ジェリー・スローン
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シカゴ・ブルズでのスローン (1969年) | |||||||||||||||
| 故人 | |||||||||||||||
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| 国籍 |
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| 生年月日 | 1942年3月28日 | ||||||||||||||
| 没年月日 | 2020年5月22日(78歳没) | ||||||||||||||
| 出身地 |
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| 身長(現役時) | 196cm (6 ft 5 in) | ||||||||||||||
| 体重(現役時) | 88kg (194 lb) | ||||||||||||||
| キャリア情報 | |||||||||||||||
| 高校 | マクリーンズボロ高等学校 | ||||||||||||||
| 大学 | エバンズビル大学 | ||||||||||||||
| NBAドラフト | 1965年 / 1巡目 / 全体4位[1] | ||||||||||||||
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ボルティモア・ブレッツから指名 | |||||||||||||||
| プロ選手期間 | 1965年–1976年 | ||||||||||||||
| ポジション | SG | ||||||||||||||
| 背番号歴 | 14, 4 | ||||||||||||||
| 永久欠番 |
ブルズ 4 ジャズ 1223 | ||||||||||||||
| 指導者期間 | 1978年–2011年 | ||||||||||||||
| 経歴 | |||||||||||||||
| 選手時代: | |||||||||||||||
| 1965–1966 | ボルティモア・ブレッツ | ||||||||||||||
| 1966–1976 | シカゴ・ブルズ | ||||||||||||||
| コーチ時代: | |||||||||||||||
| 1977–1978 | シカゴ・ブルズ (AC) | ||||||||||||||
| 1979–1982 | シカゴ・ブルズ | ||||||||||||||
| 1985–1988 | ユタ・ジャズ (AC) | ||||||||||||||
| 1988–2011 | ユタ・ジャズ | ||||||||||||||
| 受賞歴 | |||||||||||||||
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選手時代
コーチ時代
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| 通算成績 | |||||||||||||||
| 得点 | 10,571 (14.0 ppg) | ||||||||||||||
| リバウンド | 5,615 (7.4 rpg) | ||||||||||||||
| アシスト | 1,925 (2.5 apg) | ||||||||||||||
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Stats Basketball-Reference.com | |||||||||||||||
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Stats NBA.com | |||||||||||||||
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Coaching Stats Basketball-Reference | |||||||||||||||
| HC通算記録 | |||||||||||||||
| NBA | 1221–803 (.603) | ||||||||||||||
| バスケットボール殿堂入りコーチ (詳細) | |||||||||||||||
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ジェラルド・ユージーン・スローン(Gerald Eugene Sloan, 1942年3月28日 - 2020年5月22日)は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手、元指導者。NBAのシカゴ・ブルズ、ユタ・ジャズのヘッドコーチを務め、歴代3位となる1221勝を挙げた。2009年にバスケットボール殿堂入り。
生い立ちと選手時代
[編集]スローンはイリノイ州ハミルトン郡で生まれ、大学時代はエヴァンズビル大学でプレーをした。1965年にボルティモア・ブレッツ からドラフト1巡目で指名され1シーズンプレー。1966年にエクスパンション・ドラフトで新チームシカゴ・ブルズに移籍。ブルズ時代はディフェンスの名手として活躍し、オールスター選出2回、オールディフェンシブチームのファーストチームに4回、セカンドチームに2回選出されている。ブルズでの通算10,233得点はマイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペン、ボブ・ラブに次ぐチーム史上4位。通算リバウンド数7.4(キャリアハイは2年目のシーズンで9.1)を記録している。しかし、膝の怪我のため1976年に引退。1978年に背番号「4」がブルズ史上初の永久欠番となった。
ブルズ時代
[編集]選手引退後、ブルズのスカウト、アシスタントコーチを経て1979年にブルズのヘッドコーチに就任。2年目にプレーオフに導くが、3年目は19勝32敗と不振でシーズン途中に解任。ブルズでの通算成績は94勝121敗であった。
ジャズ時代
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ユタ・ジャズのアシスタントコーチなどを務め、1988年にフランク・レイデンの後を継いでジャズのヘッドコーチに就任した。90年代後半にはカール・マローンとジョン・ストックトンを中心としたチームを作り上げ、1997年、1998年と2年連続でNBAファイナルまでチームを導いた。しかし、ちょうど同時期にスローンが昔に在籍したシカゴ・ブルズがマイケル・ジョーダンを中心とした第二次黄金期を迎えており2度とも敗退し、優勝は成し遂げられなかった。
そのチーム作りの特長は、特定のスーパースター的選手を好まず、各選手が自分の役割をキチッとこなしたチームプレーを重視するところにあった。そのため、一人の選手の好不調に左右されることなく安定した力を持ったチームを作り上げた。50勝以上のシーズンを10回以上記録したコーチはスローンとパット・ライリー、フィル・ジャクソン、グレッグ・ポポビッチの4人だけである。
2006-07シーズンには史上5人目となる通算1000勝を達成。2007-2008シーズンでジャズのコーチ歴は20年を記録し、自身の持つ北米4大プロスポーツリーグの同一チーム連続コーチ記録を20年に更新した。2008年11月7日に史上初の同一チームでの通算1000勝を達成。2009年にバスケットボール殿堂入りした。
2010-2011シーズン途中の2月10日、就任23シーズン目で「私の時代は終わった。情熱を失ってしまった」というコメントを残し、突如ヘッドコーチを辞任した。前日の試合のハーフタイム中にチームの大黒柱デロン・ウィリアムスと激しい口論があるなど、以前から二人の間に確執があり、ウィリアムスが「俺を選ぶかコーチのスローンを選ぶか」とGMに圧力をかけたとも報じられている。これについてウィリアムスやGMは否定しているが、かつてスローンの元でプレーしたカール・マローンは「情熱を失うとかで、シーズン途中で辞めるような人じゃない。きっと何かあったはずだ」とジャズの選手、チーム関係者に不信感を示した。スローンの通算成績1221勝803敗はNBA史上3位の成績だった。