呉克烈

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呉克烈
오극열
生年月日 (1930-01-07) 1930年1月7日
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮咸鏡北道穏城郡
没年月日 (2023-02-09) 2023年2月9日(93歳没)
死没地 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国平壌
出身校 万景台革命学院
金日成総合大学
フルンゼ軍事大学
所属政党 朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党
称号 金日成勲章金正日勲章

当選回数 10回
在任期間 1967年11月 - 2019年4月
最高指導者 金日成1948年 - 1994年
金正日(1994年 - 2011年
金正恩(2011年 - 2019年)

在任期間 2009年2月 - 2016年6月
委員長
第1委員長
金正日(1993年 - 2011年)
金正恩(2012年 - 2016年)

在任期間 1989年7月 - 2009年

朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党民間防衛部部長
在任期間 1988年9月 - 1989年7月

在任期間 1982年4月 - 不明

その他の職歴
朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮人民軍総参謀長
1979年9月 - 1988年4月
朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党中央委員会政治局委員
1980年10月 - 1988年2月
朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党中央軍事委員会委員
1980年10月 - 1988年2月
朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党中央委員会政治局委員候補
1979年9月 - 1980年10月
1988年2月 - 1989年
朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党中央委員会委員
1970年11月 - 不明)
朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮人民軍総参謀部副総参謀長
1977年10月 - 1979年9月
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呉克烈
各種表記
チョソングル 오극렬
漢字 吳克烈
発音 オ・グンニョル
英語表記: O Kuk-ryol
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呉 克烈(オ・グンニョル、朝鮮語:오극렬、1930年1月7日 - 2023年2月9日)は、朝鮮民主主義人民共和国軍人政治家朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は大将

朝鮮人民軍総参謀長朝鮮労働党中央委員会政治局員、同政治局員候補、党作戦部長中央人民委員会委員、最高人民会議代議員、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会副委員長などを歴任した。

経歴[編集]

1931年中華民国吉林省出身。万景台革命学院卒業。金日成邸で10歳年下の金正日と共に2年間すごした呉は、金正日の義兄弟とも言われるほど金正日と強い絆を結び、金正日の野望を目覚めさせた政治的師匠ともされる[1]

1962年ソビエト連邦に留学しソ連空軍大学を卒業。

1964年11月、少将に昇進し、金策空軍大学学部長に就任。

1967年10月、中将に昇進し、空軍司令官に就任。同年11月、最高人民会議の第4期代議員に当選。

1970年11月、党中央委員会の委員に就任。

1972年12月、最高人民会議の第5期代議員に当選。

1977年10月、副参謀長に就任。同年11月、最高人民会議の第6期代議員に当選。

1979年9月、党政治局員候補に就任。同年9月、総参謀長に就任[2]

1980年9月、上将に昇進。同年10月10日、第6回党大会において党政治局員に選出[3]

1985年4月13日、中央人民委員会により人民軍大将の称号を授与[4]

1988年2月、総参謀長を退任。呉と金正日の権勢が高まり自身を脅かすことになると考えた金日成による解任ともされる[1]。同年9月、党民間防衛部部長に就任。

1989年、党中央委員に格下げとなるが、金正日の取り成しで党作戦部長に就任[1]し、2009年まで党作戦部長として偽ドル札「スーパーノート」の製造[5]麻薬の製造・輸出などによる外貨獲得などの裏仕事を掌り「影の核心人物」とも呼ばれた[6]

2009年2月、国防委員会副委員長に就任。同年4月9日、最高人民会議第12期第1回会議において国防委員会副委員長に再選し、党作戦部長時代から引き続き外貨獲得業務を担った。

2010年頃から、自分以外の独占的な権力の存在を認めない金正日の意向から、張成沢と外貨獲得競争をさせられ、外貨誘致に関する利権をめぐって張成沢と対立関係が始まったとされている[7][6]

2011年12月に金正日が死去し、金正恩体制の発足となる2012年4月11日の第4回党代表者会においては、党政治局員候補の地位に留まった[8]

2013年に張成沢が失脚した際には、実質的に軍を掌握している実力者として報じられた[9]

2016年5月に開催された朝鮮労働党第7次大会で党中央委員会政治局員候補に選出されず[10]、党中央委員にのみ選出された[11][12]。また、同年6月29日に開催された第13期最高人民会議第4回会議では、国防委員会に代わって新設された朝鮮民主主義人民共和国国務委員会の委員に選出されなかった[13]

