和田春樹

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和田春樹
人物情報
生誕 (1938-01-13) 1938年1月13日(79歳)
日本の旗 大阪府
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学文学部
配偶者 和田あき子
子供 和田真保
学問
研究分野 ロシア史ソ連史朝鮮史
主な受賞歴 第4回後広金大中学術賞(2010年)
公式サイト
和田春樹のホームページ
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和田 春樹 (わだ はるき、1938年昭和13年)1月13日 - )は、日本歴史学者社会科学研究家、市民運動家である。萩原遼によると、もともとの学術上の専攻はロシア史[1]朝鮮史関連の著作もあるが、朝鮮史研究者からは批判的な見解がある(後述)。東京大学名誉教授

人物[編集]

大阪府生まれ。静岡県立清水東高等学校卒業。父の和田捷雄は歴史の教師で清水東高等学校の校長代理をつとめた[2]東京大学文学部卒業。ドイツ語クラスの同級生に古井由吉加藤祐三がいた[3]

大学入学から、退官まで、約50年間に渡って東京大学においてのみ過ごした。1968年、キング牧師が暗殺されたことをきっかけに、妻和田あき子と共に、地元・大泉学園でベトナム戦争反対の市民運動を始める[4]

研究分野は多岐にわたるが、ロシアソ連朝鮮半島の近現代史及び、それらの地域と日本の関係にまつわるものが多い。左翼運動・市民運動などの実践活動でも知られる。2010年に韓国の全南大学から「第4回後広金大中学術賞」を授けられる。

秦郁彦によると、日本共産党シンパから全共闘シンパへと移った経歴があり[5]、秦は1998年10月30日のアジア女性基金の資料委員会で和田に対し「和田さんの忠誠心の対象は何度も変わったというのが、世間のイメージだと思うが」と発言[6]し、アジア女性基金のパンフレットは和田を「韓国民主化運動支援、金大中氏救命運動、朝鮮植民地支配反省国会決議を求める運動など、様々な市民運動に尽力してきた」と持ち上げているが、「これほど転変は激し(い)」「30数年に及ぶ東大社研の研究者兼運動家生活」と評しており[7]、その「手がかりとして、ここ10年ばかり和田氏が世に問うた言行のなかから参考になるものを抜きだし、別表にかかげた(和田春樹#注目された発言)」として、「目立つのは関心ないし思い入れの対象がソ連、北朝鮮、韓国民主派とくるくる移っている」「日本を標的とした革命幻想が破れてしまったせいだろうが、挫折することなく次々に運動目標を探しだす執念には脱帽するほかない」「慰安婦問題に首をつっこむのがおくれたのは、10Bのように最初は運動にできると思っていなかったかららしいが、『ありがたいクマラスワミ報告』(10C)も出たし、有望と見てはせ参じる」「最初は国家補償派だったが、女性基金が誕生すると鞍替えする。ところが、韓国政府や挺対協がお金配りはやめてくれと言いだすや、見切りをつけて、国家補償派へ舞い戻ろう(11A)と模索中」「彼のこうしたカメレオン的変針ぶりを、いつも片思いの『ドン・キホーテ』にすぎないと軽く見る人もいれば、『人面○心』と切って捨てる人もいる。○の初出は『ソ』だが、現在は『金』とはめこむのが適切」と述べている[8]

研究[編集]

民衆側の共産主義[編集]

日本における共産主義研究は、本家であるソ連における共産主義研究の影響のもと、ソビエト連邦共産党の支配確立の歴史をなぞるか、トロツキースターリンに対置する程度がせいぜいであった。[要出典]和田による研究対象は、1905年の『血の日曜日事件』で知られるゲオルギー・ガポン、革命家のネストル・マフノによる農民アナキズム運動ナロードニキマルクスエンゲルスとあいだの政治的偏差などを含んだ。

ソ連崩壊と共産主義の瓦解[編集]

塩川伸明によると、和田は1980年代、ソ連におけるペレストロイカに共感を表明した。1990年代になって「急進改革派」が登場し、社会主義体制への批判を強めるようになると、和田はそれを強く支持した。一方で、急進改革派が持っていた負の側面については、言及を避けていた。ロシア近現代史研究の後輩である塩川や下斗米伸夫からは、かつての「進歩的知識人」の誤りを繰り返すものだとして批判された[9]また塩川は、和田がソ連・東欧社会主義の崩壊を、一貫して「国家社会主義の崩壊」と規定していることに対して、その用語の曖昧さとともに、国家社会主義でない社会主義という存在の検討がなされていないことについても批判した[要出典]

