チャック・ヘーゲル

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チャック・ヘーゲル
Chuck Hagel
Chuck Hagel Defense portrait.jpg
チャック・ヘーゲル(2013年2月)
生年月日 1946年10月4日(68歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ネブラスカ州ノース・プラット
出身校 ブラウン・カレッジ
ネブラスカ大学オマハ校B.A.
所属政党 共和党
称号 戦闘歩兵記章
名誉戦傷章(パープルハート)
陸軍称揚章
ベトナム共和国武勲十字章
配偶者 パトリシア・ロイド
リリベット・ジラー

在任期間 2013年2月27日 - 2014年11月24日
大統領 バラク・オバマ

選挙区 ネブラスカ州
在任期間 1997年1月3日 - 2009年1月3日

在任期間 2009年10月28日 - 2013年1月
大統領 バラク・オバマ
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チャールズ・ティモシー・“チャック”・ヘーゲル英語: Charles Timothy "Chuck" Hagel1946年10月4日 - )は、アメリカ合衆国政治家

1996年に初当選し、以降2期12年にわたって連邦上院議員(ネブラスカ州選出)を務めた。米国聖公会の信徒[1]

生い立ち[編集]

1946年10月4日、ネブラスカ州のリンカーン郡ノース・プラットで、チャールズ・ディーン・ヘーゲル(Charles Dean Hagel)とベティ・ヘーゲル(Betty Hagel[2])夫妻の間に生まれた。父はドイツ系を先祖に持ち、母にはポーランド系とアイルランド系の血が流れているという[3][4]

ネブラスカ州コロンバスにあるセント・ボナヴェンチャー高校(St. Bonaventure High School、カトリック系の私立学校[5])を卒業後、ミネソタ州営利大学であるブラウン・カレッジの放送学部に進学、ラジオ放送について学び1966年に卒業した。その後は地元のネブラスカ州に戻り、さらにネブラスカ大学オマハ校英語版に進学した。

ネブラスカ大学オマハ校在学中の1967年兵役により陸軍に入隊し、ベトナム戦争下のベトナムに従軍している。ベトナムでは第9歩兵師団隷下の第47歩兵連隊に配属され、歩兵分隊の分隊長を務めた。1968年に三等軍曹の階級で名誉除隊。従軍中は、戦闘時の功績などによりベトナム共和国武勲十字章名誉戦傷章(パープルハート)陸軍称揚章などを受章している。復員後はバーテンダーやラジオのニュースキャスターとして働きつつ、復員軍人の社会復帰を支援する復員軍人援護法(G.I. Bill[6])による援助を受けながら大学に通ったという経歴を持つ。1971年歴史学の学位を得て卒業した。

ワシントンD.C.での経歴[編集]

ネブラスカ大卒業後は、ネブラスカ州第2区選出のジョン・Y・マカリスター連邦下院議員(共和党)のスタッフとして雇われ、ワシントンD.C.のマカリスターのオフィスで働く。1977年にマカリスターが退任[7]するとその後はロビイストに転身し、大手ゴムタイヤメーカーのファイアストン社のロビイストとして4年間働く。また、この間に実施された1980年大統領選挙では、共和党のロナルド・レーガンカリフォルニア州知事の陣営で組織担当者(オーガナイザー)として活動し、レーガンの当選に貢献している。

レーガンの大統領当選後は、選挙活動での貢献などを買われて退役軍人局(後の退役軍人省)の副局長に任命される。しかし、上司であるボブ・ニモ退役軍人局長との不和・対立から、1982年に同職を退任した。ニモとの不和・対立との原因は、ニモが退役軍人向けプログラムの予算を削減しようとしたことや、退役軍人団体を「欲深い」と評して侮蔑したこと、枯葉剤(エージェント・オレンジ)の影響について「ティーンエイジャーの小さなにきびよりも悪くない」と誤った認識を示したこと、などが挙げられている[8]

実業界での成功[編集]

公職を辞したヘーゲルは実業界に転じ、3人の仲間とともに携帯電話会社「ヴァンガード・セルラー・システムズ」を起業する。ヴァンガード・セルラー社は携帯電話普及の流れに乗って規模を拡大し、1990年代には大手通信会社の系列に属さない独立系携帯電話会社(キャリア)の中では全米最大の規模を誇るまでになった。ヴァンガード社は1999年にAT&Tに買収されたが、ヴァンガード社での成功はヘーゲルを億万長者へと押し上げることとなった。

