高世仁

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高世 仁(たかせ ひとし、1953年 - )は日本のジャーナリスト日本電波ニュース社報道部長を経て、現在は報道制作会社ジン・ネット代表。

経歴[編集]

山形県南陽市生まれ。早稲田大学大学院法学研究科博士課程を中退し、1982年に日本電波ニュース社入社。バンコクマニラ特派員を経験。主にアジア各地の反政府ゲリラ支配地も取材の経験があるので、麻薬売買、武器密輸、密航などアジアの裏社会事情にも精通している。フィリピン囚人の臓器売買疑惑をスクープした為に、ガンマンから狙われるなど、危険な取材も多々経験している。1994年に同社報道部長。退職前に北朝鮮による日本人拉致問題についてスタッフと共に取材したレポートを「娘をかえせ息子をかえせ 北朝鮮拉致事件の真相」(1999年旬報社)として発行。その後ジン・ネット設立に伴い、退社。現在もサンデープロジェクトなど報道番組への出演がみられる。

拉致の検証[編集]

高世はもとより日本電波ニュース社時代のスタッフは、度々拉致事案について現地に赴き、貴重な証言や拉致の証言の裏付けを行っている。横田めぐみの場合には、当時の関係者の証言や元工作員の証言の裏付けを行っている。これについて高世は「(安明進をはじめ)元工作員らが、日本側の高額な報酬を求めるあまり、過剰なリップサービスに走る可能性もあり、信憑性を確立させる必要があった」からだとしている。当初横田めぐみの拉致については「姿を見られた為に拉致した」という遭遇拉致(高世による表現)説が主だった。しかし家族が「めぐみは躾けられた子で、ひとりであんな暗い時間に海へ行くなんて考えられない」と話していたこと、また当時の新潟県警の関係者も海岸警備の厳しい新潟県だからこそ、そこで拉致されてすぐに運ばれたのではなく、侵入ポイントなど別の場所から運ばれた可能性を示唆するなど、疑問点も多かった。高世はここに着目し、新潟市の拉致現場に赴いた。拉致現場が海岸ではないこと(住宅は海岸に近かった)、当日日中から現場近くの広い範囲に渡って、不審な車や人物が目撃されていたという証言を得た。これを元に偶発的な拉致ではなく、ターゲットを絞っていた中で下校途中の横田めぐみが狙われた可能性が高く、遭遇拉致ではないと確信したという。高世は著書の中で「予め袋を用意していれば、拉致した地点で被害者を袋に入れるという面倒な行動をしなければならず、遭遇拉致の前提も崩れてしまう」と述べている。

また1978年に発生したレバノン人女性拉致事件では、スタッフと共にレバノンに赴き、被害者との接触に成功する[1]。事件以来20年以上たってもその傷が癒えていない女性たちとの取材は困難を極め、芋づる式に次々と証言を得られるという狙いは外れた。しかし被害者のうち1人が現在も北朝鮮に在住しているという情報を掴む。

この被害者がアメリカ兵と結婚し平壌で生活している情報を掴んだ高世らは、韓国に駐在しているアメリカ兵の可能性が高いと考え、越国したアメリカ兵についての情報を捜した。その結果、1960年から1965年にかけて4人のアメリカ兵が北朝鮮に逃亡したリストを入手した。[2]。レバノンから拉致された女性の1人が、韓国から逃亡したアメリカ兵と結婚し、今も北朝鮮で暮らしているという、この取材の結果は高世とスタッフの懸命な調査で初めて明らかになった。高世自身も著書のあとがきにて「他の(メディアの)追随を許さなかった」と評した。

著書[編集]

  • 「スーパーKを追え」(1997年旬報社
  • 「娘をかえせ息子をかえせ 北朝鮮拉致事件の真相」(1999年、旬報社)
  • 「拉致―北朝鮮の国家犯罪」(2002年講談社文庫
  • 「北朝鮮「対日潜入工作」」(共著、2003年宝島社文庫
  • 「金正日「闇ドル帝国」の壊死」(2006年光文社
  • 「DVDBOOK チェルノブイリの今 フクシマへの教訓」(2011年、旬報社)
  • 「神社は警告する─古代から伝わる津波のメッセージ」(共著、2012年、講談社)
  • 「イスラム国とは何か」(常岡浩介共著、2015年、旬報社)

脚注[編集]

  1. ^ 当時地元の商社に勤務していた被害者は最初は北朝鮮関係者が来たと思ったらしく、不安を隠さなかったという。名刺を渡されて、相手が日本のメディアとわかっても受け取る手が震えていたと高世は記憶している。彼女は「その件について取材に来たのはあなた方が初めてです」と話している。
  2. ^ この4人の中には、後に拉致被害者である曽我ひとみと結婚するチャールズ・ジェンキンスも含まれている

参考文献[編集]

外部リンク[編集]