ツァイト

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株式会社ツァイト(Zeit)は、かつて存在した日本のソフトウェアメーカー。本社は東京都渋谷区初台にあった。創業者は、山中潤

概要[編集]

1980年代後半から1990年代前半の日本における代表的なグラフィックソフトウェア企業の一つであった。また、漫画雑誌『ガロ』を発行する出版社の青林堂を傘下に抱えることでも知られた。

主なソフトは、パソコン用グラフィックソフトウェア『Z's STAFF』シリーズ、ワープロソフト『Z's WORD JG』、アドベンチャーゲームねじ式』などがある。

PC-98シリーズ向けのMS-DOSおよびWindows3.1用のグラフィックソフトウェアを主力にしており、当時は大きなシェアがあったが、1995年より日本で急速に普及するWindows95への対応に遅れ、1996年後半より経営が悪化。1997年3月に発売した「デジタルガロ」の失敗が直接的な原因となり、1997年7月に倒産した。「デジタルガロ」の失敗は『ガロ』編集部の軋轢をも生み、青林堂の内紛・分裂を招く結果ともなった。

ツァイトの倒産後、ソフトウェアの版権は「Z's STAFF KID」の版権のみアスキーサムシンググッドが取得し、その他のソフトウェアの版権は不明となった。また、青林堂の版権は蟹江幹彦が経営するCD-ROM制作会社の大和堂が取得した。

沿革[編集]

  • 1984年マジカルズーで出会ったつげ義春ファン3人でソフトハウス『ツァイト』を創立、山中潤が代表取締役に就任する。最初の製品・グラフィックツール「Funny」がアスキーのソフトウェア事業部長・古川享に気に入られ、アスキーサムシンググッドから販売されることになったことで軌道に乗る。
  • 1980年代後半、日本のグラフィックソフトの先駆けとなるZ'sSTAFFシリーズを開発、販売した。特に「Z'sSTAFF KID」シリーズは当時のPC-9800シリーズの標準的なグラフィックソフトのひとつであった。
  • 1989年つげ義春の『ねじ式』をゲーム化。
  • 1990年、『月刊漫画ガロ』の版元である青林堂を子会社化、様々な企画を立ち上げサブカルチャー誌の色を強めるなど、低迷していたガロを一時的に持ち直すことに成功した。
  • 1995年に発売されたWindows95のブームによって日本でWindowsが急速に普及する中、ツァイトはWindows95への移行が遅れ、1996年後半より業績が急激に悪化。
  • 1997年3月、インターネット接続ソフト付き雑誌「デジタルガロ」を発売したが、赤字に終わる。この時期、山中の体調不良もあって、青林堂の内紛と分裂を招く。
  • 1997年、7月7日付けで子会社の青林堂の全社員が退社。結局これが引き金になり、ツァイトは7月31日に2度目の不渡り手形を出して事業停止し、事実上倒産した。[1]

主なソフト[編集]

ソフトの販売はアスキーサムシンググッド(のちのアイフォー)が担当した。ツァイトの倒産に際しては「KID」シリーズの版権のみがアスキーに引き継がれ、Windows95対応の後継製品が販売されたが、その他のソフトに関しては版権が不明となっている。

Z's STAFF[編集]

Z's STAFFは、グラフィックソフト。1980年代後半から1990年代前半にかけての日本における標準的なグラフィックソフトの一つであり、ツァイトの主力商品であった。PC-98シリーズ向けの「KID」シリーズの名称でよく知られる。

高機能なホビーパソコン向けの「Pro」版と、NEC PC-98シリーズ向けの「KID」版が存在した。すなわち、富士通FM TOWNS向けの「Z's STAFF Pro TOWNS」、シャープX68000向けの「Z's STAFF Pro68K」、NEC PC-98向けの16色専用グラフィックソフト「Z'sSTAFF KID98」が存在した。

このうち、PC-98のシェアなどからPC-98版の「KID」シリーズのみが生き残り、後継製品としてWindows3.1対応の256色対応グラフィックソフト「SuperKid」が発売された。しかしWindows95への対応が遅れ、そのためにツァイトは倒産した。

倒産後、KIDシリーズの版権はアスキーに引き継がれ、ファンファーレ社を開発元とするWindows95対応の後継製品「ウルトラキッド」がアスキーサムシンググッドから発売された。その後、アスキーからソースネクストに版権が引き継がれ、2017年現在は「Paintgraphic」の名称で販売されている。

Z's WORD JG[編集]

通称「JG」。グラフィック機能を搭載したワープロソフト。国産ソフトとしては初めてアウトラインフォント機能を搭載し、ポストスクリプトに対応していたことから、DTPソフトとしても使われた。

当時はDTPと言うとMacとAdobe Pagemakerが一般的に使われていたが、PC-98とMS-DOSと言う当時の日本の標準的なパソコン環境でMacと同等のDTP環境を実現できたことからヒットし、Z's STAFF KIDシリーズとともにツァイトの主力商品となった。

