コロ・トゥーレ

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コロ・トゥーレ Football pictogram.svg
Kolo Toure 8932.JPG
コロ・トゥーレ(2012年)
名前
本名 ハビブ・コロ・トゥーレ
Habib Kolo Touré
ラテン文字 Kolo TOURÉ
基本情報
国籍 コートジボワールの旗 コートジボワール
生年月日 1981年3月19日(34歳)
出身地 バンダマ渓谷州ブアケ
身長 183cm
体重 76kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 リヴァプールFC
ポジション DF (CB, RSB)
背番号 4
利き足 右足
ユース
-1999 コートジボワールの旗 ASECミモザ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2002 コートジボワールの旗 ASECミモザ 0 (0)
2002-2009 イングランドの旗 アーセナル 225 (9)
2009-2013 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 82 (2)
2013- イングランドの旗 リヴァプール 32 (0)
代表歴2
2000-2015 コートジボワールの旗 コートジボワール 118 (7)
1. 国内リーグ戦に限る。2015年5月24日現在。
2. 2015年2月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ハビブ・コロ・トゥーレHabib Kolo Touré, 1981年3月19日 - )は、コートジボワールブアケ出身のサッカー選手プレミアリーグリヴァプールFC所属。元コートジボワール代表。ポジションはディフェンダー

来歴[編集]

クラブ[編集]

アーセナルFC[編集]

母国クラブ、ASECアビジャンでプレーしていた2002年7月アーセナルの入団試験を受け合格し、そのままアーセナルのトップチームに加入した。8月、コミュニティーシールドリヴァプールFC戦でトップチームデビューを果たした。チェルシーFC戦ではアーセナルでの初ゴールを記録した。

2002-03シーズンは主にボランチやサイドバックで起用されたが、翌2003-04からセンターバックにコンバートされ、レギュラーを獲得。ソル・キャンベルとのコンビでこの年のアーセナル無敗優勝に貢献した。コートジボワール代表でも守備の要として活躍している。2006-07シーズンからは、アーセナルでの背番号が28から5になった。2007-08シーズンより、第2キャプテンとなりキャプテンマークを巻く機会もあった。

マンチェスター・シティFC[編集]

マンチェスター・シティでプレーするトゥーレ

2009年7月29日、同じプレミアリーグマンチェスター・シティFCに移籍金1500万ポンド(1800万ユーロ)、4年契約で移籍。シティでの最初のシーズンはキャプテンを任され、9月23日、フットボールリーグカップフラムFC戦で移籍後初ゴールを記録。11月7日のバーンリーFC戦では移籍後リーグ戦初ゴールを記録し、チームのリーグ戦5位に貢献した。

2010-11シーズンはキャプテンマークをカルロス・テベスに譲ったものの、チームの守備の要としてロベルト・マンチーニ監督の信頼を得ていた。

2011年3月3日イングランドサッカー協会はコロ・トゥーレがドーピング検査で陽性反応を示したことを明らかにした[1]。本人曰く「妻のダイエット薬を服用した」とのことだが、イングランド協会は6ヶ月の出場停止処分を科した。

その後出場機会は徐々に減少し、2012-13シーズンはリーグ戦15試合の出場にとどまり、2012-13シーズン限りで契約満了になった。

リヴァプールFC[編集]

リヴァプールは元イングランド代表DFジェイミー・キャラガーが2012-13シーズン限りで引退したこともあり、センターバックの補強を検討していた。

2013年5月28日、フリートランスファーでリヴァプールFCへの加入が決定した[2][3]。契約期間は明らかになっていない。

2015年5月26日、リヴァプールとの契約を延長した[4]。契約期間などは発表されていないが、同日付のイギリス紙『デイリー・メール』によると、来シーズンいっぱいまでの契約になると報道している。

代表[編集]

コートジボワール代表として2000年にルワンダ代表戦でデビューを果たした。アフリカネイションズカップ2006ではチームの決勝戦進出に貢献した。その後2006 FIFAワールドカップ2010 FIFAワールドカップ2014 FIFAワールドカップとワールドカップには3度出場した。しかし、コロンビア戦後にイブラヒム・トゥーレが死去したことを受け、対ギリシャ戦を欠場することとなった。

