リリアン・テュラム

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リリアン・テュラム Football pictogram.svg
Lilian Thuram - 001.jpg
名前
本名 リュディー・リリアン・テュラム=ユリアン
愛称 テュテュ、哲人
ラテン文字 Lilian THURAM
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 1972年1月1日(43歳)
出身地 グアドループの旗 グアドループポワンタピートル
身長 185cm
体重 78kg
選手情報
ポジション DF (CB, RSB)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1996 フランスの旗 ASモナコ 110 (6)
1996-2001 イタリアの旗 パルマAC 169 (1)
2001-2006 イタリアの旗 ユヴェントスFC 177 (2)
2006-2008 スペインの旗 FCバルセロナ 40 (0)
代表歴2
1994-2008[1] フランスの旗 フランス 142 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年6月27日現在。
2. 2008年6月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

リュディー・リリアン・テュラム=ユリアンRuddy Lilian Thuram-Ulien, 1972年1月1日 - )は、フランス共和国グアドループポワンタピートル出身の元サッカー選手フランス代表の歴代最多出場の記録保持者。ポジションはディフェンダー

経歴[編集]

1972年1月1日グアドループの漁業の拠点となるグランド・テール島の港町ポワンタピートルに生まれた。ちなみにテュラムの誕生は新年を迎えて僅か20秒後のことで、72年に生まれた最初の子供としてメディアが取材に訪れ、新聞の記事に掲載されたという[2]。幼少期はピアノにも親しみ、夢はカトリック神父になることであった[2]

1981年、フランス本土パリ郊外にあるフォンテヌブローに移り住み、サッカーを始める。

クラブでの経歴[編集]

1988年、フランスの名門クラブ、ASモナコにスカウトされる。1990年に同クラブでプロデビュー。当時の監督アーセン・ベンゲルの指導の下、次第に身体能力の高さと1対1の場面での勝負強さが注目され始める。

1996年にセリエA・パルマACへ移籍し活躍。イタリア代表GKジャンルイジ・ブッフォンとDFファビオ・カンナバーロとのトリオは世界最高の守備トリオと呼ばれた。

2001年、同僚ジャンルイジ・ブッフォンとともにユヴェントスFCへ移籍し、2001-02シーズンと2002-03シーズンの連覇を果たす。 2004年、パルマでコンビを組んだファビオ・カンナバーロが加入し、パルマ時代のトリオ再結成となった。2004-05シーズン、2005-06シーズンと連覇を果たすものの、2006年カルチョーポリにおける審判買収でユヴェントスが降格した。 本人は現役引退も視野に入れていたようだが、最終的に同僚ジャンルカ・ザンブロッタとともにFCバルセロナへ移籍した。

EURO2008後、パリ・サンジェルマン移籍が確実視されていたが、メディカルチェックにて心臓の奇形が発覚した。再検査を行った結果、最初の診断は誤りで、彼の心臓は正常であったことがわかったのだが、彼の実兄はかつてバスケットボールの試合中に心臓発作で亡くなっており、リリアン自身にも同じことが起こるのではと常日頃から心配していた母親を安心させるために、現役引退を2008年8月1日に正式に表明した。

フランス代表[編集]

1994年8月17日チェコ戦でフランス代表の招集を受け、初出場を果たす。

1998年フランスW杯では、グループリーグを通じて7試合2失点(グループリーグ最終戦前に決勝トーナメント進出が決まっていたフランス代表は、グループリーグ最終のデンマーク[3]はサブ中心で、自身も出場せず、実質6試合1失点)という強固な守備陣の一翼を担い、W杯初優勝を果たした。特に、準決勝のクロアチア戦において自らのミスにより先制された後、オーバーラップにより挙げた貴重な2得点(2-1で勝利)は後の語り草となっている。また、この2得点が自身の代表での唯一の得点となった。2000年オランダベルギーで開催されたEURO2000でも守備の要として、優勝に貢献した。

2002年日韓W杯にフル出場するも、グループステージ敗退。

2004年EURO2004終了後、代表引退を表明。

2005年ドイツW杯欧州予選に苦しむフランス代表の救世主として、モンペリエで行われた国際親善試合コートジボワール戦にてジネディーヌ・ジダンクロード・マケレレと共に代表復帰した。自身は負傷交代したものの、チームは3-0で勝利。その後、苦しんでいたフランス代表は息を吹き返し、予選を1位で通過した。2006年、ドイツW杯グループリーグ・トーゴ戦において、かつての盟友マルセル・デサイーの持つ代表出場記録を塗り替え、歴代1位となった。チームは決勝で敗れたものの、守備の要として全試合に出場した。

スイスオーストリア共催で開かれたEURO2008の初戦、ルーマニア戦に出場した事によりEURO出場試合数を15とし、歴代1位となった。今大会を最後にフランス代表からの引退を発表。代表出場142試合はフランスの歴代最多である。

引退後[編集]

2009年2月、2008年12月にニコラ・サルコジ大統領から内閣入りの話を持ちかけられ、長時間にわたる会談を行ったが、断っていたことを明らかにした[4][5]

人物[編集]

  • ピッチ外でも、同化推進委員会に属するなど、頭脳明晰な面も持ち合わせる。
  • 2005年、パリ郊外を中心として発生した暴動に対し一定の理解を示す発言をするなど、フランス国内において一定の影響力を有している。
  • スポンサー契約はナイキ社。
  • またレキップ紙によれば、フランス人のスポーツ選手で6番目、サッカー選手ではアンリに次ぐ、2番目に人気がある選手という結果が出ている[6]
  • スタンダール・リエージュに所属しているGKヨアン・テュラム=ユリアンは従兄弟である。

所属クラブ[編集]

獲得タイトル[編集]

代表
クラブ
  • 1990-1991シーズン モナコ フランスカップ - 優勝
  • 1998-1999シーズン パルマ UEFAカップ - 優勝コッパ・イタリア - 優勝
  • 1999-2000シーズン パルマ イタリア・スーパーカップ - 優勝
  • 2001-2002シーズン ユヴェントス セリエA - 優勝
  • 2002-2003シーズン ユヴェントス セリエA - 優勝
  • 2003-2004シーズン ユヴェントス イタリア・スーパーカップ - 優勝
  • 2004-2005シーズン ユヴェントス セリエA - 優勝(不正疑惑により剥奪)
  • 2005-2006シーズン ユヴェントス セリエA - 優勝(不正疑惑により取消)

脚注[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]