政教分離原則

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政教分離原則(せいきょうぶんりげんそく)とは、国家政府)と宗教の分離の原則をいう[1][2]。また、教会と国家の分離原則(Separation of Church and State)ともいう[3]。ここでいう「政」とは、狭義には統治権を行動する主体である「政府」を指し、広義には「君主」や「国家」を指す[4]世界大百科事典では「国家の非宗教性、宗教的中立性の要請、ないしその制度的現実化」と定義されている[5]

国家により、日本などに見られる国家による一切の宗教的活動を禁止する厳格な分離(分離型)や[4]、国家が平等に宗教を扱えばよいとする英国などに見られる緩やかな分離(融合型)[6][7][8]などに分かれる。信教の自由の制度的保障として捉えられ[9]、政教分離と信教の自由は不可分である[10]

類型[編集]

融合型・分離型・同盟型[編集]

歴史的条件の違いを反映して、政教分離は国によって様々な形態をとる[11]。1977年にジャック・ロベール英語版の試みた類型化によれば、国家と宗教の関係には融合型、分離型、同盟型がある[12][13][14]

  1. 融合型(フランス語 la confusion[13])は国教型ともされ、ヴァチカン市国、イスラム諸国のほか、イギリス、イタリア、北欧諸国も含まれる[14][12]
  2. 分離型(フランス語 la séparation[13])のフランスやアメリカ合衆国などにおいては、国家と宗教が完全に分離され、教会は私法上の組織にすぎず、国はその運営に関与しない[12][11]。ただし、分離型とされる中でも、宗教に友好的ないし同調的なタイプ、宗教に非友好的ないし中立的なタイプ、宗教に敵対的なタイプ(フランス語 la séparation hostile[13]唯物論に立った旧ソビエト連邦など)の3タイプに分かれる[15][12]井上順孝によれば、ピューリタンの影響を受けて建国されたアメリカ合衆国は友好的なタイプ、19世紀を通じてカトリックの影響力が削がれていったフランスライシテは中立的なタイプに該当する[15]。また井上修一によれば、国教を禁じるアメリカ合衆国憲法は中立的なタイプに該当する一方、フランスの政教分離はカトリックから抵抗を受け第一次世界大戦後の友好的な時代を経て今日は同調的なタイプに変わってきた[12]
  3. 同盟型(コンコルダート型)においては国家と教会は独立しているが一定の協力的制度関係が存在する[12]。同盟型における国家の教会への関与の例としては、司教の任命、司祭の報酬の決定などが挙げられる[13]。ドイツにおいては、教会は憲法上の地位を持って活動するが、政治と競合する領域ではコンコルダート(政教協約)を結んで解決する[11]

協約方式・寛容令方式・政教分離方式・国教制[編集]

また、別の類型としては、

  • 国教制:特定の宗教の優位の公的承認を含む(中南米、アジア(仏教、イスラム教)、イギリス、スペイン)
  • 協約方式(コンコルダート、政教条約):国家と宗教とくにローマ・カトリック教会の関係を国家間の条約のように扱う(イタリア,ドイツ)
  • 寛容令方式:優勢な宗教を尊重する(スイス、ベルギー、フランス、ブラジル)
  • 政教分離方式(アメリカ、メキシコ、フランス、トルコ、インド、韓国、日本)

がある[10]。現実には重複することもあり、完全に形式的に分類できない[10]

厳格分離主義と不偏許容主義[編集]

政教分離には、国教の禁止が「規制原理」として働き、信教の自由が「構成原理」として働くという二面性がある[16][17]。日本の憲法学では、政教分離は信教の自由を実現するための手段(制度的保証)であると言われる[18]アメリカ合衆国憲法修正第一条英語版の条文にも規制原理と構成原理の両面が見られる[17]ジョン・ヴィッテ英語版は国教の禁止の側面を重視する立場を「厳格分離主義」、信教の自由の側面を重視する立場を「不偏許容主義」と呼んだ[17]

歴史[編集]

一般的な理解としては政教分離と信教の自由は、西欧においては16世紀の宗教戦争に端を発し、フランス革命で一応形が整う国家の世俗化の産物とされる[19]。中山勉によれば、政教分離は「信教の自由のための制度的保障であり、単に政治と宗教が別次元で活動しているという状況、ないしはその主張を指すものではない」「あらゆる宗教の信教の自由を目的にしているか否かが、政教分離が存在しているかどうかの判断基準」となるとする[20]

962年にオットー1世がローマ教皇ヨハネス12世により「ローマ皇帝」に戴冠され、この神聖ローマ帝国以来ヨーロッパはキリスト教に統一された世界国家となり、最盛期に教会は莫大な土地を領有し、教皇の世俗的権力が強大となった[21]。中世では国家と教会が密接に結合しており、公認の宗教以外は異端とされた[22]

叙任権闘争宗教戦争フランス革命の3つがヨーロッパにおける政教分離の展開における重要な画期となった[23]宗教改革や初期資本主義の進展によって、教会権力と国王権力が対立し、近世に国王権力は絶対君主制を樹立した[21]。しかし、それも18世紀のフランス革命以降崩壊し、宗教的寛容と国家の宗教的中立の制度が広まった[22]

フランスでは1516年の政教条約によって国教制度がとられ、カトリックは特権的地位を与えられた[21][24]ナントの勅令後は 「寛容」が認められプロテスタントにも信仰の自由は認められていたが、 1685年に廃止され、1789 年まで国教制度が存続した[24]1789年フランス人権宣言は第10条で「何人もその意見について、それがたとえ宗教上のものであっても、その表明が法律の確定した公序を乱すものでないかぎり、これについて不安をもたないようにされなければならない。」とカトリック以外の宗派を含む信教の自由を明記した[21]また、1792年9月20日には国民公会が、出生や結婚、死亡などの民事的身分の届け出を教会から自治体に変更し、結婚届けも民事婚にする法案を可決。さらに、西暦の廃止すなわち革命暦の採用、教会資産の国有化、修道会が運営していた寄宿制度(コレージュ)の廃止など革命政府はカトリック教会と対立した[要出典]。しかし、聖職者世俗化法で「至高尊者」などの名の下にカトリックに代わる新たな公的祭祀が行われた[24]ナポレオンと教皇ピウス7世は、コンコルダ(政教条約)を締結し、カトリック中心の公認宗教制となった[24]。このコンコルダ体制では、プロテスタント、ユダヤ教も認可したものの、カトリック国教制であった(1814年憲章、1830 年憲章・1848 年憲法)[24]。その後、第三共和制のもとでは、修道会が廃止され、公教育機関の非宗教化と、教会と国家との分離がはかられた[24]。フェリー法(1881年)では初等教育の非宗教性が定められ、ゴブレ法(1886年)では聖職者を初等教育から排除され現在のライシテへとつながっていく政策がとられ、1901年の結社法では、修道会設立を政府許可制にした[24]。1904年、フランスとローマ教皇庁は外交断絶となるが、1905年には教会と国家の分離に関する法律 (Loi de séparation des Eglises et de l'Etat) が成立し、それまでの政教条約がフランス政府によって一方的に破棄された[24]

