飯塚繁雄

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いいづか しげお
飯塚 繁雄
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2014年1月30日、駐日アメリカ合衆国大使公邸にて
生誕 (1938-06-08) 1938年6月8日(83歳)[1]
日本の旗 日本東京市神田区(現・東京都千代田区神田[1][注 1]
国籍日本の旗 日本
出身校埼玉県立川口工業高等学校[2]
配偶者あり[2]
子供3人[2][注 2]
家族田口八重子[2](妹)

飯塚 繁雄(いいづか しげお、1938年昭和13年〉6月8日[1] - )は、日本人権活動家北朝鮮による拉致被害者である田口八重子の長兄。北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表。

来歴[編集]

1938年(昭和13年)6月8日、東京市神田区(現・東京都千代田区神田[注 3])で生まれる[1]

疎開で各地を転々とし、終戦後は川口市へ移住[2]。15歳で家計を支えるため民生デイゼル工業株式会社(現・UDトラックス株式会社)へ入社し、機械技術者となるため埼玉県立川口工業高等学校の定時制に入学する[2]。昼は働き、夜は学校へ通う生活を送る[2]

17歳の時に末妹の八重子が生まれ、28歳の時に結婚。3人の子どもを授かる[2]

1960年(昭和35年)、日産ディーゼル工業(旧・民生デイゼル工業)の上尾工場建設に伴って上尾市に移住する[2]

1978年(昭和53年)、妹の八重子が失踪。八重子の長男・耕一郎を養子に迎える[1][2]

1987年(昭和62年)、大韓航空機爆破事件の発生を機に八重子が北朝鮮に拉致されたことが発覚する[2]

1998年平成10年)、45年間勤めた日産ディーゼル工業を定年退職[2]

2002年(平成14年)、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(通称・家族会)の活動に参画[1][2]2008年に家族会の代表に就任した[1]

著書[編集]

  • 妹よ:北朝鮮に拉致された八重子救出をめざして(2004年、日本テレビ放送網)、ISBN 978-4-8203-9891-2

関連人物[編集]

脚注[編集]

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出典[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 東京都中央区出身とする文献もある。
  2. ^ 養子に迎えた八重子の長男・耕一郎を含めると4人。
  3. ^ 或いは東京都中央区