日本財団

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公益財団法人日本財団
The Nippon Foundation
日本財団ビル
日本財団ビル
創立者 笹川良一
団体種類 公益財団法人
設立 2011年4月1日
所在地 東京都港区赤坂一丁目2番2号
日本財団ビル
法人番号 8010405009495
起源 財団法人日本船舶振興会(1962年10月1日-2011年3月31日)
主要人物 笹川陽平(代表理事会長)
尾形武寿(代表理事理事長)
活動地域 日本の旗 日本
基本財産 288億1,618万57円(2015年3月31日現在)
従業員数 96名(2015年2月現在)
ウェブサイト http://www.nippon-foundation.or.jp/
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公益財団法人日本財団(にっぽんざいだん、: The Nippon Foundation)は、公営競技のひとつである競艇の収益金をもとに、海洋船舶関連事業の支援や公益・福祉事業、国際協力事業を主に行なっている公益財団法人

2011年3月31日までの名称は財団法人日本船舶振興会(にっぽんせんぱくしんこうかい)であった。独立行政法人国際交流基金の英語名が「Japan Foundation」であるため、かつては「SASAKAWA Foundation」と称していたが、初代会長笹川良一没後に日本財団The Nippon Foundation」に変更された。

総資産額は3000億円近くにのぼり[1]、日本最大規模の財団であるが、事業費の多くを笹川平和財団東京財団など系列の公益法人等への助成に充てているため、笹川平和財団の方が日本最大の公益財団法人を標榜している[2]

概要[編集]

旧称日本船舶振興会時代の2010年(平成22年)決算時点で、資産総額2661億円。年間助成額226億円であり、当時日本全体の助成金およそ600億の内、1/3以上を占めている日本最大の財団とされる。ただし、2010年(平成22年)時点で、特殊法人の面が強かったために、助成財団センターが作成した「日本の上位20財団資産総額ランキング」からは掲載を除外されている[3]1962年(昭和37年)、笹川良一によって創立され、没後に二代曽野綾子を経て、現会長は笹川良一の三男である笹川陽平が就任した。

海事科学の普及を目的として、日本海事科学振興財団船の科学館)、青少年の健全育成のためにブルーシー・アンド・グリーンランド財団(B&G財団)、海洋分野におけるシンクタンクである海洋政策研究財団など、多くの公益法人を設立してきた。日本のハンセン病問題の解決など、ハンセン病世界的な差別撲滅活動に長年取り組んでいる。

財団法人ではあるが、モーターボート競走法昭和26年法律第242号)第22条の2の規定によって設置された関係上、特殊法人の性格をも併せ持っていたが、2007年(平成19年)の競走法の改正により、完全な民間の財団法人になる。財源には、モーターボート競走法の規定によって、競艇の収益金の2.6%(2007年(平成19年)3月、モーターボート競走法の改正がされる前は約3.3%)が充当されており、競艇と密接に結びついている。

1962年昭和37年)に創立以来、長らく設立者かつ初代会長の笹川良一の指導力により、特殊法人の枠を超えた独自性のある活動を行ってきた。日本国政府全額出資の特殊法人である競馬日本中央競馬会 = JRA)や、かつては社団法人が担当した競輪オートレース(特殊法人日本自転車振興会・日本小型自動車振興会を経て現在は公益財団法人JKA)などの他の公営競技とは違って、民間の運営する財団法人であることから、所管官庁(当時は運輸省、現国土交通省)の干渉や天下りを受けない、独立的な傾向が強かった。

笹川の親族が関連団体で要職についていたことなどを上げて、一部マスコミから「笹川良一や陽平らの笹川一族が競艇の収益金を自由に使っている」と報道されていたが、振興会が事業を実施するには所管の官庁である国土交通大臣(省庁再編前は運輸大臣)の許認可を得る必要があり、その意味では使途は制限されていた。また、笹川良一や陽平が規則や規定により財団では支援することができない活動に対して財団の事業とは別に自らの財産を寄付しており、そのことが財団の活動内容は国や行政とは異なる「不平等主義」に繋がっている。

1995年(平成7年)の笹川良一死去後は、笹川色を薄める意見が出たため、財団の非常勤理事であった曽野綾子を2代目会長として迎え入れた。1996年から現在の正式名である「日本財団」を愛称として用いるようになった。2005年、第三代会長に笹川良一の三男・笹川陽平が就任。現会長の意向もあり、ハンセン病の世界制圧と彼らに対する差別撤廃と人権回復、ミャンマー政府と少数民族武装勢力との和解の実現にも注力している[4]

2003年(平成15年)には、日本財団、海上保安庁の支援の下、海事、漁業関係者が一同に参加した民間沿岸監視団体「海守」が創設された。海守は主に密漁、密航対策を目的としている[5][6]。なお、海守の事務局業務は海上保安庁外郭団体である海上保安協会が行っている[7]