韓国・北朝鮮[編集]

北朝鮮を『遊撃隊国家』と規定している。秦郁彦は和田に対し「あなたも著書や論文で10年1日のように、くり返し北朝鮮は遊撃隊国家なりと唱えている。もう聞きあきた」と主張した[10]

朝鮮日報』が発行している『月刊朝鮮』2014年4月号の「小中高図書館の蔵書分析」記事は、韓国の図書館には左派系執筆者の図書が多くあり、代表的な事例として和田の『金日成と満州抗日戦争』を取り上げている。同書は「普天堡が金日成の代表的な抗日闘争」とするが、「実際は小規模な突撃隊が『派出所を襲撃した』にすぎず、北朝鮮によって『過大宣伝されているというのが定説』なのだが、これを韓国で『良心的知性』と呼ばれる和田氏が取り上げたことで権威付けされた。」という。同書は多くの図書館にあるわけではないが、「普天堡が代表的な抗日闘争」と記述する教科書が出現する以前から同書が図書館に存在していたことを問題視している[11]

朝鮮語[編集]

萩原の著書『朝鮮戦争 金日成とマッカーサーの陰謀』について、和田は著書『朝鮮戦争』で「(萩原遼の)叙述の中で引用されるもっとも印象的な資料は、方善柱氏が、1987年に発掘発表し、私が1990年に紹介した資料A、B、C、D、Gなのである」にもかかわらず萩原はそれを隠しておりモラルに反すると批判、和田が1990年に紹介した資料とは、和田の論文「朝鮮戦争について考える(上)新しい資料による検討」『思想』(1990年9月号)のことを指しているが、萩原は「当然ながら私も一読したが、なんの言及もしなかった。すれば和田氏の名誉を傷つけるからである」「和田氏のこの論文は依拠する方氏の資料のずさんさに加えて、和田氏の手による朝鮮語の日本語訳が誤訳だらけで使いものにならない」として、朝鮮人民軍第355軍部隊のオ・イサム将校の報告書の和田訳が「500字足らずの短い文章に7カ所の誤訳がある。それも全体の文意にかかわる誤訳である」として、具体的には和田はオ・イサムを部隊長というが副部隊長である[12]、「学習」を「課業」と誤訳しているが、もとの朝鮮語の「上学」は中国語由来であり、朝鮮人民軍は「学習」と「訓練」が2代任務であり「課業」など存在しない、「いつ行動があるかを予測した」は「いつかは行動があるものと予測した」の誤訳である、「行軍準備をすませた」は「行軍準備をさせた」の誤訳である、「砲弾まで定量を」は「砲弾まで定量を積んで」であり「積んで」が脱落している、「焼却する」は「焼却させる」の誤訳である、「本来野営にいるとか、部隊としての秘密を守るため」は「本来は野営中であった部隊としての秘密を守るため」が正確であり和田訳では意味をなさず、この誤訳は教育水準の低い人民軍将校が過去形を方言につられ誤記したことを見抜けないことからきている[13]。萩原は「これらの誤訳をみると、和田氏は朝鮮語の文法の初歩も知らないことがよくわかる」「私の本が出たあとで私の訳にもとづいて誤訳をちゃっかり手直している。これを隠しているのは研究者のモラルには反しないのか」「言及すれば当然こうした欠陥も指摘しなければならない。和田氏の面目は丸つぶれになるではないか」「『思想』掲載論文を一読して、依拠資料のずさんさに加えて誤訳だらけ」「定年近い東大教授の『労作』が、一介のジャーナリストによって完膚なきまでに批判されたら面目もなかろうと、彼の体面をおもんばかってだまっていた」「和田が訳した朝鮮語が誤訳だらけであった。わずか500字足らずの文章に7箇所もの誤訳がある。和田が朝鮮語の文法の初歩も知らないことは一目瞭然であった」と萩原は和田の朝鮮語の語学力を問題視している[14][15]

主義・主張と社会活動[編集]

拉致問題[編集]

