鬱陵島

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鬱陵島
鬱陵島
定期航空機から臨む鬱陵島。
島の南西方向より撮影。
所在地 大韓民国の旗 韓国 慶尚北道 鬱陵郡
所在海域 日本海
座標 北緯37度30分0秒 東経130度52分0秒 / 北緯37.50000度 東経130.86667度 / 37.50000; 130.86667座標: 北緯37度30分0秒 東経130度52分0秒 / 北緯37.50000度 東経130.86667度 / 37.50000; 130.86667
面積 72.82 km²
最高標高 984 m
最高峰 聖人峯
Project.svgプロジェクト 地形
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鬱陵島
各種表記
ハングル 울릉도
漢字 鬱陵島
発音 ウルルンド
日本語読み: うつりょうとう
ローマ字転写: Ulleung-do
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鬱陵島の位置

鬱陵島(うつりょうとう、ウルルンド、韓国語: 울릉도)は、大韓民国慶尚北道鬱陵郡に属する日本海に浮かぶ直径10km程度の火山島である。

概要[編集]

朝鮮半島の竹辺から東に140km沖合いに位置する。この島の最高峰は聖人峯(ソンインボン、성인봉)で標高984m。人口は9128人(2020)[1]。面積は73.15㎢[2]で耕地面積は畑が12.4㎢、水田が0.5㎢、林野55.5㎢。

島全体が火山帯のため海岸の多くが絶壁(西南と東南の海岸は90mの崖)であり港湾開発は難しいが、2018年末に全長44.2kmの一周道路が開通(路面は一部工事中)した。島内のほとんどの道路は制限時速40kmでネスジョントンネル区間のみ時速60kmとなっている。 平地が少なく傾斜が激しい山道で積雪も多いため、ほとんどのタクシーがSUVである。また、駐車場が不足しており、いつでも動かせるように停車中でも車内にキーを置く習慣(車を持ち出せず盗難の恐れがないため)がある。 2019年の車両数は5840台で内243台が電気自動車となっている。鬱陵郡は電気自動車の購入に補助金1900万ウォン(うち国費900万)を支給しており、毎年100台分の予算を確保しつつ2029年までに自動車の20%を電気自動車とする計画である。[3]

韓国で最も嵐日数が多く、豪雪地帯である。代表的な植生は香木・白樺。ハマナス・島野菊など。 [4] 主島の他、観音島、竹嶼と複数の岩島でなる。

最近のニュース[編集]

 浦項〜鬱陵航路大型カーフェリー公募事業の混乱 [編集]

  • 2021/2/3 公募事業が度重なる遅延[5]

事業者公募が同年1月4日から25日まで行われ、鬱陵クルーズ(울릉크루즈는の企業情報2020年11月4日設立)とエッチ海運(www.hferry.co.kr 大亜高速海運の関連会社)の2社が申請した。同年2月、内一社であるエッチ海運の船舶(サンライズ済州号、1万5000t)が浦項地方海洋水産庁に申請不適格とされたのを不服として裁判所に「執行停止」を申請し受理され公募事業が停滞、選定作業も判決まで中断されている状況。

同社はサンライズ済州号(海運近代化ファンドで建造費半額が支援)を済州城山浦区間で運行していたが三ヶ月の欠航後に赤字を理由にそのまま運行停止しており2年以上継続の約束を履行していないなど、短期での航路変更やファンド目的から逸脱していることを理由として不適格とされた。

 定期大型客船の運行停止 [編集]

  • 2020/2 大型客船が引退し運航が中断[6]

大型客船サンフラワー号(2394トン、定員920人 大邸海運)が船齢25年になり定期運航が中断された。同年4月21日、代替客船選定までの5ヶ月間のみ小型船エルドラド号(668t、定員414人 大邸海運)による運行継続が決定されるが高い欠航率や小型船での恒常化を懸念して住民は反発[7]。 後継事業者の選定は進まず、独島海運の申請(2019年7月)は当局により施設不足で却下、鬱陵島海運の申請(2020年8月27日)も不適格として却下され混迷が続いている。

