社/09年
/執筆:田中宏
丸善エンサイクロペディア(初) 第二次大戦中、中国・朝鮮人を強制的に軍需動員。
閣議・朝鮮総督府決定。
なし なし 丸善雄松堂/95年
ブリタニカ国際大百科事典(3) なし なし なし TBSブリタニカ/98年
歴史事典(版) 強制連行 朝鮮人強制連行 中国人強制連行 出版社/年/執筆者等
日本歴史大事典(初) 37年以降の国策。中国・朝鮮人を内地等に投入。
39年動員計画を閣議決定。
「強制連行」参照 「強制連行」参照 小学館/00年/執筆:田中宏
日本史大事典(初) 37年以降の国策。中国・朝鮮人を内地等に投入。
39年に徴用令公布。女子は従軍慰安婦に。
「強制連行」参照 「強制連行」参照 平凡社/93年/執筆:田中宏
世界歴史事典(復刊) なし なし なし 平凡社/92年
世界歴史大事典(初) なし なし なし 教育出版センター/85年
歴史辞典(版) 強制連行 朝鮮人強制連行 中国人強制連行 出版社/年/執筆者等
国史大辞典(初) なし 15年戦争時の政策。朝鮮にも国民徴用令等を適用。
当初は募集形式の労務動員計画を実施。(姜)
4万を強制連行。42年に閣議決定。
翌年より試験運用開始。(臼井)
吉川弘文館/88年
/執筆:姜徳相 臼井勝美
日本史広辞典(初) なし 労働者を強制的に動員する日中戦争中の政策。
「朝鮮人労務者内地移住に関する件」により許可。
42年の閣議決定で試験運用開始。
44年の次官会議決定により本格化。
山川出版社/97年
日本歴史大辞典(4) なし なし なし 河出書房新社/90年
日本史辞典(初) 日中・太平洋戦争期に中国・朝鮮人・ミクロネシア人等を

徴用使役した政策。国民徴用令で許可。

39年から。総督府の下部機関・警察の圧迫を利用。
従軍慰安婦の動員も。
「強制連行」参照 岩波書店/99年
日本史辞典(初) アジア太平洋戦争時に政府が中国・朝鮮人に強制した労務動員。
従軍慰安婦も女子挺身隊の名で連行。
なし なし 角川書店/97年
日本史用語大辞典(初) なし なし なし 柏書房/78年
日本近現代史辞典(初) なし 公募・官斡旋・徴用など様々な形式も
国の計画に基づき強制的に連行。多数が慰安婦に。
軍部が大々的に「労工狩り」。42年、
華人労働者内地移入ニ関スル件が閣議決定。
東洋経済新報社/89年
/執筆:井口和起

「強制連行」の項目が存在する例[編集]

百科事典では平凡社世界大百科事典、同MYPEDIA(前身は平凡社の『小百科事典』)、丸善エンサイクロペディアは独立項目として「強制連行」を記述する。うち平凡社世界大百科事典は田中宏により執筆されている。

  • 平凡社世界大百科事典第2版では「1937年に日中全面戦争に突入して以降,労働力や軍要員の不足を補うために,日本は国策として朝鮮人,中国人を日本内地,樺太,南方の各地に投入したが,駆り集め方が強制的であったためこう呼ばれる。」とし、「38年4月には国家総動員法が,翌年7月には国民徴用令が公布され,日本の内外地における労務動員計画がたてられた(徴用)。39年の動員計画数110万のうち8万5000は朝鮮人に 割り当てられ,各事業主にその狩出しを認可し,42年からは国家自身の手になる 〈官斡旋〉に移行した。」ことが紹介されている[26]
  • 丸善エンサイクロペディアでは「(中国人1943-45、朝鮮人1939-45)第二次大戦中、中国人、朝鮮人を強制的に軍需動員したもの。総力戦体制の一環として、中国人労働者、朝鮮人労働者内地移入に関する件が各々閣議、朝鮮総督府により決定された(後略)」と記述する。
  • 角川書店の『角川新版日本史辞典』には「アジア太平洋戦争」時に日本政府が朝鮮人や中国人に強制した労務動員を指して、一般に使われる。戦時統制経済下で、政府は1939年(昭和14年)に労務動員実施計画綱領を作成し、不足する労働力を「移入朝鮮人」で補おうとする方針を立てた。(以下略)」と書かれている。また「連行先は日本国内だけでなく、樺太、東南アジア、太平洋諸国と広範囲におよび、炭坑・土木工事など、危険な重労働につかされたため死傷・逃亡が多かった。朝鮮人の動員数は72万人とも150万人ともいわれ、中国人は約4万人と見られている。」と書かれている[28]
  • 小学館の『日本歴史大事典』も田中宏が執筆しており、要点は『世界大百科事典』と同じ。中国人に対しては、「華人労務者内地移入ノ促進二関スル件」により移入が本格化したとし、中国人の「補償請求訴訟」についても、詳しく解説している。参考文献は、朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』、田中宏・松沢哲成編『中国人強制連行資料』、山田昭次・田中宏編『隣国からの告発--強制連行の企業責任二』。
  • 岩波書店の『日本史辞典』では、「強制連行」を戦時中の日本の政策としている。慰安婦にされた者も少なくないとも。対象者に中国人・朝鮮人の他にミクロネシア人が挙げられている。「朝鮮人強制連行」の項目では、募集・官斡旋・徴用の流れで説明。執筆者は不明。編集委員には、強制連行に関する著書もある西成田豊の名前がある(表紙)。「中国人強制連行」に関しては、項目はあるが解説はない。

「朝鮮・中国人強制連行」の項目のみ存在する例[編集]

「朝鮮人強制連行」や「中国人強制連行」の項目は存在しても、「強制連行」の項目が存在しない百科事典や歴史事典(辞典)もある。

  • 小学館日本大百科全書には「朝鮮人強制連行」[29]という項目があり、「朝鮮人強制連行の記録」の著者である朴慶植が執筆している。そこでは「朝鮮総督府の官公吏・警察官および会社労務係らが一体となって暴力的に各事業所に強制連行した。それらは割当て動員数を満たすため昼夜を分かたず、畑仕事の最中や、勤務の帰りまでも待ち伏せしてむりやりに連行するなど「奴隷狩り」のような例が多かった。(中略)陸軍慰安婦として数万人の女性が女子挺身(ていしん)隊の名のもとに狩り立てられた。」と記載している。
  • 吉川弘文館の『国史大辞典』における、正確な項目名は「朝鮮人強制連行問題」と「中国人強制連行問題」。朴慶植の志を受け継いで建てられた在日韓人歴史資料館[30]の館長を後に務める事になる姜徳相が「朝鮮人強制連行」の項目を執筆している。国家総動員法を公布した日本国が、「国民職業能力申告令」「国民徴用令」などの勅令を相次ぎ発令し、「国家権力の動員計画により、軍部・官憲・資本家が一体となり強制的に動員」したとする。数万人の従軍慰安婦が含まれるとも、連行された120万人を含む当時の在日人口250万人が、現在の在日朝鮮人のルーツであるともしている。「中国人強制連行問題」は、臼井勝美が担当。東条内閣が「華人労務者内地移入ニ関スル件」を閣議決定。中国人労務者の大部分は華北労工協会の取り扱いで、その七割が事実上農村から拉致されたとしている。参考文献として、中国人強制連行事件資料編纂委員会編『草の墓標』と、田中宏、内海愛子石飛仁解説の『史料中国人強制連行』の二冊が挙げられている。
  • 山川出版社の『日本史広辞典』。「朝鮮人強制連行」の項目の執筆者は不明。やはり戦時中の政策としている。「中国人強制連行」の項目も執筆者不明。42年の閣議決定から説明。大半は日本軍の捕虜か占領地で強制的に集められたとする。
  • 東洋経済新報社の『日本近現代史辞典』は、「朝鮮人強制連行」「中国人強制連行」共に井口和起が執筆。朝鮮人強制連行は、国家の動員計画に基づいて実行されたとしている。参考文献として朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』、朝鮮人強制連行真相調査団の『朝鮮人強制連行強制労働の記録』。中国人強制連行についても東条内閣の閣議決定により5万人が強制連行されたとしている。参考文献は『草の墓標』。

事典類の記述を巡る議論[編集]

外村大は、「朝鮮人強制連行」という用語を用いることについて議論があることは認めつつ、大概の歴史辞典に「朝鮮人強制連行」や「強制連行」の項目が存在すると指摘している[31]

一方、鄭大均は、朴慶植や田中宏の名を挙げ、こうした項目を執筆したのは、殆どが日本の加害者性の糾弾に情熱を注いできた人々だと反論している[32]

外村大はまた、辞典によっては朝鮮人を日本軍の兵士や軍属、「従軍慰安婦」としたことも強制連行として説明しているケースもある。このような記述はこれまでの歴史研究の成果を反映したものであると書いている[33]

新井佐和子は、執筆者が朴慶植や姜徳相といった在日朝鮮人や在日韓国人であったり参考文献が彼らの著書であったりする点を指摘し、自国の歴史事典を安易に、あるいは故意に外国人に書かせる事を批判した[34]:50,52

