和田春樹

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和田春樹
人物情報
生誕 (1938-01-13) 1938年1月13日(79歳)
日本の旗 大阪府
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学文学部
配偶者 和田あき子
子供 和田真保
学問
研究分野 ソ連史ロシア史朝鮮
主な受賞歴 第4回後広金大中学術賞(2010年)
公式サイト
和田春樹のホームページ
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和田 春樹 (わだ はるき、1938年昭和13年)1月13日 - )は、日本歴史学者社会科学研究家、市民運動家である。専門はソ連史ロシア史・朝鮮史。東京大学名誉教授

人物[編集]

大阪府生まれ。静岡県立清水東高等学校卒業。父の和田捷雄は歴史の教師で清水東高等学校の校長代理をつとめた[1]東京大学文学部卒業。ドイツ語クラスの同級生に古井由吉加藤祐三がいた[2]

大学入学から、退官まで、約50年間に渡って東京大学においてのみ過ごした。1968年、キング牧師が暗殺されたことをきっかけに、妻和田あき子と共に、地元・大泉学園でベトナム戦争反対の市民運動を始める[3]

研究分野は多岐にわたるが、ロシアソ連朝鮮半島の近現代史及び、それらの地域と日本の関係にまつわるものが多い。左翼運動・市民運動などの実践活動でも知られる。2010年に韓国の全南大学から「第4回後広金大中学術賞」を授けられる。

研究[編集]

民衆側の共産主義[編集]

日本における共産主義研究は、本家であるソ連における共産主義研究の影響のもと、ソビエト連邦共産党の支配確立の歴史をなぞるか、トロツキースターリンに対置する程度がせいぜいであった。[要出典]和田による研究対象は、1905年の『血の日曜日事件』で知られるゲオルギー・ガポン、革命家のネストル・マフノによる農民アナキズム運動ナロードニキマルクスエンゲルスとあいだの政治的偏差などを含んだ。

ソ連崩壊と共産主義の瓦解[編集]

1980年代、ソ連においてペレストロイカが進行すると、和田はそれに共感を表明した。[要出典]さらに1990年代になって「急進改革派」が登場し、社会主義体制への批判を強めるようになると、和田は臆することなくそれを強く支持した。[要出典]

しかし、急進改革派が持っていた負の側面について和田は、それを熟知していながら言及を避けていた。それは政治的配慮によるものであったが[要出典]、ロシア近現代史研究の後輩である塩川伸明下斗米伸夫からは、かつての「進歩的知識人」の誤りを繰り返すものだとして厳しく批判された[4]。また塩川は、和田がソ連・東欧社会主義の崩壊を、一貫して「国家社会主義の崩壊」と規定していることに対して、その用語の曖昧さとともに、国家社会主義でない社会主義という存在の検討がなされていないことについても批判した。

ソ連及びスターリンについては、「マルクス主義が実現すべき目標としたユートピアはスターリンのソ連においてともかくも実現された」と述べている[5]

韓国・北朝鮮[編集]

和田は国際的な市民活動家としても知られる。[要出典]和田の研究はインテリゲンツィア(知識階級)にとどまらず、民衆の日常に目を向けるものであり、和田は朴正煕時代の韓国でも民衆との連帯を志向した。市民連帯活動では、韓国の民主化運動において、特に金大中救出運動において広い関心を起こしている。[要出典]

和田による朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)現代史研究については、日本の共産主義研究者にはその学問的功績が認められてはいるものの[要出典]、北朝鮮を『遊撃隊国家』とする規定について曖昧であるとの批判もある[要出典]ラングーン事件について、事件発生直後には「韓国政府内部の人間がやったことも考えられる。北朝鮮の側が爆弾テロをやるということはありえない」(『世界』83年11月号)との立場を取っていたが、『北朝鮮――遊撃隊国家の現在』(1998年)では、北朝鮮工作員の行為と述べている。

