正論 (雑誌)

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正論
the Seiron
刊行頻度 月刊
発売国 日本の旗 日本
言語 日本語
出版社 産業経済新聞社
編集長 小島新一
刊行期間 1973年11月 - 現在
ウェブサイト http://seiron-sankei.com/

正論』(せいろん)は、産業経済新聞社が発行している月刊誌1973年11月創刊。発行部数は月に8万部強(2006年9月2007年8月の平均値)。また産経新聞でも同名のオピニオン欄が連載されている。現在の編集長は小島新一

沿革[編集]

第二次世界大戦後の日本が荒廃から立ち直り、高度経済成長で変貌をとげていくなかで、対外的には冷戦イデオロギーの対立、国内的には、学園紛争や、進歩的文化人という左派勢力全盛の時代が到来した[1]。このことに対して、日本の財界でも右派のグループ、また保守勢力は強い危機感をもつようになった。

1968年フジテレビジョンから水野成夫の後を継いで産業経済新聞社社長に就任した鹿内信隆は、就任と同時に政府・財界人の利益や保守系の主張を代弁する立場を濃厚にして、広告主向けの説明会で「新聞が本当に不偏不党の立場でまかり通るような安泰なものになっているでしょうか?」「敢然と守ろう『自由』、警戒せよ、左翼的商業主義!」と檄を飛ばし、持論でもあった「反共路線による自由社会の保守と日米同盟(=日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約の体制)強化」という反共主義親米保守の成果として「正論」路線を提唱し、1973年には『サンケイ新聞』(現・産経新聞)紙上に「正論」欄を新設した(6月25日付朝刊。第1回は猪木正道の『悪玉論に頼る急進主義』)[2]

1973年11月、サンケイ出版(現・扶桑社)から本誌を創刊。発刊当時に鹿内は、「正論時代の幕開け」という論題で「いままでは右手に朝日ジャーナルでしたが、そのうち、右手に正論という時代が到来するでしょう」などと発言している。当初は産経新聞紙上の正論欄に掲載された記事・論文を一括整理などして縮刷版のような体裁で発行していたが、その後、正式なオピニオン雑誌としてを立ち上げるためにいわゆる右派・保守の研究者や言論人等に執筆を依頼した。冷戦期ソ連脅威論を提唱して日米同盟の強化や、独自の軍備・改憲論などを提唱をしていたが、冷戦崩壊後は改憲論・反共論の他にも、日教組教育への批判として自前で新しい歴史教科書などにみられる独自の歴史教科書・公民教科書などを執筆・作成する動きを肯定的に詳報していることでも知られるようになった。

1990年2月より長期に渡り編集長を務めた大島信三時代に部数を伸ばした。本誌編集部を取材した『アド広報インテリンジェンス』を含め、右派雑誌の代表のようなイメージへの言及は多いが、大島は「(創刊時に比べて)時代状況は変わったかもしれませんが、急に愛国心を訴えたりもしない。ナショナリズムを声高に叫びたくもないですね」と述べた。また、世間が右傾化しているために部数が伸びているのではないかという質問に対して大島は「そうであるならば保守系の雑誌はもっと部数を伸ばしてもいいはずです。あまりイデオロギー的な時代状況は考えたことはありません」と回答している。また、大島はナショナリズムへの距離を置くために副島隆彦福田和也などにも原稿を依頼した事例を挙げている[1]

2006年1月より、上島嘉郎が編集長に就任(その後、「正論」本体の編集長も兼任)。「別冊正論」を季刊で扶桑社から発行。東アジア情勢や近現代史に関して掘り下げた内容(要は大東亜戦争肯定論)となっている。

掲載記事[編集]

復古主義大日本帝国大東亜戦争肯定。)、保守主義反共主義を基本とし、日米同盟を重視(親米)しており、保守系の政治家や人物、保守政党を支持している。一方、左派のメディアや人物に対する批判が多く、メディアでは特に朝日新聞[3]NHK[4]などの批判が多い。外交面では、歴史問題、領土問題拉致問題などの政治問題、外交問題を抱える、中国韓国北朝鮮ロシアなどの諸国家についての批判(20世紀中はソ連脅威論、21世紀に入ってからはこれが消えて代わりに中国脅威論)が多い。さらに、人権擁護法案や、反原発[5]や、個人の自由だけを尊重するとして個人主義や、「日本の伝統文化に合わない」として男女同質主義や性差を無視したジェンダーフリーについても批判的である。[6]臨時増刊号や特別号ではこれらについての特集が組まれることも多い[7]