その他の用例[編集]

もっとも、「強制連行」という語そのものは1939年に使用例[35]が見られ、「連行」としてはそれ以前のものが見られる[36]が、訓読「連れ行く」以上の明確な実力行使の意味があったわけではなく、「連行」という語は国語辞典明治37年12月(林幸行、修学堂)[37]や大日本国語辞典1940-(上田萬年松井簡治共著、富山房)[38]には採録されていない。「人を捕らえて無理に連れていく」意味である「勾引」[39]という用語は刑事訴訟法(旧:大正11年法律75号)による法律用語でもあり、大日本国語辞典(1940-)に採録されている。

国会議事録の検索サービス[40]によれば、戦後、国会でのもっとも古い使用例は1953年11月19日の参議院法務委員会での與謝野光・東京都衛生局長の発言で、都の職員が街娼を検診のため強制的に病院に連れて行ったことを「強制連行」という表現を用いて説明している[41]

中国人強制連行問題と朝鮮人強制連行問題がそれぞれ1950年代と60年代から国会で取り上げられる一方[42][43]、50年代以降も戦時中の労務動員と関わりなく「強制連行」という表現が国会で用いられた例が存在する。

60年代には、国鉄の労働組合員らが安保闘争の一環として電車の運行を妨害する目的で乗務員を電車から下ろした行為を運輸大臣が「強制連行」と表現した他[44]、70年代には、韓国中央情報部(KCIA)による学生や金大中の拉致事件(金大中事件)に関して「強制連行」という言葉が度々使われている [45][46][47][48](他にも第72回参議院外務委員会、同衆議院地方行政委員会、第80回衆議院予算委員会、第82回衆議院法務委員会、同衆議院予算委員会など)。

戦後一般に、「連行」は公的権力によって連れて行かれることについて使われることが多い。

朝鮮人強制連行[編集]

日中戦争が長期化し国家総動員法が成立すると、日本人(内地人)に続き朝鮮半島や台湾出身者も大日本帝国の国民として戦時体制に動員された。朝鮮人強制連行とは、一般的に日中戦争から太平洋戦争まで間の朝鮮人労務動員のことを言う。

「朝鮮人強制連行」という言葉の定義は明確ではないが、金英達は、1939年から始まった国家総動員計画実施にともなう朝鮮人労務者の集団移入を中心に見るのが大方の共通理解であり、通常は兵力動員(軍人・軍属)は含まれないとしている[49]

「朝鮮人強制連行」の言葉は、鄭大均によれば1960年が初出で[50]、朴慶植が1965年に出版した『朝鮮人強制連行の記録』をきっかけに注目されるようになった[51][17]:124

近年の新聞(全国紙)では、「(朝鮮人)徴用工」「労務動員」といった言葉が使われている[52] [53][54]

「朝鮮人強制連行」の範囲[編集]

朝鮮人労務者の移入は、(1)朝鮮半島の指定された場所で企業が労務者を募集する「募集」に始まり、(2)その労務者募集を朝鮮総督府が斡旋する「官斡旋」、そして(3)国民徴用令に基づく「徴用」の三段階を踏んで実施された[55]:18。これ以前から、密航を含め、職を求めて朝鮮半島から内地に渡って来る者も多く、どの範囲を「(朝鮮人)強制連行」と呼ぶのかについて、論者の意見は一致していない。

木村幹は、さまざまな論者により様々な含意のもとで用いられた「朝鮮人強制連行」の用法には大きく3つあるとする[56]。すなわち

  1. 朝鮮半島の人を物理的暴力により力づくで連れてきたもの、という意味で理解するもの。
  2. 総力戦体制下の戦時動員のすべてを「強制連行」とするもの。
  3. 植民地支配下における朝鮮半島からの内地へのあらゆる労働移動を「強制連行」と見なすもの。植民地支配そのものが「強制」されたものである以上、そこでのあらゆる労働は「強制」であるとするもの。

「朝鮮人強制連行」という言葉の妥当性を巡る議論[編集]

内地人や台湾人も動員されたにも関わらず、強制連行と言う場合ほとんどが朝鮮人についてである(「中国人強制連行」に関しては後述)。これについて金英達は、法的強制力の伴わない「募集」や「官斡旋」であっても朝鮮人に対しては物理的暴力が用いられ、徴用に至っては「公認された人狩り」だったとしている[57]

こうした主張に対し西岡力は、「募集」の枠外でもその3倍の人間が、朝鮮半島から高賃金に魅かれて内地に渡っていたことなどを上げ、一部で強引なことはあったにしても、出稼ぎ希望者を政府が人気薄の炭鉱や鉱山に配置しようとしたというのが実態ではないかとして、強制連行という表現に異を唱えている[58]:4,10-12。動員計画に応じるふりをして内地に”密入国”するケースも、当時から問題になっていた[59]

徴用の段階に入ると内地人同様朝鮮人にも拒否する自由がなくなったことについては、論者の意見は一致している。

鄭大均は、(朝鮮人)強制連行という言葉を、朝鮮人は徴兵された日本人の欠員を補う形で炭鉱等に動員されたのだという実態を無視しており、「価値中立的な歴史用語」とは言えないと批判している[60]

韓国語[編集]

高崎宗司によると、韓国では軍人・軍属と(日本語で言うところの)強制連行者を合わせて「被徴用者」ということが多かった[61]:119。反日色の濃い李承晩政権がまとめた「対日請求要綱」の中でも強制連行という言葉は使われておらず、「被徴用韓国人未収金」などの表現があるにとどまる[58]:4

外村大によると、北朝鮮においても、歴史研究の論文や公的な文書で「強制連行」の語はあまり使われていない[12]

強制動員・強制徴用[編集]

近年韓国メディアでは「強制動員」「強制徴用」などの言葉が用いられているが[62][63]、これらが日本語の強制連行の完全な同義語かどうかは不明。 釜山には国立日帝強制動員歴史館がある[64]崔碩栄は、韓国では、たとえ志願であったとしても当事者たちは「強制動員」と表現せざるを得ないと述べている[65]: 129

落星台経済研究所のイ・オヨンは、現在韓国で最も知られているのは「強制徴用」という言葉だとした上で、徴用(징용)という言葉自体に強制の意味が含まれており、概念として成立しないと述べている[66]。外村大によれば、早くも1945年12月8日の『京城日報』に「強制徴用」の絵が掲載されていたという[67]

北朝鮮の労働新聞でも「強制徴用」や「強制徴兵」といった言葉が使われている[12]

盧泰愚大統領訪日時の調査(1990年)[編集]

徴用工の問題は、1965年の日韓基本条約(とその付随協約)によって日韓両政府の間で決着していたが、1990年の盧泰愚大統領訪日の際、韓国政府から日本政府に対して改めて「強制連行者」に関する調査が要請された。民主化により市民運動の突き上げが激しくなったことが背景にあると見られている[61]:114,115

韓国政府から調査の要請を受けた日本政府は、強制連行に軍人・軍属は含まれないものと理解していたが、韓国側はこれらを含むものと考えており、両政府の間で「強制連行」という言葉の解釈が食い違う場面もあった[61]:118,119

日本政府は調査の結果、約8万人分の名簿の存在を確認し、その目録を韓国政府に提供した[68]

中国人強制連行[編集]

1942年、産業界の要請を入れ、日本政府は戦時下の労働力不足を補う為に「華人労務者内地移入ニ関スル件[69]閣議決定し、中国人労働力を国内の国民動員計画産業に導入する方針を決定した。開始は、1944年の次官会議決定(華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件)[70]:62から。 多くの中国人労働者は、当時日本の影響下にあり、満州国を支える労働力の供給地でもあった華北の出身だった[71]:38。 この日本政府による第二次大戦中の中国人労働力の国内産業への導入を、俗に中国人強制連行と呼ぶ。

閣議決定には、契約期間を二年に区切り雇用継続の際は一時帰国させることや、中国人労働者の食習慣への配慮、家族への送金を考慮することなどが決められていたが[69]、国内の食料事情の悪化と物資不足から企業での待遇も悪化し、これを不満とした中国人労働者による暴動も発生した(花岡事件)。死亡率が17.5%という高率に終わった事について、送り出した中国側機関と日本企業の双方に原因があった事が指摘されている[72]

中国人労働者の総数は、約4万人[73]:228。「中国人強制連行」の言葉は、現在でも新聞紙上で使用例が見られる[74][75][76]

「中国人強制連行」の仕組み[編集]

「華人労務者の内地移入」の仕組みは、日本企業が厚生省に希望する人数を申請し、許可を受けた上で中華民国南京国民政府の施政下にある中国側機関と契約を結び、労働者を日本に招くというものだった[71]:31。労働者集めは中国側が行ったが、華北労工協会のように企業への労働者の割当などを担当する実務に日本人職員が当たっていたケースもある[73]:144,145

