辛淑玉

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辛 淑玉(シン スゴ、신숙옥Shin Su-gok、女性、1959年1月16日 - 、58歳)は在日コリアン3世の人材育成コンサルタント[1]、フリーライター、政治活動家のりこえねっと共同代表[2]、TRAI(Trans-pacific Research and Action Institute for the hisabetu-nikkei)東京代表。シューレ大学アドバイザー[要出典]

生い立ち[編集]

東京都渋谷区生まれ。4歳の頃、それまで一緒に遊んでいた友人が幼稚園に入園、「幼稚園に行きたい」と父にねだったが、幼稚園と交渉した結果、朝鮮人の子どもは入園できないことを知った。この体験は、自分が朝鮮人であることを強く自覚する契機となったという[3]日本の敗戦後、弁護士を目指していた父(渡日より、既に41年が経過)は、韓国政府の決定により、韓国籍を与えられる[4]ことになった。

小学校3年から中学校1年まで朝鮮学校で学ぶ[5]日本小学校に入学後、朝鮮総聯活動家の「朝鮮学校は、貧しい人にはちゃんと昼食を支給します」の言葉を信じ、朝鮮学校に転校した[6]。転校直後は半日本人を意味する蔑称である「パンチョッパリ」と呼ばれ、"総括"と呼ばれる反省会の場で「思想が悪い」と「自己批判」させられることもあった[7]。当時の朝鮮学校では反日反米教育が盛んで、日本の学校から転校した辛はいじめの対象になった[5]朝鮮語を話せず、日本語で会話をしていたため、"総括"の時間では毎日のように自己批判をさせられたという[5]。また、ジーパンを穿いていたというだけで活動家から暴行された。ヘルニアを患っているのはこれが原因である[8]

収入を得るため、小学校2年のときから内職をし、小学校4年からはヤクルト販売の仕事に従事した。その後成人してから、ヤクルト販売の女性を見かけるたびにヤクルト販売での苦労を思い出し、ヤクルト1本を買い求めては心の中で「ガンバレ」と念じることが習い性という[9]

本人曰く、転校ばかり続いた彼女は、教室のみんなに紹介されると、まず、一番強そうな男の子を、カバンでバシーッと殴って「よろしくなー。」と言ってから、悠然と着席した。そうすると、いじめられなかった。給食当番の時は、天敵には「おい日本人の男って小食なんだって。」と言ってスープを数滴だけ垂らしてにらみつけた[10]とある。

中学生の頃、美容室ヘアモデルで収入を得たのをきっかけに、ヘアショーにも出るようになった[11]。中学2年のころ、朝鮮学校で遠足「革命キャンプ」の費用が払えなかった。そのことで朝鮮籍教師に責められたことに対して反論したため、数人の教師から殴られた。その後に家出し親戚の家に逃亡していたが、すぐに連れ戻された。父は手を尽して転校先を探し、日本人が通う杉並区立泉南中学校に転校した[12]

中学卒業後、東京都立第一商業高等学校に入学した。新宿焼肉料理店「名月館」などさまざまなアルバイト収入で2つの予備校代々木ゼミナール代々木学院に通った[13]。また高校在学中には就職に向けて、商業英語珠算簿記カナタイプなどさまざまな資格検定を取得。高校卒業後は各種のアルバイトに勤しむ。17歳で銀座モデルクラブに所属した。翌年映画エキストラ出演で知りあった 「DJ 」に音楽の仕事を紹介してもらい、しばらくモデルと兼業した[14]

20歳の時博報堂契約社員(特別宣伝班)。家族のため、夜間はアルバイトを続けた。勤務中の4年間でおよそ1600回司会を務めた[15]のち、1983年頃に退社、フリーランスの広告業者として独立。この頃、本名(辛淑玉)を名乗ることを決意[16]。先住民族アイヌの権利回復を求める署名呼びかけ人[17]

経歴[編集]

2000年から、親交のある永六輔の引きで『週刊金曜日』編集委員を務めたことがある。しかし、同性愛者を扱った記事における「オカマ」という言葉がホモフォビア表現だとして一部のスタッフと対立した。それが直接の原因となり、2001年に編集委員を辞任している[18]