イングランドでは1534年ヘンリー8世によってイングランド国教会が成立した。エリザベス女王時代にはピューリタン(カルヴァン派)が国教会からカトリック色を一掃して教会改革を徹底するよう要求を繰り返した。ピューリタン革命前夜、議会派ピューリタンも、長老派(国王との妥協を模索し、国教会のなかで改革をする)と独立派(国教会から分離し、会衆教会を基本単位として教会純化を考える)、平等派(王制を廃止し、人民主権を達成しようとする)などの分離派(国教会からの分離を主張)に分裂した。クロムウェル政権は独立派の会衆派教会を優遇した。同じ分離派でもクエーカー教徒、平等派などは認められず、強く信教の自由を主張した。これらの人々はアメリカ、オランダなどへ亡命してのちに帰国する人も多く、信教の自由、政教分離への主張を強めていった。1660年の王政復古後、イングランド国教会は公定宗教として復活した。議会は1673年審査律を制定し、公職に就くには国教会の信者でなければならないとの規定を行った。そうした中、信教の自由を求める運動は継続され、1689年名誉革命に際して、「プロテスタント非国教徒を現行の諸刑罰から免除する法」(寛容法)が制定され、プロテスタントの非国教徒は信仰を理由に迫害されることはなくなった。しかし、1828年の審査律廃止まで公職に就くことはできなかった。また、カトリックも迫害されたが1801年アイルランド併合の際に解放が約束され、オコンネルの運動による1829年カトリック教徒解放令によって認められた。

政教分離を国制とした史上初の世俗国家はアメリカ合衆国である[25]1791年合衆国憲法修正第1条では国教の設置が禁止された[26]。政教分離が選ばれたのは、啓蒙主義思想によるだけでなく、新国家がイギリスにおいて宗教的に迫害された人々による「合衆国」であり[27][28]、異なった宗教的背景を持った人びとによって構成されていたためであった[29]。しかし、州の独立性は強く、ニューヨーク州メリーランド州ノースカロライナ州サウスカロライナ州ジョージア州監督派教会を、マサチューセッツ州コネチカット州ニューハンプシャー州会衆派教会を当初は公定教会としていた。その後、修正第1条の精神が徐々に浸透し、各州における公定教会制度は廃止されていき、最も頑強にピューリタンの伝統が保持されたマサチューセッツ州においても1833年に公定教会は廃止された[30][注釈 1]

ドイツでは宗教改革による対立を経てアウクスブルクの和議において、ルター派はカトリックと同等の権利を持ったが、同時に領邦教会制が成立した[24]。領邦教会制では"cuius regio, eius religio”「一つの領邦に属する者のすべてが一つの領邦教会に属する」とされた[24][31]。領邦教会司教が領邦君主であることもあり、世俗権力と宗教権力は密接な関係にある一方、カトリック教会も中世以来の世俗権力を有しており、トリアー、ケルン、マインツ大司は神聖ローマ帝国選帝侯でもあった[24]。1918年にドイツ帝国が崩壊しヴァイマル共和政となり、ヴァイマル憲法137条では「国の教会(Stasstskirche)は存在しない」と規定され、宗教団体設立の自由と宗教の自由も保障された[24]。しかし、教会は引き続き公法上の社団とされ、教会税徴収権も有し(137条)、公立学校で宗教は正規科目とされる(149条)など、ヴァイマル憲法においていわゆる「政教分離」制度が採用されたわけではない[24]ヴァイマル憲法の規定はドイツ基本法140条でも取り込まれ、ドイツ基本法4条では個人の信教の自由を保障する[31]。しかし現在でも、宗教団体は「公法上の社団」の地位を与え、教会税の徴収も認められている[31][24]。また宗教に関わる事項は、各ラントの権限に属し、連邦は権限を持たない[31]。また、公立学校における宗教の授業は、憲法上の正規科目とされている(基本法第七条三項)[31][24]。なお、1933年にカトリック教会とナチス・ドイツとが締結したライヒスコンコルダートも現在も連邦では効力を有している[31]。福音主義教会との教会条約も1955年のニーダーザクセン州のロックム条約を皮切りにほとんどのラントで類似条約が締結されている[31]

イタリアでは、1870 年イタリア王国がローマを併合し、教皇国の処遇が問題となった[24]。王国政府は1871年教皇保障法で、教皇は特別の主権者とされ、独自の衛兵を保持し、国による経費の負担が保障したが、聖座は一方的行為として受け入れなかった[24]。王国憲章第1条ではカトリック教は国の唯一の宗教とされていたが、政権を掌握していた自由主義的政治家は、教会財産を没収するなど反カトリック政策を遂行していたことも背景にあった[24]。決着をみたのは、1929年ムッソリーニイタリア王国ローマ教皇庁ラテラノ条約で、第一条で「イタリアは、使徒伝承のローマのカトリック教は国の唯一の宗教である」とし、またバチカン市国を成立させた[24][32]。1947年のイタリア共和国憲法第7条では「国家とカトリック教会は、各々その固有の領域において、独立かつ最高である。両者の関係は、ラテラノ協定により規律する」とラテラノ協定は継続する一方で、第8・19条では信教の自由が保障された[32]。1984年のヴィッラ・マダーマ協約でラテラノ協定が改訂され、憲法7条の規定を削除し、国家の非宗教性を憲法原理とした[32]。しかし、現在でもカトリック教会が頂点にあるとの指摘もあり、1990年代の納税申告での使徒指定制度では80パーセントがカトリック教会を選択していた[32]。宗教教育では1859年のカザーティ法でカトリックを必須教育とする一方で非カトリック教徒の免除も認めていたが、1923年、ムッソリーニ政権でカトリック教育が必須科目とされた[32]。1984年のヴィッラ・マダーマ協約ではカトリックがイタリア国民の歴史的財産の一部となっていることから学校におけるカトリック教育を引き続き保障するとする一方で宗教教育を受けることを選択する権利も保障された[32]。ただし、公立学校に在籍する生徒の90パーセントがカトリック宗教教育を選択しているという[32]

現在、多くの国で、信教の自由を保障するための政教分離原則が人権宣言憲法で保障されるようになっている[21][22]。ただし、公定宗教は認められており、英国国教会、アメリカ合衆国大統領の就任式宣誓などは政教分離の原則違反にはならない[26]

各国における政治と宗教の関係[編集]

国教が定められている国
  イスラム教(スンナ派
  イスラム教(シーア派
  仏教

分離型(厳格な分離)[編集]

融合型(国教制度)[編集]