供出方法には四つの形式があったが、このうち中国の行政機関が郷村に人数を割り当てた「行政供出」は、結果的に労務者として相応しくない人間を半強制的に供出させることになったと、終戦直後の外務省の調査で指摘されている[73]:72,73

中国人労務者は、興亜建設隊として戦争に協力する身分であった為、日本への航海中に死亡した場合、水兵が敬礼し海軍式の水葬を行ったという証言がある一方で[77]:203、「捕虜」たちは隙さえあれば逃げようとしたという証言もある[77]:200

戦争犯罪説[編集]

また軽犯罪者や捕虜が釈放され、契約の下渡日した「訓練生供出」の例も少なくない事から、「中国人強制連行」とは、日本軍が「兎狩り」と称して現地住民を狩り集めたもの(中国人殉難者名簿共同作成実行委員会)[78]:639、あるいは日本軍による三光作戦(殺しつくし焼きつくし奪いつくす)だと考える者もいるが[79]:12、こうした主張には異論もある。

中国人俘虜受難者遺骨問題[編集]

1953年に自民党の大谷瑩潤議員が「中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会」を設立し、中国人労務者の遺骨返還運動を始めた。国会でも「中国人強制連行」という言葉と共に「中国人俘虜(問題)」という言葉が使われた[80]

慰安婦の強制連行[編集]

日本軍慰安婦を巡る論争等については「日本の慰安婦問題」を、慰安婦の募集・動員の仕組みについては「日本の慰安婦」や「慰安所」に詳しい。朝鮮半島での慰安婦の募集については「日本統治時代の朝鮮人徴用#朝鮮人慰安婦問題と強制連行説」も参照のこと。ここでは、「慰安婦の強制連行」という言葉をテーマに扱う。

本岡昭次の国会質問[編集]

「慰安婦の強制連行」は、1990年6月6日、社会党本岡昭次の国会での質問をきっかけに政治問題化した。後に本岡が「朝鮮人強制連行問題と関連してその一形態でもある『従軍慰安婦』問題に触れて質問したが・・・これが、『慰安婦』問題を国際問題化させる発端となった」と振り返ったように[81]:3、来日した韓国の盧泰愚大統領の要請で日本政府が戦時中の朝鮮人労務動員者(朝鮮人強制連行)の調査を行っている最中の質問だった。

本岡は「(朝鮮人)強制連行」の根拠となった法令について質問し、回答を受けた後で、強制連行された者の中に従軍慰安婦という形で連行された者があったと指摘した。それに対して、政府は以下のように答えて「慰安婦の強制連行」を否定した[82]

徴用の対象業務は国家総動員法に基づきます総動員業務でございまして、法律上各号列記をされております業務と今のお尋ねの従軍慰安婦の業務とはこれは関係がないように私どもとして考えられますし・・・そうした総動員法に基づく業務としてはそういうことは行っていなかった、このように聞いております。 —  第118回国会 参議院予算委員会、[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/118/1380/11806061380019a.html

 

海部総理への公開書簡[編集]

後に挺対協を結成する尹貞玉らは、この日本政府の答弁に反発し、海部俊樹総理宛ての公開書簡を発表した(1990年10月)。書簡は、吉田清治の証言などを根拠に、日本政府の答弁は事実に反するとし、日本国が朝鮮人女性らを従軍慰安婦として強制動員した事実を認めること(第1項目)など、6項目を日本政府に要求した[83]

”天皇直属”の日本軍の要請で慰安婦用に「朝鮮人挺身隊」の動員を命ぜられ、済州島や下関の朝鮮人女性を徴用したという元労務報国会の動員責任者の証言もあります。この証言からも従軍慰安婦を動員する業務が徴用の対象業務に含まれていたことは明らかです。 — 公開書簡 内閣総理大臣 海部俊樹貴下

 

吉田証言[編集]

慰安婦の強制連行業務に携わった者の貴重な証言として、「吉田(清治)証言」が知られている。吉田清治は、軍の命令で韓国の済州島に派遣され強制連行を指揮したことを著書で告白し、新聞でも度々紹介された。社会党の議員が国会で慰安婦問題を追及する際も、彼の名前を出している[84]。その後日本では、吉田証言を疑問視する声が高まり、熱心に取り上げていた朝日新聞も2014年にそれまでの関連記事を撤回した[85]

日本政府は「慰安婦の強制連行」を裏付ける資料は発見出来ないという立場だが [86] 、「慰安婦の強制連行」を事実と考える研究者もいる。

河野談話[編集]

慰安婦問題が外交問題に発展すると、日本政府は事態の鎮静化の為に慰安婦に関する調査を韓国政府に約束せざるを得なくなり、1993年8月4日、河野洋平官房長官がその結果を発表した。「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」は、俗に「河野談話」と呼ばれる。

河野談話発表の前年に加藤紘一官房長官が一次調査の結果を発表していたが[87]、韓国政府から”当時の関係者”の証言等で明らかな強制連行の核心部分がないとコメントされるなど[88]:2、内外の疑念を払拭するには至らなかった。その為、政府は米国国立公文書館まで調査範囲を広げたが、目指す資料を発見することは出来なかった[89]:10。「慰安婦の強制連行」を裏づける資料を発見出来ないまま、韓国政府と意見調整の結果、慰安婦の募集(動員)状況に関する説明は、以下のような形に落ち着いた。

慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。 — 慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話 平成5年8月4日、[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

 

河野談話をまとめるに当たって、韓国側は事前に「一部に強制性があった」というような限定的表現なら大騒ぎになると日本政府に警告しており[90]:6、談話の作成に関わった石原信雄によれば、日本側は「強制性を認めれば、問題は収まる」と考え、外交的判断を優先させたという[91]。発表前に意見を求められた秦郁彦は、この内容では「官憲が強制連行したかのような印象を与える」と切言したが、談話はそのまま発表された[92]

2015年に中央日報が、慰安婦の強制連行を認定した河野談話は譲れないマジノ線と書くなど[93]、河野談話はその後、日本政府が「慰安婦の強制連行」あるいは「強制動員」を公式に認めたものとして韓国のマスコミに長く認識されることになった[94][95]

「広義の強制連行」[編集]

詳細は朝鮮人強制連行#慰安婦問題と強制連行を参照

従軍慰安婦問題の研究者吉見義明も「強制とは『本人たちの意思』に反する行為をさせること」であり「本人の意思に反して連行していくことは『強制連行』」であると定義している[96]:3。民間人による就職詐欺のケースも強制連行に含め朝鮮半島や台湾で慰安婦の強制連行が行われたのは事実であり、軍はこれに通行許可書を発行するなどの関与をしたと主張している[97]。このように拡大された定義を「広義の強制連行」と呼ぶ[98]:35。吉見によれば、自発的に慰安婦になる女性が存在するはずはなく、「たとえ本人が、自由意思でその道を選んだようにみえるときでも、実は植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果」なのだという[99]:103。1997年に吉見は「官憲による奴隷狩りのような連行が朝鮮・台湾であったことは確認されていない」とした[100]。しかし、フィリピン中国インドネシアでは強制連行があったと主張している[100]。このように吉見らは、インドネシアベトナムといった戦地で兵士によって女性が拉致されたケースも強制連行に含め、日本外国特派員協会などで発表[101]。日本政府に対するニューヨーク・タイムズなどの厳しい論調を引き出した[102]

こうした吉見の「広義の強制連行」論は、貧困・就職詐欺や戦地での軍規違反のケースまで含めるなど、強制(連行)という言葉の解釈を拡大する手法には批判も出ている。秦郁彦はこの拡張した定義について「この論理を適用すると、当今の霊感商法やねずみ講のたぐいまで、国は被害者への補償責任を負うことになってしまう」といっている[103]

「慰安婦の強制性」[編集]

政府が本岡議員に対し「慰安婦の強制連行」を否定した後も野党議員による追及は続き、マスコミの一部が政府を批判し国会外でも論争が始まると、「強制」や「強制性」といった言葉が議論の中に登場した。さらには「慰安婦の強制性」[104][105]といった表現や「広義の強制性(全体として強制と呼ぶべき実態)」論まで現れた。

こうした言葉の使われ方を、議論のすりかえと批判する向きもある。

社会党[編集]

本岡と国会で慰安婦問題を追及していた社会党の清水澄子は、当初は慰安婦について「女子挺身隊として強制連行された朝鮮の女性たちの問題」[106]「国家総動員法に基づいて挺身隊(慰安婦)というのは徴用を受けた」[107]などと述べていたが、93年になると、政府が「(慰安婦に対する)強制」を否定しているとした上で、「強制」という言葉の定義を政府に問い質した[108]

ところで、政府は強制を立証する資料がないと表明しておられるわけですけれども、政府が考えられる強制というのはどのような内容でございますか。 —  第126回国会 予算委員会、[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/126/1380/12603231380007.pdf

 

この質問で清水は、「強制」という言葉は、本人の自由な意思に反してある種の行為をさせるという場合を含むという回答を政府から引き出した。後に清水は、「だましたり脅したりして本人の意思に反して慰安婦にした場合も、強制だとはっきり答弁」したこの時の政府答弁に矛盾するとして、吉田証言や河野談話に否定的な安倍晋三首相(第1次安倍内閣)を批判した[109]

