オースチン・ヒーレー

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オースチン・ヒーレーAustin-Healey ヒーリーとも )は、イギリスのスポーツカーブランドである。

このブランドは、1952年ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)・オースチン部門のレナード・ロードと、著名な自動車エンジニアデザイナーであるドナルド・ヒーリーとの間に結ばれた合弁事業合意により誕生した。オースチン・ヒーレーでは、1972年の20年間という合意期限満了まで、自動車生産が続けられた。

ドナルド・ヒーリーは、1968年ブリティッシュ・モーター・ホールディングス1966年にBMCとジャガーの合併により誕生した)がレイランド・モータースと合併し、ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーションとなった時に、会社を去った。オースチンの商標は、2005年にブリティッシュ・レイランドの後継会社であるMGローバーグループが破産した際に、商標を買収した南京汽車が所有している。

ドナルド・ヒーリーが、彼の会社であるドナルド・ヒーリー・モーターカンパニーを売却した後、ヒーリーブランドは、新会社ヒーリー・オートモーティブ・コンサルタントが所有していたが、2005年ヒーリーの家族によりHFIオートモーティブに売却された。

2007年6月、南京汽車とヒーリー・オートモーティブ・コンサルタントとHFIオートモーティブは、オースチン・ヒーレーおよびヒーリーブランドを南京汽車製MGの一部として再現することに関し、協力する合意に署名した。しかし、ヒーリーおよびオースチン・ヒーレー両ブランドの復活へのスケジュールは提示されていない。中国国内でのMGブランドの復活は、その年の末とされた。

モデル[編集]

オースチン・ヒーレー100

  • 1953 - 1955 BN1 オースチン・ヒーレー100
  • 1955 オースチン・ヒーレー100S(極少量生産された、アルミニウムボディのレース用モデル)
  • 1955 - 1956 BN2 オースチン・ヒーレー100M(限定生産の高性能モデル)
  • 1956 - 1957 BN2 オースチン・ヒーレー100-4
  • 1956 - 1957 BN4 オースチン・ヒーレー100-6(2+2)
  • 1957 - 1959 BN4 オースチン・ヒーレー100-6 1 3/4" SUキャブへ変更(2+2)
  • 1958 - 1959 BN6 オースチン・ヒーレー100-6 6気筒エンジン(2シーター)

オースチン・ヒーレー 3000

  • 1959 - 1961 BN7 Mark I(2シーター)、BT7 Mark I(2+2)
  • 1961 - 1962 BN7 Mark II(2シーター)、BT7 Mark II(2+2), BJ7 Mark II(2シーター)
  • 1962 - 1964 BJ7 Mark II(巻き上げ式ドアウインドウ装備)
  • 1964 - 1967 BJ8 Mark III

オースチン・ヒーレー スプライト

  • 1958 - 1960 AN5 Mark I その特徴的な外観から、日本では一般的に「カニ目」と呼ばれる。アメリカではバグアイ(虫の目)、イギリスではフロッグアイ(カエルの目)とあだ名されている。
  • 1961 - 1964 AN6 - AN7 Mark II MarkIIからのオースチン・ヒーレー・スプライトは、MG・ミジェットの兄弟車種としてブランドのバッチが違うだけとなる(ただし、ブランドの位置付けとしてはMGがやや上)。このため両車はまとめてスプリジェットと呼ばれる
  • 1964 - 1966 AN8 Mark III(巻き上げ式ドアウインドウ装備)
  • 1966 - 1969 AN9 Mark IV
  • 1969 - 1971 AN10 Mark V(イギリスのみ)

ノート[編集]

  • 1953年、特別に作られた流線型のオースチン・ヒーレーが、アメリカ・ユタ州のボンネビル・ソルトフラッツでいくつかの速度記録を達成した
  • マテルバービー人形用として最初に作られた車が、緑色がかった青い内装とピンクの外装を持つオースチン・ヒーリーだった。