コンコルダート[編集]

アメリカ合衆国の政教分離[編集]

アメリカ合衆国における政教分離は、アメリカ合衆国憲法修正第1条にて示されており、「連邦議会は国教を定めるための、また宗教の自由な活動を禁止するための、いかなる法律も制定することはない。」としている[33]

政教分離は"Separation of Religion and State"「宗教と国家の分離」ではなく"Separation of Church and State"「教会と国家の分離」であり、教会と公権力の癒着の否定という意味合いが大きい。単に国教を禁ずるものではなく、一定限度を超える政府機関と宗教との結びつきを禁ずるものと判例により解釈されている。そこではキリスト教的伝統はむしろ尊重される。つまり、アメリカの公的領域において一定の役割を果たすことについては、アメリカは伝統的にこれを是認してきているという[33]

紙幣・コインには"In God We Trust(我ら神を信ず)"の文言が刻まれているし、議会には宣教師(チャプレン)が専属している。また、証言や大統領などの公職就任の際に宣誓 (Oath) もしくは確約 (Affirmation) が求められるが、このうち宣誓は神に対する誓いであり、神に言及しない確約はクエーカーなどの宣誓を禁ずる教派の信徒のために用意されたものである。しかし、セオドア・ルーズベルトのように聖書を用いず、大統領宣誓を行ったものも実際に存在する。[[]]英語版また、彼は、ジョージ・ワシントンが始めた"So Help Me God"という言葉を発言せずに、"Thus I swear"で終了した。 [[]]英語版こうした特定の教会に偏らないアメリカにおけるキリスト教の共通要素をしばしば"Civil Religion"「市民宗教」という[注釈 2]そこでは、一般的な社会主義憲法が明示的に保障するような「無信仰の権利」は比較的重視されない。[要出典]

すなわちアメリカにおいては、国家が特定の教会や教派のために公金を使ったり、特定の教会・教派の信者を就職・参政権などで優遇することが憲法違反なのであり、多様な教会的伝統が国家形成に積極的に参与できるよう、特定の教派が突出した政治権力を行使できない枠組みを用意するという点に重点が置かれている[33]。なお、合衆国(連邦)最高裁は、McCreary County v. ACLU of Kentucky, 545 U.S. 844 (2005),において、公共の場における聖書の展示について、第一修正に3つの観点から違反すると判示した:第一は、聖書のみを展示して、第二は、他の宗教の文書とともに展示することによって、第三は、これをアメリカの根本的な「法」であると主張することによって、である。[[]]英語版

その他の判例は以下のとおり:

Torcaso v. Watkins, 367 U.S. 488 (1961) 連邦・州政府において、宗教に関するあらゆる質問、検査、査察などを、禁止した。

Cutter v. Wilkinson (Word File), 000 U.S. 03-9877 (2005) 服役囚が、無神論者同士が議論できるような集まりを、設けたいという主張と刑務所が衝突:被告は「無神論は、宗教にあらず。よって、保護されない」と主張するも、判決では、無神論も宗教と同等の保護されるべき法益であると判決。

したがって、米国的な政教分離理解に立つ限り、特定の教会・宗教が政治活動に参画することそれ自体には違憲性はない[34]。実際に宗教的理由から妊娠中絶や同性愛の反対を掲げるキリスト教右派の影響力が大統領選挙などの結果を左右することはよく知られている。

国家にゆるされる宗教的行為の判定として、アメリカ連邦最高裁判所はいくつかの判決を経た上で1971年にレモン対カーツマン事件において、修正第1条との関係で合憲とされるためには、

  1. 政府の行為は適法で世俗的な目的をもつものでなければならない。
  2. 政府の行為はその主たる効果が宗教を助長または抑制するものであってはならない。
  3. 政府の行為は政府と宗教との「過度の関わり合い」をもたらすものであってはならない。

の3要件を充足することが必要と判断した。この基準は、当事者の名前をとってレモンテストと呼ばれている。

近年の動向[編集]

キリスト教右派が宗教基盤の共和党ブッシュ大統領はクリスマスの際「Merry Christmas!」ではなく「Happy Holidays!」と他宗教に配慮して演説したことが、キリスト教右派に批判された。宗教的な少数派からは異論が出されて激しい議論となる場合もある。たとえばアメリカでは、公立学校での「忠誠の誓い」に関して、神に言及することについては、2001年にサンフランシスコ連邦控訴裁から「政教分離原則の基礎をなす国教禁止条項(憲法修正第1条)を侵す」という判決が出ている。

アメリカでは、クリスマスだけを公的行事とするのではなく、ユダヤ教のハヌカークワンザ(アフリカ系アメリカ人の祭典)も公的行事として認めようとする動きもある。これは特定の宗教の関与を禁止するよりも、むしろ複数の宗教の関与を認めるという解決策といえる。[要出典]

また、アメリカでは、キリスト保守派により、進化論以外にインテリジェント・デザイナーにより人類等が創造されたというインテリジェント・デザイン説も教育せよという運動があり、カンザス州教育委員会ではこれが認められた。これに対する皮肉として、空飛ぶスパゲッティモンスター (FSM) により人類等が創造されたという説(空飛ぶスパゲッティ・モンスター教)も同様に成り立つという主張がなされた。

フランスの政教分離(ライシテ)[編集]

フランスの政教分離はライシテ (laïcité) の原則に基づく。ライシテとは非宗教性、世俗性、政教分離等の概念を含んだフランス独自の原則で、国家をはじめとする公共の空間から宗教色を排除することで、私的空間において信仰の自由を保障する。ライシテと政教分離は等しい概念ではないが、ライシテの概念を理解することがフランスの政教分離を理解することにつながるので、しばしば同一のものとして扱われる。

ライシテの語源は、ギリシャ語のラオス (laos) =聖職者に対する民衆、の意味でラテン語のライクス (laicus) を経てフランスに入り、1870年代にライック(laïcもしくはlaïque)=宗教的信仰から独立した、という形容詞から1870年代に形成された。ライシテは、第三共和制の時代に主に教育現場からのカトリック色の排除という形ですすんだ。ジュール・フェリー教育相は1881年に公教育を無償化するとともに、1882年には初等公立学校の現場から宗教教育を排除し、諸科目の筆頭に道徳と市民教育を掲げる法律を制定した(ジュール・フェリー法)。この法律は、学校に週一回の休みを設けて学校外で教会の教育を受けられることを保障するなど教会教育にも配慮したが、教室からは十字架像が徐々に撤去されるなど公立学校の宗教色は薄められ、1886年には公立学校の教師から聖職者が排除された(ゴブレ法)。1898年に起こったドレフュス事件に乗じてカトリック勢力が発言力を強めると、共和国防衛内閣を組織したピエール=ワルデック=ルソーは1901年修道会を認可制にし修道会系教育機関の設立許可制を導入。1902年に首相となったエミール・コンブはカトリック系学校約12,500校を閉鎖。非聖職者による再開や公立学校への吸収を実施した。これは教会財産の国家接収を意味し約3万人の修道士女が国外へ亡命した。1904年にエミール・ルベ大統領がイタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世を訪問するとローマ教皇庁はフランス政府と国交を断絶した。