朝鮮戦争は南侵(北朝鮮による韓国侵略)か北侵(韓国による北朝鮮侵略)なのかについては、「あまり本質的な問題ではない。南北の双方に武力統一プランはあった」と述べている[6]。和田は朝鮮戦争について、「民族的課題である統一国家の実現は『領土完整』の課題とされ、武力統一しかないとの意識が南北双方に生まれていたと考えられる」「アメリカの側が、この動きの全体をどこまでつかんでいたかは定かではないが、1949年秋から50年4月にかけて国家安全保障会議は『NSC68』なる秘密政策文書を作成した。これは、世界のいたるところで『ソビエト勢力の一層の膨張をブロックし』、『クレムリンの支配と影響力の収縮を促し』、『ソビエト・システム内部の破壊の種子を育てる』という『巻き返し』の要素を含む『封じ込め』政策を定式化したものであった。あらゆる民族主義革命も共産主義者に率いられるかぎりは、すべてソ連の勢力膨張と認められ、アメリカの反撃が必至とされた」「北の従軍作家金史良洛東江辺の高地の陣中で、『海が見える。あれが南海だ』と書いている。このとき人々は、国土統一の間近い成就を確信していた」「こうして内戦として始まった朝鮮戦争は、まずアメリカの介入によって国際化されたが、これは北朝鮮とソ連には予想外の展開であった」「アメリカは、その輝かしい戦史に恥辱のページを初めて加えた。しかし、いささかの反省もなく、『NSC68』は、この戦争を通じてアメリカ政府の世界政策を導く正式文書となった」「結局、武力統一はどちらの側からも失敗」「日本は朝鮮の悲劇から利益を引き出して、戦前の経済水準への復活をはたし、昭和30年から高度経済成長の基礎をつくった」と述べている[7]。和田は、朝鮮戦争を「内戦から始まり、中国・日本・米国・ソ連 などが参戦することによって国際戦へ拡大した戦争」「韓国戦争が勃発したのは解放後の韓半島で理念的に異なった南北の韓国分断政府が樹立されたことにともなう必然的な結果」「国連軍の参戦で韓国軍と米軍が38線を越えて進撃することで南北双方1回ずつ武力統一を試みた戦争」「当時韓国の李承晩政府も『武力による北進統一論』を積極的に進めた」と主張しており[8]、『京郷新聞』は「韓国戦争は南北すべての内部矛盾を解決するための避けられない選択」というブルース・カミングスに代表される「修正主義と似た見解」と指摘している[8]

朝鮮日報』が発行している『月刊朝鮮』2014年4月号の「小中高図書館の蔵書分析」記事は、韓国の図書館には左派系執筆者の図書が多くあり、代表的な事例として和田の『金日成と満州抗日戦争』を取り上げている。同書は「普天堡が金日成の代表的な抗日闘争」とするが、「実際は小規模な突撃隊が『派出所を襲撃した』にすぎず、北朝鮮によって『過大宣伝されているというのが定説』なのだが、これを韓国で『良心的知性』と呼ばれる和田氏が取り上げたことで権威付けされた。」という。同書は多くの図書館にあるわけではないが、「普天堡が代表的な抗日闘争」と記述する教科書が出現する以前から同書が図書館に存在していたことを問題視している[9]

和田のことを韓国メディアは「日本の良心」として紹介しているが、韓国の保守派から「日本版ブルース・カミングス(일본 버전(version)의 브루스 커밍스 )」「朝鮮戦争を内戦と主張、姜禎求の主張と酷似(6.25전쟁은 “內戰”, 강정구와 동일한 역사인식)」と批判されている。それによると、和田の朝鮮戦争研究は、李鍾ソク国家安全保障会議事務次長、徐東晩韓国語版大韓民国国家情報院室長など韓国の左派系歴史学者に影響を与えたが、和田は朝鮮戦争を修正主義史観から解釈して「朝鮮戦争は、南北両方の内部矛盾を解決するための避けられない選択」であり、「北朝鮮の計画された先制攻撃で開始された『内戦』からはじまり、中国-日本-アメリカ-ソ連などが参戦することで、『国際戦』に拡大された戦争」と主張しており、極左歴史学者の姜禎求2005年に、「6・25は北朝鮮が試みた統一戦争[10]」「韓国戦争は北朝鮮指導層が試みた統一戦争で、内戦[11]」 「韓国戦争は統一戦争[12]」「6.25戦争は内戦で、北朝鮮指導部が試みた統一戦争[13]」と主張して、2005年12月に国家保安法違反容疑で在宅起訴され、懲役2年、執行猶予3年、資格停止2年の有罪判決を受けた[12]東国大学教授)と非常に酷似しているという。さらに問題なのは、朝鮮戦争後、国連軍の参戦で韓国軍とアメリカ軍が38度線を越えたことを「南北すべて1回ずつ武力統一をしようとした」と記述しており、「とんでもない結論」と批判されている[14]

主義・主張と社会活動[編集]

対・北朝鮮[編集]