また、ヴァンガード社の経営にあたる一方で、実業界の様々な業界団体などで公職を務めた。全米サービス産業連盟(USO)や民間企業協議会の会長・最高経営責任者(CEO)を歴任したほか、ジョージ・H・W・ブッシュ政権時代の1990年ヒューストンで開催された主要国首脳会議(G7)では、副事務局長兼最高執行責任者(COO)として活躍した。また、アメリカ赤十字社や複数のシンクタンク・政治団体(アイゼンハワー世界問題研究所、リポン・ソサイエティブレッド・フォー・ザ・ワールドなど)の理事や顧問、枯葉剤被害調停基金総裁なども歴任している。この他には外交問題評議会にもメンバーとして迎えられている。

この頃、20年近く在住していたバージニア州の知事選に出馬を期待する声もあったものの、それらの声に応じることはなく、1992年には地元の投資銀行マッカーシー・グループの会長に就任するためヴァンガード社を離れ、ネブラスカに戻った。また、マッカーシー・グループの会長職と併せて、同社の子会社で電子投票機の製造を手掛けるアメリカン・インフォメーション・システムズ(AIS)の会長兼CEOにも就任し、1995年3月15日に上院選出馬のために退任するまで同職を務めた[9]。このうちAIS社は、のちにイレクション・システムズ&ソフトウェア(ES&S)社に社名変更し、電子投票機のメーカーとして全米的な知名度を得るようになる。ES&S社の規模拡大などにより、ヘーゲルは親会社のマッカーシー・グループを通じて、2003年までに少なくとも500万ドルの収益を上げたとされる[10]。また、マッカーシー・グループの創業者であるマイケル・マッカーシーは、のちにヘーゲルの上院選挙で陣営の財務責任者を務めることになる[11]

上院議員としての経歴[編集]

選挙戦での戦い[編集]

1996年[編集]

1996年、ヘーゲルは地元ネブラスカ州から、同年に実施される連邦上院議員選挙で改選対象となる議席を狙い、共和党から選挙に出馬することを決意する。この選挙は、それまで3期18年間にわたって上院議員を務めてきた民主党のジム・エクソンの引退により空席となる議席を争うものだった。

まず共和党内での予備選に出馬したヘーゲルは、対抗馬だったドン・ステンバーグ司法長官を破り、本選挙への出馬を果たす。本選挙では、同じく連邦政界進出を目指す有力な対抗馬だった民主党のベン・ネルソン州知事に対し、得票数にして9万8,000票余り、得票率にして15%近い差を付けて勝利し、政界進出を果たす。当初は州知事としての経験・知名度があり、人気も高いネルソンの方が優勢であると見られていた[12][13]が、その下馬評を覆しての「番狂わせ」的勝利だった[12][13][14]。この勝利は、1972年カール・カーティス上院議員の再選以来、共和党にとって24年ぶりのネブラスカ州での上院選勝利だった[15]

ちなみにこの時の対抗馬だったネルソンは、1999年に2期8年の州知事としての任期を満了・退任した後、2000年に実施された連邦上院選挙で、引退するボブ・ケリー上院議員の後継として出馬・当選を果たし、上院議員を2期(2001年 - 2013年)務めた。かつてライバルとして選挙を戦ったヘーゲルと、彼が引退するまでの8年間にわたり同僚として任にあたることとなった。その後、ネルソンも2012年の選挙に立候補せずに引退した。

2002年[編集]

再選を目指して出馬した2002年選挙では、共和党内の予備選は現職として支持を固めて危なげなく乗りきったうえ、本選挙ではライバルの民主党から有力な対抗馬が出なかったこともあり、次点の民主党候補に対して得票率にして約83%という圧倒的な票差を付け、再選を果たした[16]。この圧勝ぶりは、州知事選や上院選など州全体で争われる選挙に関して、ネブラスカ州史上最も大きな差をつけての勝利だった。

政治的スタンス・投票行動など[編集]

