モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズ

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モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズ
カテゴリ ストックカー
国・地域 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
開始年 1949年
ドライバー 49
チーム 22
エンジン
サプライヤー
アメリカ合衆国の旗 シボレー
アメリカ合衆国の旗 フォード
日本の旗 トヨタ
ドライバーズ
チャンピオン
アメリカ合衆国の旗 ジミー・ジョンソン(2016年)
チーム
チャンピオン
アメリカ合衆国の旗 ヘンドリック・モータースポーツ英語版(2016年)
マニュファクチャラーズ
チャンピオン
日本の旗 トヨタ(2016年)
公式サイト NASCAR.com
Motorsport current event.svg 現在のシーズン

モンスターエナジーNASCARカップ・シリーズ (Monster Energy NASCAR Cup Series) は、NASCARが主催するストックカーレースのトップ・カテゴリー。

概要[編集]

1949年ストリクトリー・ストック・シリーズ (Strictly Stock Series) としてスタートし、翌1950年グランドナショナル・シリーズ (Grand National Series) と改名された。1972年からタバコメーカーのR.J.レイノルズ・タバコ社の協賛で、ウィンストンカップ・シリーズ (Winston Cup Series) として行われたが、2004年からスプリント・ネクステル社がスポンサーとなり、ネクステルカップ・シリーズ (NEXTEL Cup Series) となった。なお2008年からはシリーズ名称をスプリントカップ・シリーズと改称した[1]

ドライバーズ・チャンピオンシップは各レースの順位およびレースにおけるラップリード数で争われる。シーズンは二期に分割され、前半26レース終了時点でランキング12位までのドライバーは、それぞれ5ポイントずつの差にリセットされ、残る10レースを争う。このシステムはチェイス・フォー・ザ・チャンピオンシップ (Chase for the Championship) [2]と呼ばれ、2004年に導入された。2010年にはジミー・ジョンソンがスプリントカップ5連覇を達成した。

シリーズを構成する多くのレースの起源はアメリカ合衆国南部にあり、南部で根強い人気を持つが、次第に成長し現在ではアメリカ合衆国における最も人気のある6つのプロスポーツの内の1つとなった。最も有名なデイトナ500は、2009年には約1,600万人がテレビで観戦した[3]。シリーズはカナダでも開催され、エキシビジョン・レースが日本オーストラリアで開催された。

スプリントカップ・シリーズで使用される車両は、他の自動車レース車両と比較してユニークなものである。エンジンは200mph (320km/h) 以上の速度に達するほど強力であるが、その車重のため操作性は不十分である。ボディとシャシーはイコールコンディションを保つため厳密に規定される。また、エレクトロニクスは質実剛健なものである。

2007年シーズンから、コスト抑制や安全性向上などを目的にカー・オブ・トゥモロー(CoT)と呼ばれる新型車の導入を開始しており、2008年シーズンからは全レースでCoTが使われている。

2013年 スプリントカップにてカー・オブ・トゥモローの発展型「ジェネレーション-6(GEN 6)」を導入した。この新型車両は、それまでのCoT(以下GEN5)に比べてベース車両により近い外観を持ち、2006年までの車両に相当するメカニカルグリップを得る方針で開発された。 GEN6ではダウンフォースが増加した他、車体も軽量化している。エンジンフードとトラックリッドをカーボンファイバーとし、その重量はGEN5より150ポンド(68kg)削減された。

歴史[編集]

ストリクトリー・ストック、グランドナショナル[編集]

NASCARは1948年モディファイド・レース英語版ロードスター・レースを認可し、翌1949年にはストリクトリー・ストックを導入した。8つのレースが異なったダートのオーバルコースおよびデイトナビーチ・ロードコース英語版で開催された[4]

最初の「ストリクトリー・ストック」レース英語版は1949年6月19日シャーロット・スピードウェイ英語版で開催された。グレン・ダナウェイ英語版がレース後の車検で車両後部のスプリングを変更していたことで失格し、レースはジム・ローパー英語版が優勝した。初代シリーズチャンピオンはレッド・バイロン英語版であった。シリーズは1950年シーズンに「グランドナショナル」と改名された。この改名はNASCARのシリーズをよりプロフェッショナルでより格調高いものにしようとする意向が反映されたものであった。シリーズは1971年までグランドナショナルの名称で開催された。