北朝鮮による日本人拉致問題について和田は、『世界』2001年1月および2月号に掲載した論文「『日本人拉致疑惑』検証する」において、「横田めぐみさん拉致の情報は、その内容も、発表のされ方も多くの疑問を生むものである」として、日本国政府も拉致疑惑を認定しないことから「横田めぐみさんが拉致されたと断定するだけの根拠は存在しないことが明らかである」と述べている。なお、久米裕の事件については、拉致された可能性は高いと述べているが、「日本の警察が国外移送拐取罪で立件しなかった以上、行方不明者として交渉するほかない」と述べている[16][17]

2002年(平成14年)、北朝鮮自身が日本人拉致を認めるに至り、『諸君!』『正論』からは、和田に対する激しい批判が加えられた。対して和田は、自分は拉致そのものの存在を否定していたわけではないと弁明した。

2002年に小泉純一郎朝鮮民主主義人民共和国を訪問、日朝首脳会談金正日拉致問題を認めるに至り、北朝鮮についての和田の言説の影響力は大きく低下、萩原遼は「朝鮮問題という日本と朝鮮半島にとってきわめて重要な分野において、和田の存在価値はすでに大暴落した。自分のみならず岩波書店や東大の権威失墜にも相当貢献した。これ以上恥をかくことなく、世間に迷惑をかけないよう、もとの専門と称するロシア史の研究に戻って、静かに余生を送るがよかろう」と述べている[18]

反朴正煕運動[編集]

過去に反朴正煕運動に従事しており、鄭大均は「双方の独裁に触れながらも、反独裁の実践はもっぱら南にのみ向けられる」事例として和田の1982年の論文を挙げており、独裁国家論(北朝鮮論)の多くは、このような韓国・朝鮮論の形をとっているとしている[19]。それによると和田は、竹入義勝公明党委員長(当時)がソウルにおける「個人的判断かも知れないが、韓国には(北朝鮮と)比べものにならないほどの自由がある。韓国はやはり自由主義圏の国と確信した」という発言を以下のように批判している[19]

韓国には、北朝鮮と比べると、ある面では、より自由があることが問題なのではない。金日成氏を唯一思想とする共産主義国、北朝鮮は、自主独立、民族自立を達成しているが、思想の自由や表現の自由はない。自主はあるが自由はない国だといってよいだろう。朴正煕氏につづいて、全斗煥氏というクーデター将軍を大統領にいただく資本主義国韓国は、自主独立、民族自立を達成していず(アメリカ軍の支配と日本経済への従属)、かつ政治的自由も労働運動もない。自主はなく、自由も基本的に失われている国だといえるだろう。(中略)しかし、自由の点で両国を比較すれば、思想、表現、信教の自由は、韓国の方に、制限されてはいるものの、より多くあるといえる。だから、くりかえしていうが、韓国には、北朝鮮に比べると、より自由があるということが問題なのではない。

独裁政権でも北朝鮮は批判せず、軍事政権時代の韓国のことは厳しく批判しており、金大中拉致事件の救命運動をおこなっていた[20]。このことから軍事政権時代は韓国から要注意人物としてマークされており、韓国に入国できなかったが、アジア女性基金に加わる際に外務省の口利きで入国できるようにり、東大退職後の1998年春から年末まで5回も訪韓している[21]

在日韓国人[編集]

在日韓国・朝鮮人に対する社会処遇の向上や、積極的な戦後補償を行うことを一貫して求めている。

慰安婦問題[編集]

慰安婦問題については、当時の日本政府に対して一貫して批判的である。一方、『女性のためのアジア平和国民基金』に係わる活動によって和田は、朝鮮人慰安婦寄りの主張を行う社会運動家からも批判される立場に立った。

竹島問題[編集]

竹島問題についは、「竹島が日本の領土と宣言されたのは1905年だ。その時から敗戦までの40年間、 竹島は確かに日本の領土だった。1945年に日本の管轄から脱した後、サンフランシスコ条約でも明確な処理がなされなかった」とし、そのうえで、「植民地支配反省の表現として、日本は独島(竹島の韓国名)を韓国領土として認める」という独自の主張を展開している[22]。さらに2013年10月には、独島問題に関して、日本は韓国側の主張を認めること以外に答えはないとし、韓国は韓日友好のための特別な配慮として鬱陵島と隠岐の島の中間地点に経済水域の境界を設定することを提案した[23]

