アレクサンドル・フレブ

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アレクサンドル・フレブ Football pictogram.svg
Alexander Hleb press.jpeg
名前
本名 アレクサンドル・パウラヴィチ・フレブ
愛称 ベラルーシの野獣、"Zauberlehrling"(魔術師の弟子)
ラテン文字 Aliaksandr Paulavich Gleb
ベラルーシ語 Аляксандр Паўлавіч Глеб
基本情報
国籍 ベラルーシの旗 ベラルーシ
生年月日 1981年5月1日(34歳)
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
白ロシア・ソビエト社会主義共和国
ミンスク州の旗 ミンスク
身長 185cm
体重 75kg
選手情報
在籍チーム トルコの旗 ゲンチレルビルリィSK
ポジション MF / FW(WG)
背番号 13
利き足 右足
ユース
1997-1998 ベラルーシの旗 ディナモ・ミンスク
1998-1999 ベラルーシの旗 BATEボリソフ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998 ベラルーシの旗 ディナモ=ユニ・ミンスク 11 (1)
1998-2000 ベラルーシの旗 BATEボリソフ 25 (4)
2000-2001 ドイツの旗 シュトゥットガルトII 17 (1)
2000-2005 ドイツの旗 シュトゥットガルト 137 (13)
2005-2008 イングランドの旗 アーセナル 89 (7)
2008-2012 スペインの旗 バルセロナ 19 (0)
2009-2010 ドイツの旗 シュトゥットガルト (loan) 27 (0)
2010-2011 イングランドの旗 バーミンガム (loan) 19 (1)
2011 ドイツの旗 ヴォルフスブルク (loan) 4 (1)
2012 ロシアの旗 クリリヤ・ソヴェトフ・サマーラ 8 (0)
2012-2013 ベラルーシの旗 BATEボリソフ 29 (3)
2014 トルコの旗 コンヤスポル 30 (2)
2015- トルコの旗 ゲンチレルビルリィ 0 (0)
代表歴2
2000-2004 ベラルーシの旗 ベラルーシ U-21 24 (5)
2001- ベラルーシの旗 ベラルーシ 66 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年12月28日現在。
2. 2014年11月19日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アレクサンドル・パウラヴィチ・フレブ英語: Aliaksandr Paŭlavič Hlebベラルーシ語: Алякса́ндар Па́ўлавіч Глеб1981年5月1日 - )は、ベラルーシミンスク出身の同国代表サッカー選手

Глебの「Г」は、キリル文字では原則として[g]を表すが、ベラルーシ語では[ɦ]日本語の「は、へ、ほ」のような音)を表す。本人によると、発音はフレブではなくグレブであるが、ドイツ語との兼ね合いで間違えたものを直さずにいた。弟もサッカー選手で、元ベラルーシ代表のFWヴィアチェスラフ・フレブ

経歴[編集]

クラブ[編集]

初期の経歴[編集]

17歳の時にディナモ・ミンスクからBATEボリソフへ移籍し、1999年ベラルーシリーグ優勝に大きく貢献した。

シュトゥットガルト[編集]

AEKアテネからのオファーもあったがブルガリア代表のクラシミール・バラコフとのプレーを望み、ドイツブンデスリーガVfBシュトゥットガルトに、弟のヴィアチェスラフとともにおよそ15万ユーロの移籍金で移籍した[1]。以降中心選手として活躍し頭角を表す。

1部でのデビューは2000年5月5日のカイザースラウテルンとのアウェーでの一戦だった[2]。ドイツでの1年目は出場6試合であったのにもかかわらず、2年目はチームの重要選手としてレギュラーポジションを掴んだ。

2002-03シーズン、チームはリーグ戦をバイエルンに次ぐ2位で終え、フレブ自身もプレーメーカーとしての地位を確立した。

しかし、チームを率いていたマガト監督が2004年夏にバイエルンに引き抜かれ、マティアス・ザマーが新監督に就くと、チームは下降線を辿りリーグ戦を5位で終えることとなった[3] 。フレブ個人はこのシーズン、ブンデスリーガ最多アシストを記録した。

アーセナル[編集]

Hleb playing for Arsenal.