 ポスコICTがEV充電器22基 [編集]

韓国のポスコグループ傘下でITサービスを手掛けるポスコICTが26日、島内の8カ所に電気自動車(EV)用の急速充電器計22基の設置を終え本格的なサービスを開始。事業費は約20億ウォン(約2億1,000万円)。なお2011年12月には長崎県が五島列島のEV環境整備に際してポスコICTコンソーシアムとMOUを締結している。

 韓国電力とLG、エコエネルギー自立島を推進 [編集]

  • 2016/11/02

韓国産業通商資源省は2026年までにエネルギー自給自足の島にする計画。特別目的会社が韓国電力と向こう20年の電力契約を結んだ。

  • 2015/09/14 

韓国電力公社とLG CNSが共同で島のエネルギー開発造成を行うと発表した。ディーゼル発電に頼る島しょ地域を再生可能エネルギーで代替して、余剰電力を販売することで収益を生み出す狙い。2020年を目標とする。

産業[編集]

第一次産業(農業・漁業)が中心で、二次産業は非常に少ない。他、観光業が比較的発達している。[4] 住民は約1万人で、4割が漁業、2割が農業に従事している[要出典]。 近年はイカの不漁や自然災害、教育環境を理由に人口は減少傾向にある[4][8] [1]

産物[編集]

主な農作物は、ジャガイモ・トウモロコシ・野菜・豆・栗・かぼちゃ、畜産は韓牛(ハーブ牛、鬱陵薬牛〜ウルルンヤクソ)・ヤギなど、海産は海苔・わかめ・ムール貝・イカ・サンマ・スケトウダラ・フジツボなど。得にイカは東南アジアに輸出されるが漁獲高が減少[4]している。他野草として、シャク、ギョウジャニンニク(명이[9])、ゼンマイ、ヤマブキショウ、シラヤマギク、ゴマナ、ツルニンジンなどが特産[10]。 特に栽培ハーブとしてタケシマシシウド(別名竹島菜 セリ科の植物、韓国名섬바디)[11]は輸出もされている[4]

かぼちゃ飴[編集]

陸地のかぼちゃより果肉が厚く重い鬱陵島かぼちゃを30%用い、トウモロコシを蒸して袋に入れ絞ったものと、蒸したかぼちゃ、麦芽を入れて5時間煮る。蜜状になったらコーンスターチを加え粘度を調整し板状に成型し固める[12]

名称[編集]

江戸期の日本名は「竹島」または「磯竹島」、明治期1905年までは「松島」[13]。近代になって西洋においては「Dagelet」などと呼ばれていた。最大の付属島は島の北東に位置する竹嶼(島根県に属する竹島とは異なる)、他に観光地となっている観音島などがある。また、島全体が豪雪地帯となっている。

鬱陵島の衛星写真(上が北)

歴史[編集]

三国史記によると、鬱陵島は于山国として独立していたが、512年に朝鮮本土の国(新羅)に服属させられ、11世紀初頭には女真の侵攻によって滅びたと考えられている。やがて女真が滅びると朝鮮の支配下になるが、この島は朝鮮本土より遠隔地の海上にあり監察使が頻繁に来ることができないため、兵役や税を逃れる者が本土より多数移住していた。朝鮮王朝時代の記録によれば、晴れた日には鬱陵島が望洋亭や召公臺など、朝鮮半島の東岸部から見えるとの記載がある。

倭寇対策としての「空島」政策[編集]

13世紀から16世紀にかけて朝鮮本土や中国を荒らしまわっていた「倭寇」と呼ばれる海賊が鬱陵島を拠点に朝鮮本土を襲ったり、鬱陵島の島民までもが倭寇を装って(仮倭という[14])半島本土を襲うことがあったため、1417年李氏朝鮮太宗はこの対策として、同島の居住者に本土への移住を命じた。いわゆる「空島政策」の発令で、1881年まで460年以上に渡って無人島となった。

