九州南西海域工作船事件

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横浜海上防災基地に展示されている工作船

九州南西海域工作船事件(きゅうしゅうなんせいかいいきこうさくせんじけん)とは、2001年(平成13年)12月22日東シナ海で発生した不審船の追跡事件である。不審船は海上保安庁巡視船と交戦の末爆発、沈没した[1]

概要[編集]

1999年(平成11年)3月23日に、能登半島沖不審船事件が発生、日本近海で北朝鮮による工作船が暗躍している可能性が認められていた。

この事件における最初の不審船の情報は、2001年(平成13年)12月18日アメリカ軍から情報を受け取った防衛庁により海上保安庁へと伝達された。海保は、この情報を元に東シナ海公海上で「長漁3705」と記された漁船のような外観の国籍不明船を発見し、「排他的経済水域(EEZ)内において、漁船型船舶『長漁3705』の乗組員が『排他的経済水域における漁業等に関する主権的権利の行使等に関する法律 第5条第1項』の規定に違反する無許可漁業等を行っている疑いがあった」[2]として、漁業法に基づいて停船を命令、巡視船による立ち入り検査を試みたが、当該不審船はこれを無視して逃走した。

これを受けて、巡視船は漁業法違反(立入検査忌避)容疑で強制捜査を行うために上空や海面への威嚇射撃を行ったが、なおも不審船が逃走を続けたため、警告を発した後に警察官職務執行法を準用した海上保安庁法に基づいて、機関砲による船体砲撃を行った。

22日深夜に、巡視船が不審船に強行接舷を試みたところ、乗員が巡視船に対して突如として小火器携行式ロケット砲による攻撃を開始した。これを受けて巡視船側も正当防衛射撃で応射し、激しい銃撃戦が繰り広げられた。その後不審船は爆発を起こし沈没した。この銃撃戦で日本側は海上保安官3名が銃弾を受けて軽傷を負い、不審船側は10名以上とされる乗組員全員が死亡したものと推定されている(8名の死亡のみ確認)。

事件発生直後は「九州南西海域不審船事件」などと表現されていたが、沈没した不審船を海底から引き上げた結果、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作船であることが判明し、現在では「九州南西海域工作船事件」と称される。

事件の経過[編集]

米軍情報と不審電波[編集]

2001年(平成13年)12月18日頃に在日アメリカ軍から不審船に関する情報が防衛庁に提供され、それを受けて各通信所に北朝鮮に関する無線の傍受を指示、翌12月19日喜界島通信所が不審な通信電波を捕捉したため、海上自衛隊機は喜界島近辺海域を哨戒した。

不審船の発見[編集]

12月21日16時32分に、鹿屋航空基地所属のP-3C対潜哨戒機が、東シナ海の九州南西海域(奄美大島の北北西150キロ)において「長漁3705」と記された不審な船を発見した。一報は17時30分に中谷元防衛庁長官に、18時頃には内閣総理大臣秘書官内閣官房長官秘書官にも伝えられた。

防衛庁は、18時30分頃に鹿屋航空基地に帰投したP-3Cが撮影した画像を解析し、対象船舶は北朝鮮の工作船の可能性が高いと判断、翌12月22日1時に防衛庁長官に「工作船の可能性が高い」との分析結果が報告され、1時10分、内閣総理大臣秘書官、内閣官房長官秘書官、海上保安庁に通報した。

海上保安庁と自衛隊の出動[編集]

通報を受けた海上保安庁は、これを捕捉すべく追尾することとし、第十管区(鹿児島)・第十一管区(那覇)本部の稼動可能な航空機および巡視船艇を出動させた。また、第七(福岡)・第八(舞鶴)管区などにも警戒態勢をとらせた。現場に向かった巡視船艇は24隻、航空機は14機に及んだ[3]

海上自衛隊も、情報を受けて佐世保地方隊の一部に緊急出航を命じた。11時20分に佐世保基地から護衛艦こんごう」「やまぎり」(第2護衛隊群所属)を現場へ向かわせている。政府からは、海上自衛隊特別警備隊(SBU)に出動待機命令が発令された。

海面や空中への威嚇射撃と船体への射撃[編集]

