暴力革命

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暴力革命(ぼうりょくかくめい)とは、武力を使用した革命。対比語は平和革命無血革命など。類似語は武力革命など。

概要[編集]

暴力革命とは、武力を使用した革命である。歴史的に多くの革命は武力や暴力・戦争などを伴った。著名な例には以下がある。

暴力革命論[編集]

マルクス、エンゲルス[編集]

1848年、マルクスエンゲルスは『共産党宣言』の中で次のように書き、共産主義者の目指す共産主義革命は暴力革命と主張した。

最後に、共産主義者はどこでも、あらゆる国の民主主義政党との同盟と協調に努める。共産主義者は、その見解や目的を隠蔽することを、軽侮する。共産主義者は、自分たちの目的が、これまでのいっさいの社会秩序の暴力的転覆によってしか達成されえないことを、公然と宣言する。

しかしマルクスは1872年第一インターナショナルでの「ハーグ大会についての演説」で、国や状況によっては平和革命の可能性があるが、大多数の国々では強力(暴力)が必要と主張した。

新しい労働の組織をうちたてるためには、労働者はやがては政治権力をにぎらなければならないが、われわれは、この目標に到達するための手段はどこでも同一だと主張したことはない。「われわれは、それぞれの国の制度や風習や伝統を考慮しなければならないことを知っており、アメリカやイギリスのように、そしてもしわれわれがあなたがたの国の制度をもっとよく知っていたならば、おそらくオランダをもそれにつけくわえるであろうが、労働者が平和的な手段によってその目標に到達できる国々があることを、われわれは否定しない。だが、これが正しいとしても、この大陸の大多数の国々では、強力がわれわれの革命のてことならざるをえないことをも、認めなければならない。労働の支配をうちたてるためには、一時的に強力にうったえるほかはないのである。[1]

マルクスの死後、エンゲルスは1895年に「フランスにおける階級闘争 序文」で、普通選挙による合法的な闘争方法を評価した。

普通選挙権がこのように有効に利用されるとともに、プロレタリアートのまったく新しい一闘争方法がもちいられはじめ、その方法は急速に発達をした。(中略)ブルジョアジーと政府は、労働者党の非合法活動よりも合法活動をはるかにおそれ、反乱の結果よりも選挙の結果をはるかに多くおそれる、というようになった。そのわけは、この点でも、闘争の条件が、根本的にかわってしまっていたからである。あの旧式な反乱、つまり1848年までどこでも最後の勝敗をきめたバリケードによる市街戦は、はなはだしく時代おくれとなっていた。[2]

レーニン[編集]

ウラジーミル・レーニン1902年の『なにをなすべきか?』で、平和革命を認める修正主義を「日和見主義的な経済主義」と批判した。更に1917年の『国家と革命』で、プロレタリア国家のブルジョア国家との交替は、暴力革命なしには不可能と述べた(暴力革命不可避論)。

一 階級対立の非和解性の産物としての国家
被抑圧階級の解放は、暴力革命なしには不可能なばかりでなく、さらに、支配階級によってつくりだされ、この「疎外」を体現している国家権力機関を破壊することなしには不可能である

四 国家の「死滅」と暴力革命
ブルジョア国家がプロレタリア国家(プロレタリアートの独裁)と交替するのは、「死滅」によっては不可能であり、それは、通例、暴力革命によってのみ可能である(略)プロレタリア国家のブルジョア国家との交替は、暴力革命なしには不可能である。 — ウラジーミル・レーニン国家と革命』第1章[3]

日本[編集]

日本共産党[編集]

日本共産党は1950年に所感派国際派に内部分裂し、1951年に主流派の所感派により武装闘争路線を採択し(51年綱領)、国際派は自己批判して統一回復したが、1955年の日本共産党第6回全国協議会(六全協)で武装闘争路線の放棄を決議した。日本共産党は以後、「平和革命必然論」と「武力革命唯一論」の両方を誤りとしている[4]。この事を公安調査庁は日本共産党が暴力革命を放棄していない(敵の出方論)として、破壊活動防止法に基づく調査対象団体とし続けており、日本共産党はこれを批判している。