拉致問題

北朝鮮による日本人拉致問題について和田は、『世界』2001年1月および2月号に掲載した論文「『日本人拉致疑惑』検証する」において、「横田めぐみさん拉致の情報は、その内容も、発表のされ方も多くの疑問を生むものである」として、日本政府も拉致疑惑を認定しないことから「横田めぐみさんが拉致されたと断定するだけの根拠は存在しないことが明らかである」と述べている。なお、久米裕の事件については拉致された可能性は高いと述べているが、「日本の警察が国外移送拐取罪で立件しなかった以上、行方不明者として交渉するほかない」と述べている[15][16]

2002年(平成14年)、北朝鮮自身が日本人拉致を認めるに至り、『諸君!』『正論』からは、和田に対する激しい批判が加えられた。対して和田は、自分は拉致そのものの存在を否定していたわけではないと弁明した。


対・韓国[編集]

反朴正煕運動

過去に反朴正煕運動に従事しており、鄭大均は「双方の独裁に触れながらも、反独裁の実践はもっぱら南にのみ向けられる」事例として和田の1982年の論文を挙げており、独裁国家論(北朝鮮論)の多くは、このような韓国・朝鮮論の形をとっているとしている[17]。それによると和田は、竹入義勝公明党委員長(当時)がソウルにおける「個人的判断かも知れないが、韓国には(北朝鮮と)比べものにならないほどの自由がある。韓国はやはり自由主義圏の国と確信した」という発言を以下のように批判している[17]

韓国には、北朝鮮と比べると、ある面では、より自由があることが問題なのではない。金日成氏を唯一思想とする共産主義国、北朝鮮は、自主独立、民族自立を達成しているが、思想の自由や表現の自由はない。自主はあるが自由はない国だといってよいだろう。朴正煕氏につづいて、全斗煥氏というクーデター将軍を大統領にいただく資本主義国韓国は、自主独立、民族自立を達成していず(アメリカ軍の支配と日本経済への従属)、かつ政治的自由も労働運動もない。自主はなく、自由も基本的に失われている国だといえるだろう。(中略)しかし、自由の点で両国を比較すれば、思想、表現、信教の自由は、韓国の方に、制限されてはいるものの、より多くあるといえる。だから、くりかえしていうが、韓国には、北朝鮮に比べると、より自由があるということが問題なのではない。
在日韓国人

在日韓国・朝鮮人に対する社会処遇の向上や、積極的な戦後補償を行うことを一貫して求めている。

慰安婦問題

慰安婦問題については、当時の日本政府に対して一貫して批判的である。一方、『女性のためのアジア平和国民基金』に係わる活動によって和田は、朝鮮人慰安婦寄りの主張を行う社会運動家からも批判される立場に立った。

竹島問題

竹島問題についは、「竹島が日本の領土と宣言されたのは1905年だ。その時から敗戦までの40年間、 竹島は確かに日本の領土だった。1945年に日本の管轄から脱した後、サンフランシスコ条約でも明確な処理がなされなかった」とし、そのうえで、「植民地支配反省の表現として、日本は独島(竹島の韓国名)を韓国領土として認める」という独自の主張を展開している[18]。さらに2013年10月には、独島問題に関して、日本は韓国側の主張を認めること以外に答えはないとし、韓国は韓日友好のための特別な配慮として鬱陵島と隠岐の島の中間地点に経済水域の境界を設定することを提案した[19]

また和田は、そのかわりに韓国側が、韓日友好のための思いやりとして、島根県の漁民に島周辺の漁業権を認めるという条件を、竹島を韓国に供与する見返りとして提案している[18]が、既に竹島周辺海は暫定水域として日韓漁業協定による漁業権が確定済みであり、和田の案により日本が得られるものは皆無である[18]