同日6時20分、奄美大島の北西240キロで西進する船影を海上保安庁のビーチ350が確認、12時48分には、まず180トン型巡視船「いなさ」(当時長崎海上保安部所属)が同船を視認した。約20分後、「漁業法励行」のため、船尾に国旗を掲揚していない不審船に対して航空機と巡視船から最初の停船命令が発せられた。不審船はこれを無視して逃走を続けたため、拡声器無線による多言語、旗りゅう信号発光信号汽笛などによる音響信号、発炎筒による度重なる停船命令を行った。しかし、不審船はさらに逃走を続け、15時ごろには排他的経済水域の日中中間線を超えてなおも西進を続けた[3]

この時点で「漁業法違反容疑(立ち入り検査忌避)」が成立したため、巡視船は「停船しなければ銃撃を行う」という意味の旗りゅう信号をマストに掲揚し、朝鮮語などの多言語で同様の射撃警告を行った後、逃走防止のため、「警察官職務執行法第7条」を準用した「海上保安庁法第20条1項」を遵守しながら、14時36分からRFS20mm機関砲による不審船の上空および海面への威嚇射撃を行った。以後、45分間にわたって断続的に計5回、段階的に警告度を高めつつ威嚇射撃を実施したものの、不審船はいずれも無視していた。また立ち入り検査と威嚇射撃を止めさせるためか、乗組員が甲板上で中国の五星紅旗のような赤い布を振って見せた。なお14時15分の時点で、縄野海上保安庁長官は、船体を狙った射撃も含めた威嚇射撃を許可していた。またこの間に、350トン型巡視船「あまみ」(当時名瀬海上保安部所属)、180トン型巡視船「きりしま」(当時串木野海上保安部所属)も現場に到着していた[3]

海上保安官が武器を使用して相手に危害を加えた場合に違法性が阻却される基準(危害射撃が可能な基準)は、海上保安庁法第20条に警察官職務執行法第7条を準用すると従来から定められており、これによると、正当防衛緊急避難懲役3年以上に該当する凶悪犯罪を既に犯したか、犯した疑いのある犯罪者の検挙時に犯人が逃走・抵抗を図り、これを防ぐために他に採る手段がない場合のみに危害射撃が免責される。また、1999年に発生した能登半島沖不審船事件を受けて改正された海上保安庁法第20条により、外国の民間船舶の領海内における航行が、凶悪犯罪を犯すのに必要な準備のため行われているのではないかとの疑いを払拭することができないと海上保安庁長官が認定した場合にも危害射撃を行えるようになっていた。しかし本件では、不審船が未だ凶悪犯罪を起こしていなかったため、警職法に定められた危害射撃時の免責の要件を満たせず、また日本の領海外のEEZ内であったため、改正第20条の免責の要件も満たせず、本庁は難しい判断を迫られた。最終的に本庁は「照準性能が高いRFS付き機関砲であれば、乗員に危害を加えずに船体射撃が可能」という判断を基に船体射撃を行うことを決定した。そして、16時13分から「いなさ」が、不審船の船尾にあると推定される機関を破壊するために、警告放送の後に20mm機関砲による射撃を行った。しかし効果はなく、なおも不審船は逃走を続けた[3]

16時30分、350トン型巡視船「みずき」(当時福岡海上保安部所属)が追跡船隊に参入した。赤外線映像の解析により、主機関は船尾ではなく前部の船倉にあることが判明した(船尾に上陸用舟艇を隠すために船首部分に機関を設置していた)ことから、16時58分、「撃つぞ。船首を撃つから船首から離れろ」との警告の後、「みずき」搭載の20mm機関砲により、船首への射撃を行った。この際、発射された曳光弾が船首の甲板上のドラム缶に備蓄されていた予備燃料に命中、引火し火災が発生した。これにより、17時24分、不審船はやっと停船した。しかし乗組員によって消火器毛布を使った消火活動が行われるとともに、延焼防止のため風上に船尾を向けて後進をかけて炎を船首に追いやることで、30分で鎮火がなされ、南南西に向けて11ノットで逃走を再開した[3]。なお巡視船に取り付けられている赤外線カメラの映像で、この火災の際に不審船の左舷側から乗組員が何らかの物体を海中に投棄したのが確認されているが、物体はすぐに海中に沈んだため、回収するには至らなかった。この物体は、暗号表や乱数表などの機密性の高いもの、あるいは覚醒剤などの違法な物品ではないかと推測されている。