1949年のNASCARストリクトリー・ストック・シリーズ英語版はNASCARの記録ではグランドナショナル・カップの最初のシーズンとして取り扱われている。マーティンズビル・スピードウェイ1949年のシーズンが開催されたサーキットの内、唯一現在もシリーズが開催されるサーキットである。

7度のシリーズチャンピオンに輝いたリチャード・ペティ

グランドナショナル・カップは1シーズンに60回以上のレースを開催したシーズンが数年間あり、しばしば2から3のレースが同じ週末に開催され、時折別々の州で同じ日に開催されることもあった。

シリーズ開催初期には大半のレースが未舗装のショートオーバル(4分の1マイルから2分の1マイル)もしくは未舗装オーバル(2分の1マイルから1マイル)で開催された。最初の221戦のレース中、198戦がダートコースで開催された。1950年にオープンしたダーリントン・レースウェイは、初の完全舗装が行われた距離1マイル以上のサーキットであった。1959年、デイトナ・インターナショナル・スピードウェイがオープンしたが、いまだ舗装コースよりもダートコースの方が多数であった。1960年代を通してスーパースピードウェイが次々と建設され、古いダートコースが舗装されるようになると、徐々にダートレースの数は縮小していった[5]

ダートコースで行われた最後のNASCARレースは、エアロ・ウォリアーズ英語版時代の1970年9月30日にノースカロライナ州ローリーステート・フェアグラウンド・スピードウェイ英語版で行われたレースであった。1970年式プリムス・スーパーバードを駆るリチャード・ペティが優勝し、優勝車両はペティ・エンタープライズ英語版からドン・ロバートソンに売却、再びレースに貸し出された[5]

ウィンストンカップ[編集]

1972年から2003年まで、NASCARのトップカテゴリーはR.J.レイノルズ・タバコ社が冠スポンサーとなり、同社のブランドであるウィンストンの名が冠されウィンストンカップ・シリーズ (Winston Cup Series) と呼ばれた。後にタバコ広告が公衆健康の為のシガレット喫煙法英語版1998年タバコ製造社和解契約英語版等のタバコ規制法で制限されるようになると、R.J.レイノルズのスポンサーシップは論議を呼ぶこととなった。

R.J.レイノルズがスポンサーとして関わり、シリーズのレース数は1年当たり48から31程度まで減少、1972年には近代NASCARが確立した。シーズンはより短縮し、続く4年間でポイントシステムは何度か変更された。ダートコースでのレースは取りやめられ、オーバルトラックは250マイル (402.3 km)より短い距離で争われるようになった。NASCARの創始者であるビル・フランス・シニア英語版は長男のビル・フランス・ジュニア英語版にその運営を譲り渡した。1974年8月、フランス・ジュニアはシリーズの宣伝担当であるボブ・ラットフォードに、レースの距離や賞金に関係なく、全てのレースで等しく授与されるポイントシステムの設計を依頼した[6]。このシステムにより、シリーズチャンピオンになるためには全てのレースに参加しなければならないようになった。このシステムは1975年に導入され、2004年にチェイス・フォー・ザ・チャンピオンシップが導入されるまで、変化の無いまま使用された。

7度のシリーズチャンピオンに輝いたデイル・アーンハート

1982年以来、デイトナ500はシーズン最初のエキシビション・レースとして開催されている。

ABCスポーツは1970年、グランドナショナル・シリーズのタラデガノース・ウィルクスボロ・スピードウェイ英語版、ダーリントン、シャーロット、ナッシュビルのレースを完全もしくは部分的に生中継放送した。これらのレースは他の多くのシリーズ戦に比べ面白味に欠け、ABCは生中継を中止した。代わりに編集を施したものがスポーツバラエティの「ワイド・ワールド・オブ・スポーツ英語版」で放送された[7]

1979年のデイトナ500英語版は、CBSでスタートからゴールまで全国的にテレビ放送された最初のストックカーレースとなった。ラストラップでレースをリードしていたのはケール・ヤーボロー英語版ドニー・アリソン英語版であった。2台はバックストレッチでクラッシュし、リチャード・ペティが2台をパス、優勝を獲得した。ヤーボローとアリソンに加え、ドニーの兄のボビー・アリソン英語版が殴り合う様が全国に中継された。この一件はスポーツのドラマ性と感情を強調し、レースのテレビ中継の商品性を高めることとなった。NASCARにとって好都合だったことに、レースはアメリカ東海岸沿いに発生した猛吹雪と同時期に行われ、多くのテレビ視聴者が中継を見たことで、その様子を紹介するのに成功した。