また和田は、そのかわりに韓国側が、韓日友好のための思いやりとして、島根県の漁民に島周辺の漁業権を認めるという条件を、竹島を韓国に供与する見返りとして提案している[22]が、既に竹島周辺海は暫定水域として日韓漁業協定による漁業権が確定済みであり、和田の案により日本が得られるものは皆無である[22]

韓国左派への影響[編集]

週刊文春』2004年3月25日号、加藤昭「韓国親北政権の罪第二弾 盧武鉉弾劾の真実大統領府に北のスパイが浸透していた」において韓国の盧武鉉政権への影響力が詳述されている[24]。「南北に食いこむ和田春樹氏」として、高泳耉韓国語版大韓民国国家情報院院長、徐東晩韓国語版大韓民国国家情報院室長、李鍾ソク国家安全保障会議事務次長の「親北三人組」のうち、徐と李と親しい関係にあると報道された[24]。それによると2003年4月、盧大統領が国情院院長に高を指名したことから開かれた国会聴聞会で和田の名前が出され、ハンナラ党李允盛韓国語版が高の証人の徐に対して「和田春樹が親北学者として(ファイル上で)分類されているのを知っているか」と質問し、徐は「間違った分類だ。私は正反対の評価も聞いているし、こと北韓問題に関する限り、最も良心的な態度で研究を続けている学者の一人だ」と答えた[24]。徐は、1986年に東大に留学して和田の門下生となり、約10年間学び、1995年に博士論文『北朝鮮における社会主義体制の成立』を提出したが、国情院スタッフは「博士論文の参考文献として『朝鮮全史』『朝鮮労働党略史』『朝鮮労働党/歴史教材』など、北朝鮮の原書がズラリ挙げられ、末尾に『北韓人名録』が付録として付されている。徐東晩や和田研究室はこれらの著作をどこで入手したのか」と問題視しており、『北韓人名録』は朝鮮労働党・政府・諸社会団体などの幹部の履歴が網羅されており、持ち出し・公表は厳禁であり、国情院スタッフは「我々は『北韓人名録』を持っているという事実で、彼らが北と通じていると確信した。和田教授についてもこれまでとかく風評があったが、これで彼が『向こう側の人間』であることが判明した」とコメントしている[24]。和田と李の関係について国情院スタッフは「李は九二年、和田の著作『金日成と満州抗日戦争』を翻訳している。また、『北韓の住居移転、旅行の自由の制限は、社会主義の特性であり、南北軍事対立のもとで選択せざるを得なかった防衛的措置だ』、『金正日はオーケストラの演奏中、ある演奏者の半音の間違いまで聞き分けるほど音楽に造詣が深い』など、数多くの北賛美の発言をしてもいます」とコメントしており、韓国では「和田黒幕説」があり、 国情院スタッフは「徐、李を中心とするグループが北主導の統一憲法草案を準備しているが、和田が知恵をつけているのではないか」とコメントしている[24]。加藤は、和田に取材をして「徐君とは、ソウルを訪れればほぼ毎回会っていますよ。彼は私の研究室に在籍していたのだし、ごく自然なこと。ただ、あまり政治の話はしない。韓国国会で私との師弟関係が取り上げられたことで、徐君の立場に悪影響を及ぼしてはいけないと思うからだ」という和田のコメントを取っている[24]。記事は「和田氏は常々、韓国建国の正当性は北韓にあり、金日成の抗日パルチザン闘争からその歴史が始まった、と主張してきたが、いまもその考え方に変更はないようだ。あれほどガチガチの親北学者も珍しい」「和田は、正常化がなるまでは北の人権抑圧の事実には目をつぶると公言してはばからない。日本人拉致問題でも北を擁護したが、いずれも極めて政治色の濃い発言で、一学者の態度とは程遠いものがある」と記しており、加藤は和田に「あなたは朝鮮半島を徘徊する妖怪」だと言ったという[24]

日韓併合無効論[編集]

和田は2010年(平成22年)、日本が大韓帝国を併合するに当たっての韓国併合ニ関スル条約(1910年)は当初から無効であったとして、日本政府がその無効性を認めるよう求める声明を発表した[25]。さらに、内閣総理大臣 菅直人に対しては、同条約の無効を、日韓併合100周年に当たる同年8月に宣言するよう求めた[25]

歴史教科書[編集]

和田は2001年(平成13年)4月、『新しい歴史教科書』(扶桑社)を批判する声明を、連名で発表した[26]