2001年3月5日から3月9日まで国連人種差別撤廃委員会に参加し、その委員会の集まりにおいて、石原を批判するだけにはとどまらず、在日コリアンが日本人によってさまざまな人種差別に遭い被害を受けたと主張した。またその委員会の集まりにおいて、日本の法律が人種差別的に作られていて、日本政府が人種差別をしていると世界に向けて主張した。その委員会において、日本人は在日コリアン(主に子どもや児童・生徒)に対して暴力を振るう、人種差別的な人たちであると考える人に賛同するロビイストが多くなったため、国連人種差別撤廃委員会は日本を批判する勧告を出した。

2003年、反差別・反ファシズム闘争が評価され、多田謡子反権力人権賞を受賞する。また、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が推進する「戦争と女性の人権博物館(通称:従軍慰安婦博物館)」日本建設委員会の呼びかけ人となる[14]

2008年3月18日恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟(会長:鳩山由紀夫)に招かれて講演。日本では血のつながりが重視されるあまり在日韓国・朝鮮人を差別、排除する傾向があり、在日コリアンに日本への所属意識が生まれないと述べた[19]

2009年11月18日日本軍慰安婦問題の立法解決を求める緊急120万人署名の賛同人になる[15]

2017年1月2日に放送されたTOKYO MXテレビ『ニュース女子』の放送内容で人権名誉を傷つけられたとして放送局に対し、同番組内での訂正放送と謝罪、同放送局の報道番組での検証結果の報告、再発防止策の公表―などを求めている。同年に開催される福島みずほ塾で講師を務める[20]

活動[編集]

国会包囲デモ参加[編集]

しんぶん赤旗で、2015年1月17日に国会ヒューマンチェーン「女の平和」と題し、国会を赤い服を着た人間の鎖で囲むとして、吉良佳子横湯園子(元中央大教授)、雨宮処凛藤原真由美(日弁連憲法問題対策本部副本部長)、坂本洋子(mネット・民法改正情報ネットワーク理事長)らとともに、安倍晋三首相に「レッドカード」を突きつけるデモに参加することが報じられている[21]

人物[編集]

ワイドショー番組を嫌っている。テレビ番組で「私はワイドショーが嫌いです」と発言したことがある[22]。辛はワイドショー番組を「人のプライバシーを覗き見する下品な番組」と軽蔑する発言をしていた。ワイドショー番組への皮肉をこめて永とNHK衛星放送の「わいどしょう番組」をプロデュースし出演していた[23]。永は「こういう人がワイドショーの司会をやればテレビもよくなるよ」と発言するほど高く評価している。

外国人参政権には賛成の立場をとっている。NHK真剣10代しゃべり場2000年7月8日放送回に出演した際、日本の国籍を持たない人も日本の参政権を得られるようにすべきだと発言した。ただし韓国では日本人に自由な参政権は付与されていない。

在日本大韓民国民団の機関紙「民団新聞」によると、のりこえねっと発足後にフェイスブックの友達リクエストが1600人以上に増え、在日のアクセスが多いという[1]

批判[編集]

前田日明(元在日韓国人、1984年帰化)は、「名前を出して悪いんだけど、辛淑玉さんなんか見てると、情けなくなってくる。差別されたとか、日本は加害者だとか言うだけで、それだけ叫び続けて一生を送るのかなと思うと、とてもおれは共感できない。」と批判した[24]

鄭大均(在日外国人、韓国系日本人)は、金嬉老事件における辛の発言を引き合いに出して「メディアに登場する在日のなかで、姜尚中と辛淑玉ほど違和感を覚える人間はいない。辛淑玉に関して言えばその歯に衣着せぬ語り口はいいのだが、思いつきやデタラメが多すぎるのではないか」「在日コリアンの被害者性という現実的であるかもしれないが非現実的であるかもしれない状況に、自己を憑依してものを語る傾向がある」「辛淑玉の一見奔放な語り口が、驚くほど古風な被害者的立場や対抗主義的立場との見事な整合性を維持している」と批判した[25]