1981年からシリーズの表彰式典はニューヨークのウォルドルフ=アストリアで12月の第1金曜日の晩に行われた。1985年からはより大きなグランド・ボールルーム英語版で行われた。2001年には表彰式典を簡潔にするため、宴会は取りやめられることとなった。翌2002年、式典はマンハッタン・センター英語版ハマースタイン・ボールルームに変更された。2003年に宴会が復活することとなり、式典は再びウォルドルフ=アストリアで開催されるようになった。


ネクステルカップ、スプリントカップ[編集]

モンスターエナジーとのスポンサー契約へ[編集]

2016年12月1日、モンスターエナジーが最高峰シリーズのタイトルスポンサーとの契約を交わした[8]

ランキング[編集]

NASCARカップでは、ドライバーランキングとチームでのランキングのポイントで総合順位を競う。

2010年まで[編集]

2010年シーズンまで、各レースのポイントは下記のようになっていた。カップでは通常43台が決勝に進出するので、予選を通過し決勝をスタートさえすれば、最低でも34ポイントは必ず獲得できるようになっていた。

なお下記のポイント以外にも決勝でラップリーダーを記録した場合とそのレースの最多ラップリーダーを獲得すると、それぞれ5ポイントのボーナスポイントが与えられる。

2007年にルール改正が行われ、優勝者の獲得ポイントが5ポイント引き上げられた。

順位 1位 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位 9位 10位
得点 185 170 165 160 155 150 146 142 138 134
順位 11位 12位 13位 14位 15位 16位 17位 18位 19位 20位
得点 130 127 124 121 118 115 112 109 106 103
順位 21位 22位 23位 24位 25位 26位 27位 28位 29位 30位
得点 100 97 94 91 88 85 82 79 76 73
順位 31位 32位 33位 34位 35位 36位 37位 38位 39位 40位
得点 70 67 64 61 58 55 52 49 46 43
順位 41位 42位 43位
得点 40 37 34

2011年以降[編集]

2011年のルール改定でポイントシステムが一新され、優勝者には43点のベースポイント+ボーナス3ポイントの計46ポイントが与えられ(優勝した場合最終ラップで必然的にリードラップを獲得しているので後述するラップリーダーボーナス1点を含め必ず47ポイントは獲得できる)、以下2位42ポイント、3位41ポイント…43位1ポイントという形で1ポイントずつベースポイントが減っていく形になった(決勝出場台数の少ないキャンピング・ワールド・トラック・シリーズでは、最下位は36位なので8ポイントとなる)。また最多ラップリーダーに1ポイント、ラップリーダー記録者全員に各1ポイントがボーナスとして与えられる。

そしてもう一つ大きな変更点が、三大カップ戦にエントリーするドライバーは「ポイントを得られるシリーズがどれか一つに限られることになった」点。ドライバーはシーズン開幕前に自らがメインとするシリーズを選択する必要があり、それ以外のシリーズで入賞しても一切ドライバーズポイントは得られない(オーナーズポイントは獲得できる)。[9]

2011年の開幕戦となったデイトナ500では、優勝したトレバー・ベイン英語版ネイションワイド・シリーズが主戦場のため、この新ルールに従いドライバーズポイントは全く与えられず「優勝したのにノーポイント」という珍事が早速発生した。

プレーオフ[編集]

さらに2004年から導入された新システムとして「Chase for the Cup」(通常は単に「Chase」と略されることが多い)がある。このシステムはシリーズが残り10戦となった時点(つまり第26戦終了時)のドライバーズポイントランキングを、以下のようにリセットするものである。

これはシーズンが終盤になると各ドライバーの獲得ポイントに大きな差が付き、シリーズチャンピオン争いがごく少数のドライバーに絞られてしまうこと。それと2003年にマット・ケンゼスがわずか1勝でシリーズチャンピオンを獲得してしまったのを理由とし、ファンのレースへの興味が薄れることを防ぐために導入されたもので、いわば一種のプレーオフのような効果を狙ったものの一つである。概ねこの制度は好評で、シーズン終盤を盛り上げることに大きな効果を挙げている。

