サロモン・カルー

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サロモン・カルー Football pictogram.svg
Hertha BSC vs. West Ham United 20190731 (044).jpg
名前
本名 サロモン・アルマン・マグロワール・カルー
Salomon Armand Magloire Kalou
愛称 サルー
ラテン文字 Salomon KALOU
基本情報
国籍 コートジボワールの旗 コートジボワール
生年月日 (1985-08-05) 1985年8月5日(35歳)
出身地 オウメ
身長 186cm
体重 79kg
選手情報
在籍チーム ブラジルの旗 ボタフォゴFR
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1993-1999 コートジボワールの旗 ASECミモザ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2006 オランダの旗 フェイエノールト 69 (35)
2004 オランダの旗 SBVエクセルシオール (loan) 11 (4)
2006-2012 イングランドの旗 チェルシーFC 156 (36)
2012-2014 フランスの旗 リール 67 (30)
2014-2020 ドイツの旗 ヘルタ・ベルリン 173 (53)
2020- ブラジルの旗 ボタフォゴFR
代表歴2
2007-2017 コートジボワールの旗 コートジボワール 97 (28)
1. 国内リーグ戦に限る。2019年3月20日現在。
2. 2017年11月26日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

サロモン・アルマン・マグロワール・カルー(Salomon Armand Magloire Kalou, 1985年8月5日 - )は、コートジボワールオウメ出身のプロサッカー選手。元コートジボワール代表カンピオナート・ブラジレイロボタフォゴFR所属。ポジションはフォワード。兄のボナベントゥル・カルーは元コートジボワール代表のサッカー選手であった。

経歴[編集]

クラブ[編集]

チェルシーFCでのカルー

フランス代表のジャン=マルク・ギユーがコートジボワールに設立したアカデミーの出身。

コートジボワール代表でもある兄のボナベントゥル・カルーの勧めでASECミモザから2003年に当時兄の所属していたフェイエノールトに移籍するが、兄とは入れ替わる形での入団になった。フェイエノールト時代は、ディルク・カイトエールディヴィジ屈指の2トップを形成した。その後、フェイエノールトと提携関係にあるSBVエクセルシオールへのレンタル移籍を経て、2004-05シーズンにレギュラーポジションを獲得。同シーズンには、31試合20得点と結果を残して、一躍その名をオランダ中に轟かせた。その活躍により、オランダの年間若手最優秀選手に贈られるヨハン・クライフ賞を受賞。翌2005-06シーズンも34試合に出場し15得点と安定した活躍を見せた。

2006-07シーズンはチェルシーFCに移籍。移籍1年目のシーズンでリーグ戦27試合出場6得点を記録した。2008-09シーズンのアフリカ年間若手最優秀選手賞に選ばれた(年間最優秀選手賞トーゴエマニュエル・アデバヨール)。2010年は出場機会数こそは減るものの、4月25日のストーク・シティFC戦でチェルシーでは自身初となるハットトリックを達成するなど能力の高さを証明している。

2011-12シーズン終了後、チェルシーを退団。その後、LOSCリール・メトロポールに4年契約で移籍した。キャリア初期のエデン・アザールと共闘する。

2014年8月31日、ドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンと2017年6月までの3年契約を結んだと発表した。[1]

2020年7月9日、ボタフォゴFRと正式契約。ヨーロッパから舞台を移したカルーは、本田に続く2人目のポタフォゴのサプライズになった。同年に、新加入した本田圭佑とチームを牽引している。[2][3]

帰化騒動[編集]

カルーはコートジボワールの出身だが、オランダ代表でのプレーを望んでおり、帰化の申請をしていた。A代表のマルコ・ファン・バステン監督もカルーを絶賛し、「カルーはオランダ代表としてプレーするべきだ」と発言していて何度もカルーのプレイを視察に来ていた。カルー自身もコートジボワール代表のオファーを断り続け(A代表の出場歴がある選手は他の国のA代表としては出場できない。ただし、年齢制限のある代表しか出場歴がない場合は、他のA代表としての出場は可能)あとは移民局からの判断を待つだけとなる[要出典]

しかし移民に寛容な政策をとってきたオランダだが、EU統合後は移民に対して厳しい処置を取るようになってきていた。そんな中で、サッカーにはあまり興味のない女性大臣のリタ・フェルドンクが、カルーの帰化を簡単に認めなかった。通常なら帰化には最低でも5年の月日が必要だが、この時点でカルーは2年しかオランダでのプレイ経験がなかった。ファン・バステン監督も公式に反論し「申請が通れば、必ず代表に招集する」とまで言い、一時は再検討となったが、結局帰化は認められず、2006 FIFAワールドカップの出場はならなかった[要出典]

コートジボワール代表[編集]

コートジボワール代表でのカルー

カルーは、「母国コートジボワール代表としてプレイする。」と語った。その後、コートジボワールのA代表にデビューした。2008年には、北京オリンピックに出場。

2014年ブラジル大会出場。この時、グループリーグで元日本代表MF本田圭佑と対戦し、後にチームメートになる。また、アフリカネイションズカップ2017に参戦した。2020年現在、カルー最後の国際大会記録になった。

個人成績[編集]

クラブ シーズン リーグ FAカップ リーグカップ 国際大会 合計
出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト
フェイエノールト 2003-04 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0
エクセルシオール (loan) 2003-04 11 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 11 4
フェイエノールト 2004-05 31 20 2 3 0 0 0 7 4 40 27
2005-06 36 15 2 0 0 0 0 2 0 40 15
オランダ 80 39 4 3 0 0 0 9 4 93 46
チェルシー 2006-07 33 7 5 7 1 2 6 1 3 11 0 0 57 9 10
2007-08 30 7 9 3 1 1 4 2 0 11 1 0 48 11 10
2008-09 27 6 4 6 2 3 2 1 2 8 1 1 43 10 10
2009-10 23 5 3 4 1 0 3 3 0 6 3 0 36 12 3
2010-11 31 10 3 3 2 1 1 0 0 6 0 2 41 12 6
2011-12 12 1 1 5 1 0 2 1 0 7 2 0 26 5 1
イングランド 156 36 25 28 8 7 18 8 5 49 7 3 251 59 40
通算 236 75 25 32 11 7 18 8 5 58 11 3 344 105 40

タイトル[編集]

クラブ[編集]

チェルシーFC

個人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ヘルタ・ベルリン、カルー獲得を発表Goal 2014年9月1日
  2. ^ 元コートジボワール代表FWカルーが本田圭佑所属のボタフォゴ移籍!”. 超ワールドサッカー (2020年7月10日). 2020年7月10日閲覧。
  3. ^ 騒動に揺れたサロモン・カルー、本田所属のボタフォゴへ”. キッカー日本語版 (2020年7時10日). 2020年7月11日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]