日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである。 — 『日本共産党の当面の要求』(1951年綱領)[5]
党中央はすでにこの一月、極左冒険主義的な戦術と闘争形態からはっきり手をきる決意をあきらかにした。党は今日の日本には、まだ切迫した革命的情勢のないことを確認し(略)革命を安易に考え、革命をせっかちな方法でなしとげようと考えるのは、小ブルジョア的なあせりである。 — 『日本共産党第六回全国協議会決議』(1955年)[6]

新左翼[編集]

スターリン批判や日本共産党の六全協での方針転換への反発などで、1950年代末期から1960年代前半にかけて既成左翼を批判する新左翼が生まれた。1960年代から1970年代初頭の新左翼の多くの党派は平和革命を否定し暴力革命による社会主義革命を主張し、学園闘争安保闘争成田空港闘争などで急進的な武装闘争を行った。特に共産主義者同盟赤軍派前段階武装蜂起論を主張して大菩薩峠事件など、連合赤軍人民戦争理論の影響を受けてあさま山荘事件など、日本赤軍国際根拠地論を主張して日本赤軍事件を発生させた。また1970年代に東アジア反日武装戦線反日亡国論アイヌ革命論などを主張して連続企業爆破事件を発生させた。2000年以降はゲリラ闘争は減少したが、以後も多くの党派は暴力革命を主張している[7]。ただしその内容には幅がある。

プロレタリア革命は暴力革命であり、プロレタリア独裁の樹立こそ革命の核心問題である — 革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)2009年綱領草案[8]
革命とは暴力革命でなければならないし、一斉武装蜂起です。 — 革命的共産主義者同盟再建協議会(中核派関西派、2008年)[9]
私たちは「暴力革命」という立場をいまも堅持しています。「暴力革命」の本質は、「暴力で革命を行う」ということではありません。「革命をめざす大衆的闘いを押しつぶそうとする権力の暴力装置である軍隊や警察を政治的に解体し、労働者人民の側に獲得すること」です。 — 日本革命的共産主義者同盟 (JRCL) 私たちは革命とその目的をどのように考えているか(2003年)[10]
プロレタリア暴力革命の最先端の任務を共に担いぬこう! — 革命的労働者協会(解放派)(革労協・赤砦社派、2012年)[11]

脚注[編集]

  1. ^ 「ハーグ大会についての演説」1872年9月 マルクス・エンゲルス全集(18) 158ページ、不破哲三『科学的社会主義における民主主義の探求』40ページ
  2. ^ エンゲルス「フランスにおける階級闘争 序文」、マルクス『フランスにおける階級闘争』所収、大月書店 国民文庫18ページ
  3. ^ 『国家と革命』 - レーニンアーカイブ
  4. ^ 『日本共産党綱領一部改定についての提案』(1994年)日本共産党
  5. ^ 『日本共産党の当面の要求」(1951年綱領)』
  6. ^ 『日本共産党第六回全国協議会決議』(1955年)
  7. ^ 令和元年版(2019年)警察白書 第6章第2説第2項「暴力革命による共産主義社会の実現を目指す極左暴力集団は、依然として「テロ、ゲリラ」の実行部隊である非公然組織を擁するとともに、組織の維持・拡大をもくろみ、暴力性・党派性を隠して大衆運動や労働運動に取り組んでいる。」
  8. ^ 2009年綱領草案 - 革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)
  9. ^ 『革共同通信・創刊準備号』(2008年)
  10. ^ 私たちは革命とその目的をどのように考えているか(2003年) - 日本革命的共産主義者同盟 (JRCL)
  11. ^ 解放 1031号5面

関連項目[編集]