王毅

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王毅
Wang Yi 2020-02-14 Munich Security Conference.jpg
2020年2月14日
生年月日 (1953-10-19) 1953年10月19日(69歳)
出生地 中華人民共和国の旗 中華人民共和国 北京市
出身校 北京第二外国語学院(アジア・アフリカ語学部)
外交学院(国際関係専攻博士課程)
所属政党 Flag of the Chinese Communist Party.svg 中国共産党
配偶者 銭韋
子女 1人

中華人民共和国の旗 中華人民共和国
第11代外交部長
在任期間 2013年3月16日 - 現職
最高指導者 習近平
内閣 李克強内閣
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王毅
職業: 政治家・外交官
各種表記
繁体字 王毅
簡体字 王毅
拼音 Wáng Yì
和名表記: おう き
発音転記: ワン イー
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王毅(おう き、拼音: Wáng Yì 、ワン・イー、1953年10月19日 - )は、中華人民共和国政治家外交官。外交担当国務委員、第11代外交部長を務めている。六者会合議長、外交部副部長、第17期・18期・19期党中央委員駐日中国大使、国務院台湾事務弁公室主任などを歴任した。立命館大学第35号名誉博士である。日本語英語に堪能で、日本では日本人相手の会見・講演をしばしば日本語で行う。

略歴[編集]

1953年10月19日に北京に誕生する。北京の庶民の出身である[1]1969年に高校を卒業するが、その後文化大革命黒龍江省の農村に8年間下放される。1977年12月に北京に戻り、北京第二外国語大学アジア・アフリカ語学部に入学し、日本語を学んだ。1982年2月に卒業した後に外交部に入省。1983年胡耀邦総書記の訪日の際に執筆したスピーチが評価される。

1989年9月に駐日中国大使館に参事官として配属され、1994年に帰国してアジア局副局長、翌1995年に局長に昇進した。1997年ジョージタウン大学客員研究員となった。

1998年に部長助理(外務大臣次官補)を歴任した。助理時代には旧日本軍遺棄化学兵器に関する日本との交渉に当たり、1999年7月30日に両国の覚書に調印した。同年9月から外交学院で国際関係を専攻し、博士号を取得した。

2001年3月からアジア担当副部長(外務次官)。2003年4月のアメリカ合衆国・中国・北朝鮮の3者協議では中国首席代表となり、同年8月27日から3者協議に日本ロシアを加えて北京で開催された第1回6カ国協議のホストとして北朝鮮核問題に従事し、武大偉に交代する第4回会合まで議長役を務める。

2004年9月から2007年9月21日まで駐日中国大使を務めた。なおこの間、李肇星の後任の外交部長となる可能性が取り沙汰されたこともあるが、実現しなかった。帰国後は外交部の政策研究担当の常務副部長に就任し、2007年10月には党中央委員に選出された(2012年11月、2017年10月中央委員再選)。

2008年6月3日に中国共産党中央台湾工作弁公室と国務院台湾事務弁公室の主任に任命された。中国は台湾を国内と見なすために同ポストは地方トップが就任するのが慣例で、この時も福建省の盧展工党委員会書記の起用が考えられていた。外交官出身で日本通の王毅が選ばれた背景には、同年5月に台湾での親中的な国民党馬英九政権の成立で対話が再開したという見方がある一方[2]日台関係を牽制するのが目的という見方もある[3]。中台交流の積極的促進に努め[4]、台湾の国民党政権に配慮してか蔣介石の愛国的な一面を描いた2009年の建国60周年記念映画『建国大業』のDVDを王毅から渡されて視聴した蔣介石の孫で国民党副主席でもある蔣孝厳中国語版は「客観的な歴史評価」と称賛している[5]

中国共産党第二十回全国代表大会中国共産党中央政治局委員に選ばれる[6]

外交部長[編集]

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領と

2013年3月16日に李克強内閣で第11代外交部長に就任した。2018年3月19日に外交担当国務委員に就任し[7]、その上で外交部長も兼任となった。

イランの核開発問題[編集]

潘基文事務総長国際連合安全保障理事会常任理事国5か国の外相。右端が王毅である(2013年9月25日)。左から以下の順となる。
イギリスのウィリアム・ヘイグ外務・英連邦大臣
フランスのローラン・ファビウス外務大臣
ロシアのセルゲイ・ラブロフ外務大臣
国際連合の潘基文事務総長
アメリカのジョン・フォーブズ・ケリー国務長官
中国の王毅外交部長

2015年7月にイランの核開発問題における6カ国協議での核合意妥結に従事した[8]

北朝鮮[編集]