執筆者は概ね産経新聞のコラムや正論欄と同様の論調であり、産経本紙の正論欄の寄稿者や記者も加わっている。

『広報IRインテリジェンス』2007年4月号によれば、編集長であった大島は編集のポイントとして「大いなるマンネリズム」を掲げ「いまどきオードリー・ヘップバーンを表紙に使っている雑誌はうちしかない。だからこそ読者は書店でもうちの雑誌をすぐ見つけられる。内容も読者が目をつぶって開いても大体分かるようにしてある。勿論いい内容の論考を掲載することが前提であることは言うまでもありません」と述べたと言う[8]

編集体制[編集]

『アド広報インテリンジェンス』によれば、編集部は編集長の他はスタッフ3名のみだが、上部組織として正論調査室がバックアップしている。編集会議は月末に販売、広告、宣伝担当を加えて定期開催、企画に関しては随時検討を行っている。ライターに対しては「大上段に正論を振りかざす論調ではなく、読者に分かりやすく書いてほしい」と頼んでいると言う。カラーページが2000年代後半に至っても毎号2ページしかなかったが、経費節減のためだという[1]

経営[編集]

売上面では長らく先発の保守オピニオン月刊誌「諸君!」(文藝春秋社)の後塵を拝していたが、冷戦の崩壊による左翼的論調の停滞・衰退や1996年に結成された新しい歴史教科書をつくる会に積極的に関わった1990年代に部数を伸ばし、「諸君!」とともに保守論壇の中核的月刊誌としての地位を占めるに至った。のち「諸君!」が2009年で休刊したことに伴い、中心的存在にある。具体的な数字としては大島が編集長に就任した1990年には2,3万部程度だったものが、2000年代には10万部を超えるまでに成長した[8]

また、部数伸張の一因として大島は読者投稿欄を充実させたことを挙げている。本誌の場合は毎号50ページ程度を割いており、大島は「今は誰もが世の中に何かを訴えたい、自分の思いをぶつけたいという欲求がある」と述べている[1]。その他、大島は「宣伝費は増やさず、口コミで読者が増える作戦を展開」など寄しくも噂の真相と似た手法を回答している[1]

現在の連載[編集]

主な執筆者[編集]

など(50音順、インタビュー含む)。

過去の執筆者[編集]

物故したため担当連載が打ち切りになった。(肩書きは終了時点のもの)

エピソード[編集]

  • 2003年5月号では西村博之へのインタビューにおいて、小泉訪朝の際に2ちゃんねるを席巻した「チョンを殺せ」の多数の書き込みに“関東大震災の際のデマを思い起こし、閉鎖も考えた”という西村に対し、聞き手の記者が“反北朝鮮国益では”と「愛国無罪」論を展開した。
  • 2005年4月号に、高麗大学名誉教授の韓昇助が「共産主義・左派思想に根差す親日派断罪の愚 韓日合併を再評価せよ」と題し、韓日併合は韓国人にとって祝福であり感謝するべきだという主張を寄稿したところ韓国マスコミなどの批判を受け、出版の5日後には辞職に追いやられ、今後すべての対外活動を慎むとの声明を出した(韓国側から見れば、これは売国奴の言説である)。
  • 小林よしのりとはかつては懇意で度々寄稿していたが、2001年台湾を巡る認識に端を発し、産業経済新聞社と小林はアメリカ同時多発テロ事件後の親米反米、「親小泉」・「反小泉」を巡り対立するようになる。しかし、2007年に入ると本誌でも小林の論文が再び見られるようになった。なお上島は、以前小林の編集者を務めていた経緯がある。
  • 2011年6月には、その編集方針の移り変わりを追った『「諸君!」「正論」の研究 ―保守言論はどう変容してきたか』が上丸洋一により著されている。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 「直撃! 編集部「正論」読者層が広がった右寄り評価の高いオピニオン月刊誌」『アド広報インテリンジェンス』2002年1月P8-9
  2. ^ 正論って何? Web正論
  3. ^ 月刊正論2014年11月号
  4. ^ 別冊正論20号
  5. ^ 正論 臨時増刊 - 「脱原発」で大丈夫?
  6. ^ バックナンバー Web「正論」
  7. ^ 臨時·別冊正論一覧 Web「正論」
  8. ^ a b 「ニュース足報 雑誌のリニューアルはなぜ失敗するのか」『広報IRインテリジェンス』2007年4月P18

関連項目[編集]

フジテレビジョンの番組でテレビ版『正論』。保守系論客の出演が多く、本誌の寄稿者もいる。
ニッポン放送の番組でラジオ版『正論』。2009年開始。正論執筆者が毎月交代で出演している。

外部リンク[編集]