青林堂

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青林堂
正式名称 株式会社青林堂
前身 日本漫画社
三洋社
現況 事業継続中
設立日 1962年(昭和37年)
代表者 長井勝一1962年-1990年
山中潤(1990年-1997年
福井源1998年
蟹江幹彦1999年-現在)
本社郵便番号 150-0002
本社所在地 東京都千代田区神田神保町
渋谷区渋谷3-7-6 第6矢木ビル
従業員数 3名
主要出版物 ガロ(休刊)
ジャパニズム
定期刊行物 ジャパニズム
関係する人物 長井勝一(創業者)
外部リンク GARO WEB 青林堂
Twitter 青林堂
特記事項 青林工藝舎は資本関係の無い別企業である
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株式会社青林堂(せいりんどう)は、東京都渋谷区に本社を置く老舗出版社である[1]

歴史[ソースを編集]

黎明期[ソースを編集]

伝説的編集者として知られる長井勝一によって1962年神田神保町で創業される[2]。当初は貸本漫画を中心に出版していたが、1964年7月24日より白土三平と共同で漫画雑誌『月刊漫画ガロ』を創刊する。当時は劇画ブーム前夜であり、全共闘時代の大学生に強く支持され一世を風靡した[1]。後に7月24日は「劇画の日」と呼ばれるようになる[3]

元々『ガロ』は題材・内容とスケールから連載する場所が無かった白土の漫画『カムイ伝』の連載の場を設けることが創刊の最大の目的であった。同時に、活躍の場を失いつつあった貸本漫画家への媒体提供と、新人発掘のためという側面もあった。また青林堂では商業的なメジャー系出版社の漫画事業と対極のスタンスで、掲載作品の作品性を重視する編集方針を取り、白土三平水木しげるといった有名作家から、つげ義春花輪和一蛭子能収内田春菊ねこぢる山田花子根本敬みうらじゅん林静一丸尾末広近藤ようこ杉浦日向子矢口高雄久住昌之古屋兎丸福満しげゆきといった「ガロ系」と称される一群の漫画作家に表現の場を与え輩出し、日本漫画文化史上に一時代を築いた[1]

1960年代の『ガロ』は、白土三平の『カムイ伝』と水木しげるの『鬼太郎夜話』の2本柱でおよそ100ページを占め、残るページをつげ義春滝田ゆう池上遼一つりたくにこ佐々木マキ勝又進永島慎二などがレギュラーとして作品を発表していた。新人発掘にも力を入れていた当時の青林堂には、毎日のように作品が郵送で届き、多いときには2日、最低でも3日に一人は作品を小脇に抱えた若者が訪れたという。当時の編集部では実質的に編集を任されていた高野慎三(権藤晋)と長井の二人で新人を発掘していった。高野は特に『ガロ』に発表された“既成のマンガのワクを乗り越え、新しいマンガの創造を”と謳った「白土テーゼ」を信奉し、つげ以降のマンガ表現に大いなる関心を寄せていた[4]

『ガロ』は商業性よりも作品を重視、オリジナリティを何より第一としたため、編集者の干渉が比較的少なく、作家側にすれば自由に作品を発表出来たため、新人発掘の場として独創的な作品を積極的に掲載した。このことは、それまで漫画という表現を選択することのなかったアーティストたちにも門戸を開放する結果となり、ユニークな新人が続々と輩出されるようになった。

発刊3年後の1967年には、主に『カムイ伝』を目当てにした小学館による買収および、当時の同社の中学生以上の男性向け雑誌『ボーイズライフ』との統合話が持ち上がったが、無名の新人を発見し育てるのが『ガロ』の目的という長井の方針から破談に終わる[5]。後にこの構想は1968年の『ビッグコミック』創刊に結実する[5]。この部分はNHK連続テレビ小説ゲゲゲの女房』でも誌名や関係者名を改変されたものの描かれている。

長い不遇の時代[ソースを編集]

つげ義春1970年の『やなぎ屋主人』完結を最後に休筆に入ったのに加えて1971年には白土の『カムイ伝』が終了、これと共に『ガロ』の売上は徐々に下降線をたどり、原稿料も既に支払を停止せざるを得なくなっていた[6]。『ガロ』を強く意識して創刊された手塚治虫の漫画誌『COM』は『ガロ』のように「原稿料ゼロ」という訳にはいかず、1971年末に廃刊する。

当時編集部に在籍していた編集者であった南伸坊渡辺和博らが一時編集長となり、面白ければ漫画という表現に囚われぬという誌面作りを提唱(=「面白主義」)した[7]。その結果、サブカルチャーの総本山的な立場として一部のマニア、知識者層、サブカルチャーファンなどに一目置かれる。「『ガロ』でのデビュー=入選」に憧れる投稿者は依然多く、部数低迷期にあってもその中から数々の有望新人を発掘していった。新入社員も1名募集するだけで、薄給にも関わらず100名200名が簡単に集まったという[8]