米子商人の鬱陵島拝領[編集]

江戸幕府から米子商人にあたえられた鬱陵島渡海許可証(1618年)
鳥取藩作成の『竹嶋之図』(1724年)  左が「竹島」(現、鬱陵島)、中央が「松島」(現、竹島)、右下が隠岐諸島
江戸時代の1618年~1697年、米子の商人が江戸幕府の許可の下、隠岐、現在の竹島(松島)を経由し、鬱陵島を開発していた。

1618年元和4年)5月16日、江戸幕府鳥取藩池田光政(松平新太郎)にあてて伯耆国米子(現、鳥取県 米子市)の商人、大谷・村川の両氏に対し、鬱陵島(当時、竹島)への渡海免許をあたえ、将軍家の家紋を打ち出した船印を立てることを許可した[15]。幕府はまた鬱陵島で林業や漁猟を行う許可も与えていた[16]。これは、両商人が鬱陵島の独占的経営を幕府公認でおこなっていたことを意味する[15]

竹島一件[編集]

上述のように、隠岐の漁師などが空島であった鬱陵島へおもむいて海産物や竹などを採取し、これを独占的に米子商人が取引することは幕府によって認められていた。このとき朝鮮本土より密漁に来ていた朝鮮人を見つけ日本へ連行し、幕府が李氏朝鮮に対し抗議した。自国領とみなす朝鮮がこれに反発。日朝間で長期間論争が続いたが、1697年元禄10年)1月、江戸幕府の5代将軍徳川綱吉は、日本人の鬱陵島への出漁を禁じる措置をとり、その旨を李氏朝鮮に伝えた。こうして、日本の漁師たちが幕府の許可を得て鬱陵島に渡航することはなくなった。

春官志の記録[編集]

1745年(英祖21年)に成稿した李孟休の『春官志』には、「蓋しこの島、その竹を産するを以ての故に竹島と謂い。三峯ありてか三峯島と謂う。于山、羽陵、蔚陵、武陵、磯竹島に至りては、皆、音号転訛して然るなり」とあり、古くは竹島・三峯島・于山・羽陵・蔚陵・武陵・磯竹島などとも呼ばれ、竹を産していたことが分かる。

ヨーロッパ人による「発見」[編集]

1787年フランスの探検家ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガローが鬱陵島に到着して、これを「ダジュレー(Dagelet)島」と名付けた[17]1789年にはイギリスの探検家ジェイムズ・コルネット英語版対馬海峡から日本海に入り、その後、北上して鬱陵島を「発見」したが、彼はこの島を「アルゴノート(Argonaut)島」と命名した[17]。しかし、ラ・ペルーズとコルネットが測定した鬱陵島の経緯度には測量ミスにともなうズレがあったため、その後、ヨーロッパで作成された地図には、同じ鬱陵島がそれぞれ別の2島であるかのように記載されることとなった[17][注釈 1]

1840年頃から、西洋や日本では島名の混乱により鬱陵島を「ダジュレー島/松島」と呼んでいた[18]。(竹島外一島を参照)。

Stieler's Hand Atlas(ドイツ)による1872年発行の地図の「松島」「リアンクール岩礁」部分の切り抜き

近代[編集]

李氏朝鮮は長期間鬱陵島に対し無人政策をとっていたが渡島するものが後をたたなかった。日本人も同様で1882年から1898年には既に居住して伐木に従事する日本人が多くあった。[19]

空島政策の終了と日本人の帰国[編集]