翌5月、歴史教科書問題をテーマにしたテレビ討論番組に参加した和田は、同教科書の記載について、「戦前ロシアが朝鮮北部に軍事基地を建設したと書いているが、これは伐採場でしかない」と批判した[27]。同討論に参加していた歴史家・秦はこれに対し、『近代日本総合年表』(岩波書店)にも 『軍事根拠地の建設を開始』との記載があること[28]、しかも同書の編集委員のひとりが、和田とともに抗議声明を出した経済学者、隅谷三喜男であることを指摘して反論した。

北方領土[編集]

和田は、「日本は北方領土の問題にこだわって日ソ関係を非常に悪いままにしている」と、領土問題を問わずにソ連との友好を優先することを主張していた[29]

注目された発言[編集]

全て秦郁彦『現代史の対決』(文藝春秋、2003年)121ページ「和田春樹語録」、初出「天皇訪韓を中止せよ!『アジア女性基金』に巣喰う白アリたち」『諸君!』1999年2月号(出典は『世界』)

1ソ連 日本は北方領土の問題にこだわって日ソ関係を非常に悪いままにしている(1986年5月)

マルクス主義が実現すべき目標としたユートピアは、スターリンのソ連においてともかくも実現された(1990年1月)

2中国 中国が東北アジアにおいて平和と安定のためによき働きをしているのは万人が認めている(1985年8月)
3朝鮮戦争 A(南侵:北朝鮮による韓国侵略か、北侵:韓国による北朝鮮侵略か)あまり本質的な問題ではない。南北の双方に武力統一プランはあった(1984年3月)

B北朝鮮が決定してはじめた国土統一戦争(1998年3月)

4朝鮮南北分断 朝鮮の分断は日本の責任(1985年8月)
5北朝鮮 日本国家が40年完全に無視、敵視したままなのは本当に許されない、恥かしくかつ申し訳なく思う(1985年8月)

2000年までに和解の条約を締結するように全力を(1998年2月)

日韓条約を越える日朝条約をかちとれば、日韓条約もプラスアルファを余儀なくされ、南北双方に利益(1998年2月)

横田めぐみさんが拉致されたと断定するだけの根拠は存在しない(2001年2月)

6ラングーン事件 韓国政府内部の人間がやったことも考えられる。北朝鮮の側が爆弾テロをやるということはありえない(1983年11月)
7日韓条約 日本が朝鮮植民地支配に対して謝罪せず……韓国国民の心に新しい傷をつくり出した(1984年3月)
8歴史教科書問題 韓国と中国の批判が、わが国の反動派、右派に衝撃を与えてくれた(1983年3月)
9天皇 あれだけ多くの他国民と臣民を殺させながら、責任をとって退位することもしません(1985年8月)
10慰安婦 A女子挺身隊の名のもと慰安婦として南方に送られ死亡(1982年8月)

B(最初は)慰安婦問題だけを取り出して運動できるとは思っていませんでした(1998年10月)

C(国連の)クワラスワミ報告が採択されたのはありがたかった(1997年7月)

11女性基金 女性基金を作ったことを活用し、これを国家補償につなげるものにしていく(1997年6月)

略歴[編集]

著作[編集]

単著[編集]