2018年5月2日に外交部長として11年ぶりに北朝鮮を訪問して、北朝鮮李容浩外相・金正恩委員長と会談し、朝鮮半島の非核化と平和体制構築と改革開放を支援すると述べた[9]

日本[編集]

2018年4月15日に9年ぶりの日中両国の外務大臣の相互往来で訪日し[10]、16日の第4回日中経済ハイレベル対話で日本の河野太郎外務大臣とともに議長を務めた[11]2019年10月26日から27日まで、北京市で開催された言論NPOと中国国際出版集団の共催による「第15回東京-北京フォーラム」へ徐麟国務院新聞弁公室主任と共に出席し、日本の福田康夫元首相と明石康国立京都国際会館理事長と共に挨拶・講演を行った[12]。同年11月22日から23日まで名古屋市で開催されたG20外務大臣会合に出席するため訪日し、同月24日から25日にかけて東京で福田康夫元首相・自民党二階俊博幹事長と会談した[13]。この訪日中に愛知県大村秀章知事・静岡県川勝平太知事とも会見を行っている[14][15]

韓国[編集]

日中韓首脳会談開催前の同年12月4日に韓国ソウルを訪問し、康京和外交部長官、翌5日に文在寅大統領と高度防衛ミサイル(THAAD)配備などについて会談を行った。

アメリカ合衆国[編集]

アメリカのジョン・フォーブズ・ケリー国務長官と(2014年6月30日)

2021年3月18日楊潔篪政治局員と共にアラスカ州アンカレッジで行われたハイレベル戦略対話に出席した。アントニー・ブリンケン国務長官ジェイク・サリバン国家安全保障問題担当大統領補佐官ジョー・バイデン政権発足後初の対話を行った[16](交渉内容については楊潔篪#2021年3月のブリンケン国務長官との会談の項を参照のこと)。

ターリバーン[編集]

ターリバン創設者のアブドゥル・ガニ・バラダル

2021年7月、アフガニスタンテロ組織ターリバーンの代表団が訪中し、王毅と会談。王毅と会談した組織創設者の1人であるアブドゥル・ガニ・バラダルは「中国はアフガン人民が信頼できる友人だ」と述べた[17]

また、ターリバーンとの関係を深め、テロ組織との決別を要求している[18]

太平洋島嶼国[編集]

2021年中国・太平洋島嶼国外相会議を立ち上げ、キリバスフィジートンガソロモン諸島サモアなど太平洋島嶼国との関係を強化した[19]

主な発言[編集]

