常岡浩介

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常岡 浩介(つねおか こうすけ、1969年7月1日 - )は日本のジャーナリスト東京都中野区在住。イスラム教改宗後の名前はシャミル

経歴[編集]

長崎県島原市生まれ。早稲田大学人間科学部在学中にアルジェリア、リビアなどを旅し、日本に伝えられている状況と現地の状況のギャップを知り、ジャーナリストを志す。

1994年長崎放送報道部記者。1998年に退社しフリーに。

2000年にイスラム教に改宗。

一時期、アジアプレス・インターナショナルに所属。

2001年6月、チェチェン共和国アブハジア取材中に行方不明と報道される。

2003年インテルファクス通信が「日本国籍のチェチェン国際テロリスト」と報道する。

2004年イングーシ共和国にて取材中、ロシア秘密警察に身柄を拘束される。同年ロシアを強制退去処分。

2010年4月1日アフガニスタンにてターリバーン幹部を取材直後、誘拐される。同年9月に解放。犯人は、常岡はアフガニスタン政府系のヒズミ・イスラミと呼ばれる組織だと語るが、アフガニスタン政府はタリバンが犯人であると説明している。犯人側もタリバンを自称していたという。

2011年9月17日パキスタンで取材活動を行っていた最中、首都イスラマバードからクエッタに向けて移動するために立ち寄ったベナジル・ブット国際空港にて、同行の中田考とともにパキスタン当局に拘束される[1][2]。中田はすぐに解放されるも常岡は空港ロビーで9月22日まで6日間拘束され続け、同日強制送還により帰国。拘束していた情報機関職員は日本政府からの依頼による拘束と説明していたが、日本大使館は依頼を否定している[3]。またパキスタン政府は拘束の理由については明らかにしていないが、地元の報道によると、常岡がアフガニスタンに行きジハードに参加しようとしているために拘束したとしている[4]。拘束中に大量の蚊に刺されたためにデング熱に罹患する[5]

過激派組織ISILとの関係[編集]

  • 過激派組織ISIL支配地域へも中田とともに渡航しており、2014年10月に当時26歳の日本人大学生がISILで戦闘員になるために渡航を試みたとして、私戦予備・陰謀事件として阻止された案件で、関係者として警視庁公安部外事第三課による家宅捜索を受け、パソコンや周辺機器、携帯電話などを押収された。常岡は学生をISIL司令官に引き合わせるための引率役を引き受けていた[6]

過激派組織ISILによる日本人拘束事件[編集]

  • ISILによる日本人拘束事件に関連して2015年1月22日に記者会見を行い、ISILに誘拐されている日本人二人の解放について、同国高官と話し合う用意があると述べた。また、警視庁公安部の捜査を非難した[7]

主な著書[編集]

共著[編集]

  • 『常岡さん人質になる。』 画:にしかわたく 岡本まーこ エンターブレイン 2011年
  • 『リアルタイムメディアが動かす社会:市民運動・世論形成・ジャーナリズムの新たな地平』八木啓代上杉隆ほか 東京書籍 2011年

外部リンク[編集]

関連事項[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ [1]
  2. ^ “パキスタン:当局が常岡さんを一時拘束 日本に強制送還”. 毎日新聞. (2011年9月24日). http://mainichi.jp/select/world/news/20110924k0000m040128000c.html 2011年10月6日閲覧。 
  3. ^ [2]
  4. ^ “Diplomat meets detained journalist”. dawn. (2011年9月22日). http://www.dawn.com/2011/09/22/diplomat-meets-detained-journalist.html 2011年9月22日閲覧。 
  5. ^ [3]
  6. ^ 家宅捜索された中田考氏 緊急インタビュー IWJ Independent Web Journal 2014年10月9日
  7. ^ 72時間は短すぎる日刊スポーツ(2014年1月22日)