朝日新聞[編集]

金学順カミングアウトをスクープした1991年の時点では、(朝鮮人)慰安婦を「女子挺身隊の名で戦場に連行された」人々と説明していた朝日新聞だったが[110]、1997年になると、紙面で「強制性」に関する定義づけを行い、日本軍が直接強制連行をしたか否かという狭い視点で問題をとらえようとする傾向は問題の本質を見誤るものであり、全体として「強制」と呼ぶべき実態があったと主張した [111]:20

朝日新聞は、2014年に再度特集を組み「強制連行 自由を奪われた強制性あった」という記事を掲載した。朝日新聞によれば、同紙は93年以降「強制連行」という言葉の使用を避けていたという[112]

後に朝日新聞社から同社の慰安婦報道について調査を委嘱された第三者委員会は、朝日新聞が吉田証言の信憑性が揺らいだ92年以降論調を変え「広義の強制性」を主張し始めたのは、「議論のすりかえ」だと結論づけた[113]:25-26

韓国における議論[編集]

韓国挺身隊研究会鄭鎭星は、吉見義明の著書を参考に(婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約の指定する「醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買禁止ニ関スル国際条約」第2条を引用し)「詐欺または、暴行、脅迫、権力乱用、その他一切の強制手段」による慰安婦動員を強制連行とするならば、研究会と挺対協が刊行した『強制連行された朝鮮人慰安婦たち』(1993年)に採録されている慰安婦の大部分が「強制連行」の範疇に入るとした[114]:26

鄭は、”日本政府が”詐欺などの手法を用い、騒ぎにならぬよう、主として下層階級の女性を慰安婦として連行したとしている[114]:24

朝鮮戦争における慰安婦問題[編集]

朝鮮戦争中、韓国政府関係者や米軍、国連軍兵士などによって韓国や北朝鮮の女性が強制的に国連軍・韓国軍慰安婦にさせられたケースが指摘されている。近年訴訟沙汰にもなっている[115]

強制連行を扱った作品[編集]

  • 雁屋哲原作の漫画「美味しんぼ」に、戦時中高知県に強制連行された韓国人の老人が登場する(「韓国食試合<3>」)。主人公山岡士郎が、日本政府に強制的に連行された結果、1911年に3,000人に満たなかった(内地の)朝鮮人と中国人の人口が、終戦時には230万人を超えたと説明し、韓国では誰もが知っている事実を学校で教わらない日本人が知らないでいる・・・というやり取りが続く[116]:149-152

センター試験出題問題[編集]

2004年の大学入試センター試験において、日本統治下の朝鮮で強制連行が行われたとする文章を選ばせる出題がなされ、物議を醸した[11]:113。最終的に出題自体は有効とされたが、文部科学省大学入試センターは、従来の方針を転換し、2007年度から問題作成者を公表することを発表した[117]

強制移住[編集]

人類学者の綾部恒雄は、移民と異なり、強制移住や強制連行によって異郷へ送られ少数民族になったケースとして、英仏戦争の結果、カナダからルイジアナへ移住したフランス系ケージアン、第二次大戦中に日本によって強制連行された朝鮮人、樺太カザフ共和国における朝鮮人、対独協力をしたとしてウズベク共和国へ強制移住させられたメスヘティア・トルコ人やコーカサス・ボルガ河流域から強制移住させられたイスラム教徒などをあげている[118][119](なお、日本政府は朝鮮半島から強制連行されて来た人々が在日朝鮮人のルーツであるという説を否定している[120])。ほか強制移住のケースとしてはアメリカ合衆国におけるインディアン移住などもある(涙の道参照)。

戦争などで奴隷として強制連行される事例は歴史上多数あり[121]、近代では英仏戦争の結果カナダからルイジアナへ移住したフランス系カナダ人ケイジャン[118][122]や、ソ連による朝鮮人の強制移住[123]ラーゲリなどの強制収容所、対独協力をしたためウズベク共和国へ移住させられたメスヘティア・トルコ人やコーカサス・ボルガ河流域から強制移住させられたイスラム教徒[118][124]ナチスドイツ中国共産党による強制収容所では強制連行され強制労働に従事させられる事例もある。日本では奈良時代から東北・蝦夷地を対象とした移配俘囚の制度があったことが知られている。ほかにも第二次世界大戦当時には日系人の強制収容[125]シベリア抑留[126]などの事例もある。

英語には「強制移住」の他に「強制移動英語版Forced displacement」という言葉もある。「強制移動/強制立ち退き」には、政府や異民族の圧力に限らず自然災害により移住を余儀なくされるケースも含まれる[127]

大西洋奴隷貿易(黒人奴隷)[編集]

大西洋奴隷貿易は、15世紀にポルトガル人によって始められた[128]。主に西アフリカの部族や奴隷商人などに捕らえられた人々がヨーロッパ人に売られ、1000万人前後がや南北アメリカ大陸に奴隷として送られた[129]。ポルトガルは4世紀半の間に450万人の奴隷をアフリカから運び、イギリスは18世紀中だけでも250万人の奴隷移送に関わった[130]

南米における黒人奴隷[編集]

アフリカからブラジルに送られた奴隷は全体の4割に達し(カリブ海地域向けも、ほぼ同じ割合)、北米に送られた5%に比べ遥かに多い[131]。スペイン王室は、スペイン領との奴隷貿易に関して独占的請負制を導入した。その担い手はポルトガルに始まり、最終的にイギリスに移った[132]:27

カリブ海における黒人奴隷[編集]

カリブ海地域の国々では1492年のコロンブスらの到来以降、西欧列強の本格的な海外植民地として、アフリカなどから強制連行されてきた奴隷を使ったプランテーション経営が行われた[133]。カリブ地域は他のラテンアメリカ地域とは異なり、原住民インディオ文化はほぼ完全に絶滅させられたか局所的に残るだけとなり、奴隷として強制連行された西・中央アフリカの黒人の子孫が社会の大多数を占め、アフリカ黒人系文化が重要な位置を占めるに至った[134]

北米における黒人奴隷[編集]

北米のイギリス植民地では18世紀初頭までに奴隷法典が整備され、奴隷制度が広がった[135]:21。イギリスは、王立アフリカ会社に植民地への奴隷貿易を独占させたが、やがてイギリス国旗を掲げる全ての船に権利を開放した[132]:27。独立したアメリカ合衆国で公式に奴隷制度が廃止されたのは1865年である(アメリカ合衆国憲法修正第13条)。

インディアス法(スペイン王国)[編集]

16世紀にみられるカスティーリャ王国(スペイン王国)によるアステカ・インカ征服のさい、先住民(インディオ)の虐待、奴隷化が聖職者から告発され、先住民の処遇が問題となった。モンテシーノス修道士の植民者糾弾によりブルゴス諸法が公布されたが、スペインがインディアスを支配する根拠を明白にする必要が生じ、フェルディナンド王はインディオに対する戦闘を正当化させる方策を検討させた。これは「レケリミエント」(催告・勧降状)というものであって、法王の代理人であるスペイン国王の権威、またキリストの信仰を認めなければ懲罰を加えるというものであった。植民者たちはインディオ狩りに際しこの文書を読み上げることを義務付けられ、公証人も同行した。そしてインディオの側から承諾の返事がなければインディオを強制連行することを許可される、というものであった[136]

アメリカ原住民の強制移住[編集]

アメリカ合衆国政府は、1830年にインディアン移住法を制定し、抵抗の意思を放棄した原住民(インディアン)をその本拠地からミシシッピ川以西へと移住させた。この困難な旅路の中で大勢の原住民が命を落とした。チェロキー族のケース(1838年-1839年)では、1万5, 6千人のうち3-4千人が旅の途中で死亡したと言われる[137]。世に言う「涙の道」である。

1860年代には、アメリカ陸軍の発案により、ナバホ族が彼らの本拠地から数百マイル離れた土地に徒歩で移住させられた[138]ナバホ族は1868年にアメリカ政府と条約を結び、故郷への帰還が叶うが[139]、このロング・ウォーク・オブ・ナバホ(ナバホ族の長旅)でも大勢の犠牲者が出た。

南太平洋におけるブラックバード狩り[編集]

19世紀には南太平洋諸島の島民が詐欺や誘拐といった手段でオーストラリアペルーなどのプランテーションに送り込まれた[140][141]。これを「ブラックバード(クロウタドリ)狩り」と言う。ブラックバードとは、原住民を指すスラングである。バーンズ・フィリップ英語版といった商船会社や実業家が関わったとされるが[141]、一国の政府が実行したものではない。逆にオーストラリア政府は、1901年に白豪主義に基づき太平洋諸島出身労働者法英語版によりこうした人々を含めたカナカ人を追放したことで、一家離散などといった悲劇が生じた[141]

オーストラリアにおける原住民児童の隔離政策[編集]

