ライリー・テクノロジーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2005年のメキシコシティ・サーキットでのライリー・ポンティアック

ライリー・テクノロジーズRiley Technologies LLC)は、プロトタイプレーシングカーの開発とレース参戦を専門とする、アメリカ合衆国レーシングカーコンストラクター・レーシングチームである。デイトナ・プロトタイプで最も成功したコンストラクターであり、デイトナ24時間レースで計10回総合優勝を飾った。

概要[編集]

2001年、ボブ・ライリー(Bob Riley)と息子のビル(Bill)は、ボブがかつて設立したライリーアンドスコットを元にライリー・テクノロジーズを創った。2006年にはノースカロライナ州ムーアズビルに本社を移した。

グランダム・シリーズ[編集]

初期はグランダム・シリーズデイトナ・プロトタイプシャーシのリーディング・コンストラクターとして活動した。ライリーのシャーシは、予選での速さによる上位グリッド数とレースでの勝利数の両方で支配的な存在となった。ライリーのシャーシは、5つの自動車メーカーのエンジンでデイトナ24時間レースを9連覇した。2005年ウェイン・テイラー・レーシングポンティアックのエンジンで勝利し、2006年から2008年までチップ・ガナッシ・レーシングレクサスのエンジンで2連覇から4連覇まで勝利を重ね、2009年ブルモス・レーシングポルシェのエンジン車を供給して5連覇、2010年はアクション・エクスプレス・レーシングに前年と同じにポルシェのエンジン車を供給して6連覇、2011年チップ・ガナッシ・レーシングBMWのエンジン車を供給して7連覇、2012年はマイケル・シャンク・レーシングにフォードのエンジン車を供給して8連覇、2013年チップ・ガナッシ・レーシングBMWのエンジン車を供給して9連覇を挙げた。

ライリーはまたマツダ・RX-8のシャーシを開発して2008年のデイトナ24時間レースのGTクラスで優勝している。同年、新しいBMW・M6のGTレースカーを公開した。

またライリーのデイトナ・プロトタイプから派生したシャーシは、SUPER GTのGT300クラスでムーンクラフト・紫電チームに供給され、チームタイトルを獲得している。

IMSA[編集]

SRT バイパー GTS-R(2013年)

2008年のアメリカン・ル・マン・シリーズでライリーが設計、製造しGT2クラスで参戦するシボレー・コルベットがデビューした[1]

2012年、第3世代バイパーの発表と同時にクライスラーは、SRTモータースポーツとライリーによって設計、製造されたSRT・バイパー GTS-Rで、アメリカン・ル・マン・シリーズに参戦した[2]

2013年、ル・マン24時間レースに参戦した[3]

2014年、新たに結成されたユナイテッド・スポーツカー選手権では、GTLMクラスにSRT・バイパー GTS-Rで参戦。GTLMクラスのドライバー、チームのダブルタイトルを獲得した。2014年をもってクライスラーは、SRTモータースポーツによるファクトリープログラムを中止した。またGTDクラスでは、SRTモータースポーツとライリーで共同で開発された、SRT・バイパー GT3-Rがライリー・モータースポーツから参戦した。

2015年、デイトナ24時間レースチップ・ガナッシ・レーシングが、ライリー・MkXXVI-フォードで総合優勝し、GTDクラスではダッジ・バイパー GT3-Rがクラス優勝を果たした。

2017年から、ライリーはマルチマティック社との合弁プロジェクトで、ACOの指定コンストラクター4社のうちの1社としてLMP2車両、ライリー-マルチマティック・MkXXXを開発した[4]。また、マツダと提携してDPi車両のRT-24Pの製作にも関わることになった。

脚注[編集]

  1. ^ Riley Technologies - the main striking force of the American sports car racing” (英語). SnapLap (2017年1月26日). 2021年4月23日閲覧。
  2. ^ SRTバイパーGTS-R、ALMSミドオハイオでデビューへ”. オートスポーツweb. 2012年7月20日閲覧。
  3. ^ SRT バイパーのレーサー、GTS-R …ルマン24時間レース復帰へ”. レスポンス. 2013年5月28日閲覧。
  4. ^ 17年からのLMP2マニュファクチャラー4社が決定”. オートスポーツ (2015年7月10日). 2016年2月22日閲覧。

外部リンク[編集]