スヴェン・ミスリンタット

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スヴェン・ミスリンタット(Sven Mislintat、1972年11月5日 - )は、ドイツ(当時西ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州ウンナ郡カーメン出身のドイツ人フットボールスカウト。 2019年2月までアーセナルFCでスカウト部門の責任者を務めていた。その卓越したスカウト眼からダイヤモンド・アイの異名を持つ。公の場で話すことをあまり好まない。

キャリア[編集]

ミスリンタットは、ドイツ連邦共和国(当時西ドイツ)のドルトムント近くにある工業都市カーメンで育った。ルール大学ボーフムでスポーツ科学を学んだ後、2007年からボルシア・ドルトムントでプロサッカー部門のチーフ・スカウトとして働いた。約10年間にわたって在籍したボルシア・ドルトムントにおいて、ロベルト・レヴァンドフスキピエール=エメリク・オーバメヤンウスマン・デンベレ香川真司などクラブの重要選手の多くをスカウトしたとされる。2011年にはサッカー監督の資格を獲得した。また、2016年に設立された、サッカーにおけるビッグデータを扱うドイツのmatchmetrics社の共同創設者である[1]

ミスリンタットの目利きはドイツ国内に広く知れ渡り、フォルトゥナ・デュッセルドルフハノーファー96ハンブルガーSVFCバイエルン・ミュンヘンなど数々のブンデスリーガのクラブがスカウトやまたは監督として獲得を熱望したが、彼がボルシア・ドルトムントから離れることはなく2015年10月にはクラブとの契約を2019年まで延長した。しかし2016年1月、オリベル・トーレスの獲得を巡って、当時の監督トーマス・トゥヘルと対立したため、練習場への立ち入りを禁止された。この出来事により、ミスリンタットはボルシア・ドルトムントを去る決心を固め、トゥヘルがクラブを去っても、その考えは変わらなかった。

ボルシア・ドルトムントは2017年11月20日、スカウトの移籍としては異例の移籍金(200万ユーロ)を支払い、ミスリンタットが同年12月1日付けでアーセナルFCのスカウト部門責任者に就任することを発表した[2][3][4]。その後、アーセナルFCはピエール=エメリク・オーバメヤンヘンリク・ムヒタリアンソクラティス・パパスタソプーロスなど、ミスリンタットがボルシア・ドルトムント在籍時に同クラブに移籍した選手を立て続けに獲得した。

2019年1月21日2月8日付けでアーセナルを退団することが発表された[5]

脚注[編集]

  1. ^ Rother, Dennis. “Sven Mislintat, Arminia Bielefeld und die digitale Revolution hinter den Transfermarkt-Kulissen” (ドイツ語). Arminia Bielefeld: News & aktuelle Meldungen. 2021年12月2日閲覧。
  2. ^ Bark, Marcus; Dortmund. “Borussia Dortmund: Der BVB verliert sein „Diamantenauge“” (ドイツ語). FAZ.NET. ISSN 0174-4909. https://www.faz.net/aktuell/sport/fussball/champions-league/borussia-dortmund-sven-mislintat-chefscout-bei-arsenal-15301883.html 2021年12月2日閲覧。 
  3. ^ KGaA, Borussia Dortmund GmbH & Co. “Sven Mislintat wechselt zum FC Arsenal” (ドイツ語). www.bvb.de. 2021年12月2日閲覧。
  4. ^ Sven Mislintat appointed head of recruitment” (英語). www.arsenal.com. 2021年12月2日閲覧。
  5. ^ Thank you Sven」Arsenal公式2019年1月21日