カトリック派と反教権派の対立が激化するなか、1905年「教会と国家の分離に関する法律」(Loi de séparation des Eglises et de l'Etat) が成立。信教の自由の国家による保障と国家の宗教への中立性を明確にし、ライシテは一定完成した形となった。

ライシテが憲法に規定されたのは、1946年第四共和制憲法である[注釈 3]1958年成立の第五共和国憲法に引き継がれ、現在にいたっている[注釈 4]

宗教的な少数派[編集]

フランスでのムスリムのスカーフ着用禁止など、政教分離原則の適用が多数派による少数派への圧力として作用してしまうこともある。ただし、フランスの場合学校は全ての宗教から中立であろうとする結果として行われた処置だろうという見方をする人たちもいる。この件についてはル・モンド誌がヨーロッパ各国の反応を掲載した記事があり日本語訳も入手可能である。またフランスはライシテ(laïcité、 宗教からの独立)の原則を遵守しつつカルト的団体に対処するためセクトという概念を持って犯罪性の部分のみに対処するという方向性を打ち出した。これを、建前だけ立派で実質は少数派と異文化への弾圧とする人達と、逆に犯罪被害に対する良質かつ控えめな対処として賞賛する人たちに別れ議論を巻き起こした。フランス政府の行政資料(日本語訳もある)を根拠に犯罪対策が中心に行われ異文化排斥の側面は弱いと見る人もいる。また研究者達の間では異文化排斥の側面が極めて弱いとの意見が主流だと語る専門家もいる。


イギリスの公認宗教制度[編集]

イギリスにはイングランド国教会があり、日本のような意味での政教分離原則は採られてはおらず、広義での公認宗教制度をとる[24]。イングランド教会は、 国教会制定法を通じて議会によってコントロールされている[24]。また、女王は国教会の主教任命権を有しており、国王はイングランド教会の「至上の支配者」である一方で国教会を信仰し、国王の戴冠式は国教会で執り行われる[24]。イギリスには憲法が存在せず、信教の自由について憲法上の保障はないが、イギリスは、ヨーロッパ人権規約(1953年)の調印国であり、1998年の人権法によって、同規約を国内法の一部とし、人権規約9条の信教の自由に依拠して裁判所で適合か不適合かが判断される[24]。大戦中の1944年、戦費による財政圧迫で義務教育の維持が困難となったため国教会とカトリックによる支援を求めて、教育法が制定された[24]。1944年教育法では学校教育の中で宗教礼拝が規定された[24]。1988年教育改革法では、宗教教育は基本カリキュラムの一部と位置づけら れ、イギリスの宗教的な伝統が主としてキリスト教であるという事実を反映 しなければならないと明確に定められた[24]。なお、両親が子供に宗教教育を受けさせない権利を認められているが、公立学校での礼拝はキリスト教的なものでなければならな いと定められている[24]

オーストラリア[編集]

オーストラリアはイギリスから独立しているが憲法上の国家元首はイギリス女王で、1867年カナダ憲法と同様に、 連邦憲法では人権保障に関する条項がほとんどみられないが、自由権として第116条「国教を樹立し、宗教の遵奉を強制し、または自由な宗教活動を禁止するための法律を制定してはならない」で国教の禁止と信教の自由が規定されている[35]。司法では私立の宗教学校に対する連邦の補助金支出は合憲。宗教的反戦家への兵役義務は合憲[35]。第2次大戦中に、戦争遂行に不利益な団体として解散を命じた措置についての訴訟は、国家の目的が治安確保であり宗教禁止ではなかったため合憲と判示された[35]

日本の政教分離[編集]

江戸時代の日本では、幕府仏教寺社勢力に介入統制し支配に利用する方針が徹底され、仏教は民衆の教化のみ役割を担わされ宗論は厳しく制限された[36][37]儒教神道の習慣は尊重され、神道のなかで論じられた廃仏論は明治初期の廃仏毀釈運動に影響を与えた。またキリスト教は厳しく弾圧された[37]

日本近代史における政教分離[編集]

ここでは法制史の立場から日本近代での政教分離について概説する。「祭政一致の制に復し天下の諸神社を神祇官に属す」とする慶応4年3月の太政官布告で神祇官再興が宣言された[38]村上重良によればこれは「政治と神を祭ることは一体であるという古代的観念」を掲げたものである[39]1868年(明治元年)神仏分離令が出され、廃仏毀釈が起こる。また「五榜の掲示」にキリシタン禁制とあるのが確認される。1869年に設けられた公議所の議論で神道の国教化路線が決定され、神道に関する神祇官は太政官から独立したが、1871年には神祇省に格下げされ1872年には神祇官が廃止され、教部省が新たに仏教・神道ともに管掌することとなった。国民を教化する職責として教導職制度が設置され、教導職の教育機関として大教院が設置された。しかし1872年浄土真宗本願寺派の島地黙雷は三条教則批判建白書を提出し、1875年1月には真宗4派が大教院離脱を内示するなど紛糾し、同5月に大教院は解散した。

1874年には仏教・神道の中での宗派選択の自由が、1875年には信教の自由が保障された。1882年(明治15年)に内務省通達により神社は宗教ではないとされた(神社非宗教論)[40]1889年(明治22年)、大日本帝国憲法第28条で「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」と記載された。

しかし、昭和期に入って、日本国内で国粋主義・軍国主義が台頭すると、神道は日本固有の習俗として愛国心教育に利用され、神道以外の宗教に顕著な圧迫が加えられるようになった。神道以外の信仰を持つ生徒・学生であっても靖国神社への参拝を義務づけたため、1932年には上智大学の学生が靖国神社参拝を拒否するという事件(上智大生靖国神社参拝拒否事件)が発生した。これに対してカトリック教会は1936年祖国に対する信者のつとめ』を出し、日本政府の方針にしたがうべきことを表明した。

第二次世界大戦後の1945年GHQにより神道指令が出され、国家神道は廃止され、現行憲法では政教分離が原則的には実現されている。

日本国憲法における政教分離[編集]

日本国憲法に「政教分離」の言葉はないが、根拠として日本国憲法第20条1項後段、3項ならびに第89条が挙げられる。

日本国憲法 第二〇条
一 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
三 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
日本国憲法 第八九条
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便宜若しくは維持のため、……これを支出し、又はその利用に供してはならない。

したがって、政教分離の具体的内容とは次の通りである[7]

