ル・マン

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Le Mans
Blason ville fr Le Mans (Sarthe) (orn ext).svg
Montage du Mans.jpg 
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏
(département) サルト県(県庁所在地)
(arrondissement) ル・マン郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 72181
郵便番号 72000,72100,72085
市長任期 ジャン=クロード・ブラール
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) fr:Le Mans Métropole
fr:Pays du Mans  
人口動態
人口 143 599人
2012年
人口密度 2,719人/km2
住民の呼称 Manceau
地理
座標 北緯48度01分12秒 東経0度11分56秒 / 北緯48.020013度 東経0.198784度 / 48.020013; 0.198784座標: 北緯48度01分12秒 東経0度11分56秒 / 北緯48.020013度 東経0.198784度 / 48.020013; 0.198784
標高 平均:51 m
最低:38 m
最高:134 m
面積 52.81km2 (5 281ha)
Le Mansの位置(フランス内)
Le Mans
Le Mans
公式サイト www.lemans.fr
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ル・マンLe Mans)は、フランスの西部に位置する都市で、サルト県県庁所在地である。伝統的に、メーヌ地方の首都とされてきた。現在、カトリック教会のル・マン司教座が置かれている。

歴史[編集]

ル・マンはプトレマイオスによって初めて記述された(Geography 2.8.8)。ローマ帝国の都市ヴィンディニウム(Vindinium)は、ガリア人の一部族ハエドゥイ族の従属部族アウレルチ(Aulerci)の首都であった。ル・マンは、チヴィタス・セノマノルム(Civitas Cenomanorum、セノマニ族の都市の意味)として知られていた。これらの都市は、古代ローマ属州ガリア・ルグドゥネンシスにあった。3世紀に建てられたアンフィテアトルムが現在も見られる。

トゥールのグレゴリウスは、フランク族の副王リゴメルが、フランク族領の統合のため遠征したクローヴィス1世によって殺害されたと記載を残している。キリスト教化はフランク王国の時代に行われた。865年、町はヴァイキングの襲撃を受けた。

16世紀のル・マン

メーヌ第一の都市として、ル・マンは11世紀にはアンジュー伯ノルマンディー公の抗争の舞台となった。ノルマンディー公がメーヌを手中に収めると、ギヨーム公(のちのイングランドウィリアム1世)は、イングランドへ侵攻し成功した。しかし、1069年に市民の反乱が起こりノルマン人が追放され、エステ辺境伯アルベルト・アッツォ2世・デステの子ユーグが、メーヌ伯ユーグ5世を自称した。事実上のメーヌ伯位を持つのはイングランド王であったが、長年敵対してきたアンジュー伯家がイングランド王家と縁戚関係を結んだことで、フールク・ダンジューがメーヌ伯となった。ヘンリー2世とその王子たちとの内戦時代に、ル・マンは攻撃され火を放たれた。

ルネサンス時代のル・マンには、ジャック・ペルティエら、プレイヤード派と呼ばれる詩人・文筆家が集った。フランソワ・ラブレーピエール・ド・ロンサールは、ル・マンで互いに知り合った。

17世紀から18世紀には、ル・マンは織物業の町として繁栄した。

第二次世界大戦中、ル・マンはナチス・ドイツに占領されていた。ノルマンディー上陸作戦の勝利後、1944年8月8日、アメリカ軍(en)がル・マンを解放した。

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
132 181 143 246 152 285 147 697 145 502 146 105 144 016 143 599

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[1]、2004年以降INSEE[2][3]

交通[編集]

見どころ[編集]

ル・マンには保存状態の良い旧市街(Cité PlantagenêtVieux Mansとも呼ばれる)と、大聖堂がある。サン=ジュリアン・デュ・マン大聖堂は、市の初代司教であるル・マンの聖ユリアヌスへ捧げられた。その他、旧市街の古代ローマの残余、河岸のローマ浴場がある。

旧市街、シテ・プランタジュネ。後方にはガロ=ロマン時代に築かれた城壁が見える
サン=ジュリアン・デュ・マン大聖堂
リセー・ベルヴュ(旧サン=ヴァンサン修道院)

産業[編集]

スポーツ[編集]

ブガッティ・サーキット

ブガッティ・サーキットと、ブガッティ・サーキットの一部および公道で構成されるサルト・サーキットがあり、1923年以降行われているル・マン24時間レースなどモータースポーツの開催地として知られている。同レースの主催者であるフランス西部自動車クラブ(ACO)の本部も置かれている。

松井大輔が所属していたプロサッカークラブのル・マンUCの本拠地でもある。

著名な出身者[編集]

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]