木下元二

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木下 元二(きのした もとに、1929年11月3日 - 2004年12月3日)は日本弁護士政治家。元衆議院議員日本共産党公認、通算2期)。兵庫県の戦後初の自由法曹団員でもある[1]

1974年八鹿・朝来暴力事件では、兵教組朝来支部長とともに部落解放同盟員の集団から監禁・脅迫の被害を受けた。

来歴[編集]

兵庫県神戸市出身。旧制六甲中学校立命館大学専門部法政科を経て、神戸市内で中学校教諭を2年間務める[1]。その後司法試験に合格し1956年4月に神戸弁護士会へ入会[1]1969年には同会副会長を務める[1]。この間総評系の法律事務所を自由法曹団所属の弁護士らと設立する[1]

1972年の衆院選旧兵庫二区から出馬。同選挙区は後に社会党委員長となる土井たか子の地盤で、公明党の強い地域でもあったが、激戦を制し初当選となる。以後1976年の衆院選での落選を挟み、1979年の衆院選で再選を果たすも、1980年の衆院選で落選したのを機に引退を表明。地盤を藤木洋子に譲る。

政界引退後も法律事務所にて弁護士業を営んでいたが、2004年12月3日、くも膜下出血のため神戸市中央区の病院で死去。75歳[2]

兵庫県尼崎市議会議員の辻おさむ(日本共産党)は衆議院議員時代の秘書[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 木下元二団員を追悼する 兵庫県支部 山内康雄自由法曹団通信1154号
  2. ^ 木下元二氏死去 元共産党衆院議員2004年12月16日付「共同通信」
  3. ^ 秘書として、市議団事務局長として辻おさむのウェブサイトより

参考文献[編集]

関連項目[編集]