2005年6月より移籍金1500万ユーロの4年契約でアーセナルFCへ移籍した[4]。アーセナルでは様々なポジションをこなしたが、主に右ウイングを務めていた。8月のアウェーでのチェルシー戦でデビューした。その後まもなく代表での怪我で数ヶ月間離脱し、12月7日のCLアヤックス戦で戦列に復帰し60分間プレーした。2006年1月のミドルズブラ戦(7-0で勝利)で移籍後初得点を記録した。チームはCLで決勝へ進出したがバルセロナに敗れ準優勝となった。この試合でフレブはCL決勝でプレーした初のベラルーシ人選手となった。フレブはイングランド初年度を40試合出場で3ゴールで終えた。

2006-07シーズンはハムストリングの故障に悩まされながらも48試合に出場し3得点を記録した。

2007-08シーズン、怪我人が相次いだため、ヴェンゲル監督はフレブのポジションを前線に移しロビン・ファン・ペルシの後ろのシャドーストライカーの位置に入った。その後エマニュエル・アデバヨールエドゥアルドの復帰に伴い、フォーメーションが4-4-2に戻ると、フレブも本来のサイドのポジションに戻った。シーズン終盤のレディング戦(2-0で勝利)でのグレイム・マーティーへ危険なタックルをしたことでFAから3試合の出場停止処分を受け、チームより先にシーズンを終えた。

バルセロナ[編集]

インテルレアル・マドリー等との争奪戦のなか[5]2008年7月16日、移籍金1500万ユーロ(約24億円)+インセンティブの4年契約でFCバルセロナへと移籍した。違約金は9000万ユーロ[6]。 バルセロナはリーガコパ・デル・レイ、チャンピオンズリーグと3冠を達成するも、フレブはバルセロナのスタイルに馴染めずにカップ戦要員となり、リーグ戦での先発出場は5試合に留まった。

2009-10シーズンはインテルからのオファーを断り、古巣のシュトゥットガルトへ1年間レンタル移籍した[7][8][9][10]。ブンデスリーガ開幕戦のアウェーでのVfLヴォルフスブルク戦(0-2で敗戦)で55分間プレーした。CLプレーオフのアウェーのでのティミショアラ戦で復帰後初ゴールを決めた[11]

2010年8月31日、バーミンガム・シティFCへ1年間のレンタル移籍が決定した。代表戦で足首を負傷したため、初出場が9月18日のウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC戦(1-3で敗戦)まで遅れた。その試合から3日後のリーグカップMKドンズ戦で初ゴールを決めた。しかしその後再び負傷し、古巣アーセナルとのリーグカップ決勝を欠場することとなった。シーズン終了後はシュツットガルトかアーセナルの古巣への復帰を望んでいた[12][13]

2011-12シーズン前半はヴォルフスブルクへレンタル移籍をした[14]ものの再び怪我に泣かされ4試合の出場に留まった[15]

クリリヤ・ソヴェトフ[編集]

ヴォルフスブルクから復帰後、双方合意の下でバルセロナとの契約を解除[16]して、クリリヤ・ソヴェトフへ6ヶ月契約で移籍した。

BATEへ復帰[編集]

2012年7月26日、ベラルーシリーグ覇者のBATEボリソフと契約し、12年ぶりに古巣へ復帰した。10月2日に行われたCL・グループF第2節のバイエルン戦で素晴らしいプレーを見せ、3-1の勝利に導いた[17]

コンヤスポル[編集]

2014年1月4日、コンヤスポルへ1年6ヶ月+1年の延長オプションの契約で移籍した[18]

ゲンチレルビルリィ[編集]

2015年2月2日、ゲンチレルビルリィSKに移籍した[19]

代表[編集]

2001年にウェールズとの一戦でフル代表デビューを果たした。2002年4月、デビューから2戦目のハンガリー戦で代表初ゴールを決めて5-2で勝利したチームに貢献した。

2006年11月、代表チームの元キャプテンであるセルゲイ・グレンコが「フレブ兄弟は試合中も試合外も王様気取りで、スロベニア戦のあと彼らは自家用車に乗ったが他の全員はチームバスに乗ったんだ。特にアレクサンドルはチームのために働いていない。」と批判した。

2007年8月、批判がある中で、当時の代表監督であったベルント・シュタンゲから代表キャプテンに指名された。同月22日、初めて腕章をつけて臨んだイスラエル戦を2-1の勝利を収めた。

エピソード[編集]