  • 国が宗教団体に特権を与えることの禁止 - 特定の宗教団体に特権を付与すること。宗教団体すべてに対し他の団体と区別して特権を与えること。
  • 宗教団体が政治上の権力を行使することの禁止(「宗教団体の政治参加」を参照)。
  • 国およびその機関が宗教的活動をすることの禁止 - 宗教の布教、教化、宣伝の活動、宗教上の祝典、儀式、行事など(「目的効果基準」を参照)。

上記の憲法規定は、宗教の関与を否定するものではなく、宗教団体が政治家や政治団体を支持したり、政治運動を行うことは憲法上認められている[41]

政教分離と信教の自由の関係につき、最高裁判所津地鎮祭訴訟の判決で、「信教の自由を確実に実現するためには、単に信教の自由を無条件に保障するのみでは足りず、国家といかなる宗教との結びつきをも排除するため、政教分離規定を設ける必要性が大であつた[42]」として、信教の自由と政教分離は目的と手段の関係にあり、個人の権利ではなく制度的保障(自由権本体を保障するために、権利とは別に一定の制度をあらかじめ憲法によって制定すること)であるとしている。これに対しては、信教の自由を侵していないという理由で政教分離の規定が縮小されてしまう可能性があり不適切であるという批判もある[43]

国家と分離される「宗教」については、信教の自由の場合と異なり、宗教だと考えられるものすべてを指すと考えることはできない[44]とする立場が一般的であるが、この「宗教」の定義によって国家および地方公共団体が禁じられる「宗教的活動」のとらえ方には2つの説が生じる。

一つには「当該の行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進、又は圧迫、干渉になるような行為[42]」とする説である。津地鎮祭最高裁判例がその代表である。2つにはより厳格に「祈祷、礼拝、儀式、祝典、行事等およそ宗教的信仰の表現である一切の行為を包括する概念」であるとする説がある[45]

この説に対しては、死者に対する哀悼、慰霊等の行事のすべてが含まれるのは非常識であるとする批判がある[46]

また、政教分離の対象は国家および地方公共団体である。判例によれば、護国神社などは私的な宗教団体であり、私人である隊友会が殉職自衛官を山口県護国神社に合祀申請しても国家は関係ないから政教分離の問題にはならなかった[47][48]

他方、国家権力主体としての性格を有する愛媛県が靖国神社に寄付金を納めるのは、国家と宗教の過度なかかわり合いを発生させるので、憲法20条に反し、許されなかった(愛媛玉串料訴訟[49]「目的効果基準」も参照)。

神道の評価と目的効果基準[編集]

歴史的経緯[編集]

大日本帝国憲法は第28条において「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」と定めた。しかし信教の自由、および“安寧秩序” “臣民の義務”という定義自体が不完全なもので、神道は「神社は宗教にあらず」といって実質的に国教化され(国家神道)、神社への崇敬を臣民の義務として、神宮遙拝は日常化され、家庭や公共機関などに神札を祀ることが奨励された。これに反する宗教は弾圧を加えられることもあった(大本教ひとのみち教団創価教育学会横浜ホーリネス教会など)。

戦後日本における政教分離原則は、当時日本を占領していたアメリカを中心とする連合国総司令部 (GHQ) が、1945(昭和20)年12月15日に日本国政府に対して神道を国家から分離するように命じた神道指令がその始まりである[50]。そして、1946年1月1日の昭和天皇のいわゆる人間宣言に始まる一連の国家神道解体へとすすんでいった。憲法制定過程では松本委員会案において、すでに神社の特典を廃止するとして記載されている(第二十八条)。

目的効果基準[編集]

津地鎮祭訴訟において最高裁は、宗教は個人の内心にとどまらず外部的な社会現象(教育・福祉・文化・民族風習など)をともなうのが通常なので、「国家と宗教の完全な分離は、実際上不可能に近い」として、いわゆる「目的効果基準」に従って国の宗教的活動の違憲性を判断するべきと判示した。これは「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になる」か否かをもって、憲法第20条3項にいう「宗教的活動」に抵触するかどうかを判断するものである[42]

箕面忠魂碑訴訟では、この目的効果基準にしたがって、忠魂碑の移転に関わる費用等を市が負担した行為が合憲とされた。また、愛媛県靖国神社玉串訴訟では、同基準に従い、県知事が公費から靖国神社に玉串料を奉納した行為が違憲とされた。さらに、砂川政教分離訴訟では北海道砂川市が市有地を神社に無償提供していた件が違憲と判断された。[51]

目的・効果基準はアメリカのレモンテストに由来する(「アメリカ合衆国の政教分離」で前述)。

なお、宗教的要素をもった文化財に対する補助金や、宗教系私立学校への助成金支出などもこの基準に照らして問題ないとされている。

靖国神社公式参拝の問題[編集]

政治と靖国神社の関係について、「特権付与の禁止」と「国の宗教活動の禁止」の視点から議論がなされてきている。

1985年8月15日に中曽根康弘首相が「正式な神式ではなく省略した拝礼によるものならば閣僚の公式参拝は政教分離には反しない」というそれまでの政府統一見解を変更し、靖国神社を公式参拝し供花代金として3万円の公費を支出した件について、仏教、キリスト教信者が中心となって、信教の自由、宗教的人格権、宗教的プライバシー権等の侵害を理由に損害賠償・慰謝料を求める訴訟を行った。福岡高裁(平成4年2月28日)判決は、靖国信仰を公認し押しつけたものとは言えず、信教の自由の侵害はない、としたが、傍論において公式参拝が制度的に継続的に行われれば違憲の疑いがあるとした。大阪高裁(平成4年7月30日)判決も、今回は具体的な権利侵害はないが、公式参拝自体は違憲の疑いが強いとした。 小泉純一郎首相も靖国神社を参拝したが「私的参拝」であるとして公費の支出もしなかった。千葉地裁(平成16年11月25日)判決、東京高裁(平成17年9月29日)判決は憲法判断を避け、原告の請求を棄却した。他方、福岡地裁(平成16年4月7日)判決と大阪高裁(平成17年9月30日)判決は原告の控訴を棄却したが、傍論で違憲に言及している。

また、岩手県靖国神社訴訟では、1962年から毎年岩手県議会が行っていた靖国神社への玉串料公費支出と県議会が総理大臣の靖国公式参拝を求める決議をしたことをめぐって住民訴訟が争われた。一審の盛岡地裁(昭和62年3月5日)判決は、社交儀礼であって政教分離に反しないとしたが、二審の仙台高裁(平成3年1月10日)判決は、特定の宗教団体への関心を呼び起こし、かつ靖国神社の宗教的活動を援助するもの」で政教分離に反するとした。

