アノーチャ・パンジョイ

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Anocha Panjoy
アノーチャ・パンジョイ
生誕アノーチャ・パンジョイ
タイ語: อโนชา ปันจ้อย

(1955-07-12) 1955年7月12日(67歳)
タイ王国の旗 タイ チエンマイ県 サンカムペーン郡
失踪1978年失踪(22 - 23歳)
失踪から44年6か月と27日
ポルトガル領マカオ
国籍タイ王国の旗 タイ
職業マッサージガール
家族夫:ラリー・アレン・アブシャー
父:ソム・パンジョイ
兄:スカム・パンジョイ
甥:バンジョン・パンジョイ

アノーチャ・パンジョイ (Anocha Panjoy; タイ語: อโนชา ปันจ้อย; rtgsAnocha Panchoi; 1955年7月12日 - ) は、1978年7月にポルトガル領マカオから北朝鮮の工作員によって拉致されたタイ王国国籍の女性[1][2][3][4]。彼女の事件は、アメリカ人チャールズ・ジェンキンス(拉致被害者曽我ひとみの夫[5])と彼の家族が2004年(曽我ひとみは2002年)に解放されてから知られるようになった[6]

おいたちと拉致[編集]

パンジョイは1955年、タイ北部のチエンマイ県 サンカムペーン郡の農村に生まれた[7]。彼女の父ソム・パンジョイは朝鮮戦争の退役軍人であった。母は彼女が子どもの頃に亡くなり、姉もいたが夭逝した[8]。父のソムは彼女の身に起こったことが何であったのかが明らかになる3か月前に死去した。

高校卒業後、彼女はバンコクに移り、さらによい仕事を求めてマカオ(当時はポルトガル領)に移り住んで、2〜3カ月、現地のホテルでマッサージセラピストとして働いていた[1][8][9]

1978年7月、彼女は地元の美容院に行くと友人に告げ、アパートを出た。チャールズ・ジェンキンスの The Reluctant Communist (消極的な共産主義者)と題する本には、パンジョイによって彼に語られた拉致の事実が記されている。パンジョイは「自称日本人」観光客の男をボートツアーに連れて行き、ガイドすることに同意した[1]。7月2日、彼女は近くの海岸で待ち伏せされ、無理やりボートに乗せられて拉致され、北朝鮮に連行された[1][9][10][注釈 1]

チャールズ・ジェンキンスの日本入国後の証言では、パンジョイの勤務中、数人の客から、もう数日でマカオから日本に帰国するので一緒に写真を撮りに街に出てくれと頼まれ、上司にもそうするように命じられた[8]。職務命令であるところから、パンジョイは客とともに外出した。数人の客は、昼間は海岸などで写真撮影をしていたが、夜になると急に彼女を襲い、縛り上げ、猿ぐつわをした上で、注射を打ち、彼女を深い草むらに放置したまま車でどこかに消え去った[8]。1〜2時間経過すると、車が戻ってきて、どこからか連れてきた別の2, 3人とともに彼女を担ぎ上げ、丘を越えて農村を通過し、船に乗せた[8]。農村を通過する時、彼女がうめき声をあげるので、連中は声を出せば殴って気絶させると脅した、と彼女は語っていたという[8]

アノーチャ・パンジョイは、乗せられた船は必ずしも大きくなかったと語っているが、いずれにしても、彼女は甲板の下の船室に放り込まれ、そこで2, 3日を過ごした[8]。3日目には、洗濯のために着ていた服を脱がせられ、その翌日、船が北朝鮮の海岸に接岸した[8]。アノーチャはそれがどこか分からなかったと述べていたが、ジェンキンスは清津港ではないかと考えている[8]

北朝鮮での生活[編集]

平壌に到着してすぐに、彼女はアメリカ人脱走兵のラリー・アレン・アブシャーと出会い、結婚した[注釈 2]。1978年11月か12月頃のことであり、北朝鮮当局は、アブシャーにパンジョイとの同居を勧めたが、当初、アブシャーはどのような人をあてがわれるかを知らされておらず拒否していた[8]。北朝鮮当局は、相手は外国人であり、きっと自身のためになると説得を続けたという[8]1980年、パンジョイと夫はジェンキンス・曽我ひとみ夫婦の住むアパートに転居し、家族同士仲良くなった[5]。アブシャーは1983年心臓発作で死去したが、その後もパンジョイとジェンキンス夫妻は親しく交際した[8][注釈 3]。アブシャーとパンジョイのあいだには子がなかった[8]

