北朝鮮拉致問題
北朝鮮拉致問題(きたちょうせんらちもんだい)は、北朝鮮の工作員が他国民を密かに北朝鮮へ拉致したとされる事件を受けて、拉致被害者と思われる失踪者を探す者ないし所属国が、情報提供ひいては拉致被害者の帰国を、北朝鮮政府に対して求めている問題。および、これらの交渉に関連した諸問題を指す。日本文化チャンネル桜によれば、現在北朝鮮は世界14ヶ国から拉致を行っていると報じられている[1]。
概要[編集]
- 1946年7月31日、金日成が南朝鮮からインテリを連れてくることを指示する[2](北朝鮮による韓国人拉致問題)。
- 1950年に朝鮮戦争没発。7月17日、北朝鮮軍事委員会第18号決定書により50万人移送計画[2]。
- 1963年5月12日、金正日政治軍事大学呉グホ教官によって石川県志賀町高浜の沖合で、寺越昭二(36歳)、寺越外雄(24歳)、寺越武志(13歳)が拉致される[2]。1969年11月、金日成が3号庁舎拡大幹部会議において日本人拉致を承認する発言を行う[2]。
- 1969年12月11日、北朝鮮工作員の趙昶煕が大韓航空機YS-11ハイジャック事件を起こし乗員乗客を平壌に拉致[2]。このハイジャック事件では、一部の乗客が返還されたが、パイロットと乗客10人が未帰還である。
- 1970年8月8日、事務員の加藤久美子[要曖昧さ回避](22歳)が拉致される[2]。
- 1973年7月7日、会社員の古川了子(18歳)が拉致される[2]。
- 1974年6月、渡辺秀子さん2児拉致事件[2]。
全容は明らかではないが、連れ去られた人々には、日本人・アメリカ人・タイ人・ルーマニア人・レバノン人・オランダ人・フランス人・ヨルダン人・ギニア人・イタリア人・シンガポール人・マレーシア人・韓国人・中国人などが少なくとも含まれると見られている[4][1]。脱北した元北朝鮮統一戦線部幹部のチャン・チョルヒョンが、救う会主催の国際セミナーで報告したところによると、「世界各国から子供を拉致する金正日総書記の指令」が出され、日本だけでなく世界各地域から、北朝鮮の工作員に育てる目的で、特に子供たちが拉致される事例が多かったという[5]。2013年2月時点で、拉致被害者の出身国は14カ国に登る可能性が浮上している[6]。
2002年に金正日国防委員長は小泉純一郎訪朝での日朝首脳会談の際に初めて公式に一部の拉致を認めて謝罪した。同年10月15日に拉致被害者の一部(5名)が北朝鮮から日本に帰国している。
2004年には中国雲南省旅行中に姿を消したアメリカ人男性が、拉致されたとされる[1]。アメリカ北朝鮮人権委員会によると拉致されたのは米国人男子学生で、その直前には米下院で北朝鮮人権法が可決されたことに反発した北朝鮮が「米国人に対して行動を起こす」と警告していた[7]。韓国拉北家族協議会代表の崔成龍によると、金正日が自分の子供たちに英語教師が必要だとして拉致の指示をしたという[8]。この問題に関して家族会代表飯塚繁雄と山谷えり子が2012年に渡米した際、アメリカ側からこの男性はユタ州出身で、失踪には中国当局が関与していた可能性があると伝えられた[9]。
2014年2月、国連の調査委員会は、北朝鮮による拉致や公開処刑などは人道に対する罪に当たると非難する報告書を公表した。北朝鮮による拉致の被害者は世界で20万人を超えるとした[10]。
脚注[編集]
- ^ a b c “【Chuck Downs】米国人拉致認定と被害者救出のための国際協力【桜H23/11/10】”. 日本文化チャンネル桜 (2011年11月9日). 2011年11月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 惠谷治 . “北朝鮮による拉致の分析”. 救う会. 2011年11月20日閲覧。
- ^ [1]
- ^ 「日本以外の拉致被害者/北朝鮮による日本人拉致問題」外務省、2009年11月15日閲覧。
- ^ 世界各国で子ども拉致するよう指令(TBSニュースアイ、2011年12月10日)
- ^ “「拉致被害14カ国に拡大 脱北者「ドイツ、シリア人も」」”. 産経新聞. (2013年2月10日) 2013年2月10日閲覧。
- ^ 北、米国人も拉致か 米調査機関が指摘(MSN産経ニュース、2011年12月9日)
- ^ トランプ政権、「2004年の米大学生北朝鮮拉致疑惑」真相調査に着手(東亜日報、2017年2月7日)
- ^ 中国が米国人失踪に関与? 拉致情報を米側に提供 家族会代表ら 産経ニュース 2012年5月9日
アメリカ合衆国国務省のトマス・ナイズ副長官およびユタ州のマイケル・リー上院議員と面会し情報を得る。[リンク切れ] - ^ 宮下日出男 (2014年2月17日). “拉致は「人道に対する罪」 国連委最終報告書 金体制の関与明言”. 産経新聞 2014年4月18日閲覧。
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