杉並事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

杉並事件(すぎなみじけん)とは、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)によるスパイ事件[1][2][3]1966年昭和41年)7月12日警視庁検挙[1][2][3]。幼少期に日本に渡り、大韓民国国籍をもつ北朝鮮工作員安珉濬が、別の工作員Cの案内で北朝鮮に密出国し、スパイ訓練を受けて再び不法に日本に入国し、十数名の工作員を指揮して在日米軍および日本の経済情報・政治情報の収集、韓国への工作員派遣などを行っていた諜報事件である[1][2][3]

概要[編集]

安田誠こと安珉濬は、7歳のころ朝鮮半島から日本本土に渡った在日韓国人であったが、1948年(昭和23年)12月、工作員Cの手引きで島根県隠岐郡から北朝鮮に密出国し、北朝鮮工作員として2カ月あまりのスパイ訓練を受け、1949年(昭和24年)5月、ノルウェー貨物船愛知県名古屋港から不法入国した[1][2]

安珉濬は、その後、工作員としての活動を始め、工作員獲得対象者を選定し、獲得工作を展開したが、その報告と工作資金調達のため1950年(昭和25年)4月28日、工作員CとともにCの調達した漁船、第三旭丸に乗って北海道函館港からいったん北朝鮮に帰還した[1]。同年5月22日、安は、他の任務を帯びた北朝鮮工作員2名をともなって山形県酒田港から再び日本に不法入国した[1]

その後、安は十数名の工作員を指揮して

  • 在日米軍情報の収集
  • 日本の経済・政治情報の収集
  • 北朝鮮工作員の韓国潜入および韓国内の実態調査

などの諜報活動を行った[1][2][3]

警視庁は、1966年6月2日、工作員Cを逮捕、7月12日には安珉濬を逮捕した[1][注釈 1]

安珉濬は、1966年8月31日外国人登録法違反については起訴猶予処分処分となり、1967年4月に強制退去命令が下った[1]。工作員Cは、1966年11月29日東京地方裁判所法廷において、外国人登録法違反、公正証書原本不実記載・同行使で懲役10か月、執行猶予3年の判決を受けた[1]。なお、Cは1967年(昭和42年)に北朝鮮へ帰還した[2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ Cが経営していた建設会社の韓国籍事務職員女性の着衣より北朝鮮からの指令文書が発見され、この事務員が安珉濬の連絡担当工作員として帰還船を訪船していた事実が判明したことが安珉濬の逮捕につながった[1]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 清水惇『北朝鮮情報機関の全貌―独裁政権を支える巨大組織の実態』光人社、2004年5月。ISBN 4-76-981196-9 
  • 高世仁『拉致 北朝鮮の国家犯罪』講談社〈講談社文庫〉、2002年9月(原著1999年)。ISBN 4-06-273552-0 
  • 諜報事件研究会『戦後のスパイ事件』東京法令出版、1990年1月。 

関連文献[編集]

  • 外事事件研究会『戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出』東京法令出版、2007年10月。ISBN 978-4809011474