ポルトガルグランプリ

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ポルトガルグランプリポルトガルGP, Portuguese Grand Prix)は、ポルトガルで行われていたF1グランプリのレース。1958年と1960年にポルトボアビスタ)で、1959年にモンサントで、1984年から1996年までエストリルで行われた。ポルチマンのアルガルヴェ・サーキットにて、ポルトガルGP復活へ向けた動きがある。

主なレース[編集]

1961年以降開催が途絶えたポルトガルグランプリは、1984年にエストリルで復活した。エストリルでのポルトガルGPでの出来事はしばしば注目を集めた。

  • 1987年
    プロストがF1通算28勝目を記録し、当時のF1最多勝記録を更新した。
  • 1988年
    レース1周目の終了時にマクラーレンのセナがチームメイトのプロストに対し直線で幅寄せし、2人の確執の始まりを予感させた。
  • 1989年
    フェラーリを駆るナイジェル・マンセルがピットインの際にオーバーランし、定位置までリバースギアで逆走する違反を犯した。マンセルはピットインを命ずる黒旗を提示されがそのまま走行を続け、第1コーナーでアイルトン・セナと接触し、共にストップした。黒旗に従わなかった事とプロストとチャンピオンシップを争っていたセナをリタイアさせた事で、マンセルの行動は論議を呼んだ。マンセルはこのレースを失格とされ、続くスペインGPへの出走を禁じられた。
  • 1990年
    ポールポジションを獲得したフェラーリのマンセルは、スタート直後にチームメイトでセナとチャンピオンシップを争っていたプロストに対して幅寄せするような挙動を見せた。予選2位だったプロストは同3位のセナに抜かれ、最終的にマンセルが優勝、セナが2位、プロストは3位となった。マンセルはこの年限りでフェラーリを去ることが確定しており、この幅寄せは物議を醸した。
  • 1991年
    レースをリードしていたマンセルは、ピット作業ミスによりピットレーンでタイヤが外れた。タイヤをピットの所定外の場所で取り付け直して出走したためにマンセルは失格となった。
  • 1992年
    決勝レース中、ピットに向かうゲルハルト・ベルガーに、その直後を走行していたリカルド・パトレーゼが追突した。パトレーゼのウィリアムズは上方へと跳ね上げられ、あやうくコース上に架かるブリッジに衝突するところだった。激しいクラッシュながら、パトレーゼに怪我は無かった。
  • 1995年
    決勝のスタート直後に片山右京のマシンが数回転する大クラッシュが発生、マシンはバラバラになった。片山は病院に運ばれたが一命を取り留めた。またこのレースでデビッド・クルサードがF1初優勝を達成した。

過去の結果と開催サーキット[編集]

決勝日 ラウンド サーキット 勝者 所属チーム 結果
1958 8月24日 9 ポルト スターリング・モス ヴァンウォール 詳細
1959 8月23日 7 モンサント スターリング・モス クーパー 詳細
1960 8月14日 8 ポルト ジャック・ブラバム クーパー 詳細
1984 10月21日 16 エストリル アラン・プロスト マクラーレン 詳細
1985 4月21日 2 エストリル アイルトン・セナ ロータス 詳細
1986 9月21日 14 エストリル ナイジェル・マンセル ウィリアムズ 詳細
1987 9月20日 12 エストリル アラン・プロスト マクラーレン 詳細
1988 9月25日 13 エストリル アラン・プロスト マクラーレン 詳細
1989 9月24日 13 エストリル ゲルハルト・ベルガー フェラーリ 詳細
1990 9月23日 13 エストリル ナイジェル・マンセル フェラーリ 詳細
1991 9月22日 13 エストリル リカルド・パトレーゼ ウィリアムズ 詳細
1992 9月27日 14 エストリル ナイジェル・マンセル ウィリアムズ 詳細
1993 9月26日 14 エストリル ミハエル・シューマッハ ベネトン 詳細
1994 9月25日 13 エストリル デイモン・ヒル ウィリアムズ 詳細
1995 9月24日 13 エストリル デビッド・クルサード ウィリアムズ 詳細
1996 9月22日 15 エストリル ジャック・ヴィルヌーヴ ウィリアムズ 詳細

関連項目[編集]

外部リンク[編集]