山際澄夫は、朝日新聞で辛が特定秘密保護法は外国人差別を増長させる危険性があると述べたことに対して「あえて言うのもばかばかしいくらいだが、特定秘密保護法は公務員や機密にかかわる職務の人間の秘密漏洩防止が目的であり、外国人差別が目的ではない」と反論し、「『朝日文化人』のデマ妄想」と批判した[26]

発言[編集]

北朝鮮による日本人拉致について
  • 「仮に北が日本人を拉致したとしても日本人は批判できるだろうか。戦争中、膨大な数の朝鮮人を国家の名の下に拉致した歴史的な事実がある。いまなぜ日本に多くの朝鮮人がいるか考えてみてほしい。自国の歴史を忘れた発言が多すぎる」[27]
  • 「北が日本人女性を拉致したというのはウソだと思う。工作員教育係なら在日同胞を使えばすむからだ」[28]
  • 「日本人が北朝鮮による拉致事件に政治的に飛びついたのは、長年、国家と一体となった加害者として糾弾されてきたことに疲れたからだと私は見ています。初めて堂々と「被害者になれる」チャンスがめぐってきたのがあの拉致事件でした」[29]
天皇制について
在日朝鮮人について
  • NHK紅白歌合戦が始まると、親戚の叔父たちが私を呼んでくれる。その時だけは台所の仕事から解放されて、テレビを見ることができた。『おい、セツ子(辛淑玉の日本名)、見てみろ見てみろ。こいつは朝鮮人だぞ、こいつは朝鮮人、こいつの家はパチンコ屋、こいつの家は焼肉屋、こいつは総連系で、こいつは民団で、こいつは山口の××出身で済州島なんだ、こいつの弟は算数が5点で、その嫁さんは・・・・』と、延々と『在日のワイドショー』が続く。当時、私にとっての紅白歌合戦は、年に一度の『チョウセンジン』の数を数えるイベントであり、一度も日本人の数を下回ったことがない」[32]
  • 「われわれマイノリティーは今、なんの保護もない「奴隷」なんですよ」[33]
  • 不法滞在と言うのは凶悪犯罪ではない。信号無視程度の人」[34]
  • 「凶悪犯の検挙人数は、東京都全体で978人で、来日外国人は109人と全体の11.2%。9割近くは日本人の犯罪だ」[34]
  • 福島瑞穂が自身の在日疑惑を否定する記者会見をしたことに関して、「国籍をこえて一緒に闘ってきたはずの仲間から『あなたたちと私は別』と言われたように感じた」と発言した[35]
のりこえねっと結成目的について
  • 「売られたケンカを買う」[1]
  • 「敵はでかいので、広範囲に抵抗していきたい。」[1]
  • 「いままでは表現の自由との関連でなにもできなかった。今後は体を張って『それは違うんだ』と言い続けていく」[1]
在日特権について
  • 「在日韓国人が獲得した数々の権利のほとんどは、日本政府から一方的に与えられたものではない。1世中心の過去の民団が、長い年月をかけて理論整備をし、法的・人的連携を各地域で地道に構築した結果として得たものだ」[36]
  • 「のりこえねっとで在日韓国人への日本の公民権運動を行う」[37]
本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(いわゆる反ヘイトスピーチ法)について
  • 「一歩前進」したものの「保護の対象が限定されるなど十分ではない。ヘイトの被害は米軍基地に反対する沖縄の人々にまで及ぶ。」[2]
ニュース女子沖縄・高江のヘリパッド建設工事反対デモ報道について
  • 2017年1月に「地上波でヘイトを垂れ流した『ニュース女子』」と題し、「見ていて、こみ上げる怒りを抑えるのがこれほど難しかった経験はかつてなかった。胃液があがってきて、何度も吐いた。その後も、何気ない会話の中で突然涙が出てきたり、幾日も眠れぬ夜を過ごし、やっと眠れたと思えば悪夢にうなされた。私が、この番組の放つ悪意に冷静に向き合えるようになるまでには、時間が必要だった」、「この番組は、「まつろわぬ(服従しない)者ども」を社会から抹殺するために、悪意をもって作られ、確信犯的に放送されたのだ」、「為政者にとって、自分になびかない者の存在は、自らの優越性を否定されるため最も憎い存在であり、だから国家体制を批判する者には「非国民」のレッテルを貼り、他の国民が寄ってたかって攻撃するよう仕向ける。その手先としてメディアを使う」、「デマを流し、政権の尖兵(せんぺい)として憎悪扇動を行うこの番組を、決して許してはならない」などという文章を発表[38][39]
  • 2017年2月14日に日本共産党のニコニコ生放送「生放送! とことん共産党」に出演し、「雇っているのは親北朝鮮の辛淑玉だと。取材していないんです。ネット内のデマの集大成。それを地上波で流したらお墨付きを与えること」、「今、崖っぷちに来ている。かなめになっている共産党に何とかしてほしい、の思いを持っています」、「戦争をしないために政治家がある。共産党はまっとうな政治をやっています」などと発言[40]
  • 2016年9月9日ののりこえねっとの講演で、高江ヘリパッドの反対デモへの参加予定者に対し、「私は稼ぎます。若い者には死んでもらう。爺さん婆さん達は嫌がらせをして捕まってください。山城博治には『病気で死ぬな。米兵に殺されるな。日本の警察に殺されるな。私が殺してやるから』」などと講義[41]。この模様はのりこえねっとの公式ムービーにおいてもノーカットで配信されている。[42]
石原慎太郎批判

