ディディエ・ドログバ

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ディディエ・ドログバ Football pictogram.svg
Didier aug 2014.jpg
チェルシー時代(2014年)
名前
本名 ディディエ・イヴ・ドログバ・テビリー
Didier Yves Drogba Tébily
愛称 英雄・ティト・フィジカルキング
ラテン文字 Didier Drogba
基本情報
国籍 コートジボワールの旗 コートジボワール
フランスの旗 フランス
生年月日 (1978-03-11) 1978年3月11日(39歳)
出身地 アビジャン
身長 189cm
体重 91kg
選手情報
在籍チーム アメリカ合衆国の旗 アリゾナ・ユナイテッドSC
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1989-1991 フランスの旗 アブヴィル
1991-1993 フランスの旗 ヴァンヌ
1993-1997 フランスの旗 ルヴァロワ
1997-1998 フランスの旗 ル・マン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2002 フランスの旗 ル・マン 64 (12)
2002-2003 フランスの旗 ギャンガン 45 (20)
2003-2004 フランスの旗 マルセイユ 35 (19)
2004-2012 イングランドの旗 チェルシー 226 (100)
2012 中華人民共和国の旗 上海申花 11 (8)
2013-2014 トルコの旗 ガラタサライ 37 (15)
2014-2015 イングランドの旗 チェルシー 28 (4)
2015-2016 カナダの旗 モントリオール・インパクト 33 (21)
2017- アメリカ合衆国の旗 アリゾナ・ユナイテッドSC 0 (0)
代表歴2
2002-2014 コートジボワールの旗 コートジボワール 104 (65)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月2日現在。
2. 2015年7月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ディディエ・イヴ・ドログバ・テビリーDidier Yves Drogba Tébily, 1978年3月11日 - )は、コートジボワールアビジャン出身のサッカー選手。元コートジボワール代表メジャーリーグサッカーアリゾナ・ユナイテッドSC所属。ポジションはフォワード。愛称はティトTito)。

2度のアフリカ年間最優秀選手、2度のプレミアリーグ得点王など数々の栄誉を手にしたストライカー。コートジボワール代表の元主将であり、最多得点記録の保持者でもある。

経歴[編集]

クラブ[編集]

コートジボワール代表でキャプテンを務めるドログバ

裕福な銀行員の家庭に生まれる。将来は医者か何かに、と父親がエリート教育を望んだため、5歳で生まれ故郷のコートジボワールを離れフランスへ。サッカー選手であった叔父の元で育てられた影響で、学問だけでなくサッカーでも頭角を現す。18歳までパリ郊外の地元チームに所属、19歳でル・マンUCとプロ契約し選手生活が始まる。 しかし黒人であることから、チームメイトから「なんで黒人がフットボールなんてやってんだ?」と言われるなどし、差別が根強かったサッカー文化に絶望したこともあるという。

ル・マンでは怪我もあり満足な活躍ができず、2001-02シーズン途中からギャンガンに移籍、2002-03シーズンに17得点を挙げると注目され、マルセイユに5年契約で移籍。素早い順応を見せ、リーグで18得点を挙げ、2003-04シーズンのリーグ・アン最優秀選手に選出された。UEFAカップでも準優勝の原動力になり得点王も獲得した。チャンピオンズリーグで対戦した当時FCポルトモウリーニョ監督の目に留まり同監督とともにイングランドプレミアリーグチェルシーへ、同クラブ史上最高額の移籍金47億円で移籍した。

背番号を15番から11番に変更した2006-07シーズン、アンドリー・シェフチェンコの加入により出番が少なくなると思われていたが、2トップで使われる形が多くなることもありチェルシー加入3シーズン目で本領発揮、開幕から活躍を見せアフリカ年間最優秀選手に選ばれる。最終的に公式戦59試合出場33得点を挙げた。20得点を挙げてプレミアリーグ得点王となった。

2008-09シーズンに就任したルイス・フェリペ・スコラーリ監督の下では、怪我などにより控えに回る事が多く不発に終わったが、2009年2月に就任したフース・ヒディンク監督の下では、これまでにはなかったニコラ・アネルカとの2トップを組み、2008-09UEFAチャンピオンズリーグユヴェントス戦では第1戦、第2戦ともにゴールを決めるなど、怪我からの復調を印象付ける活躍をみせ、改めてエースとしての存在感を見せつけた。2009年5月6日にスタンフォード・ブリッジにおいて開催されたUEFAチャンピオンズリーグ準決勝セカンドレグ、対FCバルセロナ戦において主審を務めたトム・ヘニンク・エブレベの判定に対して試合後に激しい批判を行い、後に行動が不適切であったとして謝罪した。また、以前から慕っていた元チェルシー監督のジョゼ・モウリーニョを追ってインテル・ミラノに移籍するという噂がメディアの間で度々出ていたが本人がこれを否定、更にはチェルシーとの契約延長が決まった。

2009-10シーズンのアンチェロッティ監督の下では前シーズン得点王のニコラ・アネルカと2トップを組み、ゴールを量産。自身は「相手にとって最も怖いFWコンビになる」とコメントしている。2009年10月10日のマラウイ戦ではコートジボワールの2大会連続W杯出場を決める同点ゴールを挙げた。そして2010年5月9日、勝てば自力でのチェルシーの優勝が決まる最終節のウィガン戦でハットトリックを達成するなどチームを勝利に導き、リーグ通算29点を挙げ得点王も獲得した。さらにチームは総得点103点という記録を叩き出し、プレミアリーグのシーズン最多得点記録を更新している。

