チャールズ・ジェンキンス

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チャールズ・ロバート・
ジェンキンス
Charles Robert Jenkins
CharlesJenkinsJI1.jpg
チャールズ・ジェンキンス(2007年)
生誕 1940年2月18日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ノースカロライナ州リッチスクエア英語版
死没 2017年12月11日(2017-12-11)(77歳)
日本の旗 日本
新潟県佐渡市
所属組織 Emblem of the U.S. Department of the Army.svgアメリカ陸軍
軍歴 1955 - 1965
ノースカロライナ州軍
第1騎兵師団
(-2004)
最終階級 Army-USA-OR-05.svg 軍曹(1965) → 二等兵(2004)
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チャールズ・ロバート・ジェンキンス(Charles Robert Jenkins、1940年2月18日 - 2017年12月11日[1][2])はアメリカ合衆国軍人。最終階級は陸軍軍曹(1965年)だったが、2004年の不名誉除隊処分に際し二等兵に降格されている。

下士官として朝鮮半島軍事境界線に駐留中に北朝鮮側に投降、2004年まで同国に滞在していた[3]北朝鮮による拉致被害者の1人である曽我ひとみと結婚しており、妻が日本への帰還を果たした後の2004年(北朝鮮側への投降から39年後)、娘達を連れて自身も日本へ亡命した。同地で合衆国軍に出頭し、軍法会議を経て軍を退役した。

生涯[編集]

軍歴[編集]

ノースカロライナ州リッチスクエア市出身。1955年、15歳でノースカロライナ州軍に入隊志願を出し、規定年齢を下回りながらも州兵登録を受理される。1958年、ノースカロライナ州軍から連邦軍へと転属を許可され、陸軍第1騎兵師団に配属されている。1960年から1961年まで在韓米軍での任務を行い、1964年の欧州軍への転属を経て、再び在韓米軍に派遣される[4]

朝鮮半島軍事境界線に駐屯していた時、軍曹に昇進して下士官の地位にあったジェンキンスは、1960年前後よりアメリカによる軍事介入が拡大を続けていたベトナム戦争に派遣されるという噂を聞いていた。ジェンキンスは凄惨な死傷者を出していた同戦争に派遣されるという重圧からアルコール依存症に陥っていた。1965年1月4日、周囲の証言では夜間の警備に付く際、既に多量のアルコールを摂取していたとしている。翌日の早朝、ジェンキンスは部隊に「騒音のする場所を見つけた、偵察に向かう」と告げて偵察に向かい、そのまま戻らなかった[3]

後にジェンキンスは、偵察任務中に北朝鮮軍に投降して身柄を確保されていることが明らかとなった。ジェンキンス本人は当時について軍務に不満を感じており、また「ソビエト連邦経由の捕虜交換など、早期に帰国することは難しくないと考えていた」と投降した理由について述べている。北朝鮮では捕虜ではなく実質的に政治亡命者として扱われ、政治的プロパガンダにおいて西側の腐敗を強調する為に喧伝された[3]

北朝鮮での生活[編集]

騒動からしばらくは、ジェンキンスの動向はアメリカ軍を始めとして内外に秘匿され、どのような状態に置かれているのか不明という時期が続いた。彼自身は「すぐに自らの行いを懺悔した」と告解している。北朝鮮政府はジェンキンスに主体思想を始めとしたイデオロギーを学ばせる再教育を施すなど、帰国させる意図はないことを示した。身柄も拘束されたままで、1972年まで他の3名の米国籍の人間と共に小さな家屋内での軟禁状態に置かれた。金日成の言葉を朝鮮語で暗誦させられ、また頻繁に拷問を加えられた[4]。北朝鮮における彼の仕事は主に英語教師であった。北朝鮮の英語教育はイギリス英語が採用されていたため、彼の話すアメリカ英語は同国の生徒や教師に驚きをもって迎えられた。

1980年、ジェンキンスは日本人拉致被害者の1人である曽我ひとみを政府に紹介されたという[3]。出会ってから38日後に両者は結婚し、ロベルタ・ミカ・ジェンキンス、ブリンダ・キャロル・ジェンキンスの二女をもうけた。1982年、ジェンキンスは政府の命令によって国策映画への出演を命じられ、結果としてこの映画が20年近く消息不明であった彼の姿をアメリカに伝えることになった。しかしアメリカ政府はこの事実を認めず、1996年まで「ジェンキンス軍曹の動向は不明」とする公式見解を続けた[3]

来日と帰国[編集]

2002年、日朝首脳会談によって日本人拉致被害者の存在を北朝鮮政府が公に認めると、曽我ひとみの夫であるジェンキンスの消息も同時に明らかとなった。更にその後の経緯によって妻が日本へと帰国を果たすが、ジェンキンスは娘達と共に北朝鮮側の監視に加え、逃亡兵となっている立場から帰国を決めかねていた[3]。2004年、日本政府がアメリカ政府との交渉によって穏当な判決を軍法会議で行う確約を取りつけたことから、同年7月9日、治療という名目で娘2人とインドネシアへ出国し、7月18日に妻のいる日本に入国した[5]

2004年9月11日、ジェンキンスは在日米軍キャンプ座間神奈川県座間市相模原市)へと向かい、陸軍憲兵隊長として出迎えたポール・ニガラ陸軍中佐に敬礼の上で出頭を報告し、軍人としての礼式に則った行動を示した[3]。合衆国軍はジェンキンスが軍の指揮下に戻ることを述べた上で、「貴方と家族がこれよりいかなる時も敬意と尊厳を持って扱われることを保証する」と宣言した[6]。11月3日、軍法会議でジェンキンスは逃亡に関する罪、及び利敵行為に関する罪を認め、合衆国軍は軍曹から二等兵に降格処分の上、不名誉除隊と禁固30日の判決を下した。2004年11月27日、模範囚として予定よりも5日間早く釈放され[3][7]、正式に軍人としての経歴を終えた。