さらに愛媛県靖国神社玉串訴訟では、愛媛県知事が靖国神社・県護国神社に玉串料を22回計16万6000円を公費支出していた事実を争った住民訴訟で、一審の松山地裁(平成元年3月17日)判決では「同神社の宗教活動を援助、助長、促進する効果を有するので、違憲」とした。二審の高松高裁(平成4年5月12日)判決は、金額も少なく社会的な儀礼の程度で、神道の深い宗教心に基づく行為ではないから合憲としたが、最高裁(平成9年4月2日)判決は、玉串料の奉納は県が特定宗教団体と意識的に特別な関係を持ったことになり、一般人に対して靖国神社は特別な宗教団体であるという印象を与えるので、目的効果基準に照らして違憲であるとした。

次は政治家の参拝が違反であるという意見と合憲であるという意見の例である。

日本の政治家による靖国神社への参拝は、この政教分離原則に反するという説

この政治家への徹底は不可能であるとの論に対し、

政治家は国の機関であり、同条3項の国の機関による宗教的活動に該当するという説
政治家が参拝すること自体が、間接的な靖国神社への特権となるという説
靖国神社とは東京招魂社であり、元々が国家的権威の元で主導されたものである。同時期に建立された明治神宮のように最初から別格の存在である。
また、新年に首相以下の閣僚がこぞって参拝する伊勢神宮に対しては同様の批判の声は比較して少ないことから、靖国神社に対する政治的意図を持った批判であるとされる。(靖国神社問題参照)

宗教団体の政治参加[編集]

宗教勢力と関連がある団体の政治参加について、「宗教団体の政治的権力の行使の禁止」と関わりが話題にのぼることがある。日本政府の見解[52]によれば宗教団体が政治的活動をすることに問題はないが[53]、国民の間には忌避感があるという[53][54]

『新宗教辞典』では、宗教と政治関与について、単独の宗教団体が独自の政党を作った創価学会のケース、「戦後改革を是認する立場から自民党内の比較的リベラルな部分と結び付いて間接的な政界進出を図り、保守政権を支持・支援する」新日本宗教団体連合会系宗教団体のケース、「戦後改革をさほど認めず、自主憲法制定・靖国国家護持賛成・天皇復権」などを謳う右派グループのケース、政治参加を基本的に否定するケースの4つをあげている[55][56][57]

また、世界平和統一家庭連合(統一協会)の創設者文鮮明によって作られた国際勝共連合[58][59]生長の家政治連合などが政治活動を行っている。

宗教政党[編集]

日本の宗教団体が設立に関与したり、あるいは支持母体とする政党は、以下の通りである。

学界の議論[編集]

学界の通説は、国家が宗教団体に政治上の権力を行使させてはならない、ということは、宗教団体を政治参加させてはならないという意味ではないとする。すなわち「政治上の権力」とは、国が独占すべき「統治権力(立法権、課税権、裁判権等)」のことを指す[44][46][60]とするものである。

この説に対して、佐藤功は、宗教団体の政治参加を制限する立場から、国の統治的権力を宗教団体が行使するということは現代では考えられないので「政治上の権力」とは「政治上の権威とでもいうべき観念」であり、「政教分離の原則を明らかにするために宗教団体が政治的権威の機能を営んではならない」とする説を主張している[61]

この説には、世界の政教分離の態様は様々であり、例えばドイツには現に教会に租税徴収権が認められていることを留意すべきという反論[62]、「政治的権威の機能」の意味が明確を欠き、疑問が残るという批判がある[60]

田上積治は、「政治上の権力」を「積極的な政治活動によって政治に強い影響を与えること」ととらえ、その理由として「宗教団体の政治活動は他の政治団体と容易に妥協しない性格を持つから民主政治にそぐわない(趣意)」という説を主張している[63]。一方、芦部信喜橋本公亘は、宗教団体の政治活動の自由を制限したり禁止したりするのは宗教を理由に差別することになる、と主張している[46][64]

宗教団体・宗教団体構成員の政治活動・政党結成を制限することは、以下の複数の規定に抵触することになる。

  1. 信条による差別全般を禁止した憲法第14条1項
  2. 公務員の選定を「国民固有の権利」(=全ての国民に保障された権利)とした憲法第15条1項
  3. 思想・良心の自由を保障した憲法第19条
  4. 結社・言論の自由を保障した憲法第21条1項
  5. 国政選挙における信条による差別を禁止した憲法第44条
  6. 地方選挙権を「住民」に保障した憲法第93条2項

憲法第20条1項を厳しく解釈した結果それ以外の複数の条項に違反するのは明らかに不合理であるというのが通説的見解の根拠である。

日本国憲法成立の経緯から[編集]

日本国憲法制定前の第90回帝国議会で憲法草案が審議されていた段階で、以下のような答弁があった。

  • (松沢)「いかなる宗教団体も政治上の権力を行使してはならない」と書いているのであります。これは外国によくありますように、国教というような制度を我が国において認めない。こういう趣旨の規定でありまして、寺院やあるいは神社関係者が、特定の政党に加わり、政治上の権利を行使するということは差し支えがないと了解するのでありますが、いかがでございますか。
  • (金森)宗教団体そのものが政党に加わるということがあり得るのかどうかは、にわかに断言できませぬけれども、政党としてその(注:宗教団体の)関係者が政治上の行動をするということを禁止する趣旨ではございませぬ。
  • (松沢)我が国におきましてそういう例はございませぬが、たとえばカトリック党というような政党が出来まして、これが政治上の権利を行使するというような場合は、この(注:第20条の)規定に該当しないと了解してよろしゅうございますか。
  • (金森)この「権力を行使する」というのは、政治上の運動をすることを直接に止めた意味ではないと思います。国から授けられて、正式な意味において政治上の権力を行使してはならぬ。そういう風に思っております[65]

最高裁判例から[編集]

宗教団体の政治活動に関する最高裁の判例はない。

津市地鎮祭事件判決(昭和52年7月13日)は、津市が行った地鎮祭という宗教的行為に関する事件である。ここでは

憲法は、政教分離規定を設けるにあたり、国家と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたもの、と解すべきである。(中略)政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であつて、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。

と述べて、政教分離原則は国家と宗教の分離を目指した規定である、とした上で

「現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近いものといわなければならない。更にまた、政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえつて社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れない」

と、目的と現実を明確にした上で国家に許容される宗教的行為の基準として目的効果基準を打ち出している。

この判決に見られる政教分離の視点は、国家にいかなる宗教行事や宗教団体への介入が許されるかという、国家から宗教への視点であり、宗教からの政治への介入という視点ではない。

内閣法制局の答弁から[編集]

内閣法制局は、

憲法の政教分離の原則とは、信教の自由の保障を実質的なものとするため、国およびその機関が国権行使の場面において宗教に介入し、または関与することを排除する趣旨である。それを超えて、宗教団体が政治的活動をすることをも排除している趣旨ではない。 — 自社さ連立政権における内閣法制局長官大森政輔の国会答弁趣旨

という見解を一貫して述べてきた[66][67][68]

