サウジアラムコ

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サウジアラムコ
Saudi Aramco
Saudi Aramco logo without star.png
AramcoCoreArea.jpg
種類 株式会社
本社所在地 サウジアラビアの旗 サウジアラビア
ダーラン
設立 1933年
業種 石油・ガス
事業内容 石油・天然ガスの探査、開発および生産
関連するパイプライン、輸送および加工業務
原油、石油および化学品の供給や取引、精製、販売および輸送
代表者 ヤセル・ルマイヤン英語版会長
アミーン・H・ナーセル英語版社長CEO
売上高 増加 3559億ドル(2018年)[1]
純利益 増加 1111億ドル(2018年)[2]
従業員数 5万5,000人(2016年)[3]
主要株主 サウジアラビア政府 98.5%
外部リンク www.aramco.com
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サウジアラムコ英語: Saudi Aramcoアラビア語: أرامكو السعودية Aramku al-Saūdīyah‎)は、サウジアラビア王国国有石油会社である[4]。保有原油埋蔵量、原油生産量、原油輸出量は共に世界最大である。

沿革[編集]

前史[編集]

オスマン帝国の領土内であるサウジアラビアでは、1928年に締結された赤線協定によって、イラク石油会社(通称IPC)の株主であったエクソンモービルが石油を開発するためには、他の株主(アングロ・ペルシャ石油会社(現 BP)、ロイヤル・ダッチ・シェルフランス石油(通称「CFP」、現:トタル)、カルースト・グルベンキアン)の承諾を得る必要があった。

欧米資本の進出[編集]

1933年5月29日米国国際石油資本スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア(通称「ソーカル」(SoCal)、現:シェブロン)の子会社・カリフォルニア・アラビアン・スタンダード・オイル・カンパニー(通称「カソック」(CASOC))がサウジアラビアのイブン・サウド国王との合意書に調印し、同国の石油利権を獲得した。利権の対価は毎年5,000ポンドと、石油が出た場合にその収入で返済する50,000ポンドの貸付であった。

1936年、カソックは、米国のテキサコ(現:シェブロン)と50%ずつ株式を保有する合弁会社になり、1938年3月、ダーランで石油を掘り当てた(ダンマン油田)。1944年1月31日、カソックは社名をアラビアン・アメリカン・オイル・カンパニー(通称「アラムコ」)に変更した。

赤線協定廃止とOPEC設立[編集]

1948年、赤線協定を廃止する合意が成立したため、2社がアラムコの株主に加わった。カソックとテキサコは、50%ずつ保有していたアラムコの株式の比率を30%に下げ、スタンダード・オイル・オブ・ニュージャージーエッソ、後のエクソン、現:エクソンモービル)が30%、ソコニー・ヴァキューム・オイル・カンパニー(後のモービル、現:エクソンモービル)が10%保有することになった。これらの株主は「アラムコ4社」と呼ばれるようになる。

1949年ラスタヌラ製油所の操業を開始した。この製油所の原油処理能力は日量55万バレルと世界最大級である。1950年12月30日、アラムコとサウジアラビア政府が新協定(利益折半協定)に調印した。

1960年石油輸出国機構(OPEC)結成を契機に、1960~1970年代には産油国で石油会社を国有化する動きが進んだが、サウジアラビア政府は急激な完全国有化政策を採らなかった。

国有化へ[編集]

1962年3月、アハマド・ザキ・ヤマニがサウジアラビアの石油鉱物資源相に就任し、アラムコ4社(ソーカル、テキサコ、エクソン、モービル)に呼びかけ、政府によるアラムコへのParticipation(事業参加)についての交渉が行われた。

1971年2月14日、サウジアラビア、クウェートイランを含む湾岸産油6か国とエクソン、ロイヤル・ダッチ・シェル、フランス石油など、湾岸地域で操業する国際石油会社13社との間で、原油価格変更のルールと新しい利益配分比率を定める「テヘラン協定(Tehran agreement)」が締結された。

1973年10月、第四次中東戦争勃発。12月、政府の25%経営参加に合意する「リヤド協定」が成立した。

1980年には、政府の100%事業参加(実質的な完全国有化)を実現した。

1983年アリ・ヌアイミがアラムコ最高経営責任者(CEO)に就任した。

1986年10月、ヤマニは石油鉱物資源相を突然解任された。

サウジアラムコ設立[編集]