  • 『近代ロシア社会の発展構造――1890年代のロシア』(東京大学社会科学研究所, 1965年)
  • 『ニコライ・ラッセル――国境を越えるナロードニキ](上・下)』(中央公論社, 1973年)
  • 『マルクス・エンゲルスと革命ロシア』(勁草書房, 1975年)
  • 『農民革命の世界――エセーニンとマフノ』(東京大学出版会, 1978年)
  • 『韓国民衆をみつめること』(創樹社, 1981年)
  • 『韓国からの問いかけ――ともに求める』(思想の科学社, 1982年)
  • 『私の見たペレストロイカ――ゴルバチョフ時代のモスクワ』(岩波書店岩波新書], 1987年)
  • 『北の友へ南の友へ――朝鮮半島の現状と日本人の課題』(御茶の水書房, 1987年)
  • 『ペレストロイカ――成果と危機』(岩波書店[岩波新書], 1990年)
  • 北方領土問題を考える』(岩波書店, 1990年)
  • 『ロシアの革命1991』(岩波書店, 1991年)
  • 『開国――日露国境交渉』(日本放送出版協会[NHKブックス], 1991年)
  • 『金日成と満州抗日戦争』(平凡社, 1992年)
  • 『歴史としての社会主義』(岩波書店[岩波新書], 1992年)
  • 『ロシア・ソ連』(朝日新聞社, 1993年)
  • 朝鮮戦争』(岩波書店, 1995年)
  • 『歴史としての野坂参三』(平凡社, 1996年)
  • 『北朝鮮――遊撃隊国家の現在』(岩波書店, 1998年)
  • 『北方領土問題――歴史と未来』(朝日新聞社[朝日選書], 1999年)
  • 『ロシア――ヒストリカル・ガイド』(山川出版社, 2001年)
  • 『朝鮮戦争全史』(岩波書店, 2002年)
  • 『朝鮮有事を望むのか――不審船・拉致疑惑・有事立法を考える』(彩流社, 2002年)
  • 『日本・韓国・北朝鮮――東北アジアに生きる』(青丘文化社, 2003年)
  • 『東北アジア共同の家――新地域主義宣言』(平凡社, 2003年)
  • 『同時代批評――日朝関係と拉致問題』(彩流社, 2005年) 
  • 『テロルと改革――アレクサンドル二世暗殺前後』(山川出版社, 2005年)
  • 『ある戦後精神の形成 1938-1965』(岩波書店, 2006年)
  • 『日露戦争 起源と開戦』(岩波書店, 2009-10年)
  • 『日本と朝鮮の一〇〇年史 これだけは知っておきたい』平凡社新書、2010 
  • 『領土問題をどう解決するか 対立から対話へ』平凡社新書、2012
  • 『北朝鮮現代史』岩波新書、2012
  • 『慰安婦問題の解決のために アジア女性基金の経験から』平凡社新書 2015

共著[編集]

編著[編集]

  • 『レーニン』(平凡社, 1977年)
  • 『ロシア史の新しい世界――書物と史料の読み方』(山川出版社, 1986年)
  • 『ペレストロイカを読む――再生を求めるソ連社会』(御茶の水書房, 1987年)
  • 『ロシア史』(山川出版社, 2002年)

共編著[編集]

職のいきさつから東京大学社会科学研究所の研究者との共著が多い。

  • (高崎宗司)『分断時代の民族文化――韓国創作と批評論文選』(社会思想社, 1979年)
  • 梶村秀樹)『韓国の民衆運動』(勁草書房, 1986年)
  • (梶村秀樹)『韓国民衆――学園から職場から』(勁草書房, 1986年)
  • (梶村秀樹)『韓国民衆――「新しい社会」へ』(勁草書房, 1987年)
  • 小森田秋夫近藤邦康)『「社会主義」それぞれの苦悩と模索』(日本評論社, 1992年)
  • (近藤邦康)『ペレストロイカと改革・開放――中ソ比較分析』(東京大学出版会, 1993年)
  • 田中陽兒倉持俊一)『世界歴史大系 ロシア史(全3巻)』(山川出版社, 1994-1997年)
  • 家田修松里公孝)『スラブの歴史』(弘文堂, 1995年)
  • 水野直樹)『朝鮮近現代史における金日成』(神戸学生青年センター出版部, 1996年)
  • 大沼保昭下村満子)『「慰安婦」問題とアジア女性基金』(東信堂, 1998年)
  • 隅谷三喜男)『日朝国交交渉と緊張緩和』(岩波書店, 1999年)
  • 石坂浩一)『現代韓国・朝鮮』(岩波書店, 2002年)
  • (高崎宗司)『北朝鮮本をどう読むか』(明石書店, 2003年)
  • 『「韓国併合」100年を問う 『思想』特集・関係資料』趙景達,宮嶋博史,李成市共編 岩波書店 2011
  • 『岩波講座東アジア近現代通史』全10巻 後藤乾一,木畑洋一,山室信一,趙景達,中野聡,川島真共編 岩波書店 2010-11
  • 『日韓歴史問題をどう解くか 次の100年のために』内海愛子,金泳鎬, 李泰鎮共編 岩波書店 2013
  • 『慰安婦問題とアジア女性基金 デジタル記念館』村山富市共編 青灯社 2014

訳書[編集]