2008年10月7日衆議院予算委員会で、民主党の菅直人の「90年にオウム真理教の麻原氏を党首とする真理党が結成され、25人が立候補した。多数を占め、政治権力を使って教えを広めようとしたら、憲法第20条の政教分離の原則に反すると考えるがどうか」との質問に対し、内閣法制局長官および首相が違憲と答弁したが、翌10月8日に長官は「誤解を与える結果となったとすれば誠に申し訳ない」と陳謝のうえ「菅委員の質問の場合は、宗教団体が「政治上の権力」を行使していることにはならないので、憲法第20条第1項後段違反の問題は生じない」との趣旨を再答弁した。

法制局は法的に憲法解釈の権限をあたえられているわけではないが(違憲立法審査権をもつのは最高裁である)[注釈 5]、政府の公式見解である。ただし近年においては、与党民主党関係者から、内閣内で憲法解釈を担ってきたことへの批判が生じており、その地位および解釈は必ずしも保証されているわけではない。

宗教法人に対する非課税措置について[編集]

宗教法人に対する非課税措置が「特権付与」に当たるかどうか議論がある。憲法上の疑義があるという見解も存在している。

宗教法人は公益法人に属するが、他の公益法人も免税されているので、特に宗教法人だけが特権を付与されていることにはならないとし合憲としている[64]

また、日本の法人税法がいう儲けとは配当金のことであり、法人擬制説に立って我が国の税法は運用され、法人税法等では株主などの構成員へ分配することが出来る剰余金配当(配当金)や、残余財産分配(みなし配当)に法人税などを課税し、法人自体にではなく配当金を貰う個人へ税を課している。

宗教法人は、収益事業を行っている場合、公益事業へ組み込むための儲けが出せるので課税される。

ただし、儲けは出せるが、その総ては法律で公益事業へ使わなければならず、一般企業のように個人へ配当することは出来ないので、その点で税率が軽減されている。

しかし、宗教法人の本来事業である公益事業は、剰余金配当も、また、たとえ解散をしても残余財産分配が宗教法人には持分が全くないために法律上できず、法人税法などの主旨とは合わないので公益事業は非課税になっている。

なお、法人の内部留保金については、役員や職員への給与、賞与等(もっとも言うまでもないが、宗教法人を含む公益法人からの給与と賞与などへは一般サラリーマンと同様に所得税などが課税されている)以外の資産は、法律どおり公益宗教活動、多くの文化財の保護、伝統と慣習の承継等の本来事業へ使わなければいけない。

ただ、これらを実行するには多額の費用が掛かるため、教会、神社、寺院の宗教団体員は一丸となって費用捻出のため努力をしている。

株式会社は、営利目的(配当金を生む目的)で設立され、剰余金配当や残余財産分配もでき、仮に公益活動を行っても剰余金配当などが出来るため課税される。

なお、非課税措置については批判がある。

憲法改正の動きとの関係[編集]

憲法改正論議では自民党などによって政教分離の緩和が検討されている。2005年10月28日に出された「自民党新憲法草案」が事実上の政教分離の緩和を目指しており、教育現場での神道教育の導入につながるのではないかという懸念がカトリック教会などから提示されている[69]成澤孝人は憲法調査会の議論にナショナリズムが現れていると批判した[70]。恵泉バプテスト教会は「憲法改悪に反対する声明」を出した[71]

祭祀・お祭り・民俗宗教[編集]

皇室の執り行う大嘗祭について。平成14年(2002年)7月に最高裁判示によると大分県の平松知事らが大嘗祭関連儀式に公人として参列し、日当などが公費から支出された件について、目的・効果基準から合憲判断を示し(7月9日)、同7月11日には鹿児島県の土屋知事らについての同様の訴えについても合憲判断を示した[72]

神社の例大祭について。東京都世田谷区は、神社の祭に区幹部職員が参加して公費で玉串の奉納をしていたことを「憲法の政教分離の原則に疑念を生じさせる、不適切な行為であった」と認め、職員から公費の自主返納があったことが平成28年7月29日の区議会で報告された[73]。この件に関する住民監査請求の勧告措置[74]への対応として、宗教法人等が行う祭礼に職員が公費で参加する場合は、宗教的色彩のある式典への参加はしないことになった[75]

宗教法人が開催する節分追儺式について。真言宗智山派の大本山である高尾山薬王院有喜寺が開催する節分会追儺式[76]東京都主税局職員が職務命令で参加して電子申告制度の広報活動と称して護摩祈祷[77]と大本堂での豆まき後に[78]、薬王院参道で「平成27年度 節分会追儺式 年男年女 修行者」として「八王子都税事務所長」と掲示が一年間あり、その様子を都税事務所が写真付き印刷物にして庁内および他の事務所で回覧させた事案について、東京高等裁判所は、護摩祈祷の間は職員は座布団に座っていたので受動的参加であり、豆をまけば電子申告制度の広報になる、薬王院の追儺式参加者の大多数は芸能人目当てで信仰心のある信徒はいないから世俗行事である、等の理由により政教分離に違反しないと判示した。[79]

文化財保護や地域の民俗史に関わる重要な有形・無形財産の保持にしばしば政教分離原則が関わった。地域の「お祭り」については戦後すぐから伝統的行事としての祭事に公金が一切支出されなくなり各地で混乱が発生した。GHQ統治時代に緑風会議員の議員立法により成立した「文化財保護法」では、国家神道体制を助長するような要素は極力排除された。1975年の改定による「民俗文化財」の創設について無形民俗資料とされたものの多くは神社に関わる祭礼行事であり戦後憲法の「政教分離」に抵触しかねないものばかりであった[80]。文化庁は1999年4月から「伝統文化を生かした地域おこし」プロジェクトや1992年交付の「地域伝統芸能等を活用した行事の実施による慣行及び特定地域商工業の振興に関する法律」などから地域振興策としての「お祭り」を見直す方向にかじを切り、2000年11月には「ふるさと文化再興事業」として約20億円の予算配分がされた[81]

公教育と政教分離[編集]