この間、海上保安庁の側も、急行中のヘリコプター搭載巡視船「おおすみ」に乗船した特殊警備隊(SST)の到着を待っていたことから、強攻策は行われなかった。21時00分に、「みずき」が再び船体射撃を行ったが、装填していた20mm機関砲の弾薬がなくなったため、弾薬を再装填するために一時離脱を余儀なくされた。この射撃を受けて、21時35分には不審船は再度停船したが、2分後には再度動き出した。逃走する方向には、10キロほど離れたところに無関係の中国の漁船団が多数操業していることがわかり、不審船はここに紛れ込むことを目論んでいると判断されたことから、特殊警備隊の到着を待たずして不審船を確保する必要が生じた[3]

不審船からの反撃と銃撃戦[編集]

銃撃で損傷した「あまみ」の船橋
銃撃で損傷した「あまみ」の前部マスト灯と甲板監視TV

22時00分、低速で逃走する不審船に対し、「いなさ」が距離を取って監視し、右舷側から「あまみ、左舷側から「きりしま」がサーチライトを照射しながら不審船を挟撃、海上保安官64式7.62mm小銃を構えて強行接舷を試みた[3]。その際、不審船に乗っていた複数の乗組員がZPU-2対空機関砲PK軽機関銃およびAKS-74自動小銃による銃撃を巡視船に対して開始した。

この銃撃を受けた巡視船は、サーチライトを消灯し、全速力で退避しながら20mm機関砲による正当防衛射撃を行なった。「あまみ」の海上保安官は、あらかじめ不測の事態に備えて装備していた64式7.62mm小銃による正当防衛射撃を直ちに行った。ZPU-2が使用されることはなかったが、乗組員は自動小銃を用いて執拗な銃撃を繰り返した上、対戦車擲弾発射器RPG-7を用いて、2発の対戦車擲弾ロケット弾)を発射した。しかし、波で激しく船体が揺れており、視界不良もあって巡視船に命中することはなかった。このロケット弾発射の様子は、上空を飛んでいた海上保安庁機の採証装置(赤外線カメラ)に映像として記録された。「あまみ」から撮影していたビデオ映像にも、画面は真っ暗だったが、飛翔体が「あまみ」の上を通過した音が記録されており、これはロケット弾が通過した音と推定されている。防弾の施されていない「あまみ」は、銃撃戦による損害が大きく、船橋を100発以上の銃弾に貫通され、3名の負傷者を出している。また、射撃を受けた際に「あまみ」は「後進いっぱい」を命じたため、船体後部のウェルドック内の搭載艇が波浪で押しつぶされるなどの損害も発生している。

不審船の乗組員は、視界不良の中で巡視船が放つ曳光弾の光を頼りに自動小銃で攻撃した。日向灘不審船事件を契機に誕生し、船橋部分が防弾化されていた「きりしま」「いなさ」の損害は軽微であったが、船橋だけではなく主機(エンジン)にも被弾した「あまみ」は、2基ある主機のうち1基が破壊された。

銃撃戦が長引いた理由としては、海上保安庁警察機関の一つであり、該船(取締り対象の)の撃沈や乗員の殺傷による無力化ではなく拿捕・検挙を目的とするため、20ミリ機関砲が持つ本来の3,000発/分の発射速度を500発/分に制限しており、弾薬も、警告射撃の際に被疑者に光で警告する効果を期待して曳光弾を保有しているが、炸薬を充填した榴弾を保有していないことがあげられた。

自爆・沈没[編集]

22時13分、不審船は巡視船と銃撃戦の末、突如爆発、炎上を起こして[2]東シナ海沖の中国EEZ内で沈没した(爆発による火柱が吹き上がるのと同時に沈没したことから、轟沈とも表現される)。不審船が自爆する瞬間まで、乗組員は巡視船に向けて自動小銃を発砲し続けた様子が映像に記録されている。沈没の直後、弾薬の補給を終えた「みずき」も現場に戻ってきた。

本件後に行われた公安当局の解析で、爆発の直前に不審船から北朝鮮本国に「よ、この子は永遠にあなたの忠臣になろう」「万歳」とのメッセージを含んだ電波が発信されたことが判明しており、自爆したものと推測された。

事件後[編集]

漂流者の発見[編集]

23時45分、海上保安庁巡視船航空機は、乗組員6人が漂流しているのを発見したが、自爆攻撃や抵抗の恐れがあったため、救助行為を行えなかった。「みずき船長の証言では、海上保安官が小銃を向けて監視しながら救助用の浮き輪を投げたが、乗組員達は救助を拒否して沈んでいったという[4]