韓国左派への影響力

週刊文春』2004年3月25日号、加藤昭「韓国親北政権の罪第二弾 盧武鉉弾劾の真実大統領府に北のスパイが浸透していた」において韓国の盧武鉉政権への影響力が詳述されている[20]。「南北に食いこむ和田春樹氏」として、高泳耉韓国語版大韓民国国家情報院院長、徐東晩韓国語版大韓民国国家情報院室長、李鍾ソク国家安全保障会議事務次長の「親北三人組」のうち、徐と李と親しい関係にあると報道された[20]。それによると2003年4月、盧大統領が国情院院長に高を指名したことから開かれた国会聴聞会で和田の名前が出され、ハンナラ党李允盛韓国語版が高の証人の徐に対して「和田春樹が親北学者として(ファイル上で)分類されているのを知っているか」と質問し、徐は「間違った分類だ。私は正反対の評価も聞いているし、こと北韓問題に関する限り、最も良心的な態度で研究を続けている学者の一人だ」と答えた[20]。徐は、1986年に東大に留学して和田の門下生となり、約10年間学び、1995年に博士論文『北朝鮮における社会主義体制の成立』を提出したが、国情院スタッフは「博士論文の参考文献として『朝鮮全史』『朝鮮労働党略史』『朝鮮労働党/歴史教材』など、北朝鮮の原書がズラリ挙げられ、末尾に『北韓人名録』が付録として付されている。徐東晩や和田研究室はこれらの著作をどこで入手したのか」と問題視しており、『北韓人名録』は朝鮮労働党・政府・諸社会団体などの幹部の履歴が網羅されており、持ち出し・公表は厳禁であり、国情院スタッフは「我々は『北韓人名録』を持っているという事実で、彼らが北と通じていると確信した。和田教授についてもこれまでとかく風評があったが、これで彼が『向こう側の人間』であることが判明した」とコメントしている[20]。和田と李の関係について国情院スタッフは「李は九二年、和田の著作『金日成と満州抗日戦争』を翻訳している。また、『北韓の住居移転、旅行の自由の制限は、社会主義の特性であり、南北軍事対立のもとで選択せざるを得なかった防衛的措置だ』、『金正日はオーケストラの演奏中、ある演奏者の半音の間違いまで聞き分けるほど音楽に造詣が深い』など、数多くの北賛美の発言をしてもいます」とコメントしており、韓国では「和田黒幕説」があり、 国情院スタッフは「徐、李を中心とするグループが北主導の統一憲法草案を準備しているが、和田が知恵をつけているのではないか」とコメントしている[20]。加藤は、和田に取材をして「徐君とは、ソウルを訪れればほぼ毎回会っていますよ。彼は私の研究室に在籍していたのだし、ごく自然なこと。ただ、あまり政治の話はしない。韓国国会で私との師弟関係が取り上げられたことで、徐君の立場に悪影響を及ぼしてはいけないと思うからだ」という和田のコメントを取っている[20]。記事は「和田氏は常々、韓国建国の正当性は北韓にあり、金日成の抗日パルチザン闘争からその歴史が始まった、と主張してきたが、いまもその考え方に変更はないようだ。あれほどガチガチの親北学者も珍しい」「和田は、正常化がなるまでは北の人権抑圧の事実には目をつぶると公言してはばからない。日本人拉致問題でも北を擁護したが、いずれも極めて政治色の濃い発言で、一学者の態度とは程遠いものがある」と記しており、加藤は和田に「あなたは朝鮮半島を徘徊する妖怪」だと言ったという[20]

日韓併合無効論

和田は2010年(平成22年)、日本が大韓帝国を併合するに当たっての韓国併合ニ関スル条約(1910年)は当初から無効であったとして、日本政府がその無効性を認めるよう求める声明を発表した[21]。さらに、内閣総理大臣 菅直人に対しては、同条約の無効を、日韓併合100周年に当たる同年8月に宣言するよう求めた[21]

歴史教科書[編集]

和田は2001年(平成13年)4月、『新しい歴史教科書』(扶桑社)を批判する声明を、連名で発表した[22]

翌5月、歴史教科書問題をテーマにしたテレビ討論番組に参加した和田は、同教科書の記載について、「戦前ロシアが朝鮮北部に軍事基地を建設したと書いているが、これは伐採場でしかない」と批判した[23]。同討論に参加していた歴史家・秦はこれに対し、『近代日本総合年表』(岩波書店)にも 『軍事根拠地の建設を開始』との記載があること[24]、しかも同書の編集委員のひとりが、和田とともに抗議声明を出した経済学者、隅谷三喜男であることを指摘して反論した。

北方領土[編集]

和田は、「日本は北方領土の問題にこだわって日ソ関係を非常に悪いままにしている」と、領土問題を問わずにソ連との友好を優先することを主張していた[25]

論争 - アジア女性基金[編集]

和田は、現代史家・秦郁彦とのあいだで、歴史の事実認定や解釈を巡って何度も論戦を繰り広げたことでも知られる。[要出典]

