常岡浩介
常岡 浩介(つねおか こうすけ、1969年7月1日 - )は、日本のジャーナリスト。東京都中野区在住。イスラム改宗後のムスリム名はシャミル。
経歴[編集]
長崎県島原市生まれ[1]。青雲高等学校[2]から早稲田大学人間科学部に進学。大学在学中にアルジェリア、リビアなどの紛争地を旅した[1]。
1994年、長崎放送報道部記者に。長﨑県警の内部犯罪を取材、発表。[3][1]。4年半後に退社し[1]、1998年からイスラム世界各地の戦場で取材を行う[1]。
一時期、アジアプレス・インターナショナルに所属していたが、2001年3月にメンバー資格剥奪[1]。
2001年6月、ジョージア、アブハジア取材中に行方不明と報道される。同年12月にジョージア政府から日本大使館員に引き渡され帰国。
2003年1月、インテルファクス通信から「日本国籍のチェチェン国際テロリスト」と名指しで報道される[4][5]。
2004年、ロシアイングーシ共和国にて取材中、「所持している衛星携帯にGPSが付いている」という理由でロシア秘密警察に身柄を拘束される。16日間の拘束後、1000ルーブルの罰金刑を受け、ロシアを国外退去に。
2010年4月1日、アフガニスタン、クンドゥーズ州イマム・サヒーブ郊外にてターリバーン幹部を取材直後、現地で地域警察として活動している政府側組織ヒズビ・イスラミ・ムタッヒド(統一イスラム党)の腐敗分子によって誘拐される。同年9月に無償解放。犯人グループはターリバーンに成りすまし、在カブール日本大使館に電話で身代金要求などを繰り返していたが、日本政府は徹底拒否した[6]。[7]
2011年9月17日、パキスタンで取材活動を行っていた最中、首都イスラマバードからクエッタに向けて移動するために立ち寄ったベナジル・ブット国際空港にて、同行の中田考とともにパキスタン秘密警察ISIに拘束される[8][9]。中田は数時間後に解放されるも常岡は空港ロビーで9月22日まで6日間拘束され続け、強制送還により帰国。拘束していた情報機関職員は日本政府、それも「日本の情報機関」からの依頼による拘束と説明していた。日本外務省は依頼した事実を否定しながら、国際法に違反して日本国民を拘束したはずのパキスタン政府への抗議も行わなかった[10]。地元の英字紙DAWNの報道によると、常岡がパキスタンからアフガニスタンに越境しターリバーンに参加して米軍を攻撃しようとしているという情報提供があったためにISIが拘束したとしている[11]。拘束中に大量の蚊に刺されたためにデング出血熱に罹患する[12]。
2012年6月、同志社大学と協力して常岡、中田考らはターリバーン公式代表らを京都に招聘。30年以上続くアフガニスタン内戦で初めて、カルザイ政権とターリバーンの双方の代表者が、一つのテーブルに就き、和平について協議を行った。これを受けて、翌7月、東京で開かれたアフガニスタン支援国会議で、米国のヒラリー・クリントン国務長官(当時)、パキスタンのカル外相、アフガニスタンのカルザイ大統領(当時)が共同声明を出し、三ヶ国が協力してターリバーンとの和平交渉を推進すると宣言した。[13][14][15]来日したターリバーン代表ムハンマド・ディーン・ハニーファ氏は国連のターリバーン制裁リストに載っている人物であり、外国旅行が禁じられていたはずだが、パキスタンのアフガン領事館でアフガニスタンのパスポートを取得し、カタールを経由して来日し、日本側では岡田克也外務大臣(当時)が決済していた。のちにロシアが「制裁違反」であるとして日本に抗議したが、日本は無視している。[16]
2016年11月1日までに、クルディスタン地域政府(KRG)に拘束されていたことが分かったが[17]、11月7日に解放された[18][19]。
過激派組織ISILとの関係[編集]
- 2014年9月5日に、中田考とともにシリアのISIL支配地域へ渡航。現地で拘束されることなく帰国し、取材した動画などをメディアで発表した。この年の8月からISILに拘束されていた湯川遙菜氏の裁判に立ち会うという名目で、ISIL側から招待されたと説明しているが、実際には裁判は開かれなかったという。
- 2014年10月に当時26歳の北海道大学の学生がISILで戦闘員になるために渡航を試みた私戦予備・陰謀事件で、参考人として警視庁公安部外事第三課による家宅捜索を受け、パソコンや周辺機器、携帯電話などを押収された[20]。警視庁はその後、常岡を被疑者として任意出頭を要請したが常岡は拒否。警視庁は常岡を含め、中田、北大生のいずれも逮捕も、検察への送致もしておらず、当然、起訴もされないままである。