ヤマニの後任として就任した石油鉱物資源相ヒシャーム・ナーゼルによって、アラムコの完全国有化が進められた。1988年11月8日、サウジアラビア政府は旧アラムコの操業権利・資産などを引き継ぎ、国営石油会社「サウジアラビアン・オイル・カンパニー」(サウジアラムコ)を設立した。

サウジアラムコの主な事業内容は、石油・ガスの探鉱、開発、生産、販売などであった。「アラムコ」とはアラビアン・アメリカン・オイル・カンパニー(Arabian American Oil Company)の略称であり、国営石油会社の略称に他国である「アメリカ」の名称を残していることに特徴がある。

1993年7月1日、サウジアラムコは国営企業のサマレックを吸収。国内石油精製事業と石油製品の販売を事業に加えた。

1995年、サウジサラムコCEOだったアリ・ヌアイミが石油鉱物資源相に就任した。

最高石油・鉱物評議会の設立[編集]

2000年1月、石油、天然ガス、その他炭化水素資源に関する国家政策やサウジアラムコの事業計画などを審議・決定する国家の最高意思決定機関として最高石油・鉱物評議会(SupremeCouncil for Petroleum and Mineral Affairs)が発足した。2010年時点で最高石油・鉱物評議会はアブドゥッラー国王が議長、スルターン皇太子兼副首相を副議長とし、サウード外務大臣、ヌアイミ石油鉱物資源相をはじめとする関係閣僚など合計12名から構成されていた。

経済開発評議会の設立[編集]

2015年に第7代国王にサルマーンが就任すると、同年1月29日に行われた内閣改造・政府機構改革により最高石油・鉱物評議会が廃止された。これと同時に最高経済評議会も廃止され後継機関として経済開発評議会が発足し、サウジアラムコが管轄下に置かれた。経済開発評議会議長にはサルマーン国王の息子である副皇太子ムハンマド・ビン・サルマーンが就任した。

同年9月17日、経済開発評議会の決定によりアミーン・H・ナーセル英語版がサウジアラムコ社長兼最高経営責任者(CEO)に就任した[5]

新規上場と新規株式公開[編集]

2019年12月、サウジ証券取引所英語版に上場して、米国アップルを抜いて時価総額が世界一の企業となった。また、256億ドルを調達して中国アリババ集団の250億ドルを超える史上最大のIPOも行った[6]。2020年1月には、さらに拡大して294億ドル(約3兆2230億円)相当となった[7]。このIPOは、皇太子に昇格したムハンマドが進める、石油に頼らない経済改革の一環と位置付けられている[4]

691億ドルを投じて、石油化学大手のサウジアラビア基礎産業公社の株式の70%を取得するM&Aが2020年6月16日に完了。サウジアラムコは、油田開発から化学工業まで「炭化水素のバリューチェーン」の価値向上につながると声明した[4]

日本との関係[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ Saudi oil company named world's most profitable businessガーディアン』2019年4月1日(2019年6月6日閲覧)
  2. ^ The Aramco Accounts: Inside the World's Most Profitable Company ブルームバーグ(2018年4月13日)2019年6月6日閲覧
  3. ^ Our Story - About Saudi Aramco”. Saudi Aramco. 2016年4月23日閲覧。
  4. ^ a b c 「サウジアラムコ、石化公社の買収完了 下流を網羅、超巨大企業に」『日経産業新聞』2020年7月16日(グローバル面)
  5. ^ サウジアラムコ:アミン・ナセル氏を社長兼CEOに指名 ブルームバーグ 2015年9月17日
  6. ^ “サウジアラムコ上場、ストップ高に 時価総額世界最大1.88兆ドル”. ロイター. (2019年12月11日). https://jp.reuters.com/article/aramco-ipo-idJPKBN1YF1QR 2019年12月12日閲覧。 
  7. ^ 世界最大のアラムコIPO、一段の規模拡大で294億ドル相当に” (日本語). Bloomberg.com. 2020年1月14日閲覧。
  8. ^ -日本・サウジアラビア共同プロジェクト-サウジアラムコ社の沖縄における石油基地事業開始記念式典の開催について - 石油天然ガス・金属鉱物資源機構(2011年2月17日)

外部リンク[編集]