青林工藝舎

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青林工藝舎
正式名称 株式会社青林工藝舎
英文名称 BlueGroveCraftHouse
前身 青林堂ガロ編集部」
現況 事業継続中
設立日 1997年(平成9年)10月13日
代表者 手塚能理子
本社郵便番号 162-0054
本社所在地 東京都新宿区河田町3−15河田町ビル3F
従業員数 3名(2016年現在)
ネット販売 青林工藝舎アックスストア
主要出版物 アックス
定期刊行物 アックス
関係する人物 長井勝一(青林堂創業者)
外部リンク 青林工藝舎ホームページ
Twitter 青林工藝舎
特記事項 青林堂との資本関係は一切ない
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株式会社青林工藝舎(せいりんこうげいしゃ)は、元青林堂編集部員らによって1997年に設立された東京都新宿区河田町にある日本の出版社[1]。前身にあたる青林堂とは資本等の関係は一切無い

サブカルチャー系の特殊漫画雑誌『アックス』を隔月刊行中。

概要[編集]

商業的な流行漫画とは一線を画し、非商業主義的で時代の流れに捕われない芸術表現を追い求める精神や前衛的でアンダーグラウンドな精神を持つオルタナティブ・コミックあるいはアンダーグラウンド・コミックの総本山として「ガロ系」と呼ばれる反主流的な漫画作品を専門に扱うサブカルチャー系の地下出版社である。

歴史[編集]

ガロ時代(1964年〜1997年)[編集]

青林堂創業者の長井勝一と漫画家の白土三平が共同で漫画雑誌『月刊漫画ガロ』を創刊、全共闘時代の大学生に強く支持され一世を風靡した。青林堂では商業的なメジャー系出版社の漫画事業と対極のスタンスで、掲載作品の作品性を重視し、白土三平水木しげるつげ義春滝田ゆうつげ忠男(義春の実弟)、鈴木翁二楠勝平永島慎二林静一勝又進つりたくにこ佐々木マキ花輪和一安部慎一池上遼一古川益三蛭子能収根本敬山野一渡辺和博内田春菊泉昌之みうらじゅんねこぢる山田花子松井雪子友沢ミミヨ花くまゆうさく福満しげゆきなど、「ガロ系作家」と称される一群の漫画作家に表現の場を与え、日本漫画文化史上に一時代を築いた。

アックス時代(1997年〜)[編集]

青林工藝舎設立の理由は休刊した『ガロ』の精神を『アックス』に継承することであった。

1996年に青林堂創業者であり『ガロ』の顔であった初代編集長の長井勝一が死去すると内部で経営方針が対立、分裂が起こり、FAXにて青林堂の親会社であり経営母体であったツァイト宛に1997年7月7日付で青林堂編集部員全員の辞表が送られ、一斉に集団退社するというクーデター事件が発生する。それがきっかけで9月号の刊行は不可能となり『ガロ』は休刊、ツァイトは倒産に追い込まれた。

元青林堂副編集長であった手塚能理子と元青林堂社員らは『ガロ』の後継を宣言して、新会社の本社を興した。青林工藝舎という社名は長井勝一が「何かあったらこの名前を使え」と生前スタッフに遺してあったものである。

内紛騒動の顛末は、青林堂と青林工藝舎との間で訴訟継続中であったのが和解で終了した旨が『ガロ』2002年2月号に掲載された。しかし、休刊騒動の取材を受けた元青林堂社員らは「当時のことは思い出したくもない」と取材を拒否しており、休刊騒動の真相をついに語ることはなかった。

当初、青林工藝舎は六畳と台所の1Kのマンションの一室[2]に本社を置いていた。インタビューで手塚能理子は「机も4つしかなくて、どっかで拾ってきた座り机とか地べたで仕事してました。活動を始めるに当たっても運転資金があまりなかったので、最初はみんなバイトしながらやってました。それで給料が払えたのは半年後、それも1人5万円でした。」と会社設立当初の窮乏を回想しており、現在も社員のバイトや副業を公認している。

会社設立後すぐに「月刊誌『ガロ』元編集部責任編集」を謳った創刊準備号『マンガの鬼』を出版した。これが『アックス』のルーツとなっている。1998年1月には青林工藝舎初の単行本となる山田花子の『からっぽの世界』を刊行。翌年2月に『ガロ』の事実上後継誌『アックス』を創刊する。一方で別体制となった青林堂も『ガロ』を復活させるが復刊と休刊を繰り返し、2002年を最後に紙媒体では事実上の廃刊状態となった。

同時期に青林工藝舎も経営破綻寸前まで会社の経営が落ち込むが、数多くの作家や有志の支援により青林工藝舎と『アックス』は存続しているが「原稿料ゼロ」の状態が長らく続いている。『刑務所の中』『東京ゾンビ』『僕の小規模な失敗』『死んだ目をした少年』など青林工藝舎から輩出された話題作も『アックス』連載中は原稿料を支払う事が出来ず、連載終了後の単行本化によって作家陣は収入を得ている。