二人の関係は1995年(平成7年)、村山富市内閣が設立した財団法人 『アジア女性基金』において、ともに資料委員会委員を務めたことに始まる。大蔵官僚出身で官僚や自由民主党関係者との人脈が豊富であった秦は、社会党との関係が強い和田や大沼保昭等の同財団発起人らから、保守人脈をも網羅した国民的運動としての基金活動を展開すべく受け入れられた。

しかし、同基金に拠ってアメリカでも調査を行った秦が同基金への報告書を寄稿すると、和田は秦を激しく批判した。秦による従軍慰安婦に関する報告への、和田による批判は次の様だった。

  1. 同基金は『村山談話』を根拠としているが、秦の報告には、その趣旨・理念をわきまえないエッセイ的記述が多数ある
  2. 各自のイデオロギー的立場を越えた資料実証研究を行うという資料委員会の申し合わせに反する

そして、同委員会委員長・高崎宗司と共に和田は、秦に対して文章の撤回を打診した。しかしながら、和田らに撤回要求をするような権限があるかについての疑問を呈し、またそれは打診というよりも査問であったことを秦は訴え、撤回の要求を拒絶した。最終的には、「権限の有無を別として和田・高崎が没を希望、秦がそれを受け入れる」という形で秦論文は未掲載となった。

最終的に取りまとめられたアジア女性基金の報告書、没になった秦の文書で転載されたもの、秦の側の見解表明は以下。

  • アジア女性基金『「慰安婦」問題調査報告・1999』〔全文ダウンロード可能〕[4]
  • 秦郁彦「『慰安婦伝説』--その数量的観察」『現代コリア』1999年2月〔転載〕。
  • 秦郁彦「天皇訪韓を中止せよ!『アジア女性基金』に巣喰う白アリたち」『諸君』1999年2月号(同『現代史の対決』文藝春秋2005年に大部分が掲載)。

評価[編集]

重村智計

重村智計は、2002年の著書『最新北朝鮮データブック』(講談社現代新書)において、①和田は「北朝鮮を擁護する」「評価し喧伝する」「北朝鮮の主張を支持した」論文を書いた②和田は「拉致はない」と主張した③和田は「朝鮮戦争は韓国が始めた」と主張した④和田は「北朝鮮には自由はないが食べるものは十分にある」と批判したが、和田は事実無根、虚偽の記述として講談社に抗議文を送っている[26]