- ISILによる日本人拘束事件に関連して2015年1月22日に記者会見を行い、ISILに誘拐されている日本人二人の解放について、同国高官と話し合う用意があると述べた。また、ISILに拘束されていた湯川遙菜氏の救援を上述の家宅捜索によって妨害したとして、警視庁公安部の捜査を批判した[21]。
主な著書[編集]
- 『ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記』アスキー・メディアワークス/角川グループパブリッシング、2008年。
共著[編集]
- 画:にしかわたく 岡本まーこ『常岡さん人質になる。』エンターブレイン、2011年。
- 八木啓代、上杉隆ほか『リアルタイムメディアが動かす社会:市民運動・世論形成・ジャーナリズムの新たな地平』東京書籍、2011年。
- 常岡浩介、高世仁『イスラム国とは何か』旬報社、2015年
脚注[編集]
- ^ a b c d e f g シャミルシェルコ・常岡浩介とはナニモノ??
- ^ “☪常岡浩介容疑者☪さんのツイート”. 2017年5月26日閲覧。
- ^ 寺澤有氏の講演内容より
- ^ 常岡はなにを晒してきたのか?
- ^ Declaration of Japanese journalists for «Kvestnik.org»より
- ^ 常岡浩介、カルザイ政権の闇と拘束の真相を語る(中央公論2010年10月号)より
- ^ 常岡浩介が味わった怒りと絶望「死を2度覚悟した」(週刊朝日2010年9月24日)より
- ^ Google+への投稿(Sep 19, 2011)
- ^ “パキスタン:当局が常岡さんを一時拘束 日本に強制送還”. 毎日新聞. (2011年9月24日). オリジナルの2011年9月25日時点によるアーカイブ。 2011年10月6日閲覧。
- ^ Google+への投稿(Sep 22, 2011)
- ^ “Diplomat meets detained journalist”. dawn. (2011年9月22日) 2011年9月22日閲覧。
- ^ Twitterへの投稿(2011年9月24日)
- ^ 同志社大内藤正典教授のTwitterへの投稿(2012年6月29日)
- ^ 同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科 内藤正典教授(masanorinaito)による、『「アフガニスタンの和解と平和構築」に関する国際会議』についてのあれこれに関するお話(2012年7月5日)
- ^ Wall Street Journal Afghan Foes Sit Together in Kyoto 28th June 2012より
- ^ Database Afgan biographyより
- ^ “ジャーナリスト常岡浩介さん、イラクで拘束”. 朝日新聞. (2016年11月1日)
- ^ “イラクで拘束 常岡浩介さんが解放”. 日テレNEWS24. (2016年11月7日17時48分). オリジナルの2016年11月8日時点によるアーカイブ。 2016年11月7日閲覧。
- ^ “ジャーナリスト常岡浩介さん、イラクで拘束 モスル奪還作戦を取材中”. The Huffington Post Japan (2016年11月1日). 2016年11月23日閲覧。
- ^ 家宅捜索された中田考氏 緊急インタビュー(IWJ Independent Web Journal 2014年10月9日)
- ^ “72時間は短すぎる”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2015年1月23日). オリジナルの2015年1月23日時点によるアーカイブ。
関連項目[編集]
- アレクサンドル・リトビネンコ - 生前より親交があった
- 勝谷誠彦 - 早稲田大学のサークル『少女漫画研究会』の先輩に当たるが、常岡との関係はよくない
- 日垣隆 - 2010年の誘拐事件を自作自演と批判するも根拠は示さず
- 安田純平 - 古くから親交があり、頻繁に情報交換を行っていた
- ISILによる日本人拘束事件