結局、乗組員4名が遺体となって回収された。遺体はDNA鑑定の結果、朝鮮人であることが判明した。

船体の引き上げ[編集]

船の科学館で展示された工作船
船尾から内部を見る(2003年9月撮影)

能登半島沖不審船事件などでも海上警備行動発令を忌避してきた経緯のある自由民主党所属国会議員野中広務ら、日本国内の「親北朝鮮派」とみなされる政治家や、一部のマスメディアの間では、北朝鮮に対する「配慮」と、沈没地点が中華人民共和国のEEZ内であったことから、沈没船体引き上げに対する反対意見があった。

しかし、野中と対立関係にある小泉政権は断固引き上げを前提として中国共産党政府と交渉を重ね、最終的に2002年6月18日に口上書が交わされ[5]、日中外相会談にて確認された[5]。これを受け、海上保安庁は捜査の一環として沈没した不審船の引き上げを実行した。なお、中国EEZ内での引き上げ作業や捜査を許可した中国側に対し、漁業補償の意も込め日本国政府から1億5,000万円の「捜査協力金」が支払われた[5]

沈没した不審船の船体および海底に散らばった遺留品は、2002年9月11日に海中より回収され、鹿児島県の港に運び込まれ、鑑識による分析が行われた。その結果、北朝鮮の工作船であり、遺体で回収された乗組員は北朝鮮の工作員であると断定された。遺体は被疑者としての鑑定後、北朝鮮への返還が検討されたものの、北朝鮮政府および朝鮮総連が無関係の態度を貫いたことから、行旅死亡人として扱われ、火葬された上で鹿児島市無縁仏草牟田墓地内の無縁者納骨堂に葬られた。事件としては漁業法違反と殺人未遂罪で鹿児島地検に書類招致された後に、鹿児島地検は被疑者死亡による不起訴処分としている。

船体の引き上げによって得られた成果の一つには、工作船の弱点に関する発見があった。海上保安大学校では、研究チームが船体を検分して精密な模型を制作し、様々な実験を行なったところ、波の高さが3メートルを超えた場合、不審船の速力は大幅に低下することが判明した。これにより、事件当時、工作船が悪天候の中を低速で逃走した謎は解明された。

工作・犯罪関連者の検挙と指名手配[編集]

警察による捜査の結果、この事件で沈没した工作船は、3年前の1998年南西諸島沖の東シナ海暴力団覚醒剤を売り渡していた船だったことが余罪として発覚した。この工作船から覚醒剤を受け取った暴力団員らは、後日高知県窪川町の海岸に覚醒剤の陸揚げを謀った「高知県沖覚醒剤密輸事件」を引き起こし、検挙された。

押収された遺留品は、日本国内用の携帯電話J-PHONEプリペイド式携帯電話「J-T03」)、GPSプロッターポケコントランシーバーアイコムのオールモードアマチュア無線機(以上は日本製)、鹿児島県枕崎市沿岸の詳細な地図、金日成バッジなどであった。当時は、携帯電話の契約者の身元を確認するシステムが甘く、契約者の特定には至らなかったが、岐阜県内の販売店で購入されたものであった。そのメモリーには、日本国内にある反社会的勢力指定暴力団)の密接交際者で、身分を偽るため韓国民団に偽装在籍していた特別永住者の在日韓国人男性・Uとの数十回におよぶ通話記録が残っていた。

北朝鮮工作機関による犯罪の多くは、日韓併合の歴史的経緯により日本で生まれ育った「土台人」と呼ばれる特別永住者の人脈を利用して行われたとされる。元公安調査庁長官が退官後に報道機関に明らかにした談話によれば、暴力団やフロント企業などの反社会的勢力の内部には、すでに土台人の人脈が張り巡らされ、対日有害活動が行われていると言われている。

この事件がきっかけで疑惑の人となったUは、無職者であるにもかかわらず出処不明の大金をつかんで高級クラブ通いやゴルフ会員権取得などの豪遊を繰り返していたが、公安警察が彼の身辺を洗い出していくうちに、密接交際者として敢行した様々な犯罪への関与が明白となった。2004年、ついにUは2001年に窃盗犯から8台の盗難車を購入し、北朝鮮に不正輸出しようとした罪で逮捕された。さらに、日朝首脳会談が行われ、拉致被害者5人が帰国を果たした直後の2002年10月、「ツルボン1号事件」を起こした疑いで逮捕された。