ちなみにこの「Chase」に残れなかったドライバーについては事実上チャンピオン争いから脱落することになるが、そのようなドライバーのモチベーション低下を防ぐために、「Chase」不参加のドライバーの中でシーズン終了時のポイントランキングが最上位の者には100万ドルのボーナスが与えられるシステムも同時に導入されている。

2004年~2006年[編集]

ポイントランキング上位10名+獲得ポイントがトップから400点以内のドライバーについてポイントを下記の表に従ってリセットした。

順位 1位 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位 9位 10位
得点 5050 5045 5040 5035 5030 5025 5020 5015 5010 5005

※11位以下でトップからポイントが400点差以内のドライバーがいる場合は、一律5000点が与えられる。(ただし実際には適用者は現れなかった)

2007年~2010年[編集]

ポイントのリセット対象をランキング12位までとしたほか、原則として各ドライバーに与えるポイントを一律5000点とし、これに第26戦までの勝利数に応じたボーナスポイントとして1勝につき10ポイントを加算する形となった。

2011年~2013年[編集]

ポイントシステム変更に伴い、チェイスのルールも変更された。

  • チェイス進出ドライバーのポイントを一律2000点にリセット。レギュラーシーズン中に記録した勝利数に応じて、1勝あたり3点のボーナス点が加算される。
  • リセット対象がランキング12位までという点に変更はないが、11位・12位のドライバーについては、ランキング11~20位以内の選手の中で第26戦までの勝利数が多い2名が選ばれることになった(勝利数で並ぶ、または優勝経験者がいなかった場合はポイント順)[9]

2014年~[編集]

以下に示す大幅なルール変更が行われた[10]

  • チェイス進出枠を16人に変更。
  • 進出者は、第26戦までの成績によって決定する。
  • 30位以内で1勝以上した15人と、それ以外で最多ポイントを獲得した1人が選出される。
  • ポイントは基礎点2000点+1勝あたり3点のボーナス点が与えられる。
  • チェイスに該当するシリーズラスト10戦は4つのラウンドに分けられ、各ラウンドが終了した時点で獲得ポイント下位4人が脱落する。ただし各ラウンドでの優勝者は無条件で次のラウンドに進出できる。一方脱落者はチェイス開始時のポイントを剥奪され、それまでの成績に対応する通常のポイントが与えられる。
    • チャレンジャー・ラウンド(第27戦から29戦)
      • 16人が各2000点+ボーナス点の状態から3レースを行い、12人が勝ち上がる。
    • コンテンダー・ラウンド(第30戦から32戦)
      • 12人が各3000点の状態から3レースを行い、8人が勝ち上がる。
    • エリミネーター・ラウンド(第33戦から35戦)
      • 8人が各4000点の状態から3レースを行い、4人がチャンピオン候補となる。
    • NASCARスプリントカップ・チャンピオンシップ(最終戦)
      • 4人のポイントを各5000点にリセット、4人の内で最先着のドライバーがシリーズチャンピオンとなる。

チェイス・フォー・ザ・スプリントカップ勝者[編集]

ドライバー(タイトル回数) チーム 車番 車種 出走数
(総レース数)
勝利数 トップ10 ポールポジション ポイント(2位との点差)
2004英語版 カート・ブッシュ ラウシュ・フェンウェイ・レーシング英語版 97 フォード・トーラス 36 (36) 3 21 1 6506 (8)
2005英語版 トニー・スチュワート (2) ジョー・ギブス・レーシング英語版 20 シボレー・モンテカルロ英語版 36 (36) 5 25 3 6533 (35)
2006英語版 ジミー・ジョンソン ヘンドリック・モータースポーツ英語版 48 シボレー・モンテカルロSS英語版 36 (36) 5 24 1 6475 (56)
2007 ジミー・ジョンソン (2) 48 シボレー・モンテカルロ SS/シボレー・インパラ SS 36 (36) 10 24 4 6723 (77)
2008 ジミー・ジョンソン (3) 48 シボレー・インパラ SS 36 (36) 7 22 6 6684 (69)
2009 ジミー・ジョンソン (4) 48 シボレー・インパラ SS 36 (36) 7 22 6 6492 (141)
2010 ジミー・ジョンソン (5) 48 シボレー・インパラ 36 (36) 6 23 2 6622 (39)
2011英語版 トニー・スチュワート (3) スチュワート-ハース・レーシング英語版 14 シボレー・インパラ 36 (36) 5 19 1 2403 (0)
2012英語版 ブラッド・ケセロウスキー ペンスキー・レーシング 2 ダッジ・チャージャー 36 (36) 5 23 0 2400 (39)
2013英語版 ジミー・ジョンソン (6) ヘンドリック・モータースポーツ 48 シボレー・インパラ 36 (36) 6 24 3 2419 (19)
2014英語版 ケヴィン・ハーヴィック スチュワート-ハース・レーシング 4 シボレー・SS 36(36) 8 5 20 5,043
2015英語版 カイル・ブッシュ ジョー・ギブス・レーシング 18 トヨタ・カムリ 25 (36) 5 16 1 5043 (1)
2016英語版 ジミー・ジョンソン (7) ヘンドリック・モータースポーツ 48 シボレー・SS 36 (36) 5 16 1 5043