東京都知事石原慎太郎をたびたび批判している。特に2000年4月9日に、石原が陸上自衛隊練馬駐屯地の創隊記念式典での挨拶の中で、「今日(こんにち)の東京を見ますと、不法入国した多くの三国人・外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している」といういわゆる「三国人発言」を行った際には、どのような文脈で「三国人」という言葉を用いようとも、この発言は在日コリアンに対する侮辱であり、人種差別であると激しく批判した。この主張のもと石原慎太郎を辞任させるための「石原やめろネットワーク」をはじめとした活動を行っている。ただし1959年に日本政府が発表し、2010年にも再確認された資料によれば、当時の在日朝鮮人総数61万人のうち徴用労務者は245人で、日本に居住している者は「犯罪者を除き、自由意思によって残留したものである」としており[43][44]、一方、戦後、朝鮮戦争などの戦火から逃れるために、荒廃した朝鮮半島より日本に密航した20万から40万と推定される密航者[45][46][47] がいた。現在の多くの在日韓国・朝鮮人はこれらの子や孫である(詳細は#徴用・「強制連行」と渡航#戦後の在日韓国・朝鮮人各節参照)。

その一環として、2003年4月5日、落合恵子佐高信と連名で『プレ東京都知事選挙』と題するネット投票サイトを開設した[48]。『プレ東京都知事選挙』サイトには石原ら各候補者のプロフィールが書かれていたが、石原についてはきわめて批判的なものだった。このサイトが2ちゃんねるなどで広められたことなどから『祭り』となった。 フェミニズム系の新聞『ふぇみん2000年4月25日号の編集後記で、「戦争になったら韓国と日本のどちらにつくんだと聞く人がいるけど、戦争が起きたら、在日は真っ先に殺されますよ」と述べた。

帰化申請の際の名義

辛によると、1987年に帰化(日本国籍の取得)を申請をしたが、「辛淑玉」の名義はそのまま使いたいと申し出たところ、法務省の担当審査官から「もっと日本人らしい名前にしてください。」と言われ却下されたと主張している[49]。「当用漢字にも含まれているしそのまま読み仮名抜きで」、「日本語読みならよいか」と尋ねたところ、「改名しないのは『あなたには、よき日本人になろうという意思が感じられない』と担当者から拒絶されたから。」などと主張している[49]

著書[編集]

単著[編集]

