鶴見寺尾事件

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鶴見寺尾事件(つるみてらおじけん)とは、朝鮮民主主義人民共和国によるスパイ事件[1][2][3]1975年昭和50年)4月5日神奈川県警察摘発(検挙[1][2][3]1974年(昭和49年)、鳥取県下の海岸から不法入国した北朝鮮工作員金鶴萬は、当時日本で暗躍していた北朝鮮工作員チェ・スンチョルの指示のもと、帰化在日朝鮮人の会社社長に北朝鮮から携行した同人の母親の呼びかけをテープで聞かせ、工作員となることを強要した[2][3]。金鶴萬は彼らを用いて在日韓国人商工業者の調査や大韓民国高官との接触工作などをおこなっていた[1][2][3]

概要[編集]

北朝鮮工作員の八幡伊八こと金鶴萬は、1974年2月頃、

  • 韓国スパイ網の育成強化と連絡ルートの設定
  • 韓国政府・韓国軍高官への工作
  • 日本で活動中の北朝鮮工作員の指導監督

などの任を帯びて日本海に面した鳥取県の海岸から密入国した[2][3]

密入国後、北朝鮮から指示された横浜市在住の在日朝鮮人を工作員として獲得し、鶴見区にアジトを設定した[3]。また、当時東京都足立区を拠点に活動し、1985年検挙の西新井事件の主犯となった工作員、チェ・スンチョル(通称「朴」)の指示のもと、帰化在日朝鮮人の会社社長に北朝鮮から持ってきた社長の母親の呼びかけを吹き込んだ録音テープを聞かせ、工作員として獲得した[2][3][注釈 1]

金鶴萬は、これらの2人の工作員を用いて、

  • 在日韓国系商工人の調査
  • 来日する韓国政府高官や韓国知識人との接触工作
  • 工作資金獲得のための海外事業

をおこない、さらに、韓国国内に地下党組織を構築するための活動や連絡ルートの設定なども企図していた[1][2]

神奈川県警察は1975年(昭和50年)4月5日、八幡伊八こと金鶴萬(当時51歳)を逮捕し、乱数暗号受信メモ、暗号用薬品、高性能ラジオなど諜報活動を裏づける資料を押収した[2][3]

1976年(昭和51年)6月24日横浜地方裁判所は金鶴萬に対し、出入国管理令および外国人登録法違反で禁固8月の判決を下した[2][3]。金鶴萬は、翌1977年(昭和52年)、帰還船で北朝鮮に渡った[2][注釈 2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ チェ・スンチョルは、 1978年(昭和53年)7月31日ハン・クムニョンキム・ナムジンとともに、新潟県柏崎市蓮池薫奥土祐木子のアベックを北朝鮮に連行、拉致している(「新潟県アベック拉致事件」)。
  2. ^ 日本の国内法では、日本国・日本国民にとって有害な工作活動をしている人間・組織であっても、工作員であるという理由だけで逮捕できる根拠法を欠いているのが実情である[4]

出典[編集]

参考文献 [編集]

  • 荒木和博『拉致 異常な国家の本質』勉誠出版、2005年2月。ISBN 4-585-05322-0 
  • 清水惇『北朝鮮情報機関の全貌―独裁政権を支える巨大組織の実態』光人社、2004年5月。ISBN 4-76-981196-9 
  • 高世仁『拉致 北朝鮮の国家犯罪』講談社〈講談社文庫〉、2002年9月(原著1999年)。ISBN 4-06-273552-0 
  • 諜報事件研究会『戦後のスパイ事件』東京法令出版、1990年1月。 

関連文献[編集]

  • 外事事件研究会『戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出』東京法令出版、2007年10月。ISBN 978-4809011474 

関連項目[編集]