車両[編集]

スプリント・カップに参戦する車両(しばしば「カップ・カー」と呼ばれる)は、1949年以降幾度かの大きな規定変更を経て、2016年現在は後述のような仕様となっている。

1951年式スチュードベーカーディック・リンダー英語版車。1951年デイトナビーチロードレース参戦車両。[11]
エアロ・ウォリアーズ時代の覇者、リチャード・ペティのプリムス・スーパーバード。

フロントエンジン・リアドライブの市販車両が市場の大多数を占めた1949年から1970年ごろまでは、北米市場で最低500台を販売した車両であればどんな車両でも参戦できた。1957年、機械式燃料噴射装置を搭載しオーバルトラックで圧倒的な強さを誇ったシボレー・150英語版の使用が禁止され、以降の車両はキャブレターのみが認可された。1960年代半ばまでは大排気量エンジンを搭載したフルサイズ車が多く使用されたが、1966年以降は中型車にフルサイズの大排気量エンジンを搭載したマッスルカーに取って代わられた。1969年から1970年には特別な大排気量エンジンと大型エアロパーツ付き車両のホモロゲーションを別々に取得し、両者を組み合わせる手法で極めて高性能なレース車両を作り上げるエアロ・ウォリアーズと呼ばれたスペシャルモデルの規制の為、特殊な空力付加物を装着した車両の排気量を305立方インチ(5.0L)までに制限する事で、事実上このような車両のオーバルトラックでの競争力を失わせた。ホモロゲーション台数もそれまでの最低500台から最低3000台に大幅に引き上げられた為、エアロ・ウォリアーズの時代は僅か2年程で幕を閉じた。同時期に市販車その物のシャーシを使用するストックボディから、鋼管フレームシャーシにボディ外板を被せる現在と同じパイプフレームボディへの移行も進んだ。

1985年のリッチモンド・インターナショナル・レースウェイでのピットロード。ビュイック・ルセイバーやリーガル、シボレー・モンテカルロが多い。

1970年代初頭には各メーカー毎に358立方インチ(5.8L)から429立方インチ(7.0L)まで様々な排気量のV8エンジンが混在していたが、競争力の均衡化の為リストリクタープレートが導入された。1973年の石油危機と1970年代中盤の自動車排出ガス規制は、カップ・カーのベースとなる市販車両とV8エンジンの製造に大きな悪影響を及ぼした。これらの影響が尾を引いた1980年代以降は、アメリカ車ダウンサイジングが進み、それまでのレギュレーションで定められたホイールベースを満たせる市販車が大幅に減少した。NASCARもホイールベースを最低値を短くする事でこれに対処したが、各メーカーはNASCAR参戦の為のみに、一部の市販車両のホイールベースをレギュレーションで定められた最低値に合わせざるを得なくなり、その結果として市販車両の外観に明らかにカップ・カーのの影響を受けた車体サイズやボディ形状を持つものが現れる事となった。しかし、それが当時の市場が求める大多数の要望を満たす物とは限らず、結果として不人気車となるものも存在した。

