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河野裕子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
河野 裕子
誕生 (1946-07-24) 1946年7月24日
熊本県上益城郡御船町
死没 (2010-08-12) 2010年8月12日(64歳没)
職業 歌人
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 京都女子大学文学部国文科卒業
ジャンル 短歌
主な受賞歴 角川短歌賞(1969)
現代歌人協会賞(1976)
現代短歌女流賞(1980)
コスモス賞(1987)
短歌研究賞(1997)
河野愛子賞(1998)
京都府文化賞・功労賞(2001)
若山牧水賞(2002)
紫式部文学賞(2002)
斎藤茂吉短歌文学賞(2009)
迢空賞(2009)
小野市詩歌文学賞(2010)
日本一行詩大賞(2012)
配偶者 永田和宏
子供 永田淳
永田紅
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河野 裕子(かわの ゆうこ、1946年7月24日 - 2010年8月12日[1])は、日本歌人。「」選者。夫は歌人の永田和宏。長男永田淳、長女永田紅も歌人。

宮柊二に師事。瑞々しい言葉で心情をのびやかに表現した。晩年は乳がんに苦しみ、生と死に対峙する歌を詠んだ。歌集に『ひるがほ』(1976年)、『桜森』(1981年)、『母系』(2008年)などがある。

人物

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熊本県上益城郡御船町に生まれ、滋賀県石部町(現湖南市)に育つ。京都女子高等学校を経て京都女子大学文学部国文科卒業。高校時代より作歌を始め、大学4回生(23歳)のときに角川短歌賞受賞。宮柊二に師事。みずみずしい青春の恋愛歌を収め、新鮮な言葉で女性の心をのびやかにうたった第1歌集『森のやうに獣のやうに』でデビュー。感覚と身体性を総動員して生の実感を表現する作風で、戦後の女性短歌のトップランナーであった[2]毎日新聞歌壇、NHK短歌の選者や織田作之助賞の選考委員のほか、夫永田和宏と共に「宮中歌会始」選者も務めた。

晩年は乳がんと闘病し、その境涯を多く歌に詠んだ。また、木村敏のカウンセリングを受けていた。2010年8月12日に死去[1]

略歴

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著書・共著

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  • 歌集『森のやうに獣のやうに』 青磁社[注釈 1]、1972年。
  • 歌集『ひるがほ』 短歌新聞社、1976年。/短歌新聞社文庫、1997年。
  • 歌集『桜森』 蒼土社、1980年。/新版、ショパン、2011年。 ISBN 4883643085
  • 自選歌集『燦』 短歌新聞社、1980年。
  • 歌集『はやりを』 短歌新聞社、1984年。
  • エッセー集『みどりの家の窓から』 雁書館、1986年。
  • 評論集『体あたり現代短歌』 本阿弥書店、1991年。/角川学芸出版、2012年。ISBN 4046526173
  • 歌集『紅』 ながらみ書房、1991年。
  • 選集『河野裕子歌集』 現代短歌文庫:砂子屋書房、1991年。/新版、2007年。 ISBN 4790410412
  • エッセー集『現代うた景色』 京都新聞社、1994年。 ISBN 4763803476
  • 『河野裕子作品集』 本阿弥書店、1995年
  • 歌集『歳月』 短歌新聞社、1995年
  • 歌集『体力』 本阿弥書店、1997年
  • 歌集『家』 短歌研究社、2000年
  • 歌集『歩く』 青磁社、2001年 ISBN 4901529005
  • 歌集『日付のある歌』 本阿弥書店、2002年
  • 歌集『季の栞』 雁書館、2004年
  • 歌集『庭』 砂子屋書房、2004年
  • 歌集『母系』 青磁社、2008年 ISBN 4861981077
  • 回想『歌人河野裕子が語る 私の会った人びと』 本阿弥書店、2008年。聞き手:池田はるみ ISBN 4776805553
  • 選集『続 河野裕子歌集』 現代短歌文庫:砂子屋書房、2008年。 ISBN ISBN 479041129X
  • 歌集『葦舟』 角川学芸出版、2009年。 ISBN 4046217502
以下は没後刊
以下は関連著作

テレビ

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代表歌

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  • たとへば君ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか(『森のやうに獣のやうに』)
  • ブラウスの中まで明るき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり(『森のやうに獣のやうに』)
  • あるだけの静脈透けてゆくやうな夕べ生きいきと鼓動ふたつしてゐる(『ひるがほ』)
  • たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり(『桜森』)[注釈 2]
  • 君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る(『桜森』)
  • しらかみに大き楕円を描きし子は楕円に入りてひとり遊びす(『桜森』)
  • 手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が(『蟬声』、辞世)

脚注

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注釈

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  1. ^ こちらは現存の〈第三次〉青磁社とは異なる、同名の〈第二次〉青磁社からの刊行。
  2. ^ 出身地である熊本県御船町に歌碑がある[5]

出典

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  1. ^ a b 訃報:河野裕子さん 64歳=歌人 - 毎日jp(毎日新聞)
  2. ^ 馬場あき子監修『現代短歌の鑑賞事典』東京堂出版。
  3. ^ 『あの胸が岬のように遠かった』永田和宏、新潮社、2022、p43
  4. ^ "ほんたうに俺でよかつたのか". NHK. 2022年2月25日. 2023年1月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月7日閲覧
  5. ^ "歌人・河野裕子さん(御船町出身)の歌碑の除幕式 町役場駐車場一角、代表歌を刻む". 熊本日日新聞. 2023年5月20日. 2023年5月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月20日閲覧

関連項目

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  • 谷川史子:『積極 -愛のうた-』にて「青林檎与へしことを唯一の積極として別れ来にけり」(『森のやうに獣のやうに』)を引用。
  • やまだ紫:『しんきらり』にて「しんきらりと鬼は見たりし菜の花の間(あはひ)に蒼きにんげんの耳」(『ひるがほ』)を引用。

外部リンク

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