早嶋喜一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

早嶋 喜一(はやしま きいち、1900年(明治33年)12月28日 - 1966年(昭和41年)2月4日)は、日本の実業家。元産業経済新聞社長旭屋書店の創業者。元産経学園理事長。

来歴・人物[編集]

岡山県津山市の出身。津山中学から早稲田大学に進学するも中退。職を転々とした後、1924年(大正13年)に前田久吉の経営する南大阪新聞社に入社する。前田の下で新聞経営に従事する傍ら、前田が自身の経営する南大阪新聞・日本工業新聞を根城に事業を拡張すると早嶋もそれらの事業に関与した。それらは戦時中の新聞統制に伴う合併を経て『大阪新聞』『産業経済新聞』となり、早嶋は大阪新聞では専務・産業経済新聞では社長にまでなる。

戦後の1947年(昭和22年)、早嶋は公職追放に伴い大阪新聞・産業経済新聞の役職を退くが前年1946年(昭和21年)に大阪市北区で創業していた雑貨・化粧品販売店「旭屋商店」を書籍専業の「旭屋書店」とし、書店経営に専念する。その後公職追放が解除になると、1950年(昭和25年)に産業会館ビル(産経会館ビル、現サンケイビル)専務取締役に就任。東京都千代田区大手町の東京サンケイビルに、日本で最初のカルチャースクール産経学園」を開設して理事長となった。

旭屋書店も1965年(昭和40年)11月には銀座東芝ビル銀座店をオープンし念願の東京進出を果たした。しかし、翌1966年(昭和41年)に起きた全日空羽田沖墜落事故により他界した。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 風雪有情—早嶋喜一回顧録(早嶋喜一回顧録刊行会、1968年