『最新北朝鮮データブック』19ページ「日本では、北朝鮮を擁護する論者やメディアが『拉致はない』との論陣を張っていた。その代表的な論者は和田春樹東京大学名誉教授であり、岩波書店の雑誌『世界』がこうした主張を後押しした。『世界』は平成13年2月号で、和田名誉教授の『拉致はない』とする論文を掲載した」と記述している。対して和田は「横田めぐみさんの件については、最大の証言者とされた安明進の証言は信頼度が低いと判断されたので、引用の通り、『拉致されたかもしれないという疑惑が生じうる』というものであるとの結論を出しました。『拉致はない』とは言っておらず、拉致疑惑は認めうるとしているのですが、確証がないので、行方不明者として交渉するほかないと言っているのです」「原敕晁さんを拉致したという辛光洙の事件は『直接的な根拠、当事者の供述、証拠品からして』『拉致事件として問題にしうる』と述べています。はっきり『拉致である』としているのです」「『海岸まで久米さんを連れて行った在日朝鮮人の供述があり』、拉致の『疑惑は濃厚だが』、警察が立件しなかったので、『行方不明者として交渉するほかないだろう』としている」と反論しており、和田は「いずれのケースでも『拉致はない』と積極的に主張してはいないことは明らかです」と抗議している。対して講談社は、①和田論文は「拉致としてではなく『行方不明者として交渉するほかない』と結論づけて」いる②論文には「多くの事実誤認が含まれている」「事実誤認を基に『行方不明者として交渉するほかない』と結論づけられても、いささかの説得力を持ち得ません」③北朝鮮がテロ、大韓航空機爆破事件、拉致などの工作活動をくりかえしていた事実を直視せず、『行方不明者として交渉するほかない』と主張するのは、北朝鮮の外交姿勢を擁護する行為であることは明白です」④和田は『世界』1999年4月号掲載の論文で、「拉致事件も一般的には北朝鮮が公式に認めるはずもないことである」と書いており、「北朝鮮の外交手法を擁護していることは、明らかです」と回答している。『最新北朝鮮データブック』20ページ「雑誌『世界』と和田名誉教授は、北朝鮮が膨大な工作機関を有する『工作国家』であった真実と拉致の事実に、目をつぶってきたのである。その一方で、北朝鮮を評価し喧伝する記事や論文を常に掲載しつづけた」と記述している。対して和田は「私が北朝鮮政府の行為、その独自の主張を支持している証拠を示さねばなりません。だが私はそのようなことをしたことはありません」と抗議している。講談社は「『掲載しつづけた』の主語は、雑誌『世界』であり、和田ではない、和田の2001年『世界』論文は北朝鮮が工作国家であるという認識がないままに書かれたことは明白です」と回答している。『最新北朝鮮データブック』26ページ「和田春樹名誉教授のように、北朝鮮の主張を支持した学者や研究者たちは、『拉致はない』『朝鮮戦争は韓国が始めた』『北朝鮮には自由はないが食べるものは十分にある』などと主張した。しかし、こうした主張はことごとく間違いであった事実が、今では明らかにされている」と記述している。対して和田は「『朝鮮戦争は韓国が始めた』ということを一度も主張したことがない、私の著書『朝鮮戦争』(1995年)と『朝鮮戦争全史』(2002年)を一瞥すればわかるはずだ」「『北朝鮮には自由はないが食べるものは十分ある』というようなことを私は主張したことはないし、寡聞にして誰かがそのようなことを主張しているということを聞いたことがない」と反論している。講談社は「『拉致はない』『朝鮮戦争は韓国が始めた』『北朝鮮には自由はないが食べるものは十分にある』と主張したのは、北朝鮮の主張を支持した学者や研究者です。『和田春樹名誉教授のように』という一節は、『北朝鮮の主張を支持した学者や研究者たち』を修飾するものです。ただし、この箇所については、刊行後から社内から『文章がわかりにくい』との指摘があったため、2003年1月20日に刊行する第3刷より『和田春樹名誉教授のように』という一節を削除しております」と回答している。重村は、2013年の著作『激動!! 北朝鮮・韓国そして日本』において、2002年の拉致事件発覚以後「『横田めぐみさんの拉致はない』と、主張していた和田春樹教授や、雑誌『世界』、朝鮮総連が批判された。それでも、彼らはきちんと謝罪しなかった」と批判している。そして、韓国の軍事政権時代、朝鮮総連と北朝鮮を支持する学者、文化人、出版社は、日本人の差別感情を韓国にだけ向けさせる作戦を展開した結果、韓国否定の世論が広がったが、2002年の拉致事件発覚以後、朝鮮総連と北朝鮮を支持する学者、文化人、出版社が増幅した韓国蔑視感情が北朝鮮に向けられ、日本社会は北朝鮮批判と蔑視感情を高ぶらせ、朝鮮総連と北朝鮮を支持する学者、文化人、出版社は「北朝鮮バッシング」と批判しているが、重村は「彼らは、金大中拉致事件後の『韓国バッシング』を知らないか、差別感情を広めた北朝鮮の手先と言うしかないだろう」と述べている[27]

萩原遼

萩原遼は、和田は北朝鮮の代弁者だけではなく、拉致の解決を餌に、日朝国交正常化を誘導しようとする金正日の代弁者でもあり「彼は2重の北朝鮮の代弁者であり、工作員」と批判している[14]

山脇直司

山脇直司からも、北朝鮮による拉致という国家犯罪は絶対に許してはならないし、左翼知識人の過去の言動は徹底的に糾弾されてしかるべきだろう、と批判された[28]

略歴[編集]

著作[編集]