教育現場にも政教分離がしばしば関わる。公立学校では、例えば「修学旅行で伊勢神宮に"参拝"する」との表現はせず「伊勢神宮を"見学"する」との表現を用いたりする。旧教育基本法第9条は宗教的情操をはぐくむ教育を禁止していると解すべきだとの立場があり[82]、一方で文部省教育局長通達などでは「宗教的感情の芽生えを伸ばす教材」を盛り込むことを指示しており、1977年以降では「超自然的な存在」「人間の力を超えたものへの畏敬」の観念を示しそれにもとづく道徳教育を実施している[83]。この点は法改正のさい議論の対象となり[84]平成18年12月22日施行の新法[85]では、宗教に関する一般的な教養は教育上尊重されるべきことを新たに規定された。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 南北戦争後の1868年に批准された修正第14条第1節「~いかなる州も合衆国市民の特権または免除を損なう法律を制定し、あるいは施行することはできない。またいかなる州といえども正当な法の手続きによらないで、何人からも生命、自由そして財産を奪ってはならない。また、その管轄内にある何人に対しても法律の平等な保護を拒むことはできない。」により、修正第1条は州政府に対しても正式に適用されることとなった[要出典]
  2. ^ ロバート・ベイラー「その答えとは、教会と国家の分離は政治領域に宗教的次元がないことを意味しないという点にある。個人の宗教的信仰、礼拝、結社は厳格に私的な問題と考えられていても、同時にアメリカ人の大多数が共有している宗教的志向にはいくらかの共通の要素がある。それはアメリカの制度の発展において決定的な役割を果たしたし、今も政治の領域を含めたアメリカ生活の全枠組に宗教的次元を付与している。公的な宗教的次元は、私のいわゆるアメリカの市民宗教と呼ぶ一連の信仰、象徴、儀式に表現されている。大統領の就任式は、この宗教における重要な儀式的行事である。それは、とりわけて最高の政治的権威の宗教的正統化を再確認するのである。」
  3. ^ 前文「フランスは、種族・宗教・信仰の差別なく、譲渡することのできない神聖な権利を所有することを声明する。」「国家は、児童および青年が教育・職業および教養を均等にうけ得ることを保障する。あらゆる段階における無償かつライックな公の教育を組織することは、国の義務である。」第1条「フランスはライックで、民主的または社会的な不可分の共和国である。」
  4. ^ 第1条「フランスはライックで、民主的または社会的な不可分の共和国である。フランスは出生、人種、または宗教の差別なく、すべての市民に対し法律の前の平等を保障する。」
  5. ^ 「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」(憲法第81条

出典[編集]

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  52. ^ 衆議院議員鈴木貴子君提出我が国における政教分離の原則に係る内閣官房参与の発言に関する質問に対する答弁書 内閣衆質一八六第二二三号 平成二十六年六月二十四日
  53. ^ a b 塚田穂高 2015, p. 14.
  54. ^ 櫻井義秀 市民社会形成の担い手に宗教組織はなりうるか−新宗教の国際協力をどう評価するか− 新宗教新聞 2005年4月25日
  55. ^ 戦後日本宗教の国家意識と政治活動に関する宗教社会学的研究(博士論文)塚田穂高、2016年7月7日。
  56. ^ 塚田穂高 2015, pp. 23-24.
  57. ^ 『新宗教事典』1990年、p562-571 ISBN 4335160186
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  60. ^ a b 芦部信喜著『憲法学 III 人権各論(1) 増補版』、有斐閣、160ページ
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  62. ^ 佐藤幸治著『憲法』[要ページ番号]
  63. ^ 田上穣治「宗教に関する憲法上の原則」
  64. ^ a b 芦部信喜著『憲法学』、有斐閣[要ページ番号]
  65. ^ 1946(昭和21)年7月16日の第90回帝国議会・衆議院・帝国憲法改正案委員会の議事録。質問者:日本社会党・松沢兼人、答弁者:国務大臣・金森徳次郎。帝国議会会議録検索システム121 - 126を参照
  66. ^ 平成7年12月1日参議院宗教法人等に関する特別委員会
  67. ^ 平成11年7月15日衆議院予算委員会
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  72. ^ 「法律豆知識」メトロポリタン法律事務所[3]
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  74. ^ 世田谷区監査委員告示第7号 (平成28年11月11日 )[5]
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  77. ^ 「御護摩祈祷」高尾山薬王院[8]
  78. ^ 「 ゆるキャラちゃん達も「福は内」 」  高尾山ブログ 天狗のひとり言 節分会・先住忌[9]
  79. ^ 平成29年3月2日 東京高等裁判所 平成28年(行コ)第312号
  80. ^ 「ふるさと資源化と民俗学」岩本通弥(吉川弘文館 2007/02 ISBN 978-4642081900[10]P.67
  81. ^ 「ふるさと資源化と民俗学」岩本通弥(吉川弘文館 2007/02 ISBN 978-4642081900[11]P.56。なお、引用元本文の文旨によれば、筆者はこれらの事業が神社本庁など神道会・神政連の影響によるもので地域を「伝統」化し活力をそぎ、また戦前の国家神道への復古主義(趣旨)と批判している
  82. ^ 「教育基本法の在り方に関する中教審への諮問および中教審での議論に対する意見書」日本弁護士連合会(2002年9月21日)[12]P.22
  83. ^ 「教育基本法の在り方に関する中教審への諮問および中教審での議論に対する意見書」日本弁護士連合会(2002年9月21日)[13]P.24
  84. ^ [14]
  85. ^ 15条[15][16]

参考文献[編集]

  • ウィリアム・ウッダード 『天皇と神道 GHQの宗教政策』(サイマル出版会、1988年、原作英語版は1972年)
  • マーサ・ヌスバウム 『良心の自由 アメリカの宗教的平等の伝統』(慶應義塾大学出版会、2011年)
  • 百地章『政教分離とは何か』(成文堂)
  • 百地章『憲法と政教分離』(成文堂)
  • 武田秀章『日本型政教関係の誕生』(第一書房)
  • 大石眞『憲法と宗教制度』(有斐閣)
  • 比較憲法学会編『信教の自由をめぐる国家と宗教共同体』(政光プリプラン)
  • 大西直樹・千葉眞編『歴史のなかの政教分離』(彩流社)
  • 「寛容と対話」氣多雅子(京都大学大学院文学研究科21世紀COEプログラム「人文知の新たな総合に向けて」哲学編2 2004年3月)[17][18]
  • 「喪失とノスタルジア IV中空の帝国 法外なるものの影で-近代日本の「宗教/世俗」」磯前順一(みすず書房2007年8月17日ISBN 978-4-622-07274-4 C101)[19]※リンク先「オーストリア科学アカデミーアジア文化・思想史研究所IKGA Symposium:Shinto Studies and Nationalism」[20]
  • 「ふるさと資源化と民俗学」岩本通弥(吉川弘文館 2007/02 ISBN 978-4642081900[21]
  • 「政教分離原則の脱法行為 (2)」後藤光男(早稲田社会科学研究第39号H1.10)[22]
  • 「政教分離条項と当事者適格」安西文雄(法制研究第75巻第4号 九州大学)[23][24]
  • 「アメリカの連邦制度構造下におけるESEAによる補助金の意義」長嶺宏作(教育学雑誌第42号2007年 日本大学教育学会紀要)[25]※宗教系私立学校への補助、レモン判決など
  • 塚田穂高 『宗教と政治の転轍点 保守合同と政教一致の宗教社会学』 花伝社2015年3月25日ISBN 978-4763407313 

関連項目[編集]