  • 1879年頃、京都の寺院建築のために、東京の大倉組(大倉喜八郎)が槻(ケヤキ)を伐採。
  • 1881年、鬱陵島捜討により、日本人7名による伐木が確認される。[20]
    • 同年、朝鮮政府は日本政府に対し「鬱陵島渡海禁止」を要求[21]
  • 1882年6月、国王高宗は鬱陵島検察使・李奎遠にこの島の調査を指示し空島政策を廃止した。[20]
  • 1883年、日本政府はこの要求を受け入れて日本人に強制帰国を命じた。[21][注釈 2]
    • 同年10月14日、越後丸にて日本人255人(復命書の県別人数に一致せず)が帰国。このとき、在住朝鮮人は60名で帰国を惜しみ見送る者もいた。[22]

定住へ[編集]

朝鮮人は主に農業を営み、日本人は製材業や漁業を営んだ。定期的に入港する和船で米などが輸入され島で収穫した大豆との物々交換を通じて[23]両者は交易した。

  • 1881年、江原道から朝鮮人 4 名(裴季周(はいきしゅう)、金大木、卜敬云、田士日)が渡島し農耕を営む。[24]
  • 1883年4月、朝鮮人の入居を開始する[20]。第一陣は30余名であった[24]

日本の朝鮮本土進出に伴い、日本人の渡島が再開される。

  • 1892年、隠岐から日本人の脇田庄太郎が渡航し、製材のため仮小屋を構え定住する。[23]
  • 1895年、裴季周が鬱陵島の島監に任命される。

ロシアへの伐木特許[編集]

  • 1896年8月28日、帝政ロシアは朝鮮政府とのあいだに「露人ブリーネル茂山及鬱陵島山林伐採並植付に関する約定書」を結び、鬱陵島の森林伐採と植栽に関する特許をユーリ・イワノヴィチ・ブリーネルロシア語版が設立した「朝鮮木商会社」に与えた[25]
  • 1898年10月中に、その特許がロシア枢密顧問官アポロジェフに譲渡されていた(1899年8月に在韓公使が確認し外務省に報告)。
  • 1899年6月、ロシアは学者と兵士を鬱陵島に派遣し日本人が伐木に従事しているのを発見し、8/7日本政府に抗議した[26]
    • 同年8月11日、在韓公使は鉄道枕木用としてロシアが得た伐木特許について、鬱陵島の白檀など全ての良材に対しても適用されるのは承知できないとして朝鮮政府に問いただした。[27]
    • 同年8月27日、日本外務省は伐木の禁止・退去を命じる為、軍艦摩耶を鬱陵島に派遣するが悪天候により断念、勧告含め海軍省に全て委任することを検討[27]
    • 同年8月30日、外務省より島根県、鳥取県両知事に対して欝陵島での伐木を禁止し取締るよう通達。また退去勧告は軍でなく外務官吏を特派することを通達。
    • 同年9月25日、軍艦摩耶により欝陵島視察。同地組長と称する島根県人天野源蔵と1名に聴取。艦長による報告書によれば、朝鮮人戸数は500人で人口約2,000人、日本人は約100名で5〜6月までは150名といい季節により変動があったことがわかる。その他村落の位置や名前、戸数が記録されている[27]。朝鮮人は農業を主として漁業を営むものは少数であった。島の監督は朝鮮半島から巡視役として派遣されており、前任者は島民の恨みをかい殴殺されたという。船の往来は朝鮮船が竹辺付近より時折くるのみで定期船はなく、一方で日本人は和船を使って多い時で年に三回往復(大抵は三月、五月、九月に出航)していた。日本人の主な職業は木材の輸出で松と槻(けやき)のみで、朝鮮人が焼畑のため伐木を焼却していたのを説得して伐木に着手したのが始まり。監督に税をおさめており、また多少の雑貨や米の取引により朝鮮人に喜ばれていた。
    • 同年10月4日、日本政府の11月30日を期限とする欝陵島からの退去命令に関して、通行不便なため退去もその確認も難しいことを在韓領事は吐露している。
    • 実際に1905年頃までに朝鮮人の戸数は4〜5百を数えるまでに増えており、以前として日本人も300戸程度居住していたことから、強制退去の実効性は不確実なものだった。[28]
    • また同年11月8日、今回の強制退去は伐木を禁止させるのが目的であり、これを前例として韓国政府が在韓邦人のみに対して強制退去を命じることがあれば公平ではなく相互の条約に基づく義務を要求するよう在韓領事は外務大臣に上申している。[27]