パンジョイは、政府のために働いていた東ドイツ出身の工作員と結婚した1989年まで、ジェンキンス家の近くに住み続けた。曽我とジェンキンスがパンジョイを最後に見たのは、2度目の結婚式の直前のことである[10][14]。パンジョイの再婚相手は、ヨーロッパに頻繁に出張していた[8]。北朝鮮当局としては彼女の新しい夫となるドイツ人がどんな活動をしているか、ジェンキンスらに知られたくなかったのであり、同時にそのドイツ人の夫には脱走兵や拉致被害者の存在を知られたくなかったとみられる[8]。ジェンキンスらは大学で英語を教えていたが、件のドイツ人は1回の出張が長期にわたり、パンジョイとその夫は語学教師をすることもあったが、その頻度は少なかった[8]

ジェンキンスは、パンジョイと会うたびに彼女がタイに帰り、家族と再会したがっていたことを証言している[2]

2000年以降の目撃情報[編集]

ジェンキンスが日本に向けて出発する直前の2003年、彼は北朝鮮当局者から、もし北朝鮮に残ることを選ぶならばパンジョイと一緒に暮らすことが許されると告げられた。これはジェンキンスに彼女がまだ生きていると確信させるものであった[2]

ジェンキンスがテレビインタビュー中に持っていたパンジョイの写真を示し、彼女の兄がその放送を見て写真の女性がパンジョイであることを認めた2005年まで、パンジョイの家族は彼女の状態に関する情報を何ら持ちあわせていなかった[10][15][16][17][18]。彼女の家族は、彼女が少なくとも1989年までは生きていたと理解するや、すぐさま彼女を取り戻すべく救出活動を開始した。

2005年、パンジョイの兄は 「家族会」(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)の事務局次長である増元照明と面会した。アノーチャの兄スカム・パンジョイは、父の死後も、マカオで失踪した妹が生きていることをずっと信じていた[7][19]のバンジョン・パンジョイも父スカムの手紙を持参し、東京へ6度訪れている[19]

2006年、パンジョイの故郷に近いチエンマイでは、彼女の事件に注目してもらうための写真展を開催した[20]。彼女の兄スカム・パンジョイは、「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会、NARKN[21])とワシントンD.C.拉致連絡会(Rescuing Abductees Center for Hope、ReACH[22])の支援を受けて、妹に向けた公開書簡を書いた。        

この手紙を読んだ後、私がいなくて寂しいと思うでしょうか。あなたのニュースを見て以来、私たちの家族の誰もがすぐにあなたに会いたいと思っています。この拉致はあなたに起こるべき出来事ではなかった。誰もがあなたに会いたがっています。あなたが姿を消した後、私たちは多くの試練や苦難に直面してきました。あなたを見つけようと私たちは多くのお金も費やしてきました。父が病気になり、私はついに97歳で入院させました。しかし、その父も昨年亡くなりました。この手紙を読んで、あなたが家族全員を恋しく思うことを私は願っている。あなたの家族は、あなたが帰るのを助けたいと思っています。あなたは何も恐れる必要はありません[23]

2011年12月に金正日が死去した[24]。これにより、国家間の交渉が進展するのではないかという希望的観測もかつては存在した。1977年に北朝鮮の工作員たちに対し「マグジャビ」(手当たり次第)に外国人を誘拐するよう命じた人物こそ金正日だったからである[7]

