ロバート・ゲーツ

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ロバート・マイケル・ゲーツ
Robert Michael Gates
Robert Gates, official DoD photo portrait, 2006.jpg
生年月日 (1943-09-25) 1943年9月25日(77歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
Flag of Wichita, Kansas.svg カンザス州ウィチタ
所属政党 無所属
称号 大統領自由勲章
旭日大綬章
配偶者 ベッキー・ゲーツ
サイン Robert Gates Signature 2.svg

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
22代目国防長官
在任期間 2006年12月18日 - 2011年7月1日
大統領 ジョージ・W・ブッシュ
バラク・オバマ

在任期間 1991年11月6日 - 1993年1月20日
大統領 ジョージ・H・W・ブッシュ
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アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領(中央)と共にゲーツ新国防長官(右)・ラムズフェルド旧国防長官(左) (2006年11月8日)
日本で日米共同声明を発表をする石破茂防衛相(左)とロバート・ゲーツ国防長官(右)(2007年11月8日)
菅直人首相と会談するゲーツ

ロバート・マイケル・ゲーツ英語: Robert Michael Gates, Ph.D.、1943年9月25日から)はアメリカ合衆国の政治家。ジョージ・W・ブッシュ政権2期目とバラク・オバマ政権1期目の22代目アメリカ合衆国国防長官。15代目アメリカ中央情報局長官・テキサスA&M大学学長を歴任。現在24代目ウィリアム・アンド・メアリー大学総長。

所属政党については、ジョージ・H・W・ブッシュジョージ・W・ブッシュ政権などでの閣僚・補佐官経験からアメリカ共和党員と思われがちであるが、これは誤解である。実際は無所属を貫いており、アメリカ共和党員として登録したことは一度も無い[1]。ただしゲーツ自身は自らのことを「共和党支持者だと思っている。」とのことである[2]

ビル・ゲイツと同姓だが、日本では慣用的に「ゲイツ」ではなく「ゲーツ」とされることが多い。

経歴[編集]

初期の経歴[編集]

1943年9月25日にアメリカのカンザス州ウィチタに誕生する。1961年に公立のウィチタ東高校(en:Wichita High School East)をオールAの成績で卒業後、奨学金を受けてウィリアム・アンド・メアリー大学(W&M)に入学する[3]。W&M在学中は歴史学ヨーロッパ史)を専攻すると共に、全米やフィリピンに組織を持つ学生団体(フラタニティ)である「アルファ・ファイ・オメガ英語版」に所属するなど、勉学以外にも様々な活動に関わった。1965年にW&M大学を卒業後はインディアナ大学に移って修士課程(歴史学専攻)で学び、翌年の1966年に修士号を取得する。1974年にジョージタウン大学から博士号(ロシア・ソビエト史)を取得。

アメリカ中央情報局分析官としての経歴[編集]

インディアナ大学修士課程在学中にアメリカ中央情報局からスカウトを受け、修士課程を修了した1966年に入局する。入局当初はCIA本局ではなく、兵役の関係から情報士官としてアメリカ空軍に入隊することになり、1967年1月4日に少尉として任官、以後1969年に除隊するまで戦略航空軍団(SAC)の拠点の1つであったミズーリ州ホワイトマン空軍基地大陸間弾道ミサイル(ICBM)・ミニットマンの運用担当要員に対する情報(インテリジェンス)報告任務に従事した[4]。また、少尉任官後間も無い1967年1月7日には現在に至るまでの伴侶であるベッキー夫人とワシントン州シアトルで結婚している[4]

除隊後はCIAに戻り、情報本部ソ連東欧部の分析官となる。その後一度CIAを離れて1974年から1979年までアメリカ国家安全保障会議に勤務した後、1979年の後半にCIAに復帰し、情報本部戦略評価センター長・国家情報官(ソ連東欧担当)を経て、1981年から翌年の1982年まで中央情報長官・副長官室(DCI/DDCI Executive Staff)部長を、1982年から1986年まで情報担当次官(Deputy Director for Intelligence,DDI)にそれぞれ務め、1986年4月には当時のロナルド・レーガン政権の下で、退任するジョン・マクマホンの後任としてアメリカ中央情報副長官に就任した。さらにこの後1987年初めにはレーガン大統領より国家情報長官に指名されるが、この時はアメリカ合衆国上院イラン・コントラ疑惑へ関与した疑惑を問題としてこの人事を承認しない姿勢を明確にしたため[5]、指名を撤回されている。

