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宮本雄二

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宮本 雄二(みやもと ゆうじ、1946年昭和21年〉7月3日 - )は、日本外交官。宮本アジア研究所代表、外務省顧問、日本日中関係学会会長、一般社団法人外国語通訳検定協会 (FLICA) 理事、財団法人日本漢字能力検定協会理事、日本凸版印刷株式会社顧問、公益財団法人日中友好会館会長。

外務大臣秘書官、外務省軍備管理・科学審議官等を経て、在中華人民共和国特命全権大使などを歴任。

略歴

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福岡県太宰府市生まれ[1]福岡県立修猷館高等学校を経て[1][2]、大学在学中の1968年に外務公務員採用上級試験合格に合格。1969年、京都大学法学部卒業[3]外務省入省[3]。同期には、谷内正太郎田中均今井正財団法人交流協会台北事務所長、国際情報局長)、飯村豊重家俊範堀村隆彦(駐ブラジル大使、中南米局長)、藤崎一郎(駐米大使、外務審議官、北米局長)など。

1978年国際連合日本政府代表部一等書記官[3]、1981年在中華人民共和国日本大使館一等書記官[3]、1983年外務省欧亜局ソヴィエト連邦課首席事務官[3]、1985年外務省国際連合局軍縮課長[3]、1987年外務大臣官房外務大臣秘書官[3]、1989年外務省情報調査局企画課長[3]、1990年外務省アジア局中国課長[3]、1991年イギリス国際戦略研究所研究員[3]、1992年外務省研修所副所長[3]、1994年アトランタ総領事[3]。1997年から在中華人民共和国日本大使館特命全権公使[3]杉本信行とともに務めた。

2001年軍備管理・科学審議官組織軍備管理・科学審議官(大使)[3]、2002年駐ミャンマー特命全権大使[3]、2004年沖縄担当大使[3]。2006年から駐中特命全権大使[3]。前任の阿南惟茂大使同様、いわゆるチャイナ・スクール出身とされ、北京駐在も3回を数える。

中国の国営通信社である新華社の前外事局長の虞家復が国家機密漏洩罪で逮捕され、宮本雄二から大使就任後に現金約300万円を直接手渡されたとの証言をしたと報道された[4]。日本大使館では「裁判についてはコメントしようがない」とコメントした[5]

2010年退官し[3][6]、同年10月、日本日中関係学会会長。2010年12月、外務省顧問。

2012年5月、公益財団法人日中友好会館副会長。

2020年11月、瑞宝重光章受章[7]

2021年4月27日、朝日新聞デジタル上で、中国による新疆ウイグル自治区での人権問題への制裁は「効果はほぼないだろう。中国とは話し合いを」と持論を展開した。

2024年6月、公益財団法人日中友好会館会長。

同期

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著書

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単著

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監修

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出典

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  1. ^ a b 【提言委員座談会】激動の時代 共生に価値”. 西日本新聞me. 2024年11月6日閲覧。
  2. ^ 東京修猷会 第569回二木会(2010年10月14日(木))
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 宮本雄二|執筆者プロフィール”. 新潮社 Foresight(フォーサイト). 新潮社. 2024年11月6日閲覧。
  4. ^ 中国において国家機密漏洩の罪に問われた人物に対する駐中国大使の関与に関する質問主意書”. www.shugiin.go.jp. 衆議院. 2024年11月6日閲覧。
  5. ^ https://web.archive.org/web/20091229144754/http://sankei.jp.msn.com/world/china/090514/chn0905142149007-n1.htm
  6. ^ 宮本雄二、『日中の失敗の本質』、中央公論新社、2019年、ISBN 978-4-12-150648-1
  7. ^ 『官報』号外第230号、令和2年11月4日

外部リンク

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公職
先代
高橋利弘
日本の旗 外務省研修所総括指導官
1992 - 1993
次代
山本啓司
先代
佐々木伸太郎
日本の旗 外務省研修所副所長
1993 - 1994
次代
本田均
先代
服部則夫
日本の旗 外務省軍備管理・科学審議官
2001 - 2002
次代
天野之弥