  • 1995年05月 『韓国北朝鮮在日コリアン社会がわかる本』ハローケイエンターテインメント、のちワニ文庫(増訂): 1998年08月
  • 1996年03月 『言わせていただきます。』ハローケイエンターテインメント
  • 1998年09月 『女が会社で』マガジンハウス
  • 1998年10月 『不愉快な男たち! 私がアタマにきた68のホントの話』講談社
  • 1999年09月 『40秒で面接官の心をつかむ法』中経出版
  • 2000年02月 『在日コリアンの胸のうち 日本人にも韓国人にもわからない』光文社、ISBN 433400671X
  • 2000年06月 『強きを助け、弱きをくじく男たち!』講談社+α文庫
  • 2002年05月 『愛と憎しみの韓国語』文春新書
  • 2003年05月 『鬼哭啾啾 「楽園」に帰還した私の家族』解放出版社
  • 2003年07月 『辛淑玉のアングル』草土文化
  • 2003年12月 『辛淑玉の激辛レストラン 上野千鶴子・佐高信安部譲二・辛淑玉の4兄妹対談』生活情報センター
  • 2004年05月 『怒りの方法』岩波新書
  • 2004年12月 『となりのピカソ ピカソたちのメッセージ』(写真・武田直)愛媛新聞
  • 2006年03月 『せっちゃんのごちそう』日本放送出版協会
  • 2007年06月 『悪あがきのすすめ』岩波新書
  • 2007年07月 『怒らない人』角川oneテーマ21
  • 2008年08月 『その手に乗ってはいけない!』 ちいさいなかま社 ひとなる書房 (発売)
  • 2010年07月 『辛淑玉的現代にっぽん考 たんこぶ事始』、七つ森書館
  • 2010年12月 『辛淑玉的現代にっぽん考 たんこぶ事始〈2〉』、七つ森書館
  • 2011年12月 『大人の女の流儀』 PHP研究所
  • 2013年08月 『その一言が言えない、このニッポン』 七つ森書館

共著・監修[編集]

  • 1999年05月 『日本人対朝鮮人 決裂か、和解か?』(永六輔共著)光文社
  • 1999年11月 『こんな日本大嫌い! 辛淑玉対鈴木邦男』 青谷舎
  • 2001年09月 『女に選ばれる男たち 男社会を変える』(安積遊歩共著) 太郎次郎社
  • 2002年01月 『ジェンダー・フリーは止まらない! フェミ・バッシングを超えて』(上野千鶴子共著) 松香堂書店
  • 2005年12月 『クイズウルトラ人権100問』(人材育成技術研究所編、監修) 解放出版社
  • 2006年04月 『ケンカの作法 批判しなければ、日本は滅ぶ』佐高信共著、角川書店
  • 2008年03月 『いじめるな! 弱い者いじめ社会ニッポン』 香山リカ共著 角川oneテーマ21
  • 2008年07月 『政治を語る言葉 札幌時計台レッスン』 山口二郎編著 中島岳志,香山リカ,佐藤優共著、七つ森書館
  • 2009年06月 『差別と日本人』(野中広務共著) 角川oneテーマ21
  • 2012年03月 『放射能時代を生きる3つのアクション』(伴英幸監修) 七つ森書館
  • 2013年09月 『〈男文化〉よ、さらば――植民地、戦争、原発を語る』(富山妙子共著) 岩波書店

