1990年アメリカグランプリ

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アメリカ合衆国の旗 1990年アメリカグランプリ
レース詳細
Phoenix track.jpg
日程 1990年シーズン第1戦
決勝開催日 1990年3月11日
開催地 フェニックス市街地コース
アメリカ合衆国 アリゾナ州フェニックス
コース 恒久的レース施設
コース長 3.798km
レース距離 72周(273.456km)
決勝日天候 曇り(ドライ)
ポールポジション
ドライバー
タイム 1'28.664
ファステストラップ
ドライバー オーストリアの旗 ゲルハルト・ベルガー
タイム 1'31.050(Lap 34)
決勝順位
優勝
2位
3位

1990年アメリカグランプリ(1990 U.S. Grand Prix)は、1990年F1世界選手権第1戦として、1990年3月11日フェニックス市街地コースで開催された。

概要[編集]

フェニックス市街地コースでは2年連続2回目の開催となったF1アメリカグランプリはスケジュールが前年の第5戦から開幕戦に変更となり、時期も6月から3月へと約3ヶ月前倒しされた。

GPウィークに入ってから、ティレルは使用タイヤをグッドイヤーからピレリに変更すると発表した。ティレルはピレリタイヤのテストをすることなくシーズンに臨むことになった。

予備予選[編集]

Pos No Driver Team Time
1 33 ブラジルの旗 ロベルト・モレノ ユーロブルン-ジャッド 1'32.292
2 29 フランスの旗 エリック・ベルナール ラルース-ランボルギーニ 1'32.711
3 14 フランスの旗 オリビエ・グルイヤール オゼッラ-コスワース 1'33.181
4 30 日本の旗 鈴木亜久里 ラルース-ランボルギーニ 1'33.331
5 17 イタリアの旗 ガブリエル・タルキーニ AGS-コスワース 1'35.420
6 18 フランスの旗 ヤニック・ダルマス AGS-コスワース 1'35.481
7 34 イタリアの旗 クラウディオ・ランゲ ユーロブルン-ジャッド 1'37.399
8 39 オーストラリアの旗 ゲイリー・ブラバム ライフ 2'07.147
9 31 ベルギーの旗 ベルトラン・ガショー コローニ-スバル 5'15.010

予選[編集]

予選1日目はドライであったが2日目は降雨となり、マクラーレンホンダゲルハルト・ベルガーが初日のタイムでポールポジションを獲得した。次いで2位には、チーム設立以来初めての予選最前列を勝ち取ったミナルディピエルルイジ・マルティニ、3位にはダラーラアンドレア・デ・チェザリス、4位にはティレルジャン・アレジと、上位に3人のピレリタイヤユーザが入るという予想外の展開となった。

なお、2日目はウェットということもありに初日のタイムを上回ったドライバーは居なかった。決勝日にはドライが予想されたこともあり、この日は多くのドライバーがコースに出ず、J.J.レートは両日ともにタイムを記録することなく予選不通過となった。

2日目のタイムが出なかったこともあり、予選1日目に伸び悩んだマクラーレンのアイルトン・セナが予選5位に、フェラーリナイジェル・マンセルが17位に沈んだほか、8位には弱小チームとして知られているオゼッラのオリヴィエ・グレイヤールが入るなど波乱含みの予選結果となった。

決勝[編集]

スタート[編集]

決勝も曇天で寒い中路面温度が上がらない中でスタートした。ポールポジジョンからスタートしたベルガーは、2番手スタートのマルティニを抑えることに執着しために、1コーナーまでにアレジにかわされ2位にポジジョンを落としてしまった。2台に続く3番手にはポジションをキープしたデ・チェザリスが、4位にはマルティニをかわしたセナがついた。

2番手スタートという大金星を取ったミナルディのマルティニは、ベルガーに抑えられたことも影響し5位に順位を下げ、その後ペースが上がらないままフェラーリアラン・プロスト、ベネトンのネルソン・ピケやブラバムのステファノ・モデナ、ティレルの中嶋悟などとの中段バトルの中でタイヤを酷使しさらに順位を下げることとなった。また、まもなくセナがデ・チェザリスを抑えて3位にポジションを上げた。

中盤[編集]

アレジは、パワーが無いエンジンでも差が付きにくい市街地コースのレイアウトと、低い路面温度にコンディションがマッチしたピレリタイヤの助けもあり首位をキープした。ベルガーはアレジに続く2位をキープし続けたものの、自らのミスにより単独コースアウトし、チームメイトで市街地レースを得意とするアイルトン・セナにポジションを譲ることとなった。なおベルガーはその後コースに戻ったものの、クラッチの不調により44周目にリタイアした。

また、プロストもウィリアムズのティエリー・ブーツェンとのバトルの最中の21周目にミッショントラブルでリタイアした。さらにセナにかわされたデ・チェザリスもエンジントラブルで22周目にリタイアし、久しぶりの表彰台獲得はならなかった。

セナとアレジのバトル[編集]

ベルガーの自滅によりアレジに次ぐ2位に浮上したセナは、首位のアレジに追いつくと、2周にわたって抜きつ抜かれつのバトルを展開した末に35周目に首位に立った。ホイールとホイールが触れんばかりの接近戦ながら、お互いのスペースをきちんと残したクリーンなバトルは、その後モナコグランプリでも2位に入賞したアレジの評判を大いに高めることとなった。

結果[編集]

セナはアレジに8秒あまりの差をつけて1位でチェッカーフラッグを受け、ワールドチャンピオンの獲得に向けて好スタートを切った。2位にはアレジ、3位には中盤のプロストやピケとのバトルを制したウィリアムズのブーツェンが入った。

4位には前年型B189Bで走ったピケが入った。5位には、予選10位からピケや中嶋とのバトルをかいくぐりこの年唯一のポイント獲得を果たしたブラバムのステファノ・モデナ。6位には、ピケとモデナに次ぐ予選11位から果敢なドライビングでマシンを入賞圏内に導いたティレルの中嶋が入った。なお中嶋は、翌年のアメリカグランプリでも5位入賞となり2年連続での入賞を果たすこととなった。

予選2位に入り、あわや優勝かと思われたマルティニは結局入賞圏まであと一歩の7位に終わった。8位にはローラのエリック・ベルナール、9位にはウィリアムズのリカルド・パトレーゼが、10位にはこの年からアロウズに移籍したベテランのミケーレ・アルボレートが入った。なお完走扱いは14台のみという波乱のレースであった。

記録[編集]

参考文献[編集]

FIA F1世界選手権
1990年シーズン
次戦
1990年ブラジルグランプリ
前回開催
1989年アメリカグランプリ
アメリカ合衆国の旗 アメリカグランプリ 次回開催
1991年アメリカグランプリ