知花昌一

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知花 昌一(ちばな しょういち、1948年5月11日 - )は沖縄県在住の平和運動家、反戦地主、真宗大谷派僧侶1998年より2010年まで読谷村議会議員。

経歴[編集]

沖縄県中頭郡読谷村生まれ。沖縄大学中退。学生時代に自治会委員長として復帰闘争に参加。その後スーパーマーケット民宿を経営しながら沖縄戦集団自決の調査などさまざまな平和運動を行う。

1987年に開催された沖縄国民体育大会で、読谷村のソフトボール会場に掲げられた日の丸を引き下ろし焼き捨てた。これは天皇の戦後初の沖縄訪問により強まる日の丸・君が代の強制に対する抵抗だと知花は主張した[1]。この事件は沖縄のみならず全国のメディアで大きく報道された。この行為により、1989年に多田謡子反権力人権賞を受賞した。

1996年4月、米軍の使用期限切れを迎えた楚辺通信所(通称、象のオリ)内にある所有地に、土地の返還を求めて家族とともに立ち入り運動を起こした。日本政府は翌年、米軍用地特別措置法を改正し、使用期限を事実上半永久的に延長可能とした。 その後、代替施設が金武町キャンプ・ハンセン内に設置されたため、遊休施設となったこの土地は同特措法による延長使用期限が切れる2006年7月31日に知花に返還された。施設内の他の借用地も同年末にすべての地主に返還された。

文献[編集]

著書[編集]

  • 1988年10月 『焼きすてられた日の丸 基地の島・沖縄読谷から』新泉社、ISBN 4787788264、増補版: 1996年5月、社会批評社ISBN 4916117212
  • 1992年 Burning the rising sun - From Yomitan village, Okinawa: islands of U.S. bases, published and translated by South Wind、流通版: 2000年11月、社会批評社、ISBN 4916117190
    • 『焼きすてられた日の丸』1988年版の英訳
  • 1996年3月 『燃える沖縄揺らぐ安保 譲れるものと譲れないもの』社会批評社、ISBN 4916117158
  • 1996年12月 『我肝(ワチム)沖縄 ワチム(わが心の)オキナワ』(写真: 牧田清)、解放出版社、ISBN 4759260382
  • 2000年1月 「経済振興だけが価値なのか」
  • 2004年3月 「自分史としての『有事』」
    • 花園大学人権教育研究センター(編)『棄民のナショナリズム 抵抗の流儀を学ぶために 花園大学人権論集』批評社、ISBN 482650392X
  • 2004年8月 「日本国憲法に憧れ、日の丸を焼いた人生」(談)

関連書[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 弘瀬勝日本ソフトボール協会会長(当時)が、大会直前、国旗掲揚なくば会場を変更させる旨発言し、開催地である読谷村に圧力をかけた。発言の内容・時期ともに沖縄県民の世論を刺激するに十分であった。