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e ヘイトスピーチに包囲網…在日同胞主導「のりこえねっと」発足 民団新聞 2013.10.9
  2. ^ a b “人模様 反ヘイトの闘い、粘り強く 辛淑玉さん”. 毎日新聞. (2016年8月29日). http://mainichi.jp/articles/20160829/dde/007/070/025000c 
  3. ^ 辛淑玉『せっちゃんのごちそう』NHK出版、p.63
  4. ^ 「在日朝鮮人に韓国々籍」「韓国政府は十日の閣議で在日朝鮮人に韓国国籍国籍を与え、その人権および財産に保護を与えることに決定した」1951年(昭和26年)10月11日 朝日新聞
  5. ^ a b c “辛淑玉さんインタビュー1”. 不登校新聞 (全国不登校新聞社). (2010年7月12日). http://www.futoko.org/special/special-29/page0712-696.html 2017年2月11日閲覧。 
  6. ^ 前出『せっちゃんのごちそう』、p.59 ただし、実際には昼食の支給はなかった。
  7. ^ 前出『せっちゃんのごちそう』、p.80
  8. ^ 朝日新聞の土曜版beの青面
  9. ^ 前出『せっちゃんのごちそう』、pp.95,96
  10. ^ 『「日本人・対・朝鮮人」決裂か和解か』(光文社)永六輔・辛淑玉
  11. ^ 前出『せっちゃんのごちそう』pp.117,118
  12. ^ 前出『せっちゃんのごちそう』、pp.113 - 114
  13. ^ 前出『せっちゃんのごちそう』pp.122,123
  14. ^ 前出『せっちゃんのごちそう』、pp.130,135
  15. ^ 在日韓国青年会 会報「アンニョン」第4号インタビュー: 「今、在日青年に“熱い”メッセージを」(1991年)
  16. ^ 前出『せっちゃんのごちそう』、pp.154 - 155
  17. ^ 先住民族アイヌの権利回復を求める団体・個人署名の要請
  18. ^ 『週刊金曜日』の紙面に掲載された、発端から辞任に至る経緯と関連文献
    • シリーズ個に生きる(5)「愛欲と反逆に燃えたぎる」(第367号2001年6月15日。写真・内田豊治 文・及川健二。この記事が発端、掲載された記事タイトルは「差別語」とされるオカマを冠していたが、このバックナンバーの目次から問題の語句「伝説のオカマは」は削除されている)[1]
    • 「金曜日から」(第370号2001年7月6日。この件についての執筆:辛淑玉、渡辺妙子、本多勝一。本多編集委員との意見の相違が表面化)[2]
    • 「金曜日から」(第371号2001年7月13日。この件についての執筆者・渡辺妙子が「辛淑玉・本多勝一両編集委員の対立」と明記している)[3]
    • 投書「辛氏の方法は味方の中に敵をつくる」「あまりにも無神経なタイトル使用」「辛編集委員に一言」「編集部の見解は読者を試しているのか」「辛淑玉さんの『勇み足』発言は残念」「もっといろいろなゲイの考え方を載せるべきでは」「『反差別』の方法論が各人で異なるのは当然」(第372号2001年7月20日)[4]
    • 投書「辛氏の言葉は最大級の警告」(第374号2001年8月3日。投書)[5]
    • 小特集・本誌6月15日号「シリーズ個に生きる(5)」から考える: 「私たちが声をあげたわけ」(第376号2001年8月24日。執筆: 伊藤悟、簗瀬竜太)「検証 私たちの議論の日々」(執筆: 編集部)「セクシュアリティの基礎知識」(執筆: 伊藤悟、簗瀬竜太)[6]
    • 「金曜日から」(第376号8月24日。この件についての執筆: 黒川宣之)[7]
    • 投書「『編集会議の場に外部の人が』に疑問」「看過できない編集部の責任」「辛淑玉さんの議論はアンフェアでは?」(第377号2001年8月31日)[8]
    • 「金曜日から」(第378号2001年9月7日。この件についての執筆: 土井伸一郎)[9]
    • 「金曜日から」(第380号2001年9月21日。この件について辛淑玉が同年8月24日付けで編集委員辞任届けを出し、辞任に至った報告を黒川宣之が執筆している)[10]
    • 「『伝説のオカマ』は差別か」(ポット出版版元日記2001年10月17日。執筆: 沢辺均)[11]
    • 小特集・「性と人権」私はこう考える: 「誰が誰を恥じるのか?」(第387号2001年11月9日。執筆: 平野広朗[12]