『アックス』を刊行すると毎号、確実に赤字となるため、旧青林堂時代の単行本の復刊、『ガロ』『アックス』作家の単行本の刊行、および大手版元が見落とした、出し渋った、あるいは出せなかったカルト漫画の復刊や刊行など、サブカルチャー系の単行本の収益などで糊口を凌ぐ不安定な経営状態が続いている。刊行本は初版2千部、多くて3千部程度しか刷らないため、一部の大型書店やサブカルチャー色の強い特殊な書店でしか販売されておらず、一般書店では手に入りにくい状況が続いている。

青林堂との関係[編集]

2015年現在も法人としての「株式会社青林堂」は現存しているが「経営上の問題」により保守・右派的出版社[3]へと変貌を遂げており、かつての面影は最早どこにも残っていない。これに関して漫画家のしりあがり寿は「いまや青林堂と青林工藝舎は全く別」と述べ「この世界の陰で蠢き震える魂に手を差し伸べるようなガロの伝統は青林工藝舎のアックスに引き継がれている」と述べている。

独自の方向性[編集]

世に埋もれた才能を発掘し育成する事を「ビジネス」ではなく「使命」として多くの漫画界の異才をあまた輩出した『ガロ』の精神を継承するために青林工藝舎は興された。

青林工藝舎は"自由な表現"を前提に、大手版元では掲載が難しいと思われる斬新で優れた手法を持った漫画家やアーティストを発掘する目的で1998年に『アックス』を創刊。ベテランから新人まで様々な作家が毎回実験的で先鋭的な作品を描いている。

『アックス』では独創的で個性あふれる作品や前衛的で難解な作品であっても積極的に掲載する独自の編集方針で漫画家の個性を生かした作品を載せているのが特色であり、売上重視で商業主義的なメジャー出版社の漫画事業とは対極のスタンスで掲載作品の作品性や作家性を重視した方針をとっている。それゆえ作品表現に方向性や制約を設けておらず、掲載作品はエログロから詩的、シリアス、不条理、ヘタウマ、ほのぼの、アートまで作風は非常に幅広く、商業性よりも作家に自由な表現の場を与え、編集者側からの干渉を極力行わない往年の『ガロ』のスタイルを引き継いでいる。

また、作品募集のコンセプトである「漫画への新しい可能性を求める」「元来の漫画枠にとらわれない独創性あふれる作品を求める」を創刊当初から貫いている。

近年では海外翻訳出版も行っており、フランススペインイタリアポルトガル韓国ブラジルカナダ等で出版、2010年には「アックスアンソロジー」をアメリカで刊行。年1回行われている「アックスマンガ新人賞」では数多くの作家を輩出している。

スタッフ[編集]

97年の騒動の際に一斉退社した旧青林堂編集部員によって構成されている。

  • 編集長 - 手塚能理子 - 青林工藝舎社長・『アックス』編集長。1979年青林堂入社。元『ガロ』副編。
  • 編集・進行 - 志村勝紀 - 1990年青林堂入社。
  • 編集・経理 - 高市真紀(丸山玉子) - 1991年青林堂入社。元青林堂経理部員。姉は漫画家の山田花子
  • 装丁 - 井上則人 - 青林工藝舎出版物のほぼ全ての装丁を手掛ける。井上則人デザイン事務所所属。
  • 営業 - 水村友二
  • 協力
    • 浅川満寛 - 1991年青林堂入社。元青林堂営業部員。まんだらけ編集を経て青林工藝舎に移籍。辰巳ヨシヒロの担当編集や貸本漫画エロ劇画の復刻活動や劇画史研究を続けていたが、2012年に青林工藝舎も退職。現在はフリーランスで編集・執筆・劇画史研究に携わる。
    • 北園一哉
    • 大場小ゆり - 1992年青林堂入社。元青林堂営業部員。青林工藝舎も2002年に退社。
    • 飯田菜津
    • 香田明子 - 長井勝一のパートナー。自主制作レーベルの青林工芸舎を運営していた。
    • 南伸坊 - 1972年青林堂入社。『ガロ』編集長を務め、1979年に退社。現在はフリーランスで青林工藝舎のイベントに携わる。

出版物一覧[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「青林工藝舎」とは別に「青林工芸舎」(「芸」の文字が新字体)という別組織も存在する。
  2. ^ 旧所在地は東京都新宿区舟町12番地ヴィレッジ多賀305号室。
  3. ^ 林啓太 (2015年1月10日). “昔「ガロ」今「ヘイト本」 伝説の漫画月刊誌 版元の転向 社長「経営上の問題」 出版関係者「踏み出してならない分野」” (日本語). 東京新聞(朝刊、特報) (中日新聞東京本社): p. 24 

出典・外部リンク[編集]