ヘーゲルの上院議員としてのキャリアを語るうえで最も重要なのは投票行動の経歴であるが、リバタリアンとして知られ、現在はシンクタンクケイトー研究所の役員も務めるデイヴィッド・ボーズは、ジョージ・W・ブッシュ政権下におけるヘーゲルの投票行動を「伝統的な共和党員」のもの、すなわち伝統的な共和党の政策・価値観に従ったものと評している[17]。また、保守系の政治団体として知られるアメリカ保守連合(ACU)からは100%評価で84%[17]、同じく保守系の政治団体である全米納税者連盟(NTU)からも引退直前の2008年を除き、“A”あるいは“Bプラス”という高い評価をそれぞれ得ている[17][18]ほか、有権者向けに政治家や政策に関する情報を提供するウェブサイトを運営するNPOオン・ジ・イシューズ」のサイトでも「リバタリアン傾向のある保守派」と評される[19]など、保守的な政治家と看做されている。

ボーズは、ヘーゲルの政治家としてのスタンスを示している特徴的な投票行動として、以下の5つの法案に対する投票を挙げている[17]

外交・安全保障政策[編集]

ユーゴスラビア・コソボ問題[編集]

上院議員に就任したヘーゲルが早々に直面したのがコソボ紛争だった。この時ヘーゲルは当時のビル・クリントン大統領に、合衆国軍を派遣しユーゴスラビアに武力介入する権限を与える法案を提出したが、この法案は否決され廃案となっている。

再選しないことを決定[編集]

2008年の上院選には出馬せず引退し、シンクタンク・大西洋評議会(アトランティック・カウンシル)の議長や合衆国大統領の諮問機関である大統領情報活動諮問会議の共同議長を務めた。

現在の地位・役職[編集]

2013年2月26日アメリカ合衆国国防長官に就任[28]2014年11月24日に辞任を発表。アメリカの国家安全保障政策に関する意見の対立による事実上の更迭という見方が強い[29]

脚注[編集]