新世代の『ガロ』[ソースを編集]

創業者である長井勝一を支持する歴代の作家陣などの精神的・経済的支援や強い継続の声、そして長井の座右の銘「継続は力なり」をモットーに新人発掘の場として細々ながらも刊行は続き、低迷しながらも会社は存続したが、1990年代に入り長井の高齢と経営難から、松沢呉一の仲介でPCソフト開発会社の株式会社ツァイトの経営者である山中潤1990年9月より青林堂代表取締役社長に就任し経営を引き継ぐ[1]

山中潤は『ガロ1991年12月号誌上で「『ガロ』は差別をなくす目的で創刊したと聞いている。それは単純に『なくそう』『やめよう』と言うのではなく、自分の体を通してそれを問い直してみようという方法だった。この挑戦の姿勢こそ今も続くこの雑誌の本質だ。それは表現としての漫画の可能性を作り出し、今日の漫画に多大な影響を与えた。90年代、僕は『ガロ』を商業ベースに乗せて漫画雑誌を中核に置いたマルチメディア出版社にしていきたい」と宣言し[9]、長井勝一と『ガロ』、青林堂は三位一体であると改めて確認、その形を維持させながら、山中は慎重に会社としての経営、財務と営業、また出版社としての編集体制などを建て直すことに着手する[9]1992年には長井が編集長を辞し、山中が編集長に就任する。

1993年には月刊『ガロ』創刊30周年記念作として、障害者プロレスのドキュメンタリー映画『無敵のハンディ・キャップ』を製作[10]。また、経営母体となるツァイトでも『ねじ式』を始めとする『ガロ』の漫画をPCゲーム化、1994年には青林堂とツァイトとの共同であがた森魚監督による映画『オートバイ少女』を製作するなど[10]、メディアミックスを積極的に展開し、原稿料も幾らかは支払われるようになった。1995年には青林堂のトレードマークであった神田神保町の材木屋2階[11]から渋谷区初台の雑居ビル8階に社屋を移転する。

内部の軋轢、休刊へ[ソースを編集]

順風満帆に見えた『ガロ』であったが、親会社のツァイトがPCソフトのプラットフォームがMS-DOSからWindowsへと変わる時代の変化に乗り遅れ、経営が悪化[12]1996年には青林堂創業者で初代編集長であった長井勝一が死去する[13]

1997年には社長交代話を巡って経営陣と編集部が対立し、手塚能理子を筆頭とする編集陣が事前連絡も無いまま保管してあった作家の原稿を持ち去り、7月7日付をもって一斉に集団退社するという内紛騒動が発生する[14][15][16][17]。これがきっかけとなりツァイトは倒産し[12]、『ガロ』は休刊に追い込まれた[14]。後に退社組は青林堂の後継と称して新出版社「青林工藝舎」を興す[18]

社員を失った青林堂は体制を立て直すため福井源が経営を引き継ぎ、白取千夏雄の仲介で編集長に長戸雅之を招き[19]、新社員を募集。1998年1月に『ガロ』を復刊したが[20]、同年9月には再び休刊した。『ガロ』休刊後、ねこぢるのグッズを販売していた大和堂蟹江幹彦1999年より青林堂の経営を引き継ぎ[21]、休刊していた『ガロ』を2000年1月より復刊させるが、2001年半ばより隔月刊となり、2002年半ばから季刊誌へと移行。そして2002年10月号を最後に休刊する[15]2017年の大手マスコミの報道では「かつてガロを刊行していた」など過去形で記載されている[22][23]

漫画出版から総合出版へ[ソースを編集]

2002年より青林堂グループの青林堂ネットコミュニケーションズが青林堂B.O.Dシリーズとして過去の名作漫画のオンデマンド出版を行っていたが[24]2000年代半ばには新作の供給が途絶えた。2003年3月タカラが青林堂グループ会社の青林堂ビジュアルを子会社化するが[25]、1億円の負債を抱え2012年1月に特別清算される形で消滅した[26]2009年から定期刊行を始めた成年向け漫画雑誌『ぷるるんMAX』は、2011年3月を以って休刊となった[27]

2011年には、保守派の論客として知られる西村幸祐を編集長に迎え、若い世代をターゲットとして政治・経済・国際情勢からサブカルまでを幅広く取り上げるオピニオン情報誌として『ジャパニズム』を創刊した[28]。これ以降、元女優千葉麗子の『くたばれパヨク』[23]や『日之丸街宣女子』『テコンダー朴』『新版 朝鮮カルタ』、イラスト集『そうだ難民しよう! はすみとしこの世界』[29]など、いわゆる「行動する保守」陣営の人物が上梓する書籍を発行している[29]