ビル・エリオット英語版がタラデガで212.809 mph (342.483 km/h)の予選周回速度を記録した1987年式フォード・サンダーバード

それでも市販車両の空力性能改善は進んでいき、1987年にはカップ・カーの平均周回速度は時速210マイル(約340km/h)に達したが、同年のタラデガ戦英語版にてボビー・アリソン英語版が観客5名に負傷者を出す大事故を起こし、デイトナやタラデガなどの一部のスーパースピードウェイではリストリクタープレートの装着が全車義務付けとなった。その後、1993年のタラデガ戦でもニール・ボンネット英語版が1987年のアリソンと類似した大クラッシュ(ビッグ・ワン英語版)を起こし、車体がスピンして後ろを向いた際の浮上(エアボーン・クラッシュ)を防ぐルーフフラップの装着が全車義務付けとなった。

1991年式オールズモビル・カトラス・シュープリーム、スコット・ゲイロード英語版車。NASCAR初年度から参戦していた名門オールズモビルも翌92年に撤退した。

1980年代後半から1990年代に掛けて、アメリカ車の多くがV型6気筒前輪駆動へ移行し、車種によっては2ドアボディを持たないものも現れ始めていたが、NASCARは依然として2ドアボディとV型8気筒の後輪駆動を維持した為、各自動車メーカーは実際の市販車両とは全く異なるエンジンと駆動方式、ドア枚数でカップ・カーを製造せざるを得なくなり、ストックカーとしての意義が次第に薄れていくようにもなっていった。この時期までにビュイックオールズモビルマーキュリーなどビッグスリー内の比較的販売が低迷していたディビジョンの中には、カップ・カーの製造から撤退するところも現れ始めた。

2003年、ポコノ・レースウェイでのオフセット・カー時代のフォード・トラース。モーガン・シェファード英語版車。

2000年代に入るとNASCARに参戦できる車体寸法を持つ市販車両は、各メーカーがカップ・カーと直接関連付けて販売する一部のスポーツモデルのみに限定されるようになり、カップ・カーと市販車両との関連性はボンネット、ルーフ、トランクリッドの形状を同一にする他は、外見上は車両前後のランプ類を模したデカール類のみでその類似性を判断できる程度となっていった。この時期のNASCARは特定の車両の競争力が高まるとその都度レギュレーションを小変更する対応に追われており、度々各メーカーから抗議が発生する事態となっていた。2001年にはデイル・アーンハート死亡事故英語版が発生、HANSデバイスの装着が義務付けとなった。2003年にはフォード・トーラスが極端な左右非対称ボディ(オフセット・カー)を使用していた事が発覚、アプローブド・ボディ・コンフィグレーション(ABC)と呼ばれるボディの左右対称性を認証する新基準が導入される事となった[12]

テキサス・モーター・スピードウェイでの2007年式COT Gen-4規定型フォード・フュージョン、マット・ケンゼス車。
Gen-5時代の常套テクニックとなり、多くの批判も浴びた極端に接近したタンデム走行。デイル・アーンハート・ジュニアライアン・ニューマン2011年のデイトナ500英語版で行った光景。

このような背景の中、2007年に導入されたのがカー・オブ・トゥモロー(COT)規定であり、これを機に全ての参戦車両が車両前後のデカールを除いては全く同じ車体形状を持つ事を強制される事となった。しかし、電子制御式燃料噴射装置の導入や可変式リアウイングの採用など新機軸も多数盛り込まれた。2007年から2010年まで使用された最初のCOT既定車は第4世代(Gen-4)と呼ばれたが、大きく嵩張ったリアウイングがスピンした際にエアボーン・クラッシュを誘発させうる技術的欠点が発覚し、実際に2009年のアーロンズ499英語版ではカール・エドワーズが観客6名を負傷させる大クラッシュが発生した。2011年からはフロントセクションの形状を変更して空力特性の改善を図った第5世代(Gen-5)へと移行したが、今度は2台の車両が車間距離をほぼ0になる程接近してタンデム走行を行う事で、通常のドラフティング走行と比較して毎時10マイル(約16km/h)以上速度が向上するという「裏技」の存在が明らかとなり、(アメリカン・レーシングを好む多くの米国人が嫌悪する)フォーミュラ1にも似たチームオーダーを思わせる露骨なレース展開が横行するようになっていった。

