9K38 イグラ

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9K38 イグラ
写真上が9K38 イグラの9P39発射装置と9M39ミサイル、下が9K310 イグラ-1の9P322発射装置と9M313ミサイル
種類 携帯式防空ミサイルシステム(MANPADS)
原開発国 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
運用史
配備期間 1983年-現在
開発史
製造業者 機械製作設計局(KBM)
値段 60,000-80,000アメリカ合衆国ドル
諸元
重量 10.8 kg (24 lb)
全長 1.574 m (5.16 ft)
直径 72mm

射程 5.2 km (3.2 mi)
弾頭 1.17 kg (2.6 lb) with 390 g (14 oz) 高性能炸薬
信管 直撃ないし近接信管

エンジン 固体ロケット
最大高度 3.5 km (11,000 ft)
誘導方式 2波長光波誘導
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9K38 イグラロシア語: 9К38 «Игла́»(ロシア語で「針」の意), : 9K38 Igla)は、ソビエト連邦が開発した携帯式防空ミサイルシステム(MANPADS)。NATOコードネームSA-18 グロースSA-18 Grouse)。初期型は9K310 イグラ-19К310 «Игла́-1»)と称され、SA-16 ギムレットというNATOコードネームが付与されている。また、発展型の9K338 イグラ-S9К338 «Игла́-С»)をロシア連邦が開発している。

概要[編集]

ソビエト連邦は、近距離防空(VSHORAD)システムとして、1968年よりストレラ・ファミリーの運用を開始し、車載式としては9K31 ストレラ-1携行式としては9K32 ストレラ-2が配備された。しかし、特に携行式(MANPADS)において交戦可能域の狭さが問題視されるようになり、改良型の9K34 ストレラ-3が開発されたものの、十分な解決には至らなかった。このことから、ソビエト連邦共産党中央委員会およびソビエト連邦閣僚会議は、1971年2月12日付け決議でソ連国防工業省機械製作設計局(KBM MOP)に対し、新世代のMANPADSの開発を提示した[1]。しかし、開発開始後まもなく、技術的な困難から開発が難航することが明白となった。そのため、1978年5月6日付けのソビエト連邦大臣会議幹部会委員会の軍事産業問題に関する第114号決定で、その保険として簡易型の並行開発が採択した。簡易型は9K310と命名され、これをまず開発・配備したのちに、完全版としての9K38を配備することとされた[2]

9K310 イグラ-1システムは、1981年3月11日付けで制式採用された[3]。イグラ-1システムは、簡単に言えば改良したストレラ-3のシーカーをつけたイグラシステムであった[2]。使用する9M313ミサイルはストレラ-3システムの9M36ミサイルと比べると、

などの改良点があった。本システムは、イラク軍により湾岸戦争において実戦投入され、1991年1月17日、イギリス空軍トーネード IDS撃墜する戦果が記録されている[4]

完全版の9K38 イグラシステムは、1983年9月23日付けで制式採用された[2]。イグラシステムは9M39ミサイルを使用しており、空力設計やモーター部分はイグラ-1システムで使用していた9M313ミサイルのものを踏襲しているが、アンチモン化インジウム素子と硫化鉛素子を併用することで2波長誘導とされており、妨害への抗堪性を向上させている[2]。本システムはスルプスカ共和国軍により、NATOによるボスニア・ヘルツェゴビナ空爆の際に使用され、少なくとも1機のミラージュ2000を撃墜している。2004年には、弾頭を大型化するとともに射程を延伸した9K338 イグラ-S(イグラ-スーペル)が開発され、SA-24 グリンチというNATOコードネームが付与された[2]。このほか、9K310 イグラ-1の輸出型のイグラ-1Eや、Mi-24 ハインドなどから発射できる空中発射型9M39 イグラ-1V、9K38 イグラの発展型のイグラ-1M、携行式ではなく固定式の支柱発射装置「ジギート」など、諸々の派生型が開発されている。また、近接防空ミサイルとしての使用もあり、光学FCS連動の3連装発射機2基を中核にした3M47 グブカ・システムは、ブーヤン型コルベットなど、新しい小型艦艇に搭載されている。

3M47 グブカ

後継は2014に開発された9K333 ヴェルバ英語版

採用国[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]