  • 2003年、ミンスクで自動車事故に巻き込まれ、他の車の乗客は後に死亡した。[20]
  • シュトゥットガルトでプレーしていた時、柔らかなスキルと眩しいばかりのトリックで"Zauberlehrling"("魔術師の弟子"の意)と呼ばれていた[21]
  • フレブがシュトゥットガルトに所属していた時に、当時バイエルン・ミュンヘンに所属していたミヒャエル・バラックが「フレブが加入すればチャンピオンズリーグも優勝できる」と発言した。
  • アーセナル在籍時は北ロンドンのハムステッドに住んでいた[22]
  • アーセナルでのチームメイトだったセスク・ファブレガスと公私にわたって仲が良い。また、セスクからは「明らかに自分よりも巧い選手であり、世界でもトップクラスの実力を持っている。もっと評価されるべき選手だ」と絶賛されていた。フレブもまた、バルセロナ移籍後にセスクに関して「彼はフラミニとともに一番の親友の一人で、移籍前バルセロナについて色々教えてくれた。」と語っている。
  • バルセロナ移籍直前に「セスクはエゴイスティックだ。他にフリーの選手がいるのにパスを出さないんだ。」とし、「ベンゲル監督と自分は考え方が違う」と批判した[23]が、後に自身の公式サイトで発言を捏造されたとしている。
  • 2008年の夏、ベラルーシの音楽グループ「トップレス」のアナスタシア・コセンコワと結婚した。
  • バルセロナでは、優勝パレードを行なっていたバスから転落してしまった。
  • フレブは後に、アーセナルから移籍したことを大きく後悔しており[24]、セスクとクリシにアーセナルからの移籍報道が出た際に残留を勧めている[25]。その後両者は移籍し、特にセスクはフレブが所属するバルセロナへ移籍した。
  • また、2009年のシュトゥットガルト復帰も「自身のキャリア最高の時期を無駄にした」と述べている[26]
  • バルセロナ退団後のインタビューでグアルディオラと衝突があった事を明かし「ペップは世界最高の監督ではなく、世界最高のチームを率いた監督だ。世界最高の監督とはモウリーニョファーガソン、そしてヴェンゲルだ。」としている。またセスクに関しては「将来的に世界一の称号を得る為の全てを持っている。クラブの中心になる為には時間が必要だよ。アーセナルでのセスクと比較すると少し不十分だね。」としている[27]

個人成績[編集]

代表での得点[編集]

 #  日時 場所 対戦相手 スコア 最終結果 大会
1 2002年4月17日 ハンガリーの旗 デブレツェン  ハンガリー 1 – 1 5–2 親善試合
2 2002年5月19日 ロシアの旗 モスクワ  ロシア 2 – 0 2–0 LGカップ
3 2005年2月9日 ポーランドの旗 グロジスク・ヴィエルコポルスキ  ポーランド 1 – 0 3–1 親善試合
4 2006年8月16日 ベラルーシの旗 ミンスク  アンドラ 1 – 0 3–0 親善試合
5 2009年4月1日 カザフスタンの旗 アルマトイ  カザフスタン 1 – 1 5–1 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
6 2010年3月3日 トルコの旗 アンタルヤ  アルメニア 2 – 1 3–1 親善試合

タイトル[編集]

クラブ[編集]

  • ベラルーシの旗 BATEボリソフ
ベラルーシ・プレミアリーグ (1) : 1999
  • ドイツの旗 VfBシュトゥットガルト
UEFAインタートトカップ (1) : 2002
  • スペインの旗 バルセロナ
リーガ・エスパニョーラ (1) : 2008-09
コパ・デル・レイ (1):2009
UEFAチャンピオンズリーグ (1) : 2009
  • イングランドの旗 バーミンガム・シティ
カーリングカップ (1) : 2011

個人[編集]

  • ベラルーシ最優秀選手賞 : 2002, 2003, 2005, 2006, 2007, 2008
  • ブンデスリーガ最多アシスト : 2004-05
  • アーセナル月間最優秀選手 : 2005.8

脚注[編集]