2014年5月30日、マラリアを発病したと公表した[5]。2008年から感染していたという。

2015年2月16日、コートジボワール代表引退を表明した[6][7]アフリカネイションズカップ2015の開催中、すでに代表引退を示唆していたコロ・トゥーレは「ネーションズカップ優勝が僕のゴール」とコメント。さらに「とても難しい決断だったことは認めるよ。この国とサッカーが大好きなんだ。でも、終わりはいつかやってくる」と現在の心境を明かした。代表最後の大会になったアフリカネイションズカップ2015はコートジボワール代表が優勝を飾り、代表生活に幕を下ろした。

人物[編集]

2013-14シーズンはベンチ暮らしが続くが、アーセナル、マンチェスター・シティでタイトルを獲得してきた経験は唯一無二。トルコのトラブゾンスボル移籍を拒否してポジション争いに挑むことを宣言。代理人はジョナサン・バーネットマンチェスター・シティ所属選手のヤヤ・トゥーレ、2014年に死去した元サッカー選手のイブラヒム・トゥーレ (Ibrahim Touré) は共に弟。

エピソード[編集]

  • アーセナルの入団試験の時、ボールを一生懸命に追って行ってアーセン・ベンゲル監督と激突してしまった。また、その際のトライアルマッチに参加していたデニス・ベルカンプを激しく削っていた。

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

クラブ シーズン リーグ カップ 国際大会 合計
出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト
アーセナルFC 2002-03 26 2 1 7 0 0 7 0 0 40 2 1
2003-04 37 1 1 8 2 0 10 0 0 55 3 1
2004-05 35 0 0 7 0 0 8 1 0 50 1 0
2005-06 33 0 0 1 0 0 12 1 1 46 1 1
2006-07 35 3 3 8 1 1 10 0 0 53 4 4
2007-08 30 2 3 2 0 1 9 0 0 41 2 4
2008-09 29 1 1 3 0 0 9 0 0 41 1 1
通算 225 9 9 36 3 2 65 2 1 326 14 12
マンチェスター・シティFC 2009-10 31 1 0 2 1 0 0 0 0 33 2 1
2010-11 22 1 0 5 0 0 2 0 0 29 1 0
2011-12 14 0 0 3 0 0 3 0 0 20 0 0
2012-13 15 0 0 3 0 0 0 0 0 18 0 0
通算 82 2 0 13 1 3 8 0 0 103 3 1
リヴァプールFC 2013-14 20 0 2 4 0 0 0 0 0 24 0 2
通算 20 0 2 4 0 0 0 0 0 24 0 2
総通算 327 11 11 53 4 5 73 2 1 453 17 15

代表歴[編集]

得点[編集]

代表でのトゥーレ
 #  日時 場所 対戦相手 スコア 最終結果 大会
1. 2002年10月8日 コートジボワールの旗 アビジャン  リビア 1-2 1-2 アフリカネイションズカップ2008予選
2. 2003年6月25日 タジキスタンの旗 ドゥシャンベ  タジキスタン 1–2 1–8 親善試合
3. 2010年6月4日 スイスの旗 シオン  日本 2–0 2–0 親善試合
4. 2010年8月10日 イングランドの旗 ロンドン  イタリア 1–0 1–0 親善試合
5. 2011年10月9日 コートジボワールの旗 ヤムスクロ  ブルンジ 1–0 2–1 アフリカネイションズカップ2012予選
6. 2012年6月9日 モロッコの旗 マラケシュ  モロッコ 1–2 2–2 2014 FIFAワールドカップ・アフリカ予選
7. 2014年11月14日 コートジボワールの旗 アビジャン  シエラレオネ 0–1 1–5 アフリカネイションズカップ2015予選

タイトル[編集]

クラブ[編集]

コートジボワールの旗 ASECミモザ
  • コートジボワール・プレミア・ディビジョン:2回 (2001, 2002)
  • CAFスーパーカップ:1回 (1999)
イングランドの旗 アーセナルFC
イングランドの旗 マンチェスター・シティFC

代表[編集]

コートジボワールの旗 コートジボワール代表

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]