2013年のSTPガスブースター500英語版に出走したGen-6規定型トヨタ・カムリ、カイル・ブッシュ車。

COTの様々な欠点の反省から、2013年に導入されたのが第6世代(Gen-6)英語版と呼ばれる現行規定である。Gen-6は不評であった全車統一のボディ形状規定を廃止して各社が異なるボディ形状を持つ事を許容し、複数種類の統一エアロパーツを使用する事を許可した。ボディパネルには炭素繊維が多用され、軽量化と周回速度、安全性の向上を実現したが、Gen-5に比較して高騰した車両価格の抑制が今後の課題となっている。

現行規定のスペック[編集]

典型的なカップ・カーのエンジン

参加マニファクチャラー[編集]

メーカー 車種 参戦年度 タイトル
アルファロメオ イタリアの旗 アルファロメオ・ジュリエッタ 1962[14] 0
アメリカン・モーターズ アメリカ合衆国の旗 ナッシュ・アンバサダー英語版 1950年代初期 0
ハドソン・ホーネット 1950年代初期 3
AMC・マタドール英語版 1971-78 0
アストンマーティン イギリスの旗 アストンマーティン・DB2/4英語版 1953[15] 0
オースチン・ヒーレー イギリスの旗 オースチン・ヒーレー・スプライト英語版 1961-62 0
クライスラー アメリカ合衆国の旗 デソート・ファイアードーム英語版 1952 & 1959[16] 0
ダッジ・コロネット英語版 1953-57; 1965-68 2
ダッジ・440英語版 1964
ダッジ・チャージャー/デイトナ英語版 1966-77; 2005-2007
ダッジ・マグナム 1978-80
ダッジ・ミラーダ英語版 1981–85
ダッジ・イントレピッド 2001-04
ダッジ・アベンジャー 2007 (COT)
ダッジ・チャージャー R/T 2008-2012
クライスラー・300 1954-56 2
クライスラー・インペリアル 1983-85
プリムス・ベルヴェデア 1959-67 2
プリムス・ロードランナー/スーパーバード英語版 1968-74
プリムス・サヴォイ英語版 1950年代
フォード アメリカ合衆国の旗 フォード・フェアレーン英語版 1955-59,1966-67 12
フォード・フュージョン 2006-現在
フォード・ギャラクシー 1960-66
フォード・トーラス 1998-2005
フォード・トリノ/タラデガ 1968-77
フォード・サンダーバード 1959-60; 1977-97
マーキュリー・モントレー英語版 1950年代–1962 1
マーキュリー・マローダー 1963–1966
マーキュリー・コメット英語版/サイクロン英語版 1966-67
マーキュリー・サイクロン英語版/モンテゴ英語版 1968-80
マーキュリー・クーガー英語版 1970年代-1980年代
リンカーン・コスモポリタン英語版/カプリ英語版 1949-57[17][18] 0
エドセル・レンジャー・コンパーチブル英語版 1959[19][20] 0
ゼネラルモーターズ アメリカ合衆国の旗 ビュイック・リーガル 1981-85, 1988-91 2
ビュイック・センチュリー 1976-80
ビュイック・グラン・スポーツ英語版 1970年代
ビュイック・ルセイバー英語版 1986-87
ビュイック・サマーセット英語版 1980年代
キャデラック・シリーズ61英語版/シリーズ62英語版 1949-55[21][22] 0
シボレー・ベル・エアー 1955-58 27
シボレー・シェベル/マリブ 1964–80
シボレー・シェベル・ラグーナ英語版 1973–77
シボレー・インパラ 1979-80; 2010-現在
シボレー・インパラ SS 2007(COT)-2009
シボレー・ルミナ英語版 1989-94
シボレー・モンテカルロ/モンテカルロ SS英語版 1971-88, 1995-2007
シボレー・SS英語版 2013-現在
オールズモビル・88英語版 1949-60 4
オールズモビル・カトラス英語版/カトラス・シュープリーム英語版/442英語版 1976-92
オールズモビル・デルタ88英語版 1986-87
ポンティアック・カタリナ英語版 1959-63 3
ポンティアック・ファイアーバード 1970
ポンティアック・グランプリ英語版 1981-2004
ポンティアック・ルマン英語版 1970年代
ポンティアック・テンペスト 1960年代
ポンティアック・GTO 1960年代
ジャガー イギリスの旗 ジャガー・XK120 1953-56 0
カイザー=フレーザー アメリカ合衆国の旗 カイザー・ヘンリーJ 1949-54 0
MG イギリスの旗 MG・TC英語版 1954 0
MG・MGA 1960-63
パッカード アメリカ合衆国の旗 パッカード・カスタム・エイトドイツ語版/クリッパー英語版 1950-56[23][24] 0
ポルシェ ドイツの旗 ポルシェ・356 1953-54 0
スチュードベーカー アメリカ合衆国の旗 スチュードベーカー・チャンピオン英語版/コマンダー英語版/ラーク英語版 1950-62[25] 0
トヨタ 日本の旗 トヨタ・カムリ 2007-現在 0x
トライアンフ イギリスの旗 トライアンフ・TR3英語版 1960[26] 0
タッカー アメリカ合衆国の旗 タッカー・トーピード 1950 0
フォルクスワーゲン ドイツの旗 フォルクスワーゲン・ビートル 1953 0
ウィリス・オーバーランド英語版 アメリカ合衆国の旗 ウィリス・エアロ英語版 1952-54[27][28][29] 0

