中村粲

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中村 粲
人物情報
生誕 (1934-04-24) 1934年4月24日
日本の旗 日本東京都
死没 2010年6月23日(2010-06-23)(76歳)
出身校 東京大学
学問
研究分野 英文学
研究機関 獨協大学
学位 文学士
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中村 粲(なかむら あきら、1934年4月24日 - 2010年6月23日)は、日本の英文学者、近代史研究家、元獨協大学名誉教授。

経歴[編集]

1934年、東京都生まれ。海軍主計少佐の父・春男の下に生まれる[1]鎌倉市立御成小学校[1]栄光学園中学校・高等学校卒業[1]。1959年、東京大学文学部英文学科を卒業。

都立高校教員を経て、1964年より獨協大学に勤務する。所属は外国語学部英語学科。専任講師助教授(1971年)を経て1987年より教授。1991年からは英語学科長を務めた。2005年3月に定年退職し、名誉教授となった[1]2010年6月23日、肺癌のため死去[2]。76歳没。

なお、「昭和史研究所」「NHK報道を考へる会」は、中村の死去により同年末解散した。2011年4月、小山和伸が引継ぎ、一般社団法人「メディア報道研究政策センター」として再出発した。

受賞・栄典[編集]

  • 1995年:第43回菊池寛賞を受賞。『東京裁判却下未提出辯護側資料』(東京裁判資料刊行會編、全8巻)を共同編集し刊行したことによる[3]

昭和史に関する言論活動[編集]

論争歴[編集]

  • 1986年日韓併合問題をめぐり、日本側と韓国側から2人ずつ出席しての論争が企画され、日本側からは中村と村尾次郎、韓国側からは愼鏞廈ソウル大学校教授、社会学)、姜徳相が選出され、対談した。中村の発言に激怒した愼は、対談の途中で席を蹴飛ばして退席する(この論争は日本の『文藝春秋』1986年12月号、韓国の『新東亜』という雑誌に同時掲載された)。中村の歴史問題における初論争であった。
  • 1990年、雑誌『諸君!』に連載した「大東亜戦争への道」を秦郁彦に批判され、論争を行なう。中村は、いわゆる「旅順口事件」が発生したといわれる日に乃木希典の軍隊は旅順に入っていない、秦の論文の日付も誤りであると主張。また虐殺の責任は乃木にはないと主張した。(「諸君!」1989年11月号、1990年2〜4月号、「自由」同年6月号、10月号、12月号。うち、秦論文は秦著『現代史の争点』文藝春秋社に収録)
  • 1995年、「支那事変」などをテーマにICU学園祭で石島紀之と論争。
  • 1996年東京大学総長や参議院議員を務めた林健太郎から名指しで自身の歴史観の批判を受け、反論文で応える。林は応答しなかったが、翌年、また中村らを名指しで批判し、中村は反論を執筆、両者の論争が繰り返され、応酬は足掛け3年、往復8回に及んだ。林健太郎の生涯最後の論争は、小堀桂一郎との論争とされたが、中村との論争が最後である。この論争は、『別冊正論 Extra.04』』(ISBN 459460465X)に収録されている。
  • 1998年、「南京を考える」シンポジウムを開催したが、壇上で藤岡信勝から自説を批判された。後に雑誌『正論』誌上で藤岡と論争(1999年3月号、5月号)。近年、保守論壇およびその支持者の間では東中野修道らの南京事件虐殺ゼロ説が勢いがあるが、中村は戦時国際法を独自に検討、研究し、日本軍による不法殺害は遺憾ながら少数あったという説を展開している(前述の如く、「南京事件の数的研究」という英語論文を、昭和史研究所ホームページダウンロードできる)。
  • 2001年テレビ朝日朝まで生テレビ!』に出演、大東亜戦争肯定論の立場から[要出典]発言する。この模様は『日本はなぜ負ける戦争をしたのか。―朝まで生テレビ!』(ISBN 4756138594)という書籍になっている[4]

エピソード[編集]