オーストラリアの連邦法や州法によって、原住民の親元から強制的に引き離され白人入植者の養子にされるか施設に入れられた混血児を「盗まれた世代」と呼ぶ。2008年に、ケビン・ラッド首相が1910年から1970年までのこの隔離政策について謝罪した[142] (ただし賠償は行われなかった[143])。南山大学マイケル・シーゲル教授は、児童の福祉目的で行われた時期(初期・晩期)もあるが、政策の根本理念は優生思想に基づくオーストラリア社会の白人化であったとしている[144]:73。近年になって州レベルで被害者に対して補償を行う例も出てきている[145]。隔離された児童は、10万人を超えるとも言われる[144]:69

ソ連における朝鮮人移民の強制移住政策[編集]

1920年代から1930年代にかけてソ連では朝鮮人移民が問題視され、1926年1月には「中国人と朝鮮人のソ連領への流入を阻止するため、あらゆる可能な措置をとる」ことを外務人民委員が決定し、1930年12月28日には極東地方執行委員会が、朝鮮人への土地の賃貸を完全停止し、また朝鮮人労働者の雇用を禁止した[123]。さらに1937年8月21日にソ連人民委員会議・全連邦共産党中央委員会は国境地域からの朝鮮人追放と南カザフスタン州、アラル海とバルハシュ湖周辺、ウズベクへの強制移住を命じた[123]

第二次世界大戦[編集]

日系人の強制収容[編集]

第二次世界大戦中、アメリカ合衆国において、12万人にも及ぶ日系人の強制収容が行われた。南米諸国からも、日系人が合衆国に送られ施設に抑留された。ロナルド・レーガン大統領が「1988年の民権法英語版」に署名。謝罪し補償したが、対象は日系アメリカ人に限定された[146]。1998年、ビル・クリントン大統領が、南米から合衆国に連れて来られた日系人も補償の対象にした[147]。カナダやオーストラリアでも日系人の強制収容が行われた。

アメリカ合衆国の日系人強制収容所[編集]

アメリカ合衆国では、陸軍発案の大統領令9066号に基づき、合衆国西部から日系人が強制収容所へ送られた。戦時に敵国人が抑留されること自体は珍しいことではなく、日本にも400人以上の敵国民が抑留されていたが[148]:10強制収容所に収容された日系人の7割は市民権を持つ二世であり [149]、民族的出自を理由にしたこの様な取り扱いは、ドイツ系やイタリア系アメリカ人に対しては行われなかった[150]。のちにアメリカ議会が設置した調査委員会(合衆国戦時民間人再定住・抑留に関する委員会英語版)は、人種的偏見と戦時ヒステリーに基づくものだったと結論付けている[151]

南米からの日系人強制送還(追放)[編集]

南北アメリカ諸国は、1939年から各国に居住する枢軸国側の国民の取り扱いについて協議を開始。最初に、戦略的要衝であるパナマの日系人が、アメリカの支援でパナマの収容所に抑留された[152]。各国で対応し切れない敵性外国人はアメリカ合衆国に送られる事になっており、日系移民排斥ムードが高まっていたペルーを筆頭に、12カ国の日系人が合衆国へ追放された[153]:63。彼らはいわゆる日系人社会のリーダー層であり、日本軍への協力の嫌疑をかけられ、人数は多くは無いが、米国に強制的に移送される際、パスポートの携帯を許されずあるいは途中で没収されたかの理由により、米国政府から不法移民の地位を付与され司法省移民局管轄の抑留所に監禁された[154]

ナチスドイツによるKZと外国人労働者政策[編集]

ナチスドイツのコンツェントラツィオンス・ラーガー、KZとよばれる施設があった。

大恐慌以降のナチスによる経済政策の結果、1936年以降高失業率は解消され、軍備拡大政策にともなう諸工業の発展は逆に深刻な労働力不足をもたらした。近隣諸国との労働者派遣に関する二国間協定により国外から労働力が集められたが、それは市民労働者と戦時捕虜としての外国人労働者が含まれていた。1941年以降には強制収容所労働者がドイツ軍需産業に投入され、1942年以降にはフリッツ・ザウケルを中心に3年に渡りヨーロッパ占領地区から労働従事者を強制連行した[155][156]

ソ連におけるラーゲリ[編集]

ソ連では政治犯や戦争捕虜が強制収容所(ラーゲリ)に入れられた。

シベリア抑留[編集]

第二次大戦の終結後、スターリンは「国家防衛委員会決定No.9898(俗に、スターリン秘密指令)」を極東戦線の司令官らに送り、日本人捕虜をソビエト連邦内に移送し強制労働に従事させるよう指示した[157]:58。日本軍人の立場は正式には捕虜だったが、旧軍関係者の感情に配慮し、一般的に「抑留者」と呼ばれる。移送先も広大な地域に及んだが、これも一般的に「シベリア抑留」と呼んでいる[158]:37。寒さや飢えなどで、5.5万人以上が死んだと言われる[158]:43。ソ連は大戦で多くの人的資源を失っており、イワン・コワレンコ元ソ連共産党中央委国際部副部長は、抑留は戦後復興の労働力を確保するために、対日参戦前から決まっていたという内容の証言をしている[158]:35ロシア国立軍事公文書館には約76万人分に相当する量の資料が収蔵されていることが明らかになっているが、これには重複分も含まれていると見られる[159]。200万人以上との説もある[160]ポツダム宣言では、武装解除後兵士を家庭に復帰させることになっていたにもかかわらず、シベリア抑留は最長11年に及んだ[161]:105。日本人以外にも、ドイツ人やハンガリー人捕虜など、計416万人がソ連で強制労働に従事させられた[157]:79

中国共産党による日本人捕虜・居留民への強制連行[編集]

また、第二次世界大戦終結後、中国に残留していた日本人のなかには中国共産党によって中華民国政府との戦争や技術取得のために強制的に連行された者もあった[162]。連行された者には小学生[163]や女子高校生のような10代の若者もおり、数年間に渡って戦争の支援をさせられた[162]1946年2月3日には、八路軍の圧政に蜂起した日本人が虐殺される通化事件が発生している。

他方、国民党の蒋介石は「徳を以て怨みに報いる」として、終戦直後の日本人居留民らに対して報復的な態度を禁じたうえで送還政策をとった[164]

バントゥースタン(南アフリカ共和国)[編集]

バントゥースタンは、人種隔離政策(アパルトヘイト)を取る南アフリカ共和国が、黒人居住地として作った10の疑似国家である。ホームランドとも呼ばれる。南ア共和国政府は、人口の75パーセントを占める黒人を、国土の13パーセントの痩せ地に隔離し、これらを国家として独立させようとしたが、国際社会の承認は得られなかった。原住民は、部族ごとにそれぞれのバントゥースタン(ホームランド)を指定され、その市民権が与えられる代わりに、南ア共和国の市民権と政治的権利を剥奪された[165]。これによって、黒人は豊かな都市部(白人居住地)から強制的に排除された。黒人はパス法により身分証明書の携帯を義務付けられ、自由に移動したり都市に住むことが出来なかった。バントゥースタンは、アパルトヘイトの廃止と共に1994年に消滅した。

アルゼンチン軍政期[編集]

アルゼンチンでは軍事政権期(1976-83年)に3万人以上が軍の強制連行により行方不明になったとされる。1979年に「5月広場の母たちの運動」が結成され、行方不明者の調査と不法逮捕者の釈放を求める要望書に2万4000人の署名が集められた[166]

現代の強制連行[編集]

チベット人の強制連行[編集]

チベット亡命政府大紀元は、チベット人僧侶やダライ・ラマ14世を支持する者が中国共産党によって「強制連行」され続けていると継続的に主張している[167][168]

労働改造所[編集]

北朝鮮の強制収容所[編集]

現在でも北朝鮮では強制収容所が存在する。

アメリカ合衆国グァンタナモ米軍基地問題[編集]

2000年代でもアメリカ軍によってグァンタナモ米軍基地へ非軍人を含むアフガニスタン人、イラク人が収容され、アムネスティ・インターナショナルから「対テロ戦争を口実にした収容所での人権侵害」と告発され、オバマ大統領は閉鎖を命じたが、2015年現在まだ閉鎖されていない(グアンタナモ湾収容キャンプ参照)。

脚註[編集]