      「私が伝えたかったこと 『個に生きる(5)』の筆者から」(執筆: 及川健二)「当事者としての言葉とメディアの権力性の両立について」(執筆:志田陽子[13]
    • 文献1: 『「オカマ」は差別か 『週刊金曜日』の「差別表現」事件 反差別論の再構築へ』ポット出版、2002年2月、ISBN 4939015408
    • 文献2: 東郷健(著)、及川健二(構成・文)『常識を越えて オカマの道、七〇年』ポット出版、2002年6月、ISBN 4939015440
  19. ^ 東京生まれの在日コリアン3世 辛淑玉さんの講演
  20. ^ 講師に辛淑玉氏や浜矩子氏 福島みずほ議員「みずほ塾を始めます」と入塾希望者募集 ガジェット通信 2017.02.08
  21. ^ “来月17日「女の平和」行動 会見し発表 赤くキメて国会へ”. しんぶん赤旗. (2014年12月26日). http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-12-26/2014122614_01_1.html 2017年3月15日閲覧。 
  22. ^ 永六輔著書『たかがテレビ、されどテレビ』
  23. ^ 夢でワイドショー 永六輔の芸能ジャーナル
  24. ^ 「別冊正論Extra.02」扶桑社、2006年、p.255
  25. ^ 「在日・強制連行の神話」文春新書、p.193
  26. ^ 特定秘密保護法 「朝日文化人」のデマと妄想【山際澄夫】WiLL 2014/2/25
  27. ^ 朝日ジャーナル1988年2月26日号 また在日韓国・朝鮮人も参照
  28. ^ 朝日ジャーナル1988年2月26日
  29. ^ 東京新聞2009年9月20日
  30. ^ 某「憲法集会」にて 「正論」2003年1月号、81ページ 詳細は百済の項目を参照
  31. ^ 月刊オルタ2002年12月号
  32. ^ DAYS JAPAN2004年11月号『千代子として生きて』10頁
  33. ^ 東京新聞2005年3月6日
  34. ^ a b 朝日新聞2000年4月23日
  35. ^ 2011年4月30日 朝日新聞。
  36. ^ 瞻星台―編集余話 「のりこえねっと」発足で . 統一日報 . 2014年3月30日閲覧。
  37. ^ ヘイトスピーチと闘う「のりこえねっと」発足 . 統一日報 . 2014年3月30日閲覧。
  38. ^ 沖縄ヘイトの「ニュース女子」に批判 東京MXテレビ前で抗議集会 神奈川新聞 2017/01/26
  39. ^ 東京MX番組「憎悪扇動許さず」批判された辛さんが見解 毎日新聞 2017年1月27日
  40. ^ ゲストに辛淑玉さんを迎えて しんぶん赤旗 2017年2月16日
  41. ^ 辛淑玉氏の「若者は死ね 年寄りは捕まれ」の沖縄基地反対運動について 百田尚樹氏や松井一郎・大阪府知事が語る ガジェット通信 2017.02.07
  42. ^ YouTubeのりこえねっと公式チャンネルないちゃー大作戦20160909
  43. ^ 『朝日新聞』 1959年7月13日 2面 「大半、自由意思で居住 外務省、在日朝鮮人で発表 戦時徴用は245人」
  44. ^ “在日朝鮮人、戦時徴用はわずか245人”. 産経新聞. (2010年3月11日). http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100311/plc1003111306007-n1.htm 2010年3月11日閲覧。 [リンク切れ]
  45. ^ アジア歴史資料センターリファレンスコード A05020306500「昭和21年度密航朝鮮人取締に要する経費追加予算要求書」。1959年6月16日朝日新聞 「密入出国をした朝鮮人がかなりいると見られているが、警視庁は約20万人としている」
  46. ^ 2000年9月26日産経新聞
  47. ^ 「終戦後、我国に不法入国した朝鮮人の総延人員は約20万から40万と推定され、在日朝鮮人推定80万人の中の半分をしめているといわれる」(1950年6月28日産業経済新聞(産経新聞の旧称)朝刊
  48. ^ http://web.archive.org/web/20030406093442/http://164.46.104.197/cgi-bin/vote/kiyoki.cgi
  49. ^ a b 『在日コリアンの胸のうち 日本人にも韓国人にもわからない』光文社、2000年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]