ジョージ・H・W・ブッシュ政権[編集]

1989年1月20日にロナルド・レーガンからジョージ・H・W・ブッシュへ政権が移行する。ゲーツは政権移行後も引き続いて中央情報副長官職を務めていたが、同年3月に政権移行後空席となっていた国家安全保障問題担当大統領次席補佐官に任命され、これに転じた。また1991年5月14日には退任する予定のウィリアム・H・ウェブスター長官の後任として中央情報長官に指名された。レーガン政権時代に指名された際には、前述のように就任を果たせなかったが、2度目の指名となった今回は同年11月5日に上院で無事に承認され、承認翌日の11月6日に就任した。ゲーツのようなCIAの生え抜きの人物がアメリカ中央情報局長官に就任するのはCIA史上初めてのことであり、この後ゲーツは1993年ビル・クリントン政権への政権移行まで長官を務めた。

アメリカ中央情報局長官退任後は大学教授に転身し、テキサスA&M大学にて1999年から学部長に2002年から学長を務める。

2006年ドナルド・ラムズフェルド国防長官の辞任に伴い後任に指名された。同年12月29日にアメリカ合衆国上院から承認を受け、22代目アメリカ合衆国国防長官に就任。2007年イラクに対するアメリカ軍増派作戦を主導し、イラクの治安を改善させるのに成功した。2009年1月20日に発足したバラク・オバマ政権でも引き続きアメリカ合衆国国防長官として留任した。アメリカにおいて対立党派などから閣僚を起用するのは珍しいことでは無いが、政権が交代する際にアメリカ合衆国国防長官が留任したのは史上初めてのケースである。2011年7月1日にアメリカ合衆国国防長官を退任し、アメリカ国防総省で開かれた退任式典でバラク・オバマ大統領から大統領自由勲章をサプライズで授与された。

2011年9月にウィリアム・アンド・メアリー大学総長サンドラ・デイ・オコナーの後任に選出され、2012年2月3日に就任した[6]

2017年秋の叙勲で旭日大綬章を受章[7]

著書[編集]

  • From the Shadows: The Ultimate Insider's Story of Five Presidents and How They Won the Cold War, Simon & Scribner, 2007. ISBN 978-1416543367
  • Duty: Memoirs of a Secretary at War, Knopf, 2014. ISBN 978-0307959478

脚注[編集]

  1. ^ Blake Hounshell. "Does Bob Gates count as a Republican?" Foreign Policy, November 9, 2008. (英語・英語版Wikipediaの記事より引用)
  2. ^ ゲーツと共和党との関係について記述のあるMSNBCの記事(記述部分はAP通信の記事)(英語版Wikipediaでも使用されている脚注より引用,2008年12月2日(アメリカ東部時間)編集)英語版では2009年5月参照・日本語版では2010年11月28日参照
  3. ^ 国防長官就任時のゲーツの経歴を紹介するニューヨーク・タイムズ紙の記事(英語)2006年11月19日(現地時間)編集・2011年5月7日(日本時間)閲覧
  4. ^ a b アラバマ州マクスウェル空軍基地でのゲーツの講演を記録した国防総省の資料(英語)
  5. ^ CIAは大統領直属の組織であるが、その長であるアメリカ中央情報局長官のポストは、指名・就任にあたり上院の承認が必要である。これは2005年4月21日に、従来は「中央情報長官」としてアメリカのインテリジェンス・コミュニティーの長も兼ねていたアメリカ中央情報局長官が、国家情報長官ポストの新設などによりその権限を縮小し、CIA専属の長官とされた後も同様である。
  6. ^ “Robert M. Gates '65, Chancellor”” (英語). ウィリアム・アンド・メアリー大学. 2012年9月17日閲覧。
  7. ^ 秋の叙勲、4103人…俳優の大村崑さんら 読売新聞 2017年11月3日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
ウィリアム・H・ウェブスター
アメリカ中央情報局長官
Served under: ジョージ・H・W・ブッシュ

1991-1993
次代:
R・ジェームズ・ウルジー
先代:
ドナルド・ラムズフェルド
アメリカ合衆国国防長官
Served under: ジョージ・W・ブッシュバラク・オバマ

2006-2011
次代:
レオン・パネッタ
学職
先代:
サンドラ・デイ・オコナー
ウィリアム・アンド・メアリー大学総長
2012 -
次代:
(現職)