しかしWindows95への対応が遅れたためにシェアを失った。ツァイトの倒産で版権がアスキーサムシンググッドに引き継がれた際にもWindowsに移植されず、そのまま版権は不明となっている。

末期の『ガロ』もこれで制作されていた。

Z's Triphony DIGITAL CRAFT[編集]

Z's Triphony DIGITAL CRAFTは、PC-9800およびX68000用の3DCGソフト。手元のパソコンでレイトレーシングが行える画期的なソフトだったが、PC-98はおろか、当時のパソコンとしては最高のスペックを誇るX68000をもってしても相当重かった。

デジタルガロ[編集]

ツァイトが1997年3月に発売した、インターネット接続ソフトが付属する雑誌。キャッチコピーは「驚異のインターネット付マガジン」。

1997年当時はインターネットがブームとなりつつあったが、インターネットに接続するだけでかなり面倒な手続きが必要で、また値段もかかったため、入会費無料でネットに繋ぐ事が出来るソフトをコンビニなどの流通を利用してを安価に売り出すという、当時としてはかなり画期的な試みが行われた。CD-ROM単体ではコンビニなどの流通を通せないために「雑誌」と言う形態を取り、「雑誌」と言うことでツァイトが版権を持つ「ガロ」のブランドを利用して「デジタルガロ」と命名された。

ガロ副編集長の白取千夏雄がデジタルガロ編集長としてツァイトに移籍して編集にあたったが、手塚能理子ガロ編集長をはじめとするその他のガロ編集部員は一切編集に関わっていない。表紙に蛭子能収の顔写真のアップが使われるなど、「ガロ」のコンテンツとブランドが最大限に利用されたが、そもそも当時インターネットに興味を持つような層と「ガロ」には全く接点がなく、あまりアピールしなかった。

8万部も発行されたが、1万5千部しか売れずに大きな赤字を生み、当時すでに経営が悪化していたツァイトは「デジタルガロ」の失敗でさらに傾き、倒産の直接的な原因となった。さらに、「ガロ」編集部が山中に不信感を抱く結果となり、後の青林堂の内紛と分裂をも招く結果となった。

その他のソフト[編集]

グラフィックツール「Funny」[編集]

ツァイトの最初の製品であり、これが当時の最大手ソフトウェアパブリッシャーであるアスキー古川享に「ふざけた名前のソフト」だと気に入られ[1]、アスキーブランドで販売されることになったことから、ツァイトは会社を軌道に乗せた。

このグラフィックツールは、『ねじ式』ゲーム化のために自製したものが元で、最初から会社もゲームを作るつもりで作ったものであった。グラフィックツールFunnyでは、開発時のサンプルデータとして『ねじ式』の絵が入っていたが、発売の際に諸事情の調整がつかなかったか、外されたものということである[2]

名作浪漫文庫シリーズ[編集]

トリビア[編集]

  • IBMがパソコン「JXシリーズ」をリリースするに際し、アスキー・ソフトウェア事業部長の古川享がジャストシステムに「アスキーのワープロ」の開発を委託したところ、ジャストシステムは古川の頭越しにIBMと直接契約を行い、「JX-WORD」(のちの「一太郎」)を提供するに至ったので古川は激怒。アスキーとジャストシステムの契約は打ち切られ、代わりにツァイトと契約を行い「JG」が「アスキーのワープロ」として発売されることになった。山中潤によると、「花子」発売前にジャストシステムの浮川社長が「JG」を見に来たという[3]
  • Z'sSTAFF PRO-68kは、標準価格が5万8000円で、ホビーユーザー向けソフトとしては当時としても高価なうえに、重かった。これに対抗するべく開発されたのが、ペイントツールSAIである。SAIは後にWindowsに移植され、2010年代においてもWindowsの標準的なグラフィックソフトの一つとして使われている。
  • PC-98向けのZ'sSTAFF KIDもPro版と値段がほとんど変わらず、数万円はした。ただし、当時のパソコンソフトはホビーユーザー向けでも基本的に高価格なのが普通で、競合ソフトも同じくらい高かった。1990年代に入るとフリーソフトの「鮪ペイント」や、その商用版で1万円台で購入できる「マルチペイント」が登場したため、PC-98ではこれらのユーザーが圧倒的になったが、KIDシリーズにも固定ファンがおり、Windows3.1時代までは十分に商売になっていた。1998年にAdobe Photoshop LEが1万円前後で発売されると、さすがにこれ以上の価格帯ではどのグラフィックソフトも商売にならなくなり、2004年に発売されたZ'sSTAFF KIDの後継製品「Paintgraphic」は1980円で販売されている。

脚注・文献[編集]

  1. ^ 『僕が伝えたかったこと、古川享のパソコン秘史』
  2. ^ 「近代プログラマの夕」Act. 24,(月刊アスキー1988年12月号、単行本 pp. 185~191)
  3. ^ さよなら一太郎!! - JunsNote

関連項目[編集]

  • Paintgraphic - Z'sSTAFF KIDの後継ソフト
  • SAI - Z'sSTAFF PRO-68kの対抗ソフト