  • 金大中獄中書簡』金学鉉, 高崎宗司共訳(岩波書店, 1983年)
  • アレク・ノーヴスターリンからブレジネフまで――ソヴェト現代史』(刀水書房, 1983年)
  • アレクサンドル・チャヤーノフ『農民ユートピア国旅行記』(晶文社 1984年)のち平凡社ライブラリー 
  • 『資料集コミンテルンと日本共産党』G.M.アジベーコフ共監修 富田武共編訳 岩波書店 2014

家族[編集]

夫人はロシア文学者和田あき子。長女の和田真保練馬区区議会議員をつとめた。

脚注[編集]

  1. ^ 萩原遼は、「これ以上恥をかくことなく、世間に迷惑をかけないよう、もとの専門と称するロシア史の研究に戻って、静かに余生を送るがよかろう」「ロシア史の専門家ながら朝鮮問題も勉強している感心な人とほほえましい思いで眺めてきた」と述べている「『和田春樹』よ、北朝鮮よりさらに北へ去れ」『諸君!』2003年8月号187頁、「東大教授か、デマゴーグか」『諸君!』1995年4月号145頁
  2. ^ 朝日新聞』2017年1月25日 夕刊 P.4「人生の贈り物 わたしの半生」
  3. ^ 朝日新聞』2017年1月26日 夕刊 P.4「人生の贈り物 わたしの半生」
  4. ^ 朝日新聞』2017年1月27日 夕刊 P.4「人生の贈り物 わたしの半生」
  5. ^ 秦郁彦 『現代史の対決』 文藝春秋2003年1月、113頁。ISBN 978-4163593104
  6. ^ 秦郁彦 『現代史の対決』 文藝春秋2003年1月、115頁。ISBN 978-4163593104
  7. ^ 秦郁彦 『現代史の対決』 文藝春秋2003年1月、120頁。ISBN 978-4163593104
  8. ^ 秦郁彦 『現代史の対決』 文藝春秋2003年1月、122頁。ISBN 978-4163593104
  9. ^ 和田春樹論 [要高次出典]
  10. ^ 秦郁彦 『現代史の対決』 文藝春秋2003年1月、117頁。ISBN 978-4163593104
  11. ^ “韓国の教科書論争”. 世界日報. オリジナル2014年6月27日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20140627010025/http://vpoint.jp/world/korea/15102.html 
  12. ^ 「東大教授か、デマゴーグか」『諸君!』1995年4月号、144頁
  13. ^ 「東大教授か、デマゴーグか」『諸君!』1995年4月号、145頁
  14. ^ 「東大教授か、デマゴーグか」『諸君!』1995年4月号、145頁
  15. ^ 「『和田春樹』よ、北朝鮮よりさらに北へ去れ」『諸君!』2003年8月号、186頁
  16. ^ 2001年1月号『世界』「日本人拉致疑惑」を検証する[上]和田春樹[1]
  17. ^ 2001年2月号『世界』「日本人拉致疑惑」を検証する[下]和田春樹[2]
  18. ^ 「『和田春樹』よ、北朝鮮よりさらに北へ去れ」『諸君!』2003年8月号、187頁
  19. ^ a b 鄭大均 『韓国のイメージ』 中央公論新社2010年9月ISBN 978-4121912695、p107-108
  20. ^ 秦郁彦 『現代史の対決』 文藝春秋2003年1月、128頁。ISBN 978-4163593104
  21. ^ 秦郁彦 『現代史の対決』 文藝春秋2003年1月、122頁。ISBN 978-4163593104
  22. ^ a b c ハンギョレ新聞(韓国語)2008年7月27日。
  23. ^ 和田春樹氏「日本は韓国の主張認めるべき」=独島問題、聯合ニュース、2013年10月1日
  24. ^ a b c d e f g 週刊文春』2004年3月25日号、加藤昭「韓国親北政権の罪第二弾 盧武鉉弾劾の真実大統領府に北のスパイが浸透していた」
  25. ^ a b 日韓併合、首相談話で無効宣言を 『共同通信』 平成22年7月28日配信
  26. ^ 扶桑社中学校社会科歴史教科書の近現代史部分(第4,第5章)の問題点 [3]
  27. ^ 『朝まで生テレビ』 (テレビ朝日)
  28. ^ 初版〜4版の各版とも1903年5月上旬に『露軍、鴨緑江を超えて竜岩浦に至り、軍事根拠地の建設を開始』と記載
  29. ^ 世界』 1986年5月号

注釈[編集]

外部リンク[編集]