  1. ^ Hagel was raised in the Roman Catholic faith; see cached excerpt from Charlyne Berens' biography, Chuck Hagel, which refers to Hagel's parents as "pillars of their Catholic church"; Hagel's father; Charles Hagel had converted to the Catholic faith of his wife.
  2. ^ 旧姓はダン(Dunn)。
  3. ^ Lelyveld, Joseph. [1]. "The New York Times Magazine", online edition, The Heartland Dissident, 12 February 2006. Retrieved 4 January 2012.
  4. ^ Dufour, Jeff. Glenn Close and Chuck Norris push pet projects. The Hill, online edition, Under The Dome, 11 May 2006. Retrieved 4 March 2007.
  5. ^ 現在は校名を変更してスコータス・セントラル・カトリック高校(Scotus Central Catholic High School)となっている。
  6. ^ 正式名称は“Servicemen's Readjustment Act”。
  7. ^ 1976年の連邦上院選挙で改選対象だったネブラスカ州の議席を狙い立候補したが、敗北したため。
  8. ^ Macpherson, Myra. Long Time Passing: Vietnam and the Haunted Generation, Indiana University Press 2001 p. xxxvi
  9. ^ Fitrakis, Bob and Harvey Wasserman (2004年3月5日). “Diebold's Political Machine”. Mother Jones. 2010年1月8日閲覧。
  10. ^ Harris, Bev. “Scoop”. Talion.com. 2012年11月6日閲覧。
  11. ^ Collier, Victoria. “How to Rig an Election”. Harper's. 2012年11月6日閲覧。
  12. ^ a b “Almanac of Sen. Chuck Hagel (R)” (英語) ヘーゲルの経歴について記したナショナル・ジャーナル誌の記事。2000年1月28日最終更新、2012年12月26日閲覧。
  13. ^ a b “The Heartland Dissident” (英語) 第2期オバマ政権下でのヘーゲルの国防長官就任観測を受けて、ヘーゲルの経歴などについて報じるニューヨーク・タイムズ紙の記事。2012年12月14日掲載、2012年12月26日閲覧。
  14. ^ “ODD MAN OUT” (英語) 2008年の大統領選に際し、ヘーゲルの政策・政治姿勢を当時共和党の大統領候補だったジョン・マケインとの関係などを交えて分析したザ・ニューヨーカー誌の記事。2008年11月3日掲載、2012年12月26日閲覧。
  15. ^ ネブラスカ州では、1972年以降にも1987年に新たにデイヴィッド・カーンズが上院議員に就任しているが、これは前任者のエドワード・ゾリンスキー上院議員の死去に伴い、1988年に改選対象となる予定だった同議員の1年8ヶ月あまりの残任期を務めるべく、当時のケイ・A・オアー知事(ちなみにオアーは1990年の州知事選でベン・ネルソンに敗北している)により任命されたものである。カーンズは、任期満了となる1988年の上院選挙に当選を目指して出馬したが、後述するボブ・ケリーの前に敗北している。
  16. ^ 得票数で見ても、約32万7,000票あまりという圧倒的な差だった。
  17. ^ a b c d “Is Chuck Hagel a Republican?” (英語) ケイトー研究所のホームページに掲載された、デイヴィッド・ボーズによるヘーゲルの政策スタンスを論評する記事。2010年12月27日掲載、2013年2月11日閲覧。
  18. ^ “Senator Chuck Hagel” (英語) 全米納税者連盟(NTU)によるヘーゲルの上院議員時代の評価・採点表。
  19. ^ “Chuck Hagel On the issues” (英語) “On the Issues”に掲載された、ヘーゲルの各政策分野ごとの政策スタンス・投票行動をまとめた一覧。
  20. ^ テロ対策などの目的の下、政府が情報収集を行ううえで必要な権限を強化し、規制を緩和する趣旨の法案。
  21. ^ 法案名としては、「2001年の経済成長および減税調整法(Economic Growth and Tax Relief Reconciliation Act of 2001)」となっている。
  22. ^ 法案名としては、「2003年の雇用および成長減税調整法(Jobs and Growth Tax Relief Reconciliation Act of 2003)」となっている。
  23. ^ 州規模の学力テストの毎年度実施や学校ごとの学力向上目標設定、通知表作成などの施策を中心にした法案。(参考文献:土屋恵司「2001年初等中等教育改正法(NCLB 法)の施行状況と問題点」(国立国会図書館『外国の立法』2006年2月号、129-136ページ)
  24. ^ “No Child Left Behind Act”の頭文字をとってこう略される。また、法案名には日本語の定訳がなく、改正された「初等中等教育法」から「初等中等教育改正法」と呼ばれる場合(出典)や、より法案名に忠実に直訳した「どの子も置き去りにしない法」(出典)「すべての子どもを落ちこぼれさせないための法」(出典)、あるいはこの2パターンを融合させた「落ちこぼれを作らないための初等中等教育法」(出典)といった表記も見られる。
  25. ^ メディケアにおいて、従来は対象外だった処方薬に対する医療給付を開始するとともに、併せてメディケア制度の民営化(民間保険会社のプラン活用)や市場競争主義の導入促進、高額所得者に対する資産調査制度などが導入する法案。処方薬に対する医療給付を開始することにより、財政上の社会保障費負担が増大することに繋がる(「小さな政府」を志向する共和党本流の政策とは対立)。(参考文献:天野拓「現代アメリカの医療政策と公的医療保険制度-メディケアをめぐる政策的変容を事例に-」(熊本県立大学総合管理学部紀要『アドミニストレーション』第16巻第3・4合併号(2010年3月)、58ページ以下)
  26. ^ それまでの連邦選挙運動法では規制の対象外だった連邦レベルの選挙以外の活動について、これらに用いる目的の資金(ソフトマネー英語版)の寄付・調達・拠出に制限を加えた。(参考資料:桐原康栄「2002年選挙運動資金改革法をめぐるアメリカ合衆国連邦最高裁判決」(国立国会図書館『外国の立法』2004年5月号、233-238ページ)
  27. ^ 提出者であるジョン・マケイン上院議員とラス・ファインゴールド上院議員の名から「マケイン-ファインゴールド法案」とも呼ばれる。
  28. ^ “米上院、次期国防長官にヘーゲル氏承認”. (2013年2月27日). http://www.cnn.co.jp/usa/35028810.html 2013年3月5日閲覧。 
  29. ^ “米国防長官が辞任、安全保障政策めぐる対立が背景との見方”. ロイター. (2014年11月25日). http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKCN0J81CF20141124 2014年11月25日閲覧。 

外部リンク[編集]

参考リンク[編集]

公職
先代:
レオン・パネッタ
アメリカ合衆国国防長官
2013年2月27日 - 2014年11月24日
次代:
アシュトン・カーター