日本人在留者による共同体の結成[編集]

  • 1897年4月、日商組合会を組織する。[29]
  • 1901年7月、人口増加により不安定になった治安維持のために「日商組合規則」を制定し取締り。[29]
  • 1901年1月、日商組合会内の内部対立事件が発生し、日本政府は同年4月に釜山居留地警察署から警部以下巡査 3 名を派遣し、警察官駐在所を設置した。[29]
  • 1902年5月末、79戸548人(うち男422人)の日本人が在留。[30]
  • 1902年6月、外務省の釜山理事庁の認可のもと日本人による自治の共同体結成。「日商組合規則」のもと鬱陵島島司をリーダーに島内にて集団生活。[31]
  • 1907年末、日商組合会は廃止して日本人会(会員450名)が結成された。[32]

日露戦争を経て日本領へ[編集]

現在[編集]

1952年に発効したサンフランシスコ平和条約により、日本は済州島巨文島とともに鬱陵島の領有を放棄した(なお、竹島の領有権についてはこの条約に直接明記されていない)。同条約で日本政府は朝鮮の独立を認めたため、以降、日本政府は鬱陵島は朝鮮に帰属するものとして扱った。

当初は鬱陵島民の生業は農業が主体であったが、現在は漁業の島になっている。また注目されていなかったことが却って自然保護に繋がりエコツーリズムも盛んとなっている。

2021年、(スキューバダイビングなどのレジャー活動を装い)非漁業者による密猟が深刻化しており、第1四半期だけで32件38人(前年度は計75件)が摘発された。主にタコ、ホヤ、ナマコ、アワビが採取され、更には養殖場の水産物も窃盗されており取締りを強化している[34]

交通[編集]

大韓民国 慶尚北道 浦項市から約217km、船で3時間かかる。他に江原道東海市墨湖からも定期船航路がある。

水陸両用機により、浦項空港などから航空機を就航させる計画がある[35][36]

鬱陵島の気候[編集]

鬱陵島の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 14.9
(58.8)
19.2
(66.6)
21.8
(71.2)
26.1
(79)
29.4
(84.9)
32.2
(90)
34.6
(94.3)
34.6
(94.3)
32.4
(90.3)
27.2
(81)
23.2
(73.8)
17.9
(64.2)
34.6
(94.3)
平均最高気温 °C°F 4.3
(39.7)
5.3
(41.5)
9.1
(48.4)
15.1
(59.2)
19.3
(66.7)
22.2
(72)
25.2
(77.4)
26.7
(80.1)
23.1
(73.6)
18.8
(65.8)
13.1
(55.6)
7.5
(45.5)
15.8
(60.4)
日平均気温 °C°F 1.4
(34.5)
2.2
(36)
5.4
(41.7)
11.1
(52)
15.5
(59.9)
18.8
(65.8)
22.3
(72.1)
23.6
(74.5)
19.8
(67.6)
15.3
(59.5)
9.7
(49.5)
4.4
(39.9)
12.4
(54.3)
平均最低気温 °C°F −0.8
(30.6)
−0.2
(31.6)
2.5
(36.5)
7.7
(45.9)
12.1
(53.8)
16.0
(60.8)
20.0
(68)
21.4
(70.5)
17.4
(63.3)
12.6
(54.7)
7.1
(44.8)
2.0
(35.6)
9.8
(49.6)
最低気温記録 °C°F −11.6
(11.1)
−13.6
(7.5)
−9.9
(14.2)
−2.7
(27.1)
3.8
(38.8)
7.0
(44.6)
12.5
(54.5)
14.7
(58.5)
8.9
(48)
0.7
(33.3)
−5.9
(21.4)
−9.6
(14.7)
−13.6
(7.5)
降水量 mm (inch) 116.2
(4.575)
78.1
(3.075)
72.2
(2.843)
81.3
(3.201)
105.1
(4.138)
115.3
(4.539)
170.2
(6.701)
167.9
(6.61)
170.7
(6.72)
83.9
(3.303)
105.5
(4.154)
117.1
(4.61)
1,383.4
(54.465)
平均降水日数 (≥0.1 mm) 18 14 11 8 8 9 12 11 9 9 12 16 137
湿度 70.1 69.6 69.8 69.2 72.1 80.4 85.9 85.0 80.3 72.5 68.6 68.5 74.3
平均月間日照時間 90.4 104.1 167.2 212.0 227.3 175.0 150.7 163.3 158.7 176.8 130.0 100.6 1,856.1
出典:기상청. 평년값자료 30년 (1981−2010)、 최고기온기록、최저기온기록