  1. ^ 鄭大均 『在日・強制連行の神話』 p61-63
  2. ^ a b c 『朝鮮人強制連行の研究』(明石書店2003年)、p45-46
  3. ^ 世界大百科事典 第2版』【強制連行】 http://kotobank.jp/word/%E5%BC%B7%E5%88%B6%E9%80%A3%E8%A1%8C
  4. ^ 広辞苑第六版、岩波書店、【朝鮮人強制連行】=「日中戦争・太平洋戦争期に100万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の慰安婦とされた」と記載している
  5. ^ a b c d e 木村幹「総力戦体制期の朝鮮半島に関する一考察 人的動員を中心にして」(日韓歴史共同研究委員会 2005)[1][2]
  6. ^ 新井佐和子「『広辞苑』が載せた『朝鮮人強制連行』のウソ」『正論』1998年5月号、産経新聞社。
  7. ^ a b 山田昭次・古庄正・樋口雄一『朝鮮人戦時労務動員』岩波書店 2005年 ISBN 9784000238311
  8. ^ 鄭大均 2004, p. 116
  9. ^ 金英達 『朝鮮人強制連行の研究』 明石書店  2003年 2月ISBN 978-4750316819
  10. ^ 鄭大均 『在日・強制連行の神話』 文春新書  2004年 6月ISBN 978-4166603848
  11. ^ a b 藤岡信勝「入試を利用した「強制連行」の強制を許さない」『正論』2004年4月号、産経新聞社。
  12. ^ a b c d e 外村 大. “[https://web.archive.org/web/20060115155641/http://www.h2.dion.ne.jp/~kyokasho/sotomura.html 朝鮮人強制連行 ―その概念と史料から見た実態をめぐって―]”. 2004-0-22時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月30日閲覧。
  13. ^ 鄭大均 2004, p. 116-120
  14. ^ 新井佐和子「『広辞苑』が載せた『朝鮮人強制連行』のウソ」『正論』1998年5月号、産経新聞社。
  15. ^ 新井佐和子『サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか』草思社 1997年 ISBN 9784794207982
  16. ^ 藤岡信勝「共通一次・センター試験の自虐25年史」『正論』2004年6月号、産経新聞社。
  17. ^ a b 辺真一『在日の涙』飛鳥新社 2017年 ISBN 9784864104777
  18. ^ 鄭大均 2004, p. 145,146
  19. ^ 金英達 2003, p. 124-129
  20. ^ 鄭大均 2004, p. 146
  21. ^ 崔碩栄『韓国「反日フェイク」の病理学』小学館 2019年 ISBN 978-4098253463
  22. ^ a b 朴慶植『在日朝鮮人-私の青春』三一書房 1981年
  23. ^ 新井佐和子:『広辞苑』が載せた「朝鮮人強制連行」のウソ。正論(1998/5)pp46-53
  24. ^ a b 谷沢 永一, 渡部 昇一『広辞苑の嘘』光文社 2001年 ISBN 9784334973186
  25. ^ 新井佐和子「『広辞苑』が載せた『朝鮮人強制連行』のウソ」『正論』1998年5月号、産経新聞社。
  26. ^ 「強制連行」 世界大百科辞典第2版 マイペディア(Web版)。なおWeb版、書籍版、「世界大百科事典」「MYPEDIA」には各々言葉の言い回しや解説分量等に差異あり。また各百科事典の掲載版によっても差異あり注意。
  27. ^ 日本史大事典第二巻(かーけ)、1993年第一刷
  28. ^ 角川ワイド版『新版・日本史辞典』1997,9-1、朝尾直弘宇野俊一田中琢監修
  29. ^ 「朝鮮人強制連行」 日本大百科全書 小学館 Yahoo!百科事典(Web版)
  30. ^ <在日社会>在日韓人歴史資料館・東京にオープン”. 東洋経済日報社 (2005年11月25日). 2018年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月16日閲覧。
  31. ^ 外村大『朝鮮人強制連行』岩波新書,p2
  32. ^ 鄭大均. “「強制連行論」とその守護者たち”. 2018年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月8日閲覧。
  33. ^ 外村大『朝鮮人強制連行』岩波新書,p2
  34. ^ 新井佐和子「『広辞苑』が載せた『朝鮮人強制連行』のウソ」『正論』1998年5月号、産経新聞社。
  35. ^ 「八路系共匪の好んでとる清野政策-退却に際して城壁を毀ち、井戸を埋め人民を強制連行する戦法-により、わが軍の占拠地には、まず一物も残されていないのが常であるが・・」大阪朝日新聞(1939.7.16-1939.8.1、昭和14年)[3]神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ
  36. ^ 例えば大阪朝日新聞 (1922.10.9、大正11年)「九条署では当日第一号タンク上で作業をしていた瓦斯職工須原弘外数名を連行、深更まで原因について取調べたが・・・」[4]神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ
  37. ^ 国会図書館・近代デジタルライブラリ[5]
  38. ^ 国会図書館・近代デジタルライブラリ[6]
  39. ^ goo辞典「勾引」[7](小学館デジタル大辞泉)
  40. ^ 国会会議録検索システム
  41. ^ 国会会議録 参議院 法務委員会 閉1号 昭和28年11月19日與謝野光・東京都衛生局長の発言「街頭で発見されました街娼と申しますか、これらに対しまして、即日即刻車に強制連行をいたしまして、病院に連れて参りまして、健康診断を実施するという方式をとつて参つたのであります。」
  42. ^ “第28回衆議院外務委員会議録第20号” (PDF). 国会図書館. (1958-04-09). http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/028/0082/02804090082020.pdf 2019年2月9日閲覧。 
  43. ^ “第46回衆議院内閣委員会会議録第39号”. 国会図書館. (1964-06-02). http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0388/04606020388039a.html 2019年2月9日閲覧。 
  44. ^ “第34回参議院運輸委員会会議録第2号”. 国会図書館. (1960-02-11). http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/034/0016/03402110016002a.html 2019年2月9日閲覧。 
  45. ^ “第71回参議院法務委員会会議録第21号” (PDF). 国会図書館. (1973-09-13). http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/071/1080/07109131080021.pdf 2019年2月10日閲覧。 
  46. ^ “第71回参議院法務委員会会議録第1号” (PDF). 国会図書館. (1973-11-08). http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/071/1080/07111081080001.pdf 2019年2月10日閲覧。 
  47. ^ “第76回衆議院法務委員会会議録第7号” (PDF). 国会図書館. (1975-12-17). http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/076/0080/07612170080007.pdf 2019年2月10日閲覧。 
  48. ^ “第82回参議院予算委員会会議録第4号” (PDF). 国会図書館. (1977-10-20). http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/082/1380/08210201380004.pdf 2019年2月10日閲覧。 
  49. ^ 金英達 2003, p. 56,72
  50. ^ 鄭大均 2004, p. 116
  51. ^ 鄭大均 2004, p. 120
  52. ^ “徴用工問題で北朝鮮と共闘、韓国で団体が発足 日本に謝罪と賠償求める”. 産経新聞. (2018年8月9日). オリジナルの2018年9月2日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180902021820/https://www.sankei.com/world/news/180809/wor1808090029-n1.html 2018-09-0閲覧。 
  53. ^ “韓国大統領「半島非核化目指す」光復節、歴史問題触れず”. 毎日新聞. (2018年8月15日). オリジナルの2018年9月2日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180902022218/https://mainichi.jp/articles/20180815/k00/00e/030/247000c 2018年9月2日閲覧。 
  54. ^ “徴用工像、韓国が設置阻止 「日韓関係、悪化させない」”. 朝日新聞. (2018年5月2日). オリジナルの2018年9月2日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/727af6PRY 2018年9月2日閲覧。 
  55. ^ 森田芳夫『数字が語る在日韓国・朝鮮人』
  56. ^ 木村幹「総力戦体制期の朝鮮半島に関する一考察 人的動員を中心にして」(日韓歴史共同研究委員会 2005)[8][9]p.335、PDF-P.15
  57. ^ 金英達 2003, p. 43
  58. ^ a b 朝鮮人戦時動員に関する統計的分析 (PDF) 西岡力 2018年9月2日閲覧
  59. ^ 外山大 2012, p. 62
  60. ^ 鄭大均. “「強制連行」とは憎悪表現である”. 日本戦略研究フォーラム. 2018年9月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月2日閲覧。
  61. ^ a b c 高崎宗司『「反日感情」韓国・朝鮮人と日本人』講談社現代新書 1993年 ISBN 9784061491588
  62. ^ “炭鉱勤労者名簿など朝鮮人強制動員の貴重記録物を公開へ”. 中央日報日本語版. (2018年6月21日). オリジナルの2018年9月2日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/728D7UgWn 2018年9月2日閲覧。 
  63. ^ “強制徴用の被害申告受け付け再開を 市民団体が政府に要求=韓国”. 聯合ニュース日本語版. (2018年6月22日). オリジナルの2018年9月2日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180622104241/http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2018/06/22/0200000000AJP20180622002800882.HTML 2018年9月2日閲覧。 
  64. ^ “韓国唯一の日帝強制動員歴史館が国立博物館に”. ハンギョレ日本語版. (2016年7月13日). オリジナルの2018年9月2日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180901211755/http://japan.hani.co.kr/arti/politics/24628.html 2018年9月2日閲覧。 
  65. ^ 崔碩栄『韓国人が書いた 韓国が「反日国家」である本当の理由』彩図社 2012年 ISBN 9784883928880
  66. ^ 조총련 학자가 선동한 ‘강제징용‘이라는 허상...사진도 가짜”. MediaWatch (2018年12月20日). 2018年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月22日閲覧。
  67. ^ 朝鮮人強制連行―研究の意義と記憶の意味”. 戦後責任ドットコム. 2018年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月22日閲覧。
  68. ^ “参議院決算委員会”. 第119回国会. (1990-11-20). http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/119/1410/11911201410003.pdf 2018年9月2日閲覧。 
  69. ^ a b 東条内閣 (1942年). “華人労務者内地移入ニ関スル件”. 国立国会図書館. 2017年6月17日閲覧。
  70. ^ 西成田豊『中国人強制連行』東京大学出版 2002年 ISBN 9784130266031
  71. ^ a b 杉原達『中国人強制連行』岩波新書 2002年 ISBN 9784004307853
  72. ^ 外務省管理局 華人労務者就労事情調査報告(要旨)1946年3月1日 『幻の外務省報告書』NHK出版 1994年 ISBN 9784140801673 228頁から236頁
  73. ^ a b c NHK取材班『幻の外務省報告書』NHK出版 1994年 ISBN 9784140801673
  74. ^ “戦中の中国人強制連行 元送還担当の手記 「報復に恐怖」 秋田の三菱鉱山”. 毎日新聞 東京朝刊 (毎日新聞). (2016年1月12日). https://mainichi.jp/articles/20160112/ddm/001/040/086000c 2018年7月1日閲覧。 
  75. ^ “中国人強制連行、原告請求を棄却 大阪地裁”. 朝日新聞. (2019年1月29日). https://www.asahi.com/articles/DA3S13870505.html?iref=pc_ss_date 2019年4月7日閲覧。 
  76. ^ “中国人「強制連行」訴訟 請求を棄却 大阪地裁”. 産経新聞. (2019年1月29日). https://www.sankei.com/world/news/190129/wor1901290019-n1.html 2019年4月7日閲覧。 
  77. ^ a b 上羽修『中国人強制連行の軌跡』青木書店 1993年 ISBN 9784250930188
  78. ^ 『資料中国人強制連行の記録』明石書店 1990年 ISBN 9784750303406
  79. ^ 石飛仁『中国人強制連行の記録』三一書房 1997年 ISBN 9784380970085
  80. ^ “衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会”. 第16回国会. (1953-06-28). http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/016/0012/01606230012004.pdf 
  81. ^ 朝鮮人強制連行真相調査団『朝鮮人強制連行調査の記録 兵庫編』柏書房 1993年 ISBN 9784760110162
  82. ^ “参議院予算会議”. 第118回国会. (1990-06-06). http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/151/0001/15105090001028a.html. "
    本岡昭次君・・・こうした強制連行というのは日本のいかなる法令によって行われたんですか。
    政府委員(清水傳雄君)いわゆる朝鮮人の徴用につきましては、昭和十三年に制定をされました国家総動員法及びそれに基づきます国民徴用令、昭和二十年からは国民勤労動員令になっておりますけれども、これらに基づいて実施されたと承知をいたしております。"
     