この事件は、松山眞一ことチョ・ギュワ会長が率いる極東会および、牧野国泰ことイ・チュンソン会長が率いる松葉会に属していた暴力団幹部2人(被告F、Mの両名)とUが結託し、漁師を脅迫して取り上げた漁船を使い、鳥取県沖の海上で北朝鮮からやってきた貨物船「ツルボン1号」と会合し、230kgもの覚醒剤を密輸した罪が発覚し、公安警察に再逮捕されたものである。

北朝鮮の工作船は、漁船を偽装するものと決まっていたが、ツルボン1号の件を見る限り、貨物船が転用される場合もあるものと見られた。被告はFを除き容疑を否認。ツルボン1号事件の一審では、Fの自白が全面的に認められ、UとMに無期懲役判決が下されたが、一転、第二審となる高裁ではFの自白について、警察によるFへの誘導尋問や誤導尋問が招いた虚偽の自白と認定し、一審判決を破棄、UとMに無罪を言い渡した。なお、Fは一審の公判中にを患い、勾留停止となって入院したところ脱走、逃走から約1ヵ月後に癌で病死した遺体となって発見された。

現在、警察庁では、朝鮮学校元校長の曹奎聖(チョウ・キュウソン、通名:夏川奎聖、異名:ソーケイセイ)をインターポールに国際指名手配している。警視庁および山口県警の発表によると、曹は2000年、北朝鮮のウォンサンにおいて覚醒剤およそ250kgを仕入れ、船籍不詳の不審船を使って島根県の海岸から密輸入した疑いがもたれている。

工作船から発見された武装[編集]

工作船は、固有の武装として対空機関砲を備えていたほか、多くの携行兵器が積み込まれていた事が判明した。

携行火器は、朝鮮人民軍の第一線にもあまり配備されていない最新鋭の物ばかりであった。RPG-7無反動砲といった対戦車兵器は、無誘導ながら非装甲の巡視船に命中すれば上部構造のあらゆる部分の外殻を成型炸薬弾効果によって貫通し、撃破できた。また、AKS-74の放つ小口径高速弾82式機関銃が掃射する機関銃弾(フルサイズ小銃弾)は、事件当時の海上保安官に支給されていた防弾ベストを貫通して殺傷する能力があった。

固有武装のZPU-2対空機関砲は、かつての対戦車ライフル弾丸を使用しているため貫通力に優れており、対人で使えば防弾ベストを着用していようと即死は免れない上、巡視船や航空機の外殻を貫通してしまう恐れが高かった。また、9K310 イグラ-1携行対空ミサイルは5kmの射程を持っており、チャフフレアといった軍用の防御装備を持たない海保機にとっては大きな脅威であった。

工作船に装備されていたZPU-2
回収された携行火器類

最終的に回収できた兵器は以下の通り。

工作船の保存[編集]

横浜海上防災基地内の「工作船展示館」

引き揚げ直後は、検証終了後にスクラップ処分される予定であったが、日本船舶振興会(現日本財団)が、すべての経費を負担して東京への移送と展示を実施。回収された工作員武器も、検証終了後には安全化処理として銃身の内部や雷管を破壊され、武器としての能力を完全に喪失した無可動実銃の状態で、展示場所となった船の科学館羊蹄丸船内に移送された。船の科学館は、公開場所の無償提供を行い、2004年2月まで一般公開された。

当初は、その後の継続的な保存に必要な資金が調達できなかったことから、船の科学館での一般公開終了後にはスクラップ処分される予定だったが、石原慎太郎東京都知事ら多くの人々の反対と、海上保安協会に寄せられた多くの人々からの寄付によって処分は中止され、横浜市に移送された。同年12月10日から横浜海上防災基地内の「海上保安資料館横浜館」(工作船展示館)で展示されている。見学無料である。

他方、工作船からの銃撃によって破壊された巡視船あまみ」の船橋部分は、修理の際にから切り取られて広島県呉市海上保安大学校に展示されており、同校への来校者は無料で見学することができる。

日本に与えた影響[編集]

この事件は、ラズエズノイ号事件以来数十年ぶりに行われた他国船艇への船体射撃だった。北朝鮮工作機関の犯罪行為が白日の元にさらされた事は、拉致事件に揺れる日本の世論にも、大きな影響を与えた。