噴火活動[編集]

鬱陵島東北部の放射状節理

今から約10,300年前に鬱陵島は大規模な噴火を起こしたことが明らかになっている[37]。このときの噴火の火山灰は鬱陵島から東南東方向に長軸を持ち、日本海本州における広域テフラの一つ(鬱陵隠岐 (U-Oki))として年代測定の材料の一つとして使われている[38]。最新の噴火は約5,000年前で、この時にアルボン溶岩ドームを形成した[39]

鬱陵空港(울릉공항)建設計画[編集]

鬱陵島では、滑走路長1200メートルの空港2025年に開港する予定で建設する計画が立てられている(鬱陵空港朝鮮語版)。建設期間は5年、建設費は6400億ウォンとみている。

経緯[編集]

1970年に朴正煕大統領が最初に空港の妥当性の調査をしていた。

2010年12月20日、KDI(Korea Development Institute 韓国開発研究院)は鬱陵島の空港の経済性がない(B / C 0.77、AHP0.43)という結論を下した[40]。鬱陵郡守はこれに対して異議を唱えた。

2011年1月5日、国土海洋部は、第4次空港開発中長期総合計画(2011年 - 2015年)を策定し、官報に告示。ここに鬱陵島空港の建設が含まれていた。ボンバルディア社製Q300モデルやATR社のATR42など、50人乗り旅客機が運航できるとみている。2030年になれば、年間100万人程度の航空需要で、経済性は十分だと予測した[41]。2012年、予備妥当性調査を再度実施したが経済性分析(通常1.0以上で妥当)は6月にB / C 0.38、10月にB / C 0.70とされ、実現が遠のいた。[40]

2013年7月8日、鬱陵空港建設事業が企画財務部の予備妥当性調査(B / C 1.19、AHP 0.655)を通過[42]。B / Cを中国人による観光の増大が、AHPを日本との領有権紛争がそれぞれ押し上げた形。[43][44]

2015年11月24日、2021年の開港を目指し第一期工事(2182億ウォン)の入札が公告された[45]。第二期工事は2869億ウォンの予定(総予算5805億ウォン)だったが1度目の入札過程でポスコエンジニアリングによる地質調査が不十分で追加事業費が最低600億必要と判明しポスコ建設、大林(テムリン)産業など入札参加企業が相次いで辞退した[46]。5月30日に再公告したが、滑走路建設の埋め立て岩石(島内至近のもの)の強度不足が明らかで追加工事費(岩石の採取と運搬など)が600~800億ウォンと予想され、期限である6月14日までに事前資格審査申請する企業が一つもなく入札が撤回された[47][48]

2017年11月15日、釜山地方航空庁は、他の場所の岩石を埋立に使うコストを避けコンクリート構造物を使用する方式を適用[49]