  83. ^ 尹貞玉 (1992). 朝鮮人女性がみた「慰安婦問題」. 三一書房. p. 253-258. ISBN 9784380920080. 
  84. ^ “参議院予算会議 第6号”. 第123回国会. (1992-03-21). http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/123/1380/12303211380006c.html. "きょう参考人としてお願いをした元山口県労務報国会動員部長の吉田清治さんなどは、本当に非常に具体的な体験を持っていらっしゃるわけです。" 
  85. ^ “記事を訂正、おわびしご説明します 朝日新聞社 慰安婦報道、第三者委報告書”. 朝日新聞. (2014年12月23日). http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122337.html 
  86. ^ 内閣衆質一六六第一一〇号 (pdf)”. 衆議院 (2007年3月16日). 2019年5月6日閲覧。 “同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。”
  87. ^ 外務省 (1992年7月6日). “加藤内閣官房長官発表 (PDF)”. 2019年5月19日閲覧。
  88. ^ 外務省 (2014年6月20日). “慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯~河野談話作成からアジア女性基金まで~ (PDF)”. 2019年5月19日閲覧。
  89. ^ 外務省 (2014年6月20日). “慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯~河野談話作成からアジア女性基金まで~ (PDF)”. 2019年5月19日閲覧。 “新たに米国国立公文書館等での文献調査を行い,これらによって得られた文献資料を基本として,軍関係者や慰安所経営者等各方面への聞き取り調査や挺対協の証言集の分析に着手しており・・・一連の調査を通じて得られた認識は,いわゆる「強制連行」は確認できないというものであった。”
  90. ^ 外務省 (2014年6月20日). “慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯~河野談話作成からアジア女性基金まで~ (PDF)”. 2019年5月19日閲覧。
  91. ^ 阿比留瑠比 (2013年5月30日). “【阿比留瑠比の極言御免】「強制ありき」作文談話の罪”. 産経新聞. オリジナルの2019年5月19日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190518221845/https://www.sankei.com/politics/news/130530/plt1305300021-n2.html 2019年5月19日閲覧。 
  92. ^ 秦郁彦 1999, p. 250
  93. ^ “【社説】慰安婦会談、前向きな姿勢もマジノ線は守るべき”. 中央日報日本語版. (2015年12月26日). オリジナルの2019年5月18日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190518130803/https://japanese.joins.com/article/067/210067.html 2019年5月18日閲覧。 
  94. ^ “<외교열전> `위안부 강제동원 인정' 고노담화 나오기까지”. 聯合ニュース. (2012年12月17日). オリジナルの2019年5月18日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190518131608/https://www.yna.co.kr/view/AKR20121216030600043 2019年5月18日閲覧. "1993年8月4日、日本は初めて慰安婦の強制連行を認める政府発表を出した" 
  95. ^ “慰安婦:安倍・自民党総裁「強制動員はでっち上げ」”. 朝鮮日報日本語版. (2012年12月1日). オリジナルの2012年12月2日時点によるアーカイブ。. https://megalodon.jp/2012-1202-0703-34/www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/12/01/2012120100470.html 2012年12月1日閲覧. "安倍総裁はまた、日本政府が1993年、従軍慰安婦の強制動員を認め謝罪した「河野談話」についても「閣議での決議を経ていない」という点を強調した。" 
  96. ^ 季刊戦争責任研究2009年夏号
  97. ^ 吉見中大教授 橋下市長暴言を批判
    「朝鮮・台湾でおこなわれていた業者による連行も、業者は軍、総督府が選定し、誘拐や甘言、人身売買をもちいて連行したのであり、『強制連行』だと指摘」
  98. ^ 吉見義明 『従軍慰安婦資料集』 大月書店 1992年12月 ISBN 978-4272520251
  99. ^ 吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書 ISBN 9784004303848
  100. ^ a b 吉見義明・川田文子『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』大月書店,1997年,p24
  101. ^ “旧日本軍の「慰安婦」強制動員 証明文書を確認”. 朝鮮新報. (2007年4月23日). http://megalodon.jp/2012-1214-1856-36/www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/05/0705j0423-00001.htm 2012年12月15日閲覧。 
  102. ^ “In Japan, a Historian Stands by Proof of Wartime Sex Slavery” (英語). ニューヨーク・タイムズ. (2007年3月31日). http://www.nytimes.com/2007/03/31/world/asia/31yoshimi.html?pagewanted=all&_r=0 2012年12月15日閲覧。 
  103. ^ 秦郁彦 『慰安婦と戦場の性』p379
  104. ^ “参議院外務委員会”. 第129回国会. (1994-06-22). http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/129/1110/12906221110004a.html. "そして慰安婦の募集についても総じて本人の意思に反して行われたということを認めておられます。そういう慰安婦の強制性について認めていらっしゃるわけですが・・・" 
  105. ^ “衆議院予算委員会”. 第143回国会. (1998-08-19). http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/143/0018/14308190018004a.html. "歴史の問題というのは、中川農水大臣の従軍慰安婦の強制性を否定した発言に象徴される、自民党政府の侵略戦争への無反省の問題ではなかったのか。" 
  106. ^ “参議院外務委員会”. 第120回国会. (1990-12-18). http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/120/1110/12012181110001a.html 
  107. ^ “参議院予算委員会”. 第121回国会. (1991-08-27). http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/120/1110/12012181110001a.html 
  108. ^ “参議院予算委員会”. 第126回国会. (1993-03-23). http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/126/1380/12603231380007a.html 
  109. ^ 「従軍慰安婦」を否定する安倍首相」『月刊日本の進路』2007年4月号、自主・平和・民主のための広範な国民連合、2019年6月10日閲覧。
  110. ^ 植村隆「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」『朝日新聞』、1991年8月11日、27面。「日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺(てい)身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり・・・」
  111. ^ 慰安婦報道検証 第三者委員会 (2014年). “第三者委員会報告書 (PDF)”. 朝日新聞社. 2019年6月11日閲覧。
  112. ^ “強制連行 自由を奪われた強制性あった”. 朝日新聞. (2014年8月5日). オリジナルの2019年6月11日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190610214807/https://www.asahi.com/articles/ASG7M03C6G7LUTIL06B.html 2019年6月11日閲覧。 
  113. ^ 慰安婦報道検証 第三者委員会 (2014年). “第三者委員会報告書 (PDF)”. 朝日新聞社. 2019年6月11日閲覧。 “92年に吉田証言に対する信ぴょう性に疑問が呈されるまで、前記のような意味での「狭義の強制性」を大々的に、かつ率先して報道してきたのは、他ならぬ朝日新聞である。1997年の特集紙面が、「狭義の強制性」を大々的に報じてきたことについて認めることなく・・・「強制性」について「狭義の強制性」に限定する考え方を他人事のように批判し、河野談話に依拠して「広義の強制性」の存在を強調する論調は、のちの批判にもあるとおり、「議論のすりかえ」である。”
  114. ^ a b 鄭鎭星 (1993). 韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会. ed. 証言-強制連行された朝鮮人慰安婦たち 軍慰安婦の実相. 明石書店(日本語版). ISBN 9784750305486. 
  115. ^ 韓国軍慰安婦在韓米軍慰安婦問題参照