2005年に、93歳となっていた母を見舞うためにアメリカへと家族を連れて帰国し、初対面となる孫と母を引き合わせた[3]。帰国後の6月14日に妻の実家がある佐渡島に居を構え、佐渡市の観光施設の職員として余生を送ることになった[3]。2006年に自らの経験を綴った回想録『告白』[8]を執筆、アメリカでは『望まぬ中での共産主義―逃亡と北朝鮮における40年間の懲役』として2008年3月1日に出版された[9][10]

2008年7月15日には、日本政府から半月前に申請していた永住許可が与えられた[11]。その際、インタビューで日本において余生を過ごしたいと応えており、娘らの事情も含めて帰化も考えていたという[12]。2017年12月11日午後8時52分に体調が急変し死去。自宅前で倒れ病院に運ばれた。死因は致死性不整脈とされるが[13]、ジャーナリストの山田敏弘によれば、MRI検査によっても本当の死因は分からなかったという[14]:40。77歳没。

家族[編集]

1980年に、日本人拉致被害者、曽我ひとみと結婚[15]。翌年に長男が誕生し、正飛(まさひ)と名付けられるが、一日経たずに死んだ[16]。83年に長女美花、85年に次女ブリンダが生まれる[17]。ブリンダは、2017年にジェンキンスにとって初孫となる男児を出産[14]:41

他の在朝米軍兵士[編集]

ジェンキンス以外のアメリカ軍から北朝鮮への逃亡兵として、ジェームズ・ドレスノク一等兵(1962年亡命)、ラリー・アレン・アブシャー一等兵(1962年亡命)、ジェリー・パリッシュ伍長(1963年亡命)の3名の存在が知られている。このうちアブシャーとパリッシュについて、北朝鮮政府は「既に北朝鮮国内で自然死した」と2007年に主張している[18]。残るドレスノク一等兵は2016年に死去するまで北朝鮮で暮らし、北朝鮮政府への忠誠を発言していた[18]

脚注[編集]

  1. ^ “曽我ひとみさん夫、C・ジェンキンスさん死去”. 読売新聞. (2017年12月12日). http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000301/20171212-OYT1T50010.html 2017年12月12日閲覧。 
  2. ^ “拉致被害者 曽我ひとみさんの夫 ジェンキンスさん死去”. NHK. (2017年12月12日). オリジナル2017年12月12日時点によるアーカイブ。. http://archive.is/ERlYK 2017年12月12日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g h i j “Deserter Recalls N. Korean Hell”. CBS News. http://www.cbsnews.com/stories/2005/10/20/60minutes/main959455.shtml 
  4. ^ a b The strange saga of Charles Robert Jenkins”. Asia Times (2004年6月5日). 2015年4月6日閲覧。
  5. ^ "Japan asks U.S. to pardon abductee's American husband", The Japan Times Online, May 16, 2004 (accessed April 18, 2010)
  6. ^ ジェンキンスさん、キャンプ座間に出頭
  7. ^ チャールズ・R・ジェンキンス、2005年、229-234頁。
  8. ^ チャールズ・R・ジェンキンス、2005年、255頁。
  9. ^ “Charles Robert Jenkins with Jim Frederick: The Reluctant Communist”, New titles, University of California Press, http://www.ucpress.edu/books/pages/10992.html 2008年3月15日閲覧。 
  10. ^ Schoenfeld, Gabriel (2008-03-13), “Bookshelf: To Hell and Back”, The Wall Street Journal: D9, http://online.wsj.com/article/SB120537252745332373.html?mod=googlenews_wsj 2008年3月15日閲覧。 
  11. ^ “Jenkins gets permanent residency”. The Japan Times. (2008年7月16日). http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20080716b2.html 2009年9月26日閲覧。 
  12. ^ ジェンキンスさんに永住許可「死ぬまでここにいたい」. 読売新聞 Internet Japanese edition, July 15, 2008. Retrieved on July 16, 2008 (日本語).
  13. ^ “拉致被害者の曽我ひとみさん夫、ジェンキンスさん死去 元米軍人 77歳”. 産経新聞. (2017年12月12日). http://www.sankei.com/world/news/171212/wor1712120012-n1.html 2017年12月12日閲覧。 
  14. ^ a b 山田敏弘「波乱の人生の平穏な最終章」『ニューズウィーク日本語版』 2017年12月26日号
  15. ^ チャールズ・R・ジェンキンス、2005年、121頁
  16. ^ チャールズ・R・ジェンキンス、2005年、130頁
  17. ^ チャールズ・R・ジェンキンス、2005年、143頁
  18. ^ a b "An American in North Korea", 60 Minutes, CBS Television. Produced by Robert G. Anderson and Casey Morgan. Reported by Bob Simon. First broadcast on January 28, 2007.

参考文献[編集]

  • チャールズ・R・ジェンキンス『告白』伊藤真訳、角川書店、2005年10月15日。255頁。ISBN 4-04-791510-6。(角川文庫、2006年9月22日。298頁。ISBN 978-4042962014。)
  • Talmadge, Eric "Deserter Adjusting to Life on Japan Island". Associated Press. January 31, 2005.
  • "U.S. Army Deserter to Seek U.S. Passport". Associated Press. February 28, 2005.

外部リンク[編集]