  1. ^ “Aliaksandr Hleb profile on MasterCard UEFA Champions League”. MasterCard. http://www.mastercard.com/football/ucl/players/player_detail41331.html 2006年7月18日閲覧。 [リンク切れ]
  2. ^ “2000–01 player stats” (German). Weltfussball.de. オリジナル2008年5月18日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20080518023204/http://www.weltfussball.de/spieler_profil.php?id=315&modus=3&saison_id=38&team=215 2008年4月13日閲覧。 
  3. ^ “2004–05 Bundesliga table” (German). Weltfussball.de. オリジナル2008年5月18日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20080518023213/http://www.weltfussball.de/spielplan.php?Thema=3&Liga=1&s_id=1403&p_id=4335&r_id=34&zeige=tabelle 2008年4月13日閲覧。 
  4. ^ “International Midfielder Agrees To Join Arsenal”. plusmarketsgroup.com. オリジナル2007年9月27日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20070927015049/http://www.plusmarketsgroup.com/story.shtml?ISIN=GB0030895238&NewsID=21322 2007年8月27日閲覧。 [リンク切れ]
  5. ^ “マドリーがフレブ争奪戦に参加?”. Goal.com. (2008年5月21日22:48:47). http://www.goal.com/jp/news/122/%E7%A7%BB%E7%B1%8D%E6%83%85%E5%A0%B1/2008/05/21/705008/%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%8C%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%96%E4%BA%89%E5%A5%AA%E6%88%A6%E3%81%AB%E5%8F%82%E5%8A%A0 2015年1月29日閲覧。 
  6. ^ “Hleb signs four-year deal”. FCBarcelona.cat. (2008年7月16日). オリジナル2008年8月4日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20080804184929/http://www.fcbarcelona.cat/web/english/noticies/futbol/temporada08-09/07/n080716104950.html 2008年7月16日閲覧。 
  7. ^ Hleb vor Wechsel zum VfB Stuttgart” (German). sportbild.de. 2011年10月2日閲覧。[リンク切れ]
  8. ^ “Hleb, cedit a l'Stuttgart [Hleb on loan to Stuttgart]” (Catalan). FCBarcelona.cat. (2009年7月30日). http://www.fcbarcelona.cat/web/catala/noticies/futbol/temporada09-10/07/n090729107794.html 2011年10月2日閲覧。 
  9. ^ Hleb returns to VfB”. vfb.de (2009年7月30日). 2009年7月30日閲覧。[リンク切れ]
  10. ^ Pearce, Nick (2009年7月30日). “Alexander Hleb joins Stuttgart on season-long loan from Barcelona”. Daily Telegraph (London). http://www.telegraph.co.uk/sport/football/european/5939783/Alexander-Hleb-joins-Stuttgart-on-season-long-loan-from-Barcelona.html 2009年7月30日閲覧。 
  11. ^ “シュツットガルト、アウェーで先勝”. UEFA.com. (2009年8月19日(水), 0.35CET). http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/season=2010/matches/round=2000027/match=2000351/postmatch/report/index.html 2015年1月29日閲覧。 
  12. ^ “アーセナル愛を語るフレブ”. Goal.com. (2011年4月18日17:34:00). http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2011/04/18/2446697/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%8A%E3%83%AB%E6%84%9B%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%96 2015年1月29日閲覧。 
  13. ^ “ブンデスリーガ復帰を望むフレブ”. Goal.com. (2011年4月30日11:13:00). http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2011/04/30/2464516/%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AC%E5%BE%A9%E5%B8%B0%E3%82%92%E6%9C%9B%E3%82%80%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%96 2015年1月29日閲覧。 
  14. ^ “フレブのヴォルフスブルク移籍が決定”. Goal.com. (2011年8月31日22:53:00). http://www.goal.com/jp/news/73/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3/2011/08/31/2644544/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%96%E3%81%AE%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E7%A7%BB%E7%B1%8D%E3%81%8C%E6%B1%BA%E5%AE%9A 2015年1月29日閲覧。 
  15. ^ “ヴォルフスブルク、フレブの契約延長を行わず”. Goal.com. (2011年12月13日23:04:00). http://www.goal.com/jp/news/123/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84/2011/12/13/2800891/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%96%E3%81%AE%E5%A5%91%E7%B4%84%E5%BB%B6%E9%95%B7%E3%82%92%E8%A1%8C%E3%82%8F%E3%81%9A 2015年1月29日閲覧。 
  16. ^ “バルサがフレブとの契約を解除”. Goal.com. (2012年2月1日20:03:00). http://www.goal.com/jp/news/73/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3/2012/02/01/2879378/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%81%8C%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%96%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%A5%91%E7%B4%84%E3%82%92%E8%A7%A3%E9%99%A4 2015年1月29日閲覧。 
  17. ^ “昨季ファイナリスト、バイエルンがBATEに敗北”. Goal.com. (2012/10/03 7:13:00 22:48:47). http://www.goal.com/jp/match/bate%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%82%BD%E3%83%95-vs-%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%B3/1388729/report 2015年1月29日閲覧。 
  18. ^ http://www.hurriyet.com.tr/spor/futbol/25503464.asp
  19. ^ “元アーセナルMFフレブも最終日に移籍。今どこにいるの?”. Qoly. (2015年2月4日). http://qoly.jp/2015/02/03/where-is-aleksandr-hleb 2015年2月4日閲覧。 
  20. ^ Sheehan, Pat (2005年6月29日). “Hleb death smash hell”. London: The Sun Online. http://www.thesun.co.uk/sol/homepage/sport/football/article220329.ece 2006年7月18日閲覧。 
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  23. ^ “アーセナルのフレブがセスクを「エゴイスト」と批判”. ゲキサカ. (08/7/9 15:00). http://web.gekisaka.jp/news/detail/?39491-20322-fl 2015年1月29日閲覧。 
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  26. ^ “フレブ:「キャリア最高の時期を無駄にした」」”. Goal.com. (2012年1月17日14:20:00). http://www.goal.com/jp/news/73/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3/2012/01/17/2851020/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%96%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%9C%80%E9%AB%98%E3%81%AE%E6%99%82%E6%9C%9F%E3%82%92%E7%84%A1%E9%A7%84%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%9F」 2015年1月29日閲覧。 
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外部リンク[編集]