アノーチャ・パンジョイは北朝鮮工作員によって拉致されたのに、当の北朝鮮は彼女が自国の国内にいたことを否定している[1]。北朝鮮はまた、日本から以外のどの国の国民の拉致も認めていないのである[25]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 1978年1月に金正日によって拉致され、1986年3月に脱出に成功した韓国の有名な女優、崔銀姫は、北朝鮮での抑留生活のなか、ポルトガル領マカオから拉致されてきた「ミス・孔」(本名、孔令譻)という中国人女性と知り合った[11]。「ミス・孔」はマカオのリスボア・ホテルの宝石店で働いていた1978年7月2日、蘇妙珍というもう1人の女性とともに拉致された[11]。彼女たちはその日、日本人を名乗る裕福そうな男性2人に観光ガイドを頼まれており、彼らのガイドのため海岸に行ったところを拉致された[12]。孔令譻らの失踪とアノーチャ・バンジョイの拉致は同日のことであり、同じ船で北朝鮮に連行された可能性がある[1]
  2. ^ チャールズ・ジェンキンス(1965年1月入北)は、北朝鮮でアブシャー二等兵(1962年5月入北)、ジェームズ・ドレスノク一等兵(1962年8月入北)、ジェリー・パリッシュ伍長(1963年12月入北)ら他の米軍逃亡兵とともに抑留生活を送った[13]。ドレスノクはルーマニア人拉致被害者のドイナ・ブンベアと、パリッシュはレバノン人拉致被害者のシハーム・シュライテフと結婚した。
  3. ^ アノーチャ・パンジョイは、ジェンキンス・曽我夫妻とともに1980年代のほとんどを平壌市勝湖地域立石里で生活した[12]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 世界に広がる拉致問題”. 国際会議「北朝鮮による国際的拉致の全貌と解決策」全記録. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2006年12月14日). 2021年10月23日閲覧。
  2. ^ a b c Bangkok's Independent Newspaper”. Nationmultimedia.com (2007年9月19日). 2016年3月3日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年7月28日閲覧。
  3. ^ The Abductees We Must Not Forget”. Daily NK (2010年4月28日). 2012年7月28日閲覧。
  4. ^ “Asia-Pacific | N Korea 'kidnapped Thai woman'”. BBC News. (2005年11月7日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4414362.stm 2012年7月28日閲覧。 
  5. ^ a b Jenkins, Charles Robert (2007). The Reluctant Communist: My Desertion, Court-Martial, and Forty-Year Imprisonment in North Korea, University of California Press, Berkeley. ISBN 0520253337
  6. ^ “Michael Kirby and a generation stolen by North Korea”. The Sydney Morning Herald. http://www.smh.com.au/world/michael-kirby-and-a-generation-stolen-by-north-korea-20131005-2v0rk.html 
  7. ^ a b c 「ニューズウィーク日本版」2006年2月22日(通巻993号)pp.32-34
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 救う会全国協議会ニュース 「北朝鮮による国際的拉致の実態と解決策に関する国際会議」”. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2006年12月14日). 2021年9月20日閲覧。
  9. ^ a b NARKN”. Sukuukai.jp. 2012年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月28日閲覧。
  10. ^ a b c Frederick, Jim (2005年11月14日). “North Korea: Prisoner of Pyongyang?”. Time. オリジナルの2008年3月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080308111737/http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1129625,00.html 2012年7月28日閲覧。 
  11. ^ a b 崔・申『闇からの谺(上)』(1989)pp.246-252
  12. ^ a b 救う会全国協議会ニュース 「マカオ人拉致被害者孔氏が金賢姫氏の中国語教師」”. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2009年3月10日). 2021年9月20日閲覧。
  13. ^ 救う会全国協議会ニュース 「島田洋一救う会副会長の米議会下院公聴会への提出文書(日本語訳)」”. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2006年6月5日). 2021年9月20日閲覧。
  14. ^ Chongkittavorn, Kavi (2008年11月15日). “The Nation: Thailand's top English news website”. Nationmultimedia.com. 2012年7月13日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年7月28日閲覧。
  15. ^ Brother of Thai abductee to North seeks assistance”. The Japan Times. 2012年8月2日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年7月28日閲覧。
  16. ^ Anocha's family ask govt to get her back”. Nationmultimedia.com (2006年2月16日). 2013年1月29日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年7月28日閲覧。
  17. ^ Lost, Without a Trace - Newsweek and The Daily Beast”. Thedailybeast.com (2006年2月19日). 2012年10月12日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年7月28日閲覧。
  18. ^ “Jenkins Photo Proof Of Kidnapping?”. CBS News. (2009年2月11日). オリジナルの2012年4月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120429044405/http://www.cbsnews.com/2100-18560_162-982127.html 2012年7月28日閲覧。 
  19. ^ a b 報告「11.バンジョン・パンジョイ タイ人拉致被害者アノーチャ・パンジョイさん甥」”. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2006年4月9日). 2021年9月20日閲覧。
  20. ^ Exhibition on Thai North Korean Abductees Held”. Daily NK (2008年7月16日). 2012年7月28日閲覧。
  21. ^ ARNKA.com”. ARNKA.com. 2013年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月28日閲覧。
  22. ^ ReACH: Rescuing Abductees Center for Hope”. Reachdc.net. 2012年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月28日閲覧。
  23. ^ ReACH: Rescuing Abductees Center for Hope”. Reachdc.net. 2008年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月28日閲覧。
  24. ^ N. Korea Kidnapped Other Asian Women”. Monthly Chosun. 2012年7月28日閲覧。
  25. ^ “UN probe revives hope for Thai 'abducted by N. Korea'”. Fox News. (2013年9月26日). http://www.foxnews.com/world/2013/09/26/un-probe-revives-hope-for-thai-abducted-by-n-korea/ 

参考文献 [編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]