2011年(平成23年)4月1日に、公益財団法人になると共に、正式名も「日本財団」になった。これにより、国土交通省は所管官庁ではなくなった(ただし、モーターボート競走法上の監督は引き続き受ける)。

2016年(平成28年)4月16日に発生した平成28年熊本地震の影響を受け、同年4月19日に都内で緊急支援策第1弾発表会見を開き、日本三大名城「熊本城」再建支援金30億円など、計93億円の支援金を用意したことを発表した[8]

事業概要[編集]

  • 海洋・船舶支援事業、造船関係資金貸付
  • 公益・福祉・ボランティア支援関係
  • 海外協力援助事業

沿革[編集]

  • 1949年、笹川良一がモーターボート競走法制定について働きかけを開始。
  • 1951年 モーターボート競走法成立
  • 1953年 (社)全国モーターボート競走会連合会(全モ連)設立。
  • 1962年 (財)日本船舶振興会設立。初代会長は笹川良一。
  • 1967年 (財)日本海事科学振興財団設立。(財)航空振興財団設立。
  • 1972年 (財)ブルーシー・アンド・グリーンランド財団設立
  • 1974年 (財)笹川記念保健協力財団設立
  • 1975年 (財)日本造船振興財団(現海洋政策研究財団)設立
  • 1980年 米日財団設立
  • 1986年 (財)笹川平和財団設立
  • 1990年 (財)笹川スポーツ財団設立
  • 1997年 (財)東京財団設立
  • 2007年 (特非)CANPANセンター設立
  • 2011年4月1日 公益法人認定により、正式名称を「公益財団法人日本財団」に改称。[9]
  • 2012年10月1日 設立50周年を機に、本財団設立以来親しまれたシェアマークを生かした新ロゴマークに変更。クリエイティブディレクターは佐藤可士和[10]
  • 2015年 (一財)日本財団パラリンピックサポートセンター設立を支援。(一財)日本財団学生ボランティアセンター(Gakuvo)設立。

テレビCM[編集]

日本船舶振興会時代は、当財団の広報活動として、当時の会長の笹川良一自らが出演したテレビCMが盛んに放映された。笹川が子供たちとともに「一日一善」と喚呼するものや、笹川が慈善活動で海外訪問する様子を撮影したものが有名だった。各民放テレビ系列キー局の番組スポンサー(スポンサー自粛のものも含む)としてCMが流れることもあったが、主に各民放テレビ系列キー局の番組終了直後にヒッチハイクCMとして流れることが多かった。特に全国ネットのテレビ番組ではパーティシペーション扱いでスポンサーに付く番組も多数あった(特にテレビ朝日系が一番多かった)。またラジオCMでは、当財団の取り組んでいる活動内容について、笹川に直接話を聞く内容だった。

CMの最後には、「日本船舶振興会は、モーターボート競走収益金を○○のために役立てています」(モーターボート競走の収益金は、○○のために役立てられています)というセリフで締めくくる。テレビCMの最後でこのセリフが出る時には、競艇シーンの映像が流れ、「ファンのみなさま ありがとうございます 日本船舶振興会」というテロップを出していた(CMによっては、「(財)日本船舶振興会」と表記されることもあった)。90年代になると、CMの最後に流れていた前述のセリフや競艇シーンの映像、テロップがなくなり、後述のイメージソングがBGMで流れるようになったほか、高齢者福祉を取り上げたCMが流れるようになった。

笹川死去後、近年は、財団が取り組んでいる身体障害者・高齢者福祉聴覚障害者のための大学ギャローデット大学」の支援、アフリカの飢餓救済、船舶航行の安全確保関連などの国内・国際援助活動事業など援助事業の風景を取り上げている。

1970年代後半〜1980年代[編集]

火の用心編
火の用心を呼びかけるCMでは、子供たちや、太鼓を叩く高見山、このCMソングの作曲も担当して、威勢良く纏(まとい)を振り上げる山本直純チンパンジーたちとともに、笹川が出演した。曜日別のバージョンが制作され、放送された。例えば月曜日なら「街をきれいにしよう!一日一善!」と言い、日章旗掲揚や競艇のレース映像(これは後述の作品の末尾の映像も同じ)を交えつつ、「モーターボート競走の収益金は、防犯・防火のために役立てられています。」という中村正のナレーションと拍子木の音で締めくくられる。
このCMは多くのテレビ局がスポットCMでも頻繁に放送していた。
日本防火協会(現・日本防火・防災協会)の名義で制作・放映されているものもある。大半はこの名義だった。笹川が1975年に当協会の会長に就任後、在任期間とほぼ同じ翌1976年から1994年まで放映されていた。
マラソン編
まずは木漏れ日が映る。そして「わっしょい!わっしょい!」と言いながら、柔道着姿の笹川と子供達が走る。そして「お年寄りや体の不自由な人をいたわりましょう。お父さん・お母さんを大切にしましょう。」と笹川のナレーションが流れる。その後子供達(胴着姿のグループ・海洋少年団の制服姿のグループなど個別に)が大声で「礼儀正しくしよう」、「お父さん・お母さんを大切にしよう」、「交通ルールを守ろう」と唱和する。最後に「正しい心と強い体を育てるために、モーターボート競走の収益金は大きく役立っています。」という広川太一郎のナレーションが流れて締めくくられる。このCMは大半が全国モーターボート競走会連合会の名義で制作・放映されていた。
また、柔道剣道空手と3つの別バージョンもある。内容構成は「マラソン編」と同じ。
怪獣ヒデゴンス編
幼稚園のセットでの撮影。まずは怪獣ヒデゴンス(手袋人形)が「おれは怪獣ヒデゴンス。火事が大好き、何でも食べちゃうぞ。」と言う。これに対して火消しのヒケシマンが「そうはさせないぞ!!寝たばこ、やーめよう!!」、「くわえたばこ、やーめよう!!」、「火遊び、やーめよう!!」と言い、笹川と子供達がこれに続いて唱和する。すると怪獣ヒデゴンスが、「ペコ、まいった!」と降参して、笹川と子供達が「戸締り用心、火の用心!」と歌い、毎度の文句が流れて終わる。これは日本船舶振興会名義で制作・放映されている。
その他
他にも、エドワード・ジェンナー種痘の逸話などを取り扱ったCMもあった。この場合は最後に「ファンのみなさま ありがとうございます 日本船舶振興会」(この場合は日章旗はなく、モーターボートの映像をバックにしたもの)というスーパーが出ている。

1990年代[編集]

子守唄編
「♪おやすみママ おやすみパパ もう眠たくて お休みのキッスもできないよ」という歌いだしで、子供の子守唄が流れる。そして「でも、待てよ。そうだ!戸締りと火の始末、確かめてなかった!」「戸締り用心・火の用心!」のセリフで締めくくられる。これは日本防火協会(現・日本防火・防災協会)の名義で制作・放映されていた。また競艇シーンが一切出されていない。最後の方に笹川が、子供と絵本を読んでいるシーンのみ出演している。
TOGETHER TO TOMORROW(トゥギャザー・トゥー・トゥモロー)編
日本財団に一般呼称が変わる前後(1995年前期頃)まで放送されていたもので、高齢者福祉活動やオーバーブルック盲学校などを紹介。高齢者福祉活動編では老人ホームでの福祉活動の映像を映し、「私達は、高齢者時代を考え、老人福祉活動を支援します。」とPR(ナレーター・窪田等)し、最後に笹川会長を中心に老人達の笑顔を映したというものであった。
その他
その他にも薬物乱用防止キャンペーン「ダメ。ゼッタイ。」に協賛したCMがオンエアされている。この時は笹川色はなく、最後のところで「協力:日本船舶振興会」と小さく出ていただけである。
日本財団改名以後
呼称が日本財団になってからは、前述の通りギャローデット大学(「世界一うるさい大学かもしれない」というPR)、車椅子で生活する若者などのショートドキュメント映像などが放送されている。

CMソング[編集]

  • 日本船舶振興会'90キャンペーンソング『TOGETHER TO TOMORROW(トゥギャザー・トゥー・トゥモロー)』 作詞・スージー・K・キム 作曲・三井誠 歌唱・M F Q

スポンサー提供テレビ番組[編集]

ヒッチハイクCM(主に戸締り用心・火の用心シリーズ、海外の慈善活動報告シリーズ)に関して、民放キー局では特に、テレビ朝日(NET時代も含む)と日本テレビが比較的多く、逆にTBSとフジテレビは少なかった。多かった放映時間帯はいずれかの曜日の19時台~21時台の番組終了直後。

関連団体[編集]

話題となった問題[編集]

蘭州大学奨学金焦げ付き[編集]

2005年4月に、中華人民共和国甘粛省にある国立蘭州大学に1992年に設立した奨学基金の原資100万ドルについて、大学側が勝手に現地の投資信託会社で運用して失敗し回収不能に陥っている、と発表した。大学側は「高利の投資信託に移し奨学金を充実させたかった」と謝罪しているが、財団は大学に対し、投資信託会社から資金を取り戻して奨学制度を正常に復帰させるように求めている。

財団側の説明によると、1992年3月に大学が持つ中国銀行の口座に100万ドルを振り込み、その利息で大学院生向けに奨学金を支給することを規定。しかし大学側は、財団に基金の運用機関を変更する届け出をしないまま1993年10月、当時高利息だった甘粛省投資信託公司へ移し替えた。事態を重くみた財団は2004年12月、中華人民共和国政府に対し原状回復への協力を要請し、2006年11月に中華人民共和国の王毅駐日大使から「全額、元に戻すことが確認された」との連絡があり、本問題は解決をみた。

参考図書[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]