ナジー・モハメド

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ナジー・モハメド
Nazr Mohammed
Nazr Mohammed.jpg
FA
ポジション C/PF
身長 208cm  (6 ft 10 in)
体重 114kg (251 lb)
ウィングスパン 220cm  (7 ft 3 in)
シューズ アディダス
基本情報
本名 Nazr Tahiru Mohammed
ラテン文字 Nazr Mohammed
誕生日 1977年9月5日(38歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州シカゴ
出身 ケンタッキー大学
ドラフト 1998年 1巡目29位 
選手経歴
1998-2001
2001-2004
2004-2005
2005-2006
2006-2007
2007-2011
2011-2012
2012-2015
2016
フィラデルフィア・76ers
アトランタ・ホークス
ニューヨーク・ニックス
サンアントニオ・スパーズ
デトロイト・ピストンズ
シャーロット・ボブキャッツ
オクラホマシティ・サンダー
シカゴ・ブルズ
オクラホマシティ・サンダー
受賞歴

ナジー・モハメドNazr Tahiru Mohammed, 1977年9月5日 - )はアメリカ合衆国の元バスケットボール選手。イリノイ州シカゴ出身。NBAオクラホマシティ・サンダーに所属していた。ポジションはセンターパワーフォワード。208cm、114kg。

経歴[編集]

カレッジ[編集]

ガーナからの移民の子として生まれ、大学はケンタッキー大学でプレイ。3年生の1998年にはNCAAトーナメントを制覇した。

NBA[編集]

フィラデルフィア・76ers[編集]

1998年のNBAドラフトにてユタ・ジャズから1巡目29位指名を受け、直後にトレードされフィラデルフィア・セブンティシクサーズに入団。シクサーズ時代は怪我に悩まされたこともあり、いずれのシーズンも出場試合数は30試合以下で、出場時間も極短いものであり、目だった成績は残せなかった。そして3年目となる2000-2001シーズン中にアトランタ・ホークスに移籍する。ホークスでは先発に起用され、出場時間は4倍近くに増えた。移籍後28試合のアベレージは12.3得点9.0リバウンドと飛躍的に個人成績を伸ばし、5割台だったフリースロー成功率も7割台に乗せるなど、大きくステップアップを果たした。しかし2002-2003シーズンには再び怪我で47試合を欠場し、個人成績はシクサーズ時代の水準にまで落ち込んだ。

ニューヨーク・ニックス[編集]

2003-2004シーズンにニューヨーク・ニックスへ移籍。ニックスでキャリアを復活させたモハメドは、そのシーズンのニックスの3年ぶりのプレイオフ進出に貢献した。

サンアントニオ・スパーズ[編集]

2004-2005シーズン途中にマリック・ローズとのトレードでサンアントニオ・スパーズに移籍した。 レギュラーシーズン中に加入したスパーズではラーショ・ネステロヴィッチの控えとしてプレイしていたが、プレイオフでは全試合で先発として起用された。チームの大黒柱であるティム・ダンカンをサポートし、スパーズはNBAファイナル制覇を果たした。 スパーズでは2シーズンプレイした。

デトロイト・ピストンズ[編集]

フリーエージェントとなったモハメドは、デトロイト・ピストンズに移籍した。ピストンズは2006-2007シーズン前に、大黒柱のベン・ウォーレスを失っており、モハメドには彼の後釜としての役割を求められたが、シーズン中にクリス・ウェバーを獲得したことで、モハメドは先発の座を奪われ、その後はウェバー、アントニオ・マクダイスに次ぐ3番手センターの座に甘んじた。結局ピストンズでは満足のいくプレイができなかった。

シャーロット・ボブキャッツ[編集]

2007年12月14日、プリモス・ブレゼッチウォルテル・エルマンとの交換でシャーロット・ボブキャッツにトレードされた。

オクラホマシティ・サンダー[編集]

2011年2月24日、D・J・ホワイトモリス・ピーターソンとのトレードでオクラホマシティ・サンダーに放出された[1]

シカゴ・ブルズ[編集]

2012年7月27日、シカゴ・ブルズに移籍。2015年までプレーし、同年10月に一度引退を表明した。

現役復帰[編集]

2016年3月4日、オクラホマシティ・サンダーと契約し、現役に復帰した[2]

脚注[編集]

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  1. ^ Gerald Wallace traded to Blazers”. ESPN (2011年2月24日). 2011年7月5日閲覧。
  2. ^ Thunder To Ink Nazr Mohammed

外部リンク[編集]