海上自衛隊海上警備行動こそ発動しなかったが、海上保安庁と連携して対応に当たった。一連の不審船事件は海上防衛の在り方にも一石を投じた事件であった。海上保安庁は、今回の事件を教訓に、現場の海上保安官(乗組員)の生命保護のため巡視船艇の防弾化および相手船舶を安全な距離から停船させるために高機能・長射程の機関砲の搭載、船艇の高速化、海上警備における水産庁漁業取締船との連携強化、航空機輸送力アップなどを急速に進めることとなった。また、一部航空基地に配属が進んでいる機動救難士の発足の理由の一つとして、救急救命士資格を持った機動救難士による現場海上保安官の直接救護の目的もある。海上保安官に対しては、性能のよい防弾ベストを支給し、対テロ戦闘の訓練を行わせている。

日本財団では、この事件をきっかけとして、海上保安協会とともに海上保安庁公認の防犯ボランティア組織「海守」を結成し、インターネットなどを通じて工作船への警戒や海の事故への注意を呼び掛けている。海守には約6万人の会員が加入している。

批判[編集]

左派・在日朝鮮人の諸団体や和田春樹などの左派[6]の中には、漁業法違反という名目での初動捜査や、まだ工作船から武力攻撃を受けていなかったにもかかわらず「先制攻撃的」に船体射撃を行ったことを、「法解釈の間違い」や「違法な戦闘行為」と主張している者もいる。

しかし、一定の条件下に限って、逃走と抵抗を防止をするために合理的に認められる範囲内において行う武器の使用は、「警察官職務執行法第7条」とそれを準用する旧「海上保安庁法」でも認められている[7][8]日本EEZ内では日本の経済的主権が認められ、不審船の逃走により国内法の「漁業法違反」(立ち入り検査忌避)が成立し[9]国連海洋法条約で追跡権が認められている[10]。「漁業法違反」に対する警察官職務執行法第7条を準用した船体射撃自体に違法性はなく、武器使用により人身に危害を加えてしまった場合の違法性阻却事由(免責)が成立しないだけである[7]

本件では、RFS付きの武器の使用により、乗員の死傷を避けた射撃が行えると判断して船体射撃を実施した[11]。また、仮に船体射撃によって乗員に危害を与えてしまっても、実際に拿捕臨検を行って乗員の状態を確認しない限り、本当に危害を与えてしまったかを判定する事が困難であるため、違法と判断される可能性は低い。実際に、本事件において工作船の乗員全てが自爆・自沈の結果として死亡しているため、「船体射撃によって乗員に危害が加えられていたかどうか」は重要視されていない。

一方、能登半島沖不審船事件を受けて改正された「海上保安庁法改正20条2項」により、対象船舶の違法行為の現認位置が日本領海内である、重大犯罪を犯す準備をしていると疑われる、などの一定の条件下に限って、危害射撃の違法性阻却事由(免責)が成立し、仮に本件の不審船の現認位置が日本領海内であった場合、船体射撃によって人身に危害を加えても違法とはならない[8]

脚注[編集]

  1. ^ 九州南西海域における工作船事件について - 海上保安レポート2003
  2. ^ a b 九州南西海域における工作船事件の全容について”. 海上保安庁 (2003年3月14日). 2010年12月22日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 菅原成介「「北朝鮮スパイ工作船事件」の顛末」、『世界の艦船』第593号、海人社、2002年3月、 150-151頁。
  4. ^ 小森陽一 『海上保安官になるには』 ぺりかん社〈なるにはbooks 121〉、2004年4月。ISBN 4-8315-1077-7[要ページ番号]
  5. ^ a b c 九州南西海域不審船事案と国際法、堀之内秀久、早稲田法学79巻1号、早稲田大学法学会、2003年
  6. ^ 和田春樹 (2002年3月7日). “意見書「『不審船』事件と日朝国交交渉の必要性」”. 2010年12月22日閲覧。
  7. ^ a b 警察官職務執行法第七条
  8. ^ a b 海上保安庁法第二十条
  9. ^ 漁業法第百四十一条
  10. ^ 国連海洋法条約 第111条
  11. ^ 「北朝鮮工作船がわかる本」海上治安研究会(成山堂書店)[要ページ番号]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]