現社長の蟹江幹彦は、青林堂の路線変更は「経営上の問題」によるもので、「他のジャンルの売り上げが減った分を保守本が補填してくれている」[30]と取材に答えている。また、別の取材に対して青林堂の社員は「憲法21条で言論、表現、出版の自由が認められている。うちのような本も左翼の本も出版されていて、読んだ上で論争が行われているのが正常な社会なのではないでしょうか」「『ガロ』が休刊したのは2002年。時代が違います。」[29]と述べている。

裁判[ソースを編集]

  • 青林堂社長の蟹江磐彦によると、件の男性社員は「会社内で録音盗撮したり、会社の重要な名簿やIDパスワードを無断で持ち出したり、一日中机の前に座り、社内の動向を探りながら言動を逐一メモし、その情報をユニオンに報告」するなどの問題行動を取っていたと主張している[34]。その後、ユニオンから、男性が半年しか勤続していないにも関わらず、和解退職金1200万円か、復職させて昼から5時までの勤務で30万円の給与を支払うかを要求されたとし[34]、仕方なく復職させると、男性は出勤初日に「守秘義務契約を拒否」し、大声で「支配介入だ!」となどと恫喝し、「これは闘いですから」と叫び、辞令による編集業務として復職したのにもかかわらず「営業業務をやらせろ」など要求してきたという[34]。訴訟については、「判断は司法に委ねるしかないが、このような社員でさえユニオンは手厚く保護し、会社側は労働者に謝罪をしなければならないのだろうか。青林堂は今後もこのような左派系労働組合である東京管理職ユニオンと、これを支援するマスコミや団体とも闘っていくつもりだ」と述べている[34]
  • 訴えによると「男性社員に一方的にパワハラを行い、うつ状態にさせた」として提訴されているが、蟹江は「男性社員がうつ病にもかかわらず、2度にわたって出演させ、自分がいかに虐げられたかを語らせ、その現状を当社での録音音声をかぶせて放送している[34]。この報道はユニオンだけの言い分を、マスコミが恣意的に流している点で大きな問題があると思っている」「不思議なのは、大半のテレビ局が今回の提訴を報道するなど、この裁判がなぜこんなに大きく扱われるのか、ということだ。先にも記したが、当社は社員が3人という、極めて零細な企業である。」とマスコミを批判している[34]。東京新聞の「男性社員に直接連絡をとったことが支配介入に当たるためユニオンに陳謝しろ」という報道について、「そもそも自社の社員に連絡することが、労働法では違法とされること自体疑問だ」と批判している[34]
  • 一方で原告側弁護士の佐々木亮は「青林堂は、これは左翼の陰謀であるなどと言っているようであるが、最初に言っておきたいことは『パワハラに右翼も左翼も関係ない』ということである」「もちろん、青林堂からみた『左翼団体』においてもパワハラは存在する。私はその場合でも、特に躊躇することなく、被害者となった労働者の権利擁護をしたいと考えているし、実際にしてきた実績がある」「なお、対話者に無断で録音することが違法であるかのような誤解があるが、そんなことはない。職場におけるトラブルがある場合に、証拠保全の意味で録音することは問題ない。むしろ、労働者が取りうる唯一の証拠収集における対抗手段といっても過言ではない」「青林堂社長の主張内容が、事実に反していたり、社員や所属労組の名誉を傷つけたりしている場合は、別のところで反論をさせていただくし、裁判における請求の拡張に利用させていただくこともある」「青林堂事件は、ハラスメントの陰湿さと、それを支える証拠が多くあることでたくさんの注目を集めた。しかし、俯瞰的に見れば、これはわが国にはびこるパワハラ事件の一つに過ぎないのである。もっとも、一つに過ぎないとしても、これだけ注目が集まった事件である。青林堂には、パワハラを行ったことについて、しっかり責任を取っていただきたい」と反論している[35]

年表[ソースを編集]

参考書籍[ソースを編集]

関連項目[ソースを編集]

[ソースを編集]