単著
  • 『近代ロシア社会の発展構造――1890年代のロシア』(東京大学社会科学研究所, 1965年)
  • 『ニコライ・ラッセル――国境を越えるナロードニキ](上・下)』(中央公論社, 1973年)
  • 『マルクス・エンゲルスと革命ロシア』(勁草書房, 1975年)
  • 『農民革命の世界――エセーニンとマフノ』(東京大学出版会, 1978年)
  • 『韓国民衆をみつめること』(創樹社, 1981年)
  • 『韓国からの問いかけ――ともに求める』(思想の科学社, 1982年)
  • 『私の見たペレストロイカ――ゴルバチョフ時代のモスクワ』(岩波書店岩波新書], 1987年)
  • 『北の友へ南の友へ――朝鮮半島の現状と日本人の課題』(御茶の水書房, 1987年)
  • 『ペレストロイカ――成果と危機』(岩波書店[岩波新書], 1990年)
  • 北方領土問題を考える』(岩波書店, 1990年)
  • 『ロシアの革命1991』(岩波書店, 1991年)
  • 『開国――日露国境交渉』(日本放送出版協会[NHKブックス], 1991年)
  • 『金日成と満州抗日戦争』(平凡社, 1992年)
  • 『歴史としての社会主義』(岩波書店[岩波新書], 1992年)
  • 『ロシア・ソ連』(朝日新聞社, 1993年)
  • 朝鮮戦争』(岩波書店, 1995年)
  • 『歴史としての野坂参三』(平凡社, 1996年)
  • 『北朝鮮――遊撃隊国家の現在』(岩波書店, 1998年)
  • 『北方領土問題――歴史と未来』(朝日新聞社[朝日選書], 1999年)
  • 『ロシア――ヒストリカル・ガイド』(山川出版社, 2001年)
  • 『朝鮮戦争全史』(岩波書店, 2002年)
  • 『朝鮮有事を望むのか――不審船・拉致疑惑・有事立法を考える』(彩流社, 2002年)
  • 『日本・韓国・北朝鮮――東北アジアに生きる』(青丘文化社, 2003年)
  • 『東北アジア共同の家――新地域主義宣言』(平凡社, 2003年)
  • 『同時代批評――日朝関係と拉致問題』(彩流社, 2005年) 
  • 『テロルと改革――アレクサンドル二世暗殺前後』(山川出版社, 2005年)
  • 『ある戦後精神の形成 1938-1965』(岩波書店, 2006年)
  • 『日露戦争 起源と開戦』(岩波書店, 2009-10年)
  • 『日本と朝鮮の一〇〇年史 これだけは知っておきたい』平凡社新書、2010 
  • 『領土問題をどう解決するか 対立から対話へ』平凡社新書、2012
  • 『北朝鮮現代史』岩波新書、2012
  • 『慰安婦問題の解決のために アジア女性基金の経験から』平凡社新書 2015
共著
編著
  • 『レーニン』(平凡社, 1977年)
  • 『ロシア史の新しい世界――書物と史料の読み方』(山川出版社, 1986年)
  • 『ペレストロイカを読む――再生を求めるソ連社会』(御茶の水書房, 1987年)
  • 『ロシア史』(山川出版社, 2002年)
共編著

職のいきさつから東京大学社会科学研究所の研究者との共著が多い。

  • (高崎宗司)『分断時代の民族文化――韓国[創作と批評]論文選』(社会思想社, 1979年)
  • 梶村秀樹)『韓国の民衆運動』(勁草書房, 1986年)
  • (梶村秀樹)『韓国民衆――学園から職場から』(勁草書房, 1986年)
  • (梶村秀樹)『韓国民衆――「新しい社会」へ』(勁草書房, 1987年)
  • 小森田秋夫近藤邦康)『「社会主義」それぞれの苦悩と模索』(日本評論社, 1992年)
  • (近藤邦康)『ペレストロイカと改革・開放――中ソ比較分析』(東京大学出版会, 1993年)
  • 田中陽兒倉持俊一)『世界歴史大系 ロシア史(全3巻)』(山川出版社, 1994-1997年)
  • 家田修松里公孝)『スラブの歴史』(弘文堂, 1995年)
  • 水野直樹)『朝鮮近現代史における金日成』(神戸学生青年センター出版部, 1996年)
  • 大沼保昭下村満子)『「慰安婦」問題とアジア女性基金』(東信堂, 1998年)
  • 隅谷三喜男)『日朝国交交渉と緊張緩和』(岩波書店, 1999年)
  • 石坂浩一)『現代韓国・朝鮮』(岩波書店, 2002年)
  • (高崎宗司)『北朝鮮本をどう読むか』(明石書店, 2003年)
  • 『「韓国併合」100年を問う 『思想』特集・関係資料』趙景達,宮嶋博史,李成市共編 岩波書店 2011
  • 『岩波講座東アジア近現代通史』全10巻 後藤乾一,木畑洋一,山室信一,趙景達,中野聡,川島真共編 岩波書店 2010-11
  • 『日韓歴史問題をどう解くか 次の100年のために』内海愛子,金泳鎬, 李泰鎮共編 岩波書店 2013
  • 『慰安婦問題とアジア女性基金 デジタル記念館』村山富市共編 青灯社 2014

訳書[編集]

  • 金大中獄中書簡』金学鉉, 高崎宗司共訳(岩波書店, 1983年)
  • アレク・ノーヴスターリンからブレジネフまで――ソヴェト現代史』(刀水書房, 1983年)
  • アレクサンドル・チャヤーノフ『農民ユートピア国旅行記』(晶文社 1984年)のち平凡社ライブラリー 
  • 『資料集コミンテルンと日本共産党』G.M.アジベーコフ共監修 富田武共編訳 岩波書店 2014

