サロモン・カルー
この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。(2010年12月) |
| ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
| ||||||
| 名前 | ||||||
| 本名 |
サロモン・アルマン・マグロワール・カルー Salomon Armand Magloire Kalou | |||||
| 愛称 | サルー | |||||
| ラテン文字 | Salomon KALOU | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
| |||||
| 生年月日 | 1985年8月5日(33歳) | |||||
| 出身地 | オウメ | |||||
| 身長 | 186cm | |||||
| 体重 | 79kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム |
| |||||
| ポジション | FW | |||||
| 背番号 | 8 | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
| 1993-1999 |
| |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2003-2006 |
| 69 | (35) | |||
| 2004 |
→ | 11 | (4) | |||
| 2006-2012 |
| 156 | (36) | |||
| 2012-2014 |
| 67 | (30) | |||
| 2014- |
| 43 | (15) | |||
| 代表歴2 | ||||||
| 2007- |
| 81 | (29) | |||
|
1. 国内リーグ戦に限る。2015年12月20日現在。 2. 2015年3月26日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
サロモン・アルマン・マグロワール・カルー(Salomon Armand Magloire Kalou, 1985年8月5日 - )は、コートジボワール・オウメ出身のプロサッカー選手。コートジボワール代表。ブンデスリーガ、ヘルタ・ベルリン所属。ポジションはフォワード。兄のボナベントゥル・カルーは元コートジボワール代表のサッカー選手である。
経歴[編集]
クラブ[編集]
元フランス代表のジャン=マルク・ギユーがコートジボワールに設立したアカデミーの出身。
コートジボワール代表でもある兄のボナベントゥル・カルーの勧めでASECミモザから2003年に当時兄の所属していたフェイエノールトに移籍するが、結局兄とは入れ替わる形での入団となってしまう。フェイエノールトではディルク・カイトとエールディヴィジ屈指の2トップを形成した。その後すぐにフェイエノールトと提携関係にあるSBVエクセルシオールへのレンタル移籍を経て、2004-05シーズンにレギュラーポジションを獲得。その年は31試合に出場して20得点をたたき出し、一躍その名をオランダ中に轟かせオランダの年間若手最優秀選手に贈られるヨハン・クライフ賞を受賞。翌2005-06シーズンも34試合に出場し15得点と安定した活躍を見せる。
2006-07シーズンはチェルシーFCに移籍。移籍1年目のシーズンでリーグ戦27試合出場6得点を記録した。2008-09シーズンのアフリカ年間若手最優秀選手賞に選ばれた(年間最優秀選手賞はトーゴのエマニュエル・アデバヨール)。2010年は出場機会数こそは減るものの、4月25日のストーク・シティFC戦でチェルシーでは自身初となるハットトリックを達成するなど能力の高さを証明している。
2011-12シーズン終了後、チェルシーを退団、その後LOSCリール・メトロポールに4年契約で移籍した。
2014年8月31日、ドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンと2017年6月までの3年契約を結んだと発表した[1]。
帰化騒動[編集]
カルーはコートジボワールの出身だが、オランダ代表でのプレーを望んでおり、帰化の申請をしていた。A代表のマルコ・ファン・バステン監督もカルーを絶賛し、「カルーはオランダ代表としてプレーするべきだ」と発言していて何度もカルーのプレイを視察に来ていた。カルー自身もコートジボワール代表のオファーを断り続け(A代表の出場歴がある選手は他の国のA代表としては出場できない。ただし、年齢制限のある代表しか出場歴がない場合は、他のA代表としての出場は可能)あとは移民局からの判断を待つだけとなる[要出典]。
しかし移民に寛容な政策をとってきたオランダだが、EU統合後は移民に対して厳しい処置を取るようになってきていた。そんな中で、サッカーにはあまり興味のない女性大臣のリタ・フェルドンクが、カルーの帰化を簡単に認めなかった。通常なら帰化には最低でも5年の月日が必要だが、この時点でカルーは2年しかオランダでのプレイ経験がなかった。ファン・バステン監督も公式に反論し「申請が通れば、必ず代表に招集する」とまで言い、一時は再検討となったが、結局帰化は認められず、2006 FIFAワールドカップの出場はならなかった[要出典]。
代表[編集]
上記の騒動もあって結局カルーは「母国コートジボワール代表としてプレイする」と語り、その後コートジボワールのA代表にデビューしている。2008年には、北京オリンピックに出場した。
個人成績[編集]
| クラブ | シーズン | リーグ | FAカップ | リーグカップ | 国際大会 | 合計 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | アシスト | 出場 | 得点 | アシスト | 出場 | 得点 | アシスト | 出場 | 得点 | アシスト | 出場 | 得点 | アシスト | ||
| フェイエノールト | 2003-04 | 2 | 0 | – | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | – |
| エクセルシオール (loan) | 2003-04 | 11 | 4 | – | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 4 | – |
| フェイエノールト | 2004-05 | 31 | 20 | – | 2 | 3 | – | 0 | 0 | 0 | 7 | 4 | – | 40 | 27 | – |
| 2005-06 | 36 | 15 | – | 2 | 0 | – | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | – | 40 | 15 | – | |
| オランダ | 80 | 39 | – | 4 | 3 | – | 0 | 0 | 0 | 9 | 4 | – | 93 | 46 | – | |
| チェルシー | 2006-07 | 33 | 7 | 5 | 7 | 1 | 2 | 6 | 1 | 3 | 11 | 0 | 0 | 57 | 9 | 10 |
| 2007-08 | 30 | 7 | 9 | 3 | 1 | 1 | 4 | 2 | 0 | 11 | 1 | 0 | 48 | 11 | 10 | |
| 2008-09 | 27 | 6 | 4 | 6 | 2 | 3 | 2 | 1 | 2 | 8 | 1 | 1 | 43 | 10 | 10 | |
| 2009-10 | 23 | 5 | 3 | 4 | 1 | 0 | 3 | 3 | 0 | 6 | 3 | 0 | 36 | 12 | 3 | |
| 2010-11 | 31 | 10 | 3 | 3 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 6 | 0 | 2 | 41 | 12 | 6 | |
| 2011-12 | 12 | 1 | 1 | 5 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0 | 7 | 2 | 0 | 26 | 5 | 1 | |
| イングランド | 156 | 36 | 25 | 28 | 8 | 7 | 18 | 8 | 5 | 49 | 7 | 3 | 251 | 59 | 40 | |
| 通算 | 236 | 75 | 25 | 32 | 11 | 7 | 18 | 8 | 5 | 58 | 11 | 3 | 344 | 105 | 40 | |
タイトル[編集]
クラブ[編集]
- チェルシーFC
- プレミアリーグ (1) : 2009-10
- FAカップ (4) : 2006-07, 2008-09, 2009-10, 2011-12
- フットボールリーグカップ (1) : 2006-07
- コミュニティーシールド (1) : 2009
- UEFAチャンピオンズリーグ (1) : 2011-12
個人[編集]
- ヨハン・クライフ賞 2005
脚注[編集]
- ^ ヘルタ・ベルリン、カルー獲得を発表Goal 2014年9月1日
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 公式ウェブサイト
- BBC Sport profile
- Salomon Kalou - Soccerbase
- サロモン・カルー – FIFA主催大会成績 (アーカイブ)
| ||||||||||||||||
| ||||||