参照[編集]

  1. ^ NASCAR.COM - Officials to announce series name change to Sprint Cup - Jul 6, 2007
  2. ^ All About NASCAR”. ShaveMagazine.com. 2009年6月15日閲覧。
  3. ^ Jayski.com 2009 NASCAR Sprint Cup TV Ratings' Retrieved August 21, 2009
  4. ^ "Strictly Stock Standings and Statistics for 1949" page of Racing-Reference website [1], retrieved 9 May 2007.
  5. ^ a b Fielden, Greg, "NASCAR Cleans Up", Speedway Illustrated, September 2004.
  6. ^ Mitchell, Jason, "How Do They Do That?: Winston Cup Point System", Stock Car Racing (ISSN 0734-7340), Volume 36, Number 10, October 2001.
  7. ^ Fielden, Greg. NASCAR Chronicle. Publications International, Ltd., Lincolnwood, Illinois, USA, 2006. p. 36.
  8. ^ Gluck, Jeff (2016年12月1日). “Monster Energy replaces Sprint as title sponsor for NASCAR's top series”. USA Today (ラスベガス: ガネット・カンパニー英語版). http://www.usatoday.com/story/sports/nascar/2016/12/01/monster-energy-title-sponsor-nascar-cup-series/94748244/ 2016年12月1日閲覧。 
  9. ^ a b NASCAR:チェイスシステムにワイルドカードを導入、ポイントシステムも変更 - FMotorsports kaigai・2011年1月27日
  10. ^ Announces Chase for the Sprint Cup Format Change(プレスリリース)- 2014年1月30日閲覧
  11. ^ Racing-Reference.info "1951-01" Retrieved 6/30/09
  12. ^ Stock Car Body Rules – Simple As ABC - hotrod.com、2004年5月1日
  13. ^ Race Engine Technology Issue 027
  14. ^ Racing-reference.info 1962 International 200 results, Retrieved May 18, 2009
  15. ^ テリー・オニール『Northeast American Sports Car Races 1950-1959』2010年、p.89
  16. ^ Daytona Destiny - oldcarsweekly.com、2009年4月16日
  17. ^ J. Kelly Flory, Jr.『American Cars, 1946-1959: Every Model, Year by Year』2008年、p.224
  18. ^ Luxury Lincolns doubled as race cars in the 1950s - reviewjournal.com、2009年1月30日。
  19. ^ John C. Farrell『The Official NASCAR Trivia Book: With 1001 Facts and Questions to Test Your Racing Knowledge』2012年、p.391
  20. ^ Fantasy NASCAR Racing
  21. ^ 1950 NASCAR Grand National Recap
  22. ^ [2] - 1954年式キャデラック、ジュニア・ジョンソン英語版車。
  23. ^ Red Duvall drove his Packard to 14th place in the 1953 GN race
  24. ^ Herb Thomas ran this Packard in the '55 GN race - car was owned by Walt Chapman
  25. ^ Driver Biography - StudebakerRacing.com
  26. ^ 1960 International 200 - racing-reference.info
  27. ^ 1952 Motor City 250 - racing-reference.info
  28. ^ 1953-32 - racing-reference.info
  29. ^ 1954 Raleigh 250 - racing-reference.info

関連項目[編集]

外部リンク[編集]