家族[編集]

夫人はロシア文学者和田あき子。長女の和田真保練馬区区議会議員をつとめた。

脚注[編集]

  1. ^ 朝日新聞 2017年1月25日 夕刊 P.4「人生の贈り物 わたしの半生」
  2. ^ 朝日新聞 2017年1月26日 夕刊 P.4「人生の贈り物 わたしの半生」
  3. ^ 朝日新聞 2017年1月27日 夕刊 P.4「人生の贈り物 わたしの半生」
  4. ^ http://www7b.biglobe.ne.jp/~shiokawa/books/wada.htm 塩川による厳しい批判
  5. ^ 和田春樹 「マルクス主義が実現すべき目標としたユートピアはスターリンのソ連においてともかくも実現された」 『世界』90年1月号
  6. ^ 和田春樹「北朝鮮が決定してはじめた国土統一戦争」『世界』平成10年3月号
  7. ^ 『週刊朝日百科日本の歴史124』(1988年朝日新聞社)P84-p89
  8. ^ a b 京郷新聞』2001年9月21日
  9. ^ “韓国の教科書論争”. 世界日報. オリジナル2014年6月27日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20140627010025/http://vpoint.jp/world/korea/15102.html 
  10. ^ “"강정구의 '남침유도설', '위스콘신 좌파 고향'선 고개 숙였는데"”. 朝鮮日報. (2005年10月11日). オリジナル2005年10月13日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20051013074809/http://www.chosun.com/editorials/news/200510/200510110224.html 
  11. ^ “弟子であることが恥ずかしい、「韓国戦争は統一内戦」とした姜教授を批判”. 中央日報. (2005年8月4日). オリジナル2016年11月23日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20161122194053/http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=66303 
  12. ^ a b “姜禎求被告、「国保法違反」で有罪判決”. 東亜日報. (2006年5月27日). オリジナル2016年11月23日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20161122194653/http://japanese.donga.com/List/3/all/27/293406/1 
  13. ^ “盧大統領「6.25は内戦」と左派表現”. 中央日報. (2006年11月21日). オリジナル2016年11月23日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20161122193533/http://japanese.joins.com/article/976/81976.html?sectcode=&servcode=200 
  14. ^ a b “때가 되면 등장하는 日좌익 '와다 하루키(和田春樹)'”. NewDaily. オリジナル2016年11月25日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20161124173722/http://newdaily.co.kr/news/article_s.html?no=190868&rvw_no=1559 
  15. ^ 2001年1月号『世界』「日本人拉致疑惑」を検証する[上]和田春樹[1]
  16. ^ 2001年2月号『世界』「日本人拉致疑惑」を検証する[下]和田春樹[2]
  17. ^ a b 鄭大均 『韓国のイメージ』 中央公論新社2010年9月ISBN 978-4121912695、p107-108
  18. ^ a b c ハンギョレ新聞(韓国語)2008年7月27日。
  19. ^ 和田春樹氏「日本は韓国の主張認めるべき」=独島問題、聯合ニュース、2013年10月1日
  20. ^ a b c d e f g 週刊文春』2004年3月25日号、加藤昭「韓国親北政権の罪第二弾 盧武鉉弾劾の真実大統領府に北のスパイが浸透していた」
  21. ^ a b 日韓併合、首相談話で無効宣言を 『共同通信』 平成22年7月28日配信
  22. ^ 扶桑社中学校社会科歴史教科書の近現代史部分(第4,第5章)の問題点 [3]
  23. ^ 『朝まで生テレビ』 (テレビ朝日)
  24. ^ 初版〜4版の各版とも1903年5月上旬に『露軍、鴨緑江を超えて竜岩浦に至り、軍事根拠地の建設を開始』と記載
  25. ^ 世界』 1986年5月号
  26. ^ 和田春樹『同時代批評』所収「重村智計『最新北朝鮮データブック』(講談社現代新書)の記述に抗議する」彩流社、2005/03、ISBN 978-4882029588
  27. ^ 重村智計『激動!! 北朝鮮・韓国そして日本』実業之日本社、2013/5/16、ISBN 978-4408109947、p54
  28. ^ 山脇直司「日本外交の哲学的貧困」『論座』 2004年3月号

外部リンク[編集]