  • 2004年12月16日「もしもそういうことがあれば理解できないし、受け入れることはできない」―日本政府が、台湾李登輝前総統への観光ビザ発給方針を固めたことに対して。
  • 2004年12月21日「トラブルメーカーが戦争メーカーになるかもしれない」―日本政府の李登輝前台湾総統への観光ビザ発給に関して。
  • 2005年4月27日「かつて政府の顔である首相官房長官外務大臣の3人は在任中に参拝しないという紳士協定があった」―1985年の中曽根康弘元首相の公式参拝後に取り交わされたと主張した。後に個人的な友人であった胡耀邦中国共産党総書記を窮地に追い込まないため(中曽根は「政争の具に使われないため」と表現したといわれる)、在任中は参拝しないことになったと明らかになる。中曽根自身は「大使の記憶違い」と否定している。
  • 2005年5月11日「戦後日本の平和主義は中国の教科書にも書いてあるし、中国人も知っている」―中国の歴史教科書に戦後の日本についてほとんど記述がないと指摘されて。
  • 2005年11月24日「中国の立場ですね、継続性のあるもので、変わっておりません。1985年、このことですね、A級戦犯が祀られていることが公になってから、われわれも反対の立場を貫いてきております」―「A級戦犯」合祀が公にされたのは1979年。1980年には訪中した中曽根元首相に人民解放軍副参謀総長・伍修権は日本はソ連に対抗するため軍事力を強化する必要があると強調し、軍事予算をGDP比1パーセントにとどめず2パーセントに倍増せよと要求している。1985年に初めて中国が靖国参拝に抗議する以前、日本の歴代首相は複数回靖国神社を公式参拝している。
  • 2005年11月24日「我々はいわゆるB級、C級戦犯ですね、全部釈放し、日本に帰らせたのです」―中国各地でBC級戦犯として拘束され、命を奪われた日本兵は171名にのぼる。
  • 2005年11月24日「反日教育はありません」
  • 2005年11月24日「もうすでに交渉を通じてお互いに認め合うラインではないのです」―東シナ海の日中中間線に関して。過去30年ほど国際司法裁判所における海洋上の境界線はすべて中間線を基本としている。中国のみが中間線を認めず、自国の大陸棚と主張し、国際法の禁ずる日本の排他的経済水域での資源調査を行っている。
  • 2005年11月3日「中国の軍事予算の審議・承認は全国人民代表大会に委ねられており、(軍事予算は)公開された透明なものだ」―防衛大学校で日中関係について講演した際に言及。
  • 2006年1月29日「それは本当に噂だ」―前年末から秘密裏に帰国し、帰国中に日中関係の冷え込みから対日政策の見直しについて問われて。外交筋では重病・更迭などが噂されていた。
  • 2006年8月3日「隣人の嫌がることを控えることが東洋人の伝統」―「第2回 東京-北京フォーラム」での全体会議の挨拶にて、安倍晋三内閣官房長官の同挨拶の直後の発言。8月15日の終戦の日の小泉純一郎首相の靖国神社への参拝を牽制。
  • 2008年6月23日「中国と台湾の平和統一は日本にとっても利益になる。こうした共通認識が日本国内でできていないことは残念だ」「日本側にはシーレーンや安全保障などの面で困るという判断があるかもしれないが、大局に立って見守ってほしい」―尖閣諸島沖で日本の巡視船と接触した台湾の遊漁船が沈没した事故に中台で対日抗議の世論が沸騰した後、訪中した日本の国会議員との北京市内で会談での発言[20]
  • 2015年2月23日、国際連合安全保障理事会の「国際平和と安全の維持」をテーマにした公開討論で議長を務め、「今年は反ファシズム戦争の勝利と国連創設から70周年」「中国は反ファシズムの戦いで多大な犠牲を出したが、重要な役割を果たし、安保理が世界の平和と安全を維持するという現在の国際関係を支配している基本原則が出来上がるのに歴史的な貢献をした」と主張した上で、安倍政権の日本を名指しこそしなかったが「こうした点を認めることを躊躇する国がある」「いまだに真実を認めたがらず、過去の侵略の犯罪をごまかそうとする者がいる」と述べた[21]
  • 2016年6月1日 カナダのステファン・ディオン外相との共同記者会見場において、「人権問題や南シナ海をめぐる懸念がある中、なぜ両国関係を強化するのか」とディオン外相へ尋ねた記者に対して、「あなたの質問は中国に対する偏見と傲慢さに満ちたものだ」「中国の人権状況を最も分かっているのは中国人だ。根拠の無い非難は拒否する」「中国の憲法に人権保護が書かれていることを知っているのか」などと、質問した記者を睨みつけて主張した[22]。カナダのジャスティン・トルドー首相は「報道の自由は極めて重要。厳しい質問をするのがメディアの仕事だ」と反論した。記者への不当な扱いについて、カナダ政府として王毅と駐カナダ中国大使に抗議した[23]
  • 2020年11月、来日中の王は日中外相会談後の共同記者会見にて、沖縄県の尖閣諸島をめぐり、中国の領有権を一方的に主張した[24]

日本との関係[編集]

安倍晋三と
  • 日本語が堪能な王は2007年の帰任の際には、「多くの日本の友人たちと別れるのがつらい」などと話していた[25]
  • 駐在時には日本人とゴルフに興じるのが大好きで、王大使には「ゴルフ大使」という異名があった[25]日本人から貰ったゴルフクラブをよく自慢していたと言う[1]
  • 趣味はテニス。大使時代には中国大使館の正門を入った右奥のテニスコートで、在京外交団などとよくテニスを楽しんだ[26]
  • 大使時代は、常に祖国の中国共産党中央の目を気にし、国営放送で、中華人民共和国国務院直属のテレビ局である中国中央電視台のカメラの前では反日姿勢をとってはいたが、彼ら本国の報道機関がいない場では和気藹々わきあいあいとしていたとされ、根は親日家として知られる[1]
  • 安倍晋三銃撃事件が発生した当日には、訪問先のインドネシアバリ島にて、日本経済新聞の取材に日本語で応じた。「私が(駐日)大使時代にお世話になった。日中関係の改善で協力できた」と話したほか、「いま(安倍は)どういう状態か」と日本人記者に問いかけ身を案じたり、「(安倍は)中国にも来てくれた」と振り返る場面もあった[27]