2019年3月に行われた最高人民会議第14期代議員選挙ではリストに名前がなく代議員にも再選されなかった[14]

2023年2月11日、朝鮮中央通信で同月9日に急性心不全で死去したことが報じられた[15]

日本人拉致問題[編集]

2002年9月17日日朝首脳会談で、金正日小泉純一郎首相に対し次のように述べた[16][注釈 1]

70〜80年代に特殊部署が妄動主義、英雄主義に駆られ、工作員の日本語教育と、日本人に成りすまして韓国へ侵入するために日本人を拉致したが、このような誤った指示をした幹部を処罰した…。工作船は軍部が訓練の下でした。私は知らなかった…。再びないようにする。

そして、処罰したとされるのが、チャン・ボンリムキム・ソンチョルであった[16]。2人は1998年、職権濫用を含む6件の容疑で裁判にかけられ、チャンは死刑、キムは15年の長期教化刑に処せられたという[16]。しかし、この2人は対外情報調査部の副部長であって、作戦部副部長ではない[16]。この2人は1997年8月の「調査部事件」で粛清された2人であって拉致問題とはまったく関係がない[17]。また、対外情報調査部は工作船を有しておらず、工作船を用いた拉致事件は労働党作戦部によるものである[16]。したがって、日本人拉致問題の責任を負うべきは、拉致の指示を出した金正日自身以外には、作戦部長だった呉克烈その人である[16]が、呉克烈は、特に何の処分も受けず、その後も作戦部長であり続けた[16]

顕彰[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ この日、日朝平壌宣言がなされた。

出典[編集]

  1. ^ a b c 金正日にも義兄弟がいる 統一日報 2011年9月21日
  2. ^ http://d-arch.ide.go.jp/browse/pdf/1979/102/1979102TPC.pdf
  3. ^ http://d-arch.ide.go.jp/browse/pdf/1980/102/1980102REF.pdf
  4. ^ 重要日誌」『アジア動向年報』1985年版、69ページ
  5. ^ 北朝鮮の「スーパーノート」、韓国への密搬入を摘発 東亜日報 2009年6月4日
  6. ^ a b 張成沢―呉克烈の外貨稼ぎ競争…誰が権力を掴むのだろうか デイリーNK 2010年10月6日
  7. ^ 左・成沢vs右・克烈…北朝鮮は‘第2人者’パワーゲーム中(1) 中央日報 2010年7月5日
  8. ^ “北朝鮮の経済政策トップに郭範基氏”. 朝鮮日報. (2012年4月13日). http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/04/13/2012041300511.html 2012年4月14日閲覧。 
  9. ^ 北朝鮮・張成沢氏失脚の真相 早稲田大学・重村教授に聞く livedoor news 2013年12月10日
  10. ^ 朝鮮勞動黨19人政治局委員名單出爐”. 大公網 (2016年5月10日). 2016年6月1日閲覧。
  11. ^ 朝鮮労働党第7回大会公報 2016年5月10日 (朝鮮語)
  12. ^ 平井久志 朝鮮労働党大会「設計図なき戴冠式」(4) 金与正「中央委員」人事の意味 HUFFPOST 2016年05月21日
  13. ^ 김정은, 당·국가 최고위직 겸직… 아버지 시대와 결별”. 国民日報 (2016年6月30日). 2016年6月30日閲覧。
  14. ^ “北朝鮮代議員選挙結果を徹底分析!相次ぐ実力者らの意外な「落選」が判明! - Yahoo!ニュース” (日本語). Yahoo!ニュース. https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/7acb579864384101c5d30b575a26ed62ad9a68cd 2019年6月2日閲覧。 
  15. ^ “金正日総書記の最側近・呉克烈元国防委員会副委員長が死去”. 産経新聞. (2023年2月11日). https://www.sankei.com/article/20230211-7BK54VJOOFPKVDLNMJO737TSVA/?outputType=amp 2023年2月11日閲覧。 
  16. ^ a b c d e f g 青山(2002)pp.318-322
  17. ^ 青山(2002)p.279

参考文献[編集]

  • 青山健煕『北朝鮮 悪魔の正体』光文社、2002年12月。ISBN 4-334-97375-2 
  • 清水惇『北朝鮮情報機関の全貌―独裁政権を支える巨大組織の実態』光人社、2004年5月。ISBN 4-76-981196-9 
 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
先代
呉振宇
朝鮮人民軍総参謀長
1979年 - 1988年
次代
崔光