  1. ^ a b c d 高野慎三『つげ義春1968』(2002年 筑摩書房)
  2. ^ 航空ファン」を出版する文林堂はこの当時同じ住所に存在した。
  3. ^ 今日は何の日?劇画の日SmartNews
  4. ^ 高野慎三『つげ義春1968』
  5. ^ a b 長井勝一『「ガロ」編集長』(ちくま文庫)p.236-243
  6. ^ 武良布枝『ゲゲゲの女房』(実業之日本社)によると、水木しげるが『ガロ』1970年10月号から連載を開始した『星をつかみそこねる男』も連載中は青林堂の経営悪化が原因で原稿料が全く支払われなかったという。
  7. ^ 『Discover Japan』2014年6月号
  8. ^ 根本敬氏インタビュー「最後の第一世代」 マックスマガジン
  9. ^ a b ガロ』1991年12月号 山中潤「長井さん、そして未来の青林堂に向けて」256-257頁
  10. ^ a b 『ガロ』1993年12月号特集「日本のインディーズ映画」
  11. ^ “その小さな出版社は当時、東京・神田神保町の材木店2階にあった…”. 毎日新聞・東京朝刊: p. 1. (2014年5月25日) 
  12. ^ a b ツァイト、事実上の倒産 - PC Watch (2017年5月28日閲覧)
  13. ^ 『ガロ』1996年3月号~4月号「追悼ガロ初代編集長 長井勝一」
  14. ^ a b “「ガロ」休刊の危機 版元の青林堂 社長交代巡り内紛、社員全員退社”. 朝日新聞: p. 35. (1997年7月11日) 
  15. ^ a b c “昔「ガロ」今「ヘイト」 青林堂今度はパワハラ騒動”. 東京新聞: p. 26. (2017年4月16日) 
  16. ^ 元『ガロ』副編集長の白取千夏雄は個人サイトで「内紛事件」の顛末を語っている。ガロ編集部総辞職事件顛末日誌
  17. ^ 2008年になって、当事者のうち沈黙を守っていた山中潤が、個人のブログでのインタビュー形式で、『ガロ』時代及び「内紛事件」の回想を行っている。原田高夕己 漫画のヨタ話:山中潤氏の語る「ガロ」
  18. ^ “「ジャンプ」と「ガロ」漫画界象徴する両極の異変”. 朝日新聞・夕刊: p. 5. (1998年1月19日) 
  19. ^ ガロ編集部総辞職事件顛末日誌 白取千夏雄公式サイト
  20. ^ “新執筆陣加え、漫画雑誌「ガロ」復刊”. 毎日新聞・東京朝刊: p. 26. (1997年12月2日) 
  21. ^ 桐山正寿 (1999年2月5日). “あの「ガロ」復刊したい=大和堂社長・蟹江幹彦さん”. 毎日新聞・東京朝刊: p. 3 
  22. ^ 出版社「青林堂」社員がパワハラで提訴 うつで休職 毎日新聞
  23. ^ a b 「バカ」「左翼」「スパイ」老舗出版社の従業員が浴びた罵詈雑言の数々 その衝撃的な音声データの中身は… 産経新聞
  24. ^ 「青林堂B.O.Dシリーズ」1/18よりサービス開始! 株式会社青林堂ネットコミュニケーションズ 2002年01月16日
  25. ^ タカラ、青林堂グループ会社を子会社に ITmedia
  26. ^ GE(株) 帝国データバンク
  27. ^ 青年向け雑誌青林堂
  28. ^ 青林堂 (2011年4月25日). “再生、日本の、底力!オピニオン情報誌「JAPANISM」創刊”. アットプレス. 2017年5月31日閲覧。
  29. ^ a b c 昼間たかし (2015年12月17日). “もう『ガロ』とは時代が違う─『はすみとしこの世界』を機に青林堂サイドが語った「ヘイト出版社」呼ばわりされた1年間” (日本語). おたぽる. サイゾー. 2017年6月12日閲覧。
  30. ^ 林啓太 (2015年1月10日). “昔「ガロ」今「ヘイト本」 伝説の漫画月刊誌 版元の転向 社長「経営上の問題」 出版関係者「踏み出してならない分野」” (日本語). 東京新聞(朝刊、特報) (中日新聞東京本社): p. 24 
  31. ^ a b 反ヘイトスピーチ運動家への「名誉毀損」 出版社・青林堂が「お詫びと訂正」 弁護士ドットコム 2015年06月25日
  32. ^ お詫びと訂正(www.garo.co.jp/teisei.htmlのアーカイヴ)
  33. ^ “都労委:組合脱退勧奨は「不当労働行為」青林堂に”. 毎日新聞地方版・東京: p. 27. (2017年3月29日) 
  34. ^ a b c d e f g 【青林堂社長独占手記】「あんな社員に謝る必要が本当にあるのか?」 産経デジタル ironna 蟹江磐彦
  35. ^ 「青林堂社長にこれだけは言いたい『パワハラに右も左も関係ない』」 産経デジタル ironna 佐々木亮

外部リンク[ソースを編集]