2019年5月1日、2025年の開港を目指し、政府は発注依頼計画を公示、事業費6633億ウォンに増額し策定。 同年12月、大林(テムリン)産業コンソーシアムが選定され基本設計技術提案と実施設計へ。

2020年7月、大林(テムリン)産業コンソーシアムとの契約が締結され同年11月27日着工。総事業費は6651億ウォン。[50]

領有権争いのある竹島との関わり[編集]

鬱陵島から東南東へ約90kmのところには、日韓で領土問題となっている竹島(韓国名:独島)がある。現在、韓国がこの島を自国領であるとして、鬱陵郡に属する形で実効支配しているが、これに対して日本は「不法占拠」として抗議している。

竹島へは2005年3月28日より、鬱陵島の道洞港から大亜高速海運によって毎日観光船が運航され、日本人を含め外国人も乗船できる。竹島では、観光客は韓国が建設したコンクリート製の埠頭には上陸できるが、領土である岩には韓国人であっても足を踏み入れられない。

2005年6月1日、鬱陵郡は、旅客船会社が入島定員(1日140名)を守らなかったとして独島の出入を無期限中断させた。同年3月24日から竹島への出入が許可制から申告制に変わり旅客線会社(独島観光海運と大亜高速海運)が事実(1回に70人まで、毎日140人まで)を通知することになっていた。秩序維持と独島保護のための出入中断までに郡の集計では5954人が島に上陸したという。[51]

竹島への船の発着場でもある道洞の港や船には、独島が韓国領であることをアピールする巨大な看板などが並び、「独島」を冠した店名の食堂や土産物店などが林立している。道洞港から徒歩約15分の道洞薬水公園内には独島博物館があり、ここよりケーブルカーで登った展望台(標高317m)からは、晴天で空気が澄んでいれば、双眼鏡で竹島をかすかに望むことができる。この独島博物館は竹島の韓国領有をアピールするための博物館で、韓国の財閥 サムスングループの会長が国に寄付し、鬱陵郡が運営している。

竹島は鬱陵島の標高約200m以下では水平線の下に隠れるため海岸付近からは見ることはできないが、晴天で空気が澄んでいるときに高い山の中腹まで登れば、肉眼でもかすかに見ることができる(但し、肉眼で確認できるチャンスは年間に数日と言われている)。竹島(独島)を肉眼で見ることができるので「古来より朝鮮人が日本人より先に独島を発見していた」として、韓国側の竹島領有の根拠の一つとしている。

1964年には、江戸時代に発生した竹島一件の原因となった漁民安龍福を顕彰する「安龍福将軍忠魂碑」が鬱陵島に建立される[52](安龍福は将軍ではないが韓国では将軍と呼称されることが多い。また、現在の竹島を安龍福がはっきり認知していた証拠もない)。

また、独島博物館の入口近くには「対馬島本是我國之地(対馬は我が国の地)」と刻まれた石碑が立てられるなど、韓国人観光客が多く訪れる道洞港周辺は韓国人の一大愛国教育基地という様相を呈している。

2011年8月1日自民党国会議員である新藤義孝稲田朋美佐藤正久が鬱陵島の独島博物館などを視察するため韓国に向かったが、金浦空港で入国拒否され日本に引き返した[53]。その前日の7月31日には、3人と合流する予定だった下條正男拓殖大教授も仁川空港で入国拒否された[54]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 長崎オランダ商館医であったフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト1840年、ヨーロッパにおいて『日本図』を刊行したが、彼は前もって隠岐島と朝鮮半島の間には西から「竹島」(現在の鬱陵島)、「松島」(現在の竹島)の2島があることを知っていた。その一方、ヨーロッパの地図からは、西から「アルゴノート島」「ダジュレー島」という2つの名称の島が並んでいる知見を得たため、彼の地図では「アルゴノート島」が「タカシマ」、「ダジュレー島」が「マツシマ」として記載し、それにより、従来「竹島」又は「磯竹島」と呼称されてきた鬱陵島が「松島」とも呼ばれる混乱が生じた[17]
  2. ^ 1900年大韓帝国高宗勅令をもって鬱陵島を江原道鬱島郡に昇格させ、鬱陵島の領土画定を宣言した[21]。日本政府もこれを認めた。