  116. ^ 花咲アキラ、雁屋哲『美味しんぼ』第22巻 小学館 1989年 ISBN 9784091820327
  117. ^ 読売新聞 2004年2月27日 3面 「センター試験作成者名公表 2007年度から 文科省方針
  118. ^ a b c 綾部恒雄「序論 少数民族問題の現状と課題」『文化人類学7』アカデミア出版会、1990
  119. ^ 鄭大均『在日・強制連行の神話』,p18-19
  120. ^ 外務省発表集・昭和35年2月第10号および公表資料集第8号. 外務省情報文化局. (1960). p. 51. "第二次大戦中内地に渡来した朝鮮人、したがつてまた、現在日本に居住している朝鮮人の大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものであるというような誤解や中傷が世間の一部に行われているが、右は事実に反する。" 
  121. ^ 奴隷強制労働
  122. ^ 鄭大均『在日・強制連行の神話』,p18-19
  123. ^ a b c 岡奈津子http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/45/oka/oka.html ロシア極東の朝鮮人 -ソビエト民族政策と強制移住-」スラヴ研究45号,北海道大学,1998年
  124. ^ 鄭大均『在日・強制連行の神話』,p18-19
  125. ^ [10]賀川真理「第二次世界大戦中に強制収容された日系人に対するもう一つの戦後補償」
  126. ^ 世界大百科事典第2版
  127. ^ IOM's Global Migration Data Analysis Centre (2019年). “Types of migration Forced migration or displacement”. Berlin: International Organization for Migration. 2019年2月17日閲覧。
  128. ^ Bristol and Transatlantic Slavery(PORTCITIES Bristol) | accessdate = 2017-04-17
  129. ^ Bristol and Transatlantic Slavery(PORTCITIES Bristol) | accessdate = 2017-04-17
  130. ^ A Short History of the African Slave Trade(ThoughtCo) | accessdate = 2017-04-17
  131. ^ THE STORY OF AFRICA: SLAVERY(BBC) | accessdate = 2017-04-17
  132. ^ a b 本田創造『アメリカ黒人の歴史』岩波書店 1991年 ISBN 978-4004301653
  133. ^ 「不法占領地の合法化と女性のリーダーシップ」江口信清(立命館文学2006.3)[11][12]
  134. ^ 「儀礼の音へのアプローチ(1)」長嶋佳子柴田佳子大阪学院大学人文自然論叢1989.12)P.46、PDF-P.3[13][14]
  135. ^ 上杉忍『アメリカ黒人の歴史』中公新書 2013年 ISBN 978-4121022097
  136. ^ 「インディアス法の形成と発展」中川和彦成城法学1998)P.8、PDF-P.8[15][16]
  137. ^ “Indian Treaties and the Removal Act of 1830”. アメリカ合衆国国務省. https://history.state.gov/milestones/1830-1860/indian-treaties 2017年1月14日閲覧。 
  138. ^ “The Long Walk”. Crow Canyon Archaeological Center. https://www.crowcanyon.org/EducationProducts/peoples_mesa_verde/historic_long_walk.asp 2017年1月14日閲覧。 
  139. ^ “Navajo Treaty, 1868”. スミソニアン博物館. http://nmai.si.edu/nationtonation/navajo-treaty.html 2017年1月14日閲覧。 
  140. ^ “Story of lost Tongans in Peru broadens the history of Blackbirding”. ABC. (2016年12月29日) 
  141. ^ a b c “'Blackbirding' shame yet to be acknowledged in Australia”. シドニー・モーニング・ヘラルド. (2015年6月3日). http://www.smh.com.au/national/blackbirding-shame-yet-to-be-acknowledged-in-australia-20150603-ghfn9c.html 2017年2月5日閲覧。 
  142. ^ “豪先住民「盗まれた世代」、政府謝罪を機に新しい人生に踏み出す”. AFP. (2008年2月11日). http://www.afpbb.com/articles/-/2349559 2017年1月4日閲覧。 
  143. ^ “Australia Apologizes To Aborigines”. CBSNEWS. (2008年2月12日). http://www.cbsnews.com/news/australia-apologizes-to-aborigines/ 2017年1月4日閲覧。 
  144. ^ a b 人種主義と二十世紀の世界―オーストラリアの「盗まれた世代」の例―
  145. ^ “NSW Stolen Generations receive compensation”. National Indigenous Television. (2015年1月25日). http://www.sbs.com.au/nitv/article/2016/12/02/nsw-stolen-generations-receive-compensation 2016年1月4日閲覧。 
  146. ^ “アメリカ大統領からの謝罪と補償、そして複雑な気持ち”. 日刊サン. (2014年12月6日). オリジナルの2017年10月9日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171009111928/https://www.nikkansan.com/feature/post/1000001445 2017年10月9日閲覧。 
  147. ^ “U.S. Apologizes to Internees”. ロサンゼルス・タイムズ. (1998年1月13日). http://articles.latimes.com/1998/jun/13/local/me-59411 2017年10月13日閲覧。 
  148. ^ 小宮まゆみ『敵国人抑留―戦時下の外国民間人』吉川弘文館 2009年 ISBN 9784642056670
  149. ^ 日系アメリカ人強制収容所の概要”. 全米日系人博物館. 2017年10月9日閲覧。
  150. ^ アメリカ合衆国戦時民間人再定住・抑留に関する委員会 「Personal Justice Denied サマリー」3頁
  151. ^ アメリカ合衆国戦時民間人再定住・抑留に関する委員会 「Personal Justice Denied 勧告」5頁
  152. ^ Lika C. Miyake 「Forsaken and Forgotten: The U.S. Internment of Japanese Peruvians During World War II」7頁
  153. ^ 大谷康夫『アメリカ在住日系人強制収容の悲劇』明石書店 1997年 ISBN 9784750309507
  154. ^ 「日系人の強制立ち退き・収容に関する実態分析」山本剛郎関西学院大学社会学部紀要2008.3)P.22、PDF-P.19[17][18]
  155. ^ 「ナチス期ドイツ外国人労働者政策における階層構造」高橋典子(名古屋大学国際言語文化研究科、2005年)[19][20]
  156. ^ 実数など詳細は「第三帝国における強制労働」田村光彰(北陸大学紀要2004)[21]が詳しい。
  157. ^ a b 白井久也『検証 シベリア抑留』平凡社 2010年 ISBN 9784582855159
  158. ^ a b c 栗原俊雄『シベリア抑留―未完の悲劇』岩波書店 2009年 ISBN 9784004312079
  159. ^ “シベリア抑留、露に76万人分の資料 軍事公文書館でカード発見”. 産経新聞. (2009年7月24日). オリジナルの2009年7月26日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090726100909/http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090724/erp0907240115000-n1.htm 2010年3月13日閲覧。 
  160. ^ V.A.アルハンゲリスキーの著作およびマッカーサー元帥の統計より。V・A・アルハンゲリスキー『プリンス近衛殺人事件』(2000年、新潮社)
  161. ^ 富田武『シベリア抑留 - スターリン独裁下、「収容所群島」の実像 』中公新書 2016年 ISBN 9784121024114
  162. ^ a b 第008回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第11号”. 衆議院. 国立国会図書館 (1950年10月31日). 2010年9月29日閲覧。
  163. ^ 佐藤和明 (1998-01). 少年は見た 通化事件の真実. 新評論. pp. 171-172. ISBN 4794803869. 
  164. ^ 陳祖恩「上海日本人居留民戦後送還政策の実情」『北東アジア研究』第10号、2006年1月
  165. ^ Bantustan(Encyclopædia Britannica) | accessdate = 2018-01-05
  166. ^ 「ラテンアメリカの民衆社会運動」幡谷則子(アジア経済研究所2007年)P.139、PDF-P.17[22]
  167. ^ 2009年3月12日 大紀元日本 自由アジア放送(RFA)チベット事件一周年前、2寺院の僧侶らを連行=青海省
  168. ^ 2007年8月6日 大紀元日本中国四川省:ダライ・ラマ14世の帰国を呼びかけたチベット人、強制連行

参考文献[編集]

関連項目[編集]