フランク・カールッチ

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フランク・チャールズ・カールッチ3世
Frank Charles Carlucci III
Frank Carlucci at a press conference, 1988.jpg
フランク・カールッチ
生年月日 (1930-10-18) 1930年10月18日
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
Flag of Pennsylvania.svg ペンシルベニア州スクラントン
没年月日 (2018-06-03) 2018年6月3日(87歳没)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
Flag of Virginia.svg バージニア州
出身校 プリンストン大学
ハーバード・ビジネス・スクール

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
16代目国防長官
在任期間 1987年11月23日 - 1989年1月20日
大統領 ロナルド・レーガン

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
15代目国家安全保障問題担当
大統領補佐官
在任期間 1986年12月2日 - 1987年11月23日
大統領 ロナルド・レーガン

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
18代目国防副長官
在任期間 1981年2月4日 - 1982年12月31日
大統領 ロナルド・レーガン
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フランク・チャールズ・カールッチ3世(Frank Charles Carlucci III、1930年10月18日 - 2018年6月3日)はアメリカ合衆国の政治家である。ロナルド・レーガン政権1期目で18代目アメリカ合衆国国防副長官ロナルド・レーガン政権2期目で15代目アメリカ合衆国国家安全保障問題担当大統領補佐官と16代目アメリカ合衆国国防長官を務めた。

人物[編集]

1930年10月18日にアメリカのペンシルベニア州スクラントンに誕生する。1952年にプリンストン大学を卒業した。同年にアメリカ海軍に志願し、2年間将校として軍務に就く。1956年ハーバード・ビジネス・スクールを修了。同年にアメリカ合衆国国務省に入省。南アフリカ共和国コンゴブラジルなどに勤務する。1961年にはコンゴ動乱下のコンゴ民主共和国でアメリカ市民を救出するアメリカ中央情報局のミッションに関与している。

リチャード・ニクソン政権が発足すると、キャスパー・ワインバーガー保健教育福祉長官の下でアメリカ合衆国保健教育福祉次官を務めた。1974年に駐在ポルトガル大使に任命され、1977年まで赴任した。1978年にアメリカ中央情報局副長官を経て、1981年2月4日に18代目アメリカ合衆国国防副長官に就任する。1986年12月2日に15代目アメリカ合衆国国家安全保障担当大統領補佐官として大統領府に入る。1987年11月23日にワインバーガーのアメリカ合衆国国防長官辞任に伴い、後任のアメリカ合衆国国防長官に就任する。カールッチのアメリカ合衆国国防長官就任に当たっては、アメリカ連邦議会上院は賛成91票・反対1票の圧倒的多数で承認された。アメリカ合衆国国防長官としては前任者のワインバーガーと比較してソビエト連邦に対してはそれほど強硬路線を取らなかったとされる。

カールッチはプライベート・エクイティ・ファンドカーライル・グループの会長を一時期務めていた他、以下の企業の経営に加わっている。

またカールッチは個人向け警備会社であるヴァッケンフート社の重役であった。この他にもG2サテライト・ソリューションの諮問委員や米台商業協会中国語版英語版会長を務めている。

カールッチは保守系(またはネオコン系)シンクタンクアメリカ新世紀プロジェクトの会員である。また中東政策評議会英語版ランド研究所などのシンクタンクにも参加している。

2006年1月5日にホワイトハウスで行われたジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権の外交政策に関する会議に歴代のアメリカ合衆国国務長官・アメリカ合衆国国防長官経験者の1人として参加している。

2018年6月3日にパーキンソン病の合併症のためバージニア州の自宅で亡くなった。87歳であった。[1]

脚注[編集]


公職
先代:
ジョン・ヴェネマン
アメリカ合衆国保健教育福祉次官
1973年2月 - 1974年12月
次代:
先代:
グラハム・クレイター
アメリカ合衆国国防副長官
1981年2月4日 - 1982年12月31日
次代:
ポール・セイヤー
先代:
キャスパー・ワインバーガー
アメリカ合衆国国防長官
1987年11月23日 - 1989年1月20日
次代:
リチャード・チェイニー
先代:
ジョン・ポインデクスター
国家安全保障担当大統領補佐官
1986年12月2日 - 1987年11月23日
次代:
コリン・パウエル