出典[編集]

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  2. ^ 울릉도”. 디지털울릉문화대전. 2021-0402閲覧。
  3. ^ 電気自動車で挑戦した「鬱陵島一周」後編”. KBチャチャチャCar&Life自動車の話. 2021年4月6日閲覧。
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  6. ^ 大型客船運行早く結論をオーマイニュース 2020.9.11
  7. ^ エルドラド号運航反発デモ慶北日報 2020.4.22
  8. ^ 「2009年12月31日現在、人口は1万398人(男:5449人、世帯数4848)」 울릉도(Ulleungdo)”. 디지털울릉문화대전(Digital Ulleung Culture Exhibition). 2021-0402閲覧。
  9. ^ 「食糧事情に乏しかった島で命をつないだ山菜として「人(명이나물)」と名付けられている」 명이”. ULLEUNG-GUN. 2021-0402閲覧。
  10. ^ 산과 바다에서 찾아낸 울릉도 먹거리(Ulleungdo food found in the mountains and sea)”. 디지털울릉문화대전(Digital Ulleung Culture Exhibition). 2021-0402閲覧。
  11. ^ Dystaenia takeshimana (Nakai) Kitag.”. Plants of the World Online. 2021-0402閲覧。
  12. ^ 호박(pumpkin)”. 디지털울릉문화대전(Digital Ulleung Culture Exhibition). 2021-0402閲覧。
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  14. ^ 下條正男 『竹島は日韓どちらのものか』 文藝春秋〈文春新書〉、2004年
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  17. ^ a b c d 外務省「竹島問題の概要」
  18. ^ Stieler's Hand Atlas1872 1872年当時の地図
  19. ^ 「明治十五六年の交本邦人の伐木に従事するものあり(略)居住して伐木を営むもの多かりし」 田淵友彦 『韓国新地理』 博文館〈帝国百科全書〉、1905年9月。doi:10.11501/766843https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766843/164 
  20. ^ a b c 송병기『재정판 울릉도와 독도』단국대학교출판부、2007 년、135 쪽[宋炳基『再訂版 欝陵島と 独島』東国大学校出版部、2007 年
  21. ^ a b c 『日本人が知っておくべき竹島・尖閣の真相』(2012)pp.39-48
  22. ^ 桧垣直枝『蔚陵島出張復命書』
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  30. ^ 『官報』 大蔵省印刷局、1902年12月11日。doi:10.11501/2949136https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2949136/8 
  31. ^ 『鬱陵島友会報』について”. 島根県. 2021年4月6日閲覧。
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  33. ^ 施政二十五年史 年表P.1 朝鮮総督府 1935年9月27日
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  44. ^ 「中国の観光客はもちろん、世界の人々の足が続き、世界的な観光地として急浮上、、、大韓民国の領土主権をさらに強固に」鬱陵空港建設事業「青信号」newsis 2013/7/8(朝鮮語)
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  46. ^ 鬱陵空港建設事前の地質調査がおかしいカカオニュース 2016/5/19(朝鮮語)
  47. ^ 울릉공항 공사 또 유찰…'2020년 개항' 차질 불가피2016/6/15(朝鮮語)
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  49. ^ 鬱陵空港建設再び飛び立つNAVERニュース2017/10/20(朝鮮語)
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  51. ^ 独島出入、無期限中断へ 中央日報 2005.06.01
  52. ^ 下條正男 『竹島は日韓どちらのものか』 文藝春秋〈文春新書〉、2004年,21頁
  53. ^ 韓国、自民3議員の入国拒否 ロイター 2011年8月1日
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関連項目[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]