  • 大学時代、左翼学生主催の集会に参加、彼らと異なる意見を堂々と主張し、票決をとらせ、自身の意見に多くの学生からの票が入る。これが中村の思想闘争の嚆矢である[5]
  • 1994年、オピニオン誌『週刊金曜日』に「絶対無私の大御心を信じて」と題する文章を寄稿したことがある[要出典]
  • 1995年、戦後50年の国会謝罪決議に反対し、反対集会を開き、デモを行なう。参加者4千名ほどの規模であったが、NHKは報道しなかった[6]
  • 同年、NHKへの抗議集会を計画した際、何者かから「中村!貴様を殺害する」という文章で始まる脅迫状を送付される。中村は自衛のために、趣味で集めている日本刀を持って集会に参加、送付された脅迫状を大衆の前で読み上げ、刀の鯉口を切る。集会後、警察官によって日本刀を一時預かられたが、中村を襲撃しようと試みる者は現れなかった。「中村は日本刀を振り回した」などと支援者の間で言われているが、真相は以上の通りである[7]
  • 1995年朝日新聞に文章を投稿した際、朝日新聞から何度も書き直しを命じられ、検閲であるとして朝日新聞を提訴するが敗訴。
  • 現代用語の基礎知識1996年版に、樺山紘一(当時、東京大学教授)が南京大虐殺の項目に「一説によれば百万」と記述。中村は「樺山紘一先生は頭狂大学教授の間違いではないか」と揶揄、講演や大学の授業で発言するにとどまらず、大学の印刷物にまで記載しようとして教務課を驚かせた。樺山は翌年版の『現代用語の基礎知識』から、南京大虐殺そのものの項目を削除した[7]
  • 1996年文部省が検定した中学校の歴史教科書すべてに慰安婦の記載があることが発表され、中村らは激しく抗議、小杉隆文部大臣と直談判するが、話し合いは決裂し、翌年、中村は違法教科書訴訟原告団を組織、団長となり、、教科書会社7社、計88の自治体、中学校社会科教科書執筆者全員を被告として提訴する[8]
  • 1998年、左翼偏向報道ならびに虚偽放送を行なっていると長年批判し続けてきたNHKを提訴する[7]
  • 1999年、「大東亜聖戦の歌[9]」を作詞。自称、二十世紀最後の軍歌。同年、支那事変日中戦争)や南京事件の調査目的で中国を旅行するが、翌年、中国政府より入国禁止の処置をとられる[要出典]
  • 正論』2001年5月号で、「朝日は銃弾を撃ち込まれ、その後暫くは大人しくしてゐたやうだが、昨今の朝日の傍若無人とも思へる偏向紙面を見ると、まだお灸が足りないやうだ」と執筆、テロリズムを推奨したと非難される。中村は10月号の「NHKウオッチング」で「朝日新聞の売国的偏向報道の累積が銃撃事件の引き鉄になつたと、因果関係を示唆したに止まる」と反論した。なお、編集部は「誤解を招く表現だった」として、6月号で謝罪文を掲載している。
  • 2007年11月15日、教科書改善の会の主催する「沖縄戦を子供たちにどう伝えるか」に出席し日本軍無謬論を述べ、小林よしのりに「日本兵による「壕追い出し」や「スパイ視殺害」は疑う余地の無い事実だという認識すらなかったのか?!」と評された[10]。このシンポジウムの記録は正論や、上記の小林よしのりによる漫画にあるが、中村の詳しい見解は書かれていない。中村は他に発表した論文や講演などで、正規の日本軍防衛隊を沖縄の人が混同したとしても仕方がないが、防衛隊の言動を全て日本軍の悪意と拡大解釈、誤った解釈をしてはならないと繰り返し主張している[11]
  • 本職は英語教師であった[要出典]和英辞典を編集・執筆したり、様々な日本の史料を英訳するなど、英文学者としても活動していた(#主な著書参照)。

主な著書[編集]

「獨協大学英語研究」に掲載された学術論文[編集]

  • 「軍人勅諭」英語謹訳〔含 原文〕(第26号)
  • 「清国に対する宣戦の詔勅」「露国に対する宣戦の詔勅」「米英に対する宣戦の詔勅」「終戦の詔勅」英語謹訳(第27号)
  • 「遼東還附の詔」,「戊申詔書」英語謹訳(第28号)
  • 天野貞祐著「国民実践要領」英訳〔含 「国民実践要領」〕(第29号)
  • 或る反日英語教材の背景に関する考察(第33号)
  • A Numerical Study of the Nanking Incident(Part1) (第59号)
  • A Numerical Study of the Nanking Incident(Part 2) 南京事件の数的研究(第2部) (第60号修正版)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d “私の写真館”. 正論. (2008年7月). 
  2. ^ 訃報:中村粲さん[リンク切れ] 毎日新聞 2010年6月29日閲覧
  3. ^ 展転社 中村粲著『大東亜戦争への道』紹介ページhttp://tendensha.co.jp/syoseki/62.html
  4. ^ 本書では、満州事変について当時の満州(現・中国東北部)を「中国の領土ではなかった」などと主張し、同席していた秦郁彦らが反発する一幕もあった。
  5. ^ 正論』「NHKウオッチング」[いつ?]
  6. ^ 『正論』「NHKウオッチング」[いつ?]
  7. ^ a b c 『正論』「NHKウオッチング」[いつ?]、他
  8. ^ 正論』1996年9月号「慰安婦問題に潜む虚偽」同11月号「検定パスした歴史の大嘘」1997年1月号「文部省の検定姿勢を問う」同3月号「文相との教科書談判決裂す」他参照。
  9. ^ 中田清康「大東亜聖戦の歌発表までの経緯」、日本をまもる会公式ウェブサイト、2023年11月18日閲覧。
  10. ^ ゴーマニズム宣言第7章「沖縄のことなんかどうでもいい保守シンポ」
  11. ^ 明日への選択」平成19年8月号、『正論』「NHKウオッチング」[いつ?]など

関連項目[編集]