UEFAチャンピオンズリーグ 2011-12 決勝では1点ビハインドから同点ゴールをヘディングで決め、PK戦でも最後のキッカーとして成功させチームを優勝に導いた。この試合ではUEFA選出のマン・オブ・ザ・マッチにも選ばれている。

2011-12シーズンをもってチェルシー退団を発表。同クラブ初となるUEFAチャンピオンズリーグの優勝を決めたPKが、チェルシーでのラストタッチとなった。

2012年6月20日に自身のホームページで、中国スーパーリーグ上海申花に移籍する事を発表した[1]

しかし、給料未払いなどの問題から移籍が噂されるようになり、ユヴェントスミラン移籍の噂が注目された。2013年1月にトルコ・スュペル・リグガラタサライに移籍した[2]

2013-2014年シーズンで契約満了によりガラタサライを退団し、2014年7月25日、古巣のチェルシーに復帰することが決定した。背番号は15番を使用する事になっていたが、その後チェルシーで最も成功したシーズン時につけていた背番号である11番に変更された[3]。2015年5月24日にチェルシー退団を発表した[4]

フリー状態となっていたが、2015年7月27日にMLS(メジャーリーグサッカー)のモントリオール・インパクトへの加入を発表した[5][6]

代表[編集]

幼い頃フランスへ移住していたため、フランス人としてフランス代表でプレーすることも可能であったが、母国であるコートジボワール代表を選択。DFコロ・トゥーレと共に母国をW杯初出場に導く原動力となった。

エピソード[編集]

  • 2005年10月、2006 FIFAワールドカップの本大会進出を決めた試合の後、生中継で内戦をやめるよう訴え1週間以内に停戦した[7]
  • アメリカ『タイム』誌の「世界で最も影響力のある100人」の中に選ばれている[9]

名前の発音について[編集]

彼の名前の「gb」は、「b」でも「v」でもない音を発音する。この子音は、西アフリカの言語にある独特な子音である(有声両唇軟口蓋破裂音)。「gba」を「グバ」と表記するのは英語ベースで、「バ」と表記するほうが原語ベースである。したがって、「ディディエ・ドロバ」と表記したほうが原語に近い(ただしカタカナで表記すること自体に限界がある)。

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
フランス リーグ戦 F・リーグ杯 フランス杯 期間通算
1998-99 ル・マン リーグ・ドゥ 2 0 0 0 0 0 2 0
1999-00 30 7 2 0 0 0 32 7
2000-01 11 0 0 0 3 1 14 1
2001-02 21 5 2 1 1 1 24 7
2001-02 ギャンガン リーグ・アン 11 3 0 0 0 0 11 3
2002-03 34 17 2 0 3 4 39 21
2003-04 マルセイユ 11 35 19 2 1 2 1 39 21
イングランド リーグ戦 FLカップ FAカップ 期間通算
2004-05 チェルシー 15 プレミア 26 10 4 1 2 0 32 11
2005-06 29 12 1 0 3 1 33 13
2006-07 11 36 20 5 4 6 3 47 27
2007-08 19 8 1 1 1 0 21 9
2008-09 24 5 2 1 6 3 32 9
2009-10 32 29 2 2 4 3 38 34
2010-11 31 11 0 0 2 0 33 11
2011-12 24 5 0 0 3 2 27 7
中国 リーグ戦 リーグ杯 FA杯 期間通算
2012 上海申花 11 超級 11 8 0 0 0 0 11 8
トルコ リーグ戦 トルコ杯 オープン杯 期間通算
2012-13 ガラタサライ 12 スュペル・リグ 13 5 0 0 0 0 13 5
2013-14 24 10 3 1 0 0 27 11
イングランド リーグ戦 FLカップ FAカップ 期間通算
2014-15 チェルシー 11 プレミア 28 4 5 1 2 0 35 5
アメリカ合衆国 リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2015 モントリオール・インパクト 11 MLS 11 11
2016 22 10
2017 アリゾナ・ユナイテッドSC USL 11 11
通算 フランス リーグ・アン 80 39 4 1 5 5 89 45
フランス リーグ・ドゥ 64 12 4 1 4 2 72 15
イングランド プレミア 254 104 20 10 29 12 303 126
中国 超級 11 8 0 0 0 0 11 8
トルコ スュペル・リグ 37 15 3 1 0 0 40 16
アメリカ合衆国 MLS 33 21
アメリカ合衆国 USL 0 0
総通算 479 199
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
UEFA UEFA CL
2003-04 マルセイユ 11 5
UEFA UEFA EL
2003-04 マルセイユ 11 6
UEFA UEFA CL
2004-05 チェルシー 15 9 5
2005-06 7 1
2006-07 11 12 6
2007-08 11 6
2008-09 10 5
2009-10 5 3
2010-11 7 2
2011-12 8 6
通算 UEFA 45

代表歴[編集]


コートジボワール代表 国際Aマッチ
出場 得点
2002 1 0
2003 7 4
2004 7 6
2005 8 7
2006 14 8
2007 8 4
2008 8 4
2009 6 7
2010 11 4
2011 5 5
2012 14 9
2013 9 4
2014 6 3
通算 104 65

ゴール[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

チャンピオンズリーグを制し、ビッグイヤーを掲げるドログバ
チェルシーFC
ガラタサライSK

個人[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]