逸話[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 尖閣問題で“強硬発言”の王毅外相、根は「親日家」 過去に駐日大使、大学は日本語学科 | デイリー新潮
  2. ^ 共同通信 2008年6月3日「王毅氏が台湾弁公室主任に 中台関係改善で起用
  3. ^ 産経新聞 2008年5月31日「王毅前駐日大使を台湾担当に起用 中国“異例”人事 日本の接近牽制
  4. ^ “中台文化交流の一層の強化に向けフォーラム開催-湖南”. エキサイト. (2009年7月11日). http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20090711/Searchina_20090711007.html 2017年10月30日閲覧。 
  5. ^ “蒋孝严盛赞《建国大业》 称中共对历史评价客观”. 人民網. (2009年11月19日). http://politics.people.com.cn/GB/1026/10411314.html 2017年10月30日閲覧。 
  6. ^ 中共二十届一中全会公报-新华网”. www.news.cn. 2022年10月23日閲覧。
  7. ^ 中国の王毅外相、国務委員に昇格Reuters
  8. ^ “王毅部長「イラン核協議の最終合意に中国は独特な建設的役割を発揮」”. 人民網. (2015年7月15日). http://j.people.com.cn/n/2015/0715/c94474-8920903.html 2017年2月28日閲覧。 
  9. ^ “金正恩に会った王毅「中国は北朝鮮の経済・非核化・安保を全力支持」”. ハンギョレ. (2018年5月4日). http://japan.hani.co.kr/arti/international/30480.html 2018年5月5日閲覧。 
  10. ^ 日中外相会談
  11. ^ 第四回日中ハイレベル経済対話
  12. ^ “「第15回東京-北京フォーラム」の開催(2019年10月26、27日)”. 在中国日本大使館. (令和元年10月28日掲載). https://www.cn.emb-japan.go.jp/itpr_ja/00_000262.html 2019年12月28日閲覧。 
  13. ^ 王毅氏,東京で福田康夫元首相と会見、中華人民共和国駐日本国大使館、2019-11-24
  14. ^ 王毅外交部長、愛知県知事と会見中国国際放送局、2019-11-23掲載
  15. ^ 地方交流の重要性確認 川勝知事、中国王外相と会談静岡新聞、2019-11-25掲載
  16. ^ 楊潔篪氏と王毅氏、中国の立場表明 中米ハイレベル戦略対話”. 新華社 日本語版 (2021年3月19日). 2021年3月19日閲覧。
  17. ^ “「信頼できる友人」 タリバーン幹部が訪中、王氏と会談”. 朝日新聞. (2021年7月29日). https://www.asahi.com/articles/ASP7X76B4P7XUHBI021.html 2021年8月9日閲覧。 
  18. ^ “中国外相、タリバン幹部と会談 テロ組織との決別要請”. 日本経済新聞. (2021年10月26日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM26AF40W1A021C2000000/ 2021年10月28日閲覧。 
  19. ^ 第1回「中国太平洋等諸国外相会議」オンライン形式で開催=外交部”. CRJ Online (2021年10月22日). 2022年6月8日閲覧。
  20. ^ 産経新聞 2008年6月24日「台湾統一は「日本に利益」
  21. ^ 毎日新聞 2015年2月24日「安保理公開討論:中国外相「侵略ごまかそうとする者いる
  22. ^ 時事通信社 2016年6月1日「中国外相、カナダ人記者に激高=人権提起は「根拠なき非難」
  23. ^ 美根慶樹「中国・王毅外相の「強硬発言」は尋常ではない 権力中枢で深刻な緊張が続いている可能性」(東洋経済ONLINE 2016/06/08)
  24. ^ 中国外相、あきれた暴言連発 共同記者会見で「日本の漁船が尖閣に侵入」 石平氏「ナメられている。王氏に即刻帰国促すべき」 (1/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト
  25. ^ a b 王毅外相 ゴルフ大使から反日隊長に変貌した理由|日刊ゲンダイDIGITAL
  26. ^ 王毅・中国外相の「2面性」!駐日大使時代に明かした意外な本音とは?=透ける中国の「特殊事情」 (2016年8月25日) - エキサイトニュース(2/2)
  27. ^ 王毅外相、安倍氏の容体気遣う 「日中関係改善で協力」(2022年7月8日) - 日本経済新聞 電子版
  28. ^ 【日本の解き方】王毅外相の尖閣発言は挑発に乗った中国外交の失敗 習主席の来日問題先延ばしに好都合 (2/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト
  29. ^ 人間 安倍晋三 各国首脳の人物見抜く | 長谷川幸洋のニュース裏読み | 四国新聞社

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

中華人民共和国の旗 中華人民共和国
先代
武大偉
駐日特命全権大使
第9代:2004年9月26日 - 2007年9月24日
次代
崔天凱
先代
戴秉国
外交部筆頭副部長
2007年9月 - 2008年6月
次代
王光亜
先代
陳雲林
国務院台湾事務弁公室主任
2008年6月1日 - 2013年3月16日
次代
張志軍
先代
楊潔篪
外交部長
第11代:2013年3月16日 -
次代
在職
